試食販売

朽尾明核

「ある」のがいけない


 半年くらい前かな、スーパーに行ったときの話なんですけど、試食コーナーが復活してたんです。


 そう、商品をちょこっとだけ、タダで食べさせてくれるやつ。

 コロナ禍のときは全然見なくなってたから、なんか、少しだけ感慨深いものがありますよね。

 まあ、そもそも僕はあの試食コーナー、産まれてこのかた使ったことないんですけど。


 その日は、肉が試食品コーナーに並んでたんですよ。そう、ウィンナーとかじゃなくて、ステーキ用の肉。わざわざホットプレートを設置して、目の前で、焼きたてあつあつが食べられるようになってて。


 二十歳くらいかな、たぶんバイトの、結構綺麗な感じのお姉さんが肉を焼いてて、「おひとつ、いかがですかー」なんて言いながら、呼び込みしてるわけですよ。


 ちょうど、人の切れ間のタイミングだったのかな。その時、周囲に僕以外の人は誰もいなくて。僕とお姉さんのふたりだけになってたんです。


 で、どうしようかなって思って。ポップをみたら、なんか結構いい感じの、高い肉だってことが書いてありまして。忘れちゃったけど、なんとか牛、みたいなブランド名もついていて。


 さっきも言いましたけど、僕、試食コーナー使ったことないから、ちょっと尻込みしてる部分もあったし、そもそも試食しても商品買う気ゼロなんだから、負い目もありますし。

 とはいえ、高い肉なんて早々食べられるものじゃないから、一切れぐらい食べてみてもいいかもなー、なんて悩んでたんです。お姉さんも美人だったし。


……え? 関係あるのって、……まあ、ないこともないんじゃないですか?


 だけど、そんな風にちょっと悩んでたら、信じられないようなことが起きたんです。


 「おひとつ、いかがですか」って呼び込みしてたそのお姉さんが、ちょっと黙ったと思ったら……、その試食品の肉を一切れ、パクッて食べちゃったんですよ。


 そう。びっくりするでしょ。僕も驚きました。


 えええ、マジかよって。そんなことあるんだなって。初めて見ましたもん。店員さんが商品、いや試供品……試食品? を、つまみ食いしてるところ。


 どうやらお姉さんは、僕に気づいてなかったみたいなんですよね。ちょっと距離が離れてたし、あと僕……自分で言うのもなんですけど、影が薄いタイプというか、存在感がないところありますから。


 だからって迂闊すぎるな……とは思いましたけど。盗み食いするなら、ちゃんと周囲を見回して、誰もいないことを確認してからやれよって。

 いや、そもそも盗み食いしちゃダメって話ですよね。


 でも、食べたあとの、お姉さんの顔がすっごい幸せそうで。とろんと表情がとろけて、目を閉じて味を噛みしめてて、見てるこっちにおいしさが伝わってくる感じの。もう試食するより、この人が牛肉を食うところを見せるほうが購買意欲が刺激されるんじゃないか? っていうくらいのいい顔だったんですよ。


 そしたらお姉さんと僕、ぱちっと目が合っちゃったんですね。そこで向こうは初めて僕の存在に気づいたみたいでした。まあ、気まずいですよね。盗み食いがお客さんにバレたわけですから。公になったら大問題ですし。下手したらクビですよ。

 とはいえ、別に僕だってわざわざクレーム入れるつもりはありませんでしたけど。面倒じゃないですか、そういうの。


 で、お姉さんはちょっとバツが悪そうな顔して「内緒ね?」ってアイコンタクトしてきたんです。それとあの、「しーっ」って口許に指持ってくジェスチャー。

 子供っぽい感じの表情がやけに可愛らしかったから、じゃあ、許してやるかって気持ちにもなっちゃいましたね。許すも何も、もともと咎めるつもりはありませんでしたが。


 これで終わればよかったんですけどね。

 でも、そうはなりませんでした。

 ならなかったんですよ。


 そのとき「アンタ、何やってんの!」ってすごい叫び声が聞こえて、そして、棚の間から、別の店員さんが、鬼みたいな顔して飛び出してきたんです。五十歳ぐらいかな。眼鏡をかけた、おばさんの店員さんでした。

 そう、お姉さん、その店員さんにも、盗み食いの現場見られてたんですよ。あのお姉さん、迂闊にもほどがありますよね。ひとりどころかふたりに見られてる状態で、犯行に及んだわけですよ。


 おばさんの店員さんは本気でブチ切れてました。当然ですけどね。店員が、試食品を盗み食いするなんて、お客さんに見られたら一大事ですし。……まあ、見られてたんですけど。


 その場でガチ説教が始まってしまいました。


 はい。おばさんも、僕のことは目に入ってなかったみたいです。

 僕もおばさんが出てくるまで気づかなかったから、お姉さんが盗み食いした瞬間は、僕とおばさんはちょうど棚が邪魔して、お互いにお互いが死角になってる位置関係だったわけですね。


 だから、周りにひとがいないと思って、その場で説教はじめちゃった感じだと思います。そりゃあ、店員が盗み食いする瞬間に、見える場所に客がいるなんて思わなかったんでしょうね。角度的に横からだから、お姉さんが僕に向けた表情も目に入ってなかったみたいですし。


 いま思い返してみても、すごい剣幕でした。大の大人が本気でキレてるのって、なんかちょっと引いちゃいますよね。


 え? なんですぐその場を離れなかったのか……ですか?


 いや、なんか……人が怒られてるのってわくわくしません?


 え? しない? 僕だけ?

 こう……自分に百パーセント非が無い状況で、他人が怒られてガン詰めされてるの見るのって、割と好きなんですけどね。


 小さいころ……小学校の時とかも、担任がクラスメイトに雷落としてるのとかも、うきうきしながら眺めてましたから。

 変? 変かなぁ。僕以外も結構いると思いますけどね。そういうタイプ。


 話を戻しますけど、ほんとに、おばさんは破茶滅茶に怒ってて、お姉さんは「神経を疑う」だの「頭おかしいんじゃないか」だの、すごい言われようでした……。もっとも、今回の件に関しては、百パーセントお姉さんが悪いわけですからね。ちょっと涙目になってたけど、自業自得だとは思います。


 で、おばさんの店員さんも、怒るとどんどんヒートアップしてくタイプだったみたいで。なんて言うんですかね……。怒ってると、「自分が怒ってること」に対して怒りが湧いて、さらに怒りが大きくなる感じの……そういう人、周りにいませんか?


 それで、とうとう、手が出たんです。


 手に持ってた、なんかビニール袋がぐるぐる巻きにされてる棒? みたいなやつで、ごん、ってお姉さんの頭を叩いたんです。


 一回じゃ効いてないと思ったのか、追加で二回。

 ごん、ごんって。





 それで、

 




 そしたら、お姉さんが口を開けました。





 そう、口。





 大きかったなぁ。

 すごく大きかったです。


 どのくらいって聞かれると……まあ、人間の頭はまるごとすっぽり入るくらいありました。


 だってそのまま、おばさんの店員の頭にかぶりついたわけですから。


 はい、そうです。バクッて。


 奇妙な光景でした。


 人がひとり、丸呑みにされちゃったんです。

 それも、おなじ人間のカタチをしたものに。


 あっという間でした。


 大きな口で頭を飲み込んだら。そのまま、首、肩、胴体って、ずるずるって感じで。一息に。

 おばさんも、あまりに突然のことで、何の反応もできなかったみたいです。「んがぐぐっ」って呻き声みたいなの、あげただけでした。


 飲み込まれるときに、足はバタバタしてたけど、あんまり抵抗にはなってなさそうだったなぁ。


 全身を飲み込むまで……、五秒くらいですかね? 十秒はかかってなかったと思います。


 十秒後には、お姉さんひとりだけになっちゃいました。


 僕?

 僕は、動けませんでしたよ。


 だって、あまりにも突然だったし、というか、何が起こったのか、理解も追いついてなかったですね。


「は?」「あれ?」「口?」「飲み込んだ?」「嘘?」「人を?」「ドッキリ?」「テレビ?」


 そんな感じで。

 ただただ混乱してました。


 え? おばさんを飲み込んだあとの、お姉さんの様子……ですか?

 もう、さっきまでと一緒ですよ。全然普通の人間に戻っていました。


 ああ、でも……、そうですね。味は、まずそうだったよ。

 そう、おばさんの。


 なんていうか、ほら。飲み込んだお姉さんの表情が、さっきの牛肉を盗み食いしたときと比べると、雲泥の差だったんです。


 眉に皺寄せて、いやいや口をもぐもぐ動かして。

 嫌いな野菜を無理やり食べさせられた小学生みたいな顔してましたよ。お姉さん。


 だから、「ああ、おいしくなかったんだな」って、そんな風に思ったんです。


 変ですよね。そんなこと、考えてる場合じゃないのに。


 お姉さんは少しの間、そのままもぐもぐしてましたが、まあ、最後は苦しそうにごっくんして、飲み込んでました。


 そこでようやく、僕の存在に思い立ったみたいです。


 また、目が合いました。


 死んだと思いました。正直。

 目の前にいるのは、人間じゃない。人のカタチをした化け物だっていうのは、わかりましたし。


 ……いや、それでもまだ信じ切れてなかったかな?


 パニックっていうんですか? 今は落ち着いていますけど、その時は、もう、何を考えてるのか、自分でもわからないぐらいの精神状態でした。


 まだ、これが何かのドッキリかもしれないって思ってましたし。

 同時に、なんでさっさと逃げなかったのか、自分を責める気持ちもありました。


 人間、あまりにも理解が追い付かないことが起こると、いろいろと矛盾したことを考えて、固まってしまうんですね。


 ……で、ですね。


 結局、お姉さんがどうしたかっていうと。


 また僕に、「内緒ね」ってアイコンタクトしてきたんです。


 バツが悪そうに。


 人を食べてるのに。

 なんか、牛肉を食った時と同じ顔で。


「しーっ」って。


 指を口の前に持ってって。

 いたずらがバレた子供みたいな顔して。


 僕がいちばん怖かったのは、もしかしたらお姉さんが人を食べたときよりも、その顔を見たときでした。

 あまりにも、軽いことみたいに扱うから。

 あ、ほんとにこのヒト、人間じゃないんだなって。

 そう、思いました。


 そのあとですか?

 僕は、まあ、頷いて。


 で、その場を去りました。


 そのまま、走ったりせずに、ゆっくり歩いてスーパーを出て。

 店の外に出てからですね。走ったのは。

 自動ドアから出た瞬間、全力で家まで走りましたよ。


 家に帰ったから鍵かけて。

 それで、ようやく現実感が出たっていうか。生きてるって実感したみたいな。


 そんな感じでした。


 はい。

 これで終わりです。


 今考えると、お姉さんがおばさんを飲み込んだ直後とかに、焦って逃げ出さなくて良かったのかもしれません。


 だってほら、そうしたら、自分の正体をバラされると思ったお姉さんに、口封じされるかもしれないじゃないですか。


 だから、結果オーライだったんじゃないかなって。

 そういう風に、いまは思います。


 記者さんは、どう思いますか?


 え?

 「内緒ね」ってアイコンタクトされたのに、話していいのかって?


 いいんじゃないですか?

 別に。

 だって、信じてないでしょ? 記者さんも。


 僕が、適当に話してるって。

 作り話だって思ってるでしょ。

 嘘でもなんでも、記事のネタになればいいなって。


 ……はい? 信じるんですか?

 へえ、意外だな。

 やっぱり、このご時世に怪奇ライターとかやってる人って、変わってるんですかね。


 それで?

 この話を他の誰かにしたのかって?


 してないですよ。

 あなたが初めてです。


 こんなの、知り合いに話したら、僕の頭がおかしくなったって、笑われるか、心配されて病院連れていかれるかのどっちかでしょう。


 だから、この話をするのは今日が初めてですよ。

 怖い話すれば、取材料貰えるっていうから。

 今月、金欠なんで。


 というか、なんでそんなこと訊くんですか?


 ネタが既出だと都合が悪かったりします?





 ……え?





 いや、





 あ、





 うわ、マジか。




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試食販売 朽尾明核 @ersatz

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