愛した女を埋めに行く

海野しぃる

愛した女を埋めに行く

 その日は三十九歳の誕生日だった。俺は大学の頃からの付き合いになる光汰こうたと山奥まで死体を埋めに来ていた。


「うちの地元さあ、毎年毎年高齢者が行方不明になるんだよな。ふらっと外にでていったきり帰ってこないの」

「行方不明って……死体は見つからんの? お前の地元って離島やん」

「見つからないんだわこれが」


 うだるような暑さの中、シャベルは規則正しく土を掻き分ける。シャベルを握る腕は俺の腕ではないみたいに、勝手に動き続けていた。まだ自分がやったことを信じたくないのかもしれない。

 頭髪の間をすり抜けるように落ちてきた汗が額を伝って目に入って、俺は手を止めた。


「ちょっ、さぼんなや」

「休憩させてくれ、熱中症で死体がもう一つ増えたらどうする」

「せやな……そろそろ水分補給もしとこ」


 俺と一緒に穴を掘っていた光汰も手を止めた。

 俺もコウタもクソ暑い真夏の森の中で雨合羽なんて着て、穴を掘っているもんだから、疲れ切っていたのは一緒だった。

 車に積んでいたクーラーボックスからビールを取り出して、俺達は乾杯した。


「酒飲んでもうたけど、どうすんねん帰り道」

「人殺しておいて今更だろ……」

「死体埋めた帰り道に事故って死にたくないわ」

「……正論だな、作業終わったら少し寝て酒抜いてから帰るか」

「死体埋めた隣で? 寝る?」

「埋めた後ならかえって誰も怪しまないだろ。男二人がこんなところで車の中で二人で寝てる方が異常だし、そっちのほうが気になるだろ」

「車の中見られたらやばいわ、スコップ捨てられへんて」

「荷室の下にスペースあるから、スコップとレインコートはそっちに隠すよ」

「見つかったら完全に変な趣味の奴らだと思われてまうなあ」

「気色悪い事言うんじゃないよ」

「死体の隣で寝る言うお前とどっちが気色悪いんじゃ」


 俺達はカラカラと笑う。

 殺された相手にとってはたまったもんじゃないだろう。


「一旦車に戻らないか? 暑いし、酒を飲むには虫がうるさい」

「ええよ」


 俺達は冷房の利いた車の中に戻って、ビール片手に一息ついた。

 冷房の風が首筋を撫でる度に体温がグイグイ下がっていく感じがした。


「それでさ、コウタ」

「なんや」

「なんで人なんて殺したんだよ」

「急やな……質問したいのはこっちやぞ」

「なにがよ」

「なんで自分のなんて埋めとるんじゃ」


 俺はため息をついた。


「いや、それはさ……そりゃ俺は妻を殺された夫だよ」

「そんで俺はお前のカミさん殺した男や。とっとと警察にでも突き出しゃええ」


 ビールの空き缶を指で押してゆっくり凹ませる。

 なんでこんなことをしているのか、と聞かれると、実のところ少し困る。


「そこでお前を警察に突き出したらさ、なんだかお前の友達じゃなくなる気がしたんだよ」

「んなこと抜かしてるから浮気なんてされるんじゃろがい」

「マジ? なんで知ってるんだ?」

「相手が俺だからや……」

「馬鹿野郎……兄弟って呼んで良い?」

「やめえや」


 車内に重苦しい空気が一気に広がった。

 なに? 光汰、おまえ、マジ? マジで美彩みさとよろしくしてたの?


「あのさ……美彩の尻のホクロの位置って……分かる?」

「尻じゃなくて臍の下やろ」

「最悪」


 マジなやつだこれ……。

 いや、マジか……マジか。

 美彩が浮気してるかもしれないとは思っていたけど、そうか、その、お前か、お前とだったのか……。


「ビールだけだと飽きてこない?」

「つまみうてきといたわ。ビーフジャーキー」

「この状況で肉?」

「元気つけんとどうもならんやろ。そもそも水分補給でビール飲んでる時点で終わっとるわ俺達」

「何も終わっちゃいねえよ、まだ死体だって埋めてないんだぞ」

「何が悲しくて間男と旦那が雁首揃えてかみさんの死体埋めとんやろな」

「帰ったら唐揚げ食おうぜ」

「はぁ?」

「やっぱビールには唐揚げだって」

「もう四十手前やろ、唐揚げとかきついお年頃やん」

「胸肉ならギリギリいける」

「それええな」

「決まりだ。明日は家で唐揚げパーティーだ」

「じゃ、そろそろまた穴掘り始めちゃおか?」

「だな。気分良く酒を飲みたい」


 俺達は残ったビールを飲み干して、また小雨の降る蒸し暑い森の中で穴を掘り始めた。

 しばらく休んで元気が出たのか、穴の深さは目標の1m50cmに限りなく近づいていた。


「浮気してたのになんで殺したんだよ」

「元々、お前と付き合う前に俺が美彩と付き合ってたんよ」

「マジ? いつ? いつごろ?」

「高校の頃、クラスメイトにも内緒でさ」

「知らない時期だわ……大学も一緒だったってことはその、それなりに良い関係だったんじゃないのか?」

「俺、大学入ってからお前とお笑いやっててさ。結構モテたんよ。それでこう、ふらふらーっと……」

「馬鹿……! 完全にお前の痴情に巻き込まれてるんじゃねえかよ俺の人生……じゃあなに? あれ? 美彩が最初に俺に声かけてたのも当てつけとかそういうやつ?」

「知らん……」

「知らんて、知らんてなんじゃい」

「知りたくなかった……見ない振りしとったんよ……」

「ああ……あー、ああ、ああ、ああ…………その、分かるよ。俺も美彩の浮気をさ、見ないふりしてたしさ」

「俺達が見ないふりし続けてきた結果がこれか?」

「そうなるな。俺とお前が二人で都合悪いことを少しずつ見て見ぬ振りして、それが嫌になったこいつがあてつけみたいな嫌がらせをして……ついにお前が我慢ができなくなったってワケだ」

「アホちゃうか」

「死んだ奴を悪く言うなよ、殺された上にアホ呼ばわりされたら流石に泣くぞ、こんな女でも」

「都合悪くなるといつも泣いとったわ」

「はいはい、そういうこと言わないの」

「ま……一番アホなのは俺らや」


 まあそれは否定できない。


「かもな。せめてもうちょっと早くお前の女性遍歴を知りたかったよ……」

「言えんて……俺余計なこと言ってまう……お前にそんなことしとうないわ……」

「馬鹿野郎。それくらい言えよ……俺達コンビだったろ」

「じゃあ……言って良いか?」

「聞くよ」

「ついさっき、美彩に手が出た理由な……あれや、子供ができたって言われてな」

「お前も穴に埋めていいかな?」


 光汰は深くため息をついた。

 しばらく黙り込んでから、ぽつりと。


「俺かて穴があったら入りたいわ……」


 今にも消え入りそうな声でつぶやいた。


「ほら手止めるな、穴ならできるから」

「殺してくれ……っていうか、黙って俺も死のうとしててん。なんで一緒に死体を埋めようとか言い出したんや」

「それはそうだろ。お前まで黙って死なれたらどうするんだよ」

「これ終わったらもう死なせてくれへんかな? 絶対に迷惑かけるやん」

「やめろ、今お前が死ぬと俺が更に疑われる。一緒に死体を埋めてくれる友達に迷惑かけるつもりか?」

「それはずるい……ずるいって……! 俺どうしたらええんや」

「どうもこうもねえよ穴掘るんだよ、おう早くしろよ」

「もうこんだけ掘ったらええんとちゃう?」

「まあ確かに……」


 巻き尺を使って穴の深さを測ると1m50cmだ。目標としてた深さにはなった。


「もうええわ、ありがとうございました」

「オチるのは俺達じゃねえけどな」

「堕ちるとこまで堕ちとるな、お母ちゃん泣くでほんま」

「一番泣きたいのは美彩のご両親な」

「一流企業に勤める旦那様に嫁いだ娘が山奥に埋められてるの、あんまりやわ。まあ殺して埋めたの俺なんやけど……」

「一流企業のサラリーマンなんてしょうもないって。寂しくてカミさんが浮気し始めるくらいにはどうしようもねえ」


 こいつとコンビ解消して分かったのが、世の中案外つまらないものだってことだ。

 正直、こいつの言う一流企業で働いていても、俺はピンで劇場に立ち続けるこいつのことがずっと羨ましかった。


「笑えよ」

「笑えんて」

「笑ってくれよ」

「無理や」

「仕方ねえな」

「なあ、俺、死体埋め終わったらさ……自首するわ」

「やめろって」

「お前には迷惑かけんから」

「やめろって光汰」

「冷静になってきたんよ。やっぱあかん」

「そういや死体って埋めても腹にガスが溜まって地面が盛り上がることがあるらしいんだよ」


 車の後部座席に閉まっておいた大きな包丁を取り出す。

 30cmの柳刃包丁だ。


「え、ちょ、何するん?」

「まあまあ見てろって」


 同じく後部座席に寝かせておいた美彩の死体を引きずっていく。

 穴の中に放り込んで、彼女の腹を包丁で割く。

 筋肉も脂肪も薄い腹は、力を込めればあっさりと裂けた。

 死んだ体の心臓はとっくに止まっていて、映画みたいな血飛沫なんてなく、小便でも漏らしたみたいにじわじわと情けなく血が流れ出していた。


「おいおいおいおいおい何してんの?」

「死体が白骨化したら身元の特定は難しいからさ、さっさと虫とかに喰ってもらえるようにってのと、さっき話したガスが溜まらないようにってのがな」

「いや、それは、だめだろそれは」

「その割に止めないじゃん」

「いや、だって、そんな……そんなんすると思わんて」

「ほら、埋めるぞ」

「あ、え、ああ……」

「埋めるぞ」

「おう……せやな」


 今にも泣きそうな光汰の顔を見てると俺まで泣きたくなった。

 どうしてこうなったんだろう。

 穴を掘るのに比べて埋める作業っていうのは存外簡単で、掘った時の倍以上の速度で進んでいった。


「なあ……光汰、俺また漫才やりたい」

「遅いわ」

「来年のM-1出て、それでダメだったら自首しようぜ」

「冗談でも笑えんぞ」

「でもそうしないとお前、俺より先に自首して全部自分が一人でやったっていうんだろ」

「いや、今からでもそうすべきやろ」

「ダメだよ」

「あかんことないわ」

「俺の女を殺したんだから俺にも償ってくれよ。ダメか?」

「…………アホ」


 見て見ぬふりをしすぎたんだ。

 俺もお前も。

 もう直視するには遅すぎる。何もかも遅い。

 俺と美彩に子供がなかなかできなかったのは何故か。

 光汰と浮気してから、急にできたと言い始めたのは何故か。

 きっとあいつは、俺のことなんて最初から。


「頼むよ、何もかも終わりになる前に、もう一回だけ夢が見たいんだ、光汰」

「俺が笑えないのにおもろいネタなんて思いつかんわ」

「これから俺達は人殺しちまったような奴でもゲロ吐くまで笑えるネタが作れるってことだろ?」

「最悪やアホ」


 見て見ぬふりしかできなかったんだ。

 だったら最後まで。


「最低のアホになろうぜ、頼む、付き合ってくれ」

「お前のネタ……おもろないもんな」

「明日、会社やめてくる」

「アホ、そんなすぐやめたら怪しまれるわ」

「おっ? やる気になったか?」

「俺が自首する前に、お前が捕まるのは困るんよ」

「へっへっへ、お互い様だ」

「お前ほんともうふざけんなよぉ……馬鹿……」


 グズグズと文句を言う光汰と肩を組む。

 そして、小雨の続く暗い空を見上げる。


「今度は最後まで一緒だ」

「ほんま悪い男やな」

「なあ光汰、さっき死ぬって言ってたけど……どこで死にたい?」

「ステージの上がええ」

「じゃあ自首はちょっと待ってもらうぞ」

「お前こそ勝手に自首せんといてな」

「一年間全力でやろう。その後一生思い出して笑えるように。この先どんなクソみたいな人生でも、何度だって思い出して笑えるような一年だ」

「やめろよ……人殺した後にそんな」

「それができたら。それができて初めて、俺は、お前も美彩も許せる。そんな気がする。ダメか?」

「最低や」

「ダメ……かな?」


 月の無い夜、パラつく雨、むせ返るような血の匂い。

 愛した女の埋まった土。腸をえぐった手応えの記憶。血と糞尿のこびりついた包丁。


「ええわ。一緒に最低になろ」


 お先は真っ暗で、けど眩しかった。

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