貌の無い騎士の夢③

「ドミトリィ……? それは……ミラーズの娘の?」


 着ぐるみの騎士、ドミトリィ。

 聖歌隊の戦闘用スチーム・ヘッドだったはずだ。

 シィーやキジールの口から何度も聞かされた名前。

 金色の髪の聖娼、初代『清廉なる導き手』、大主教キジールの、その実の娘……。


「ならば君は、彼女の……息子、だったのか?」


「そうではない……」答えは即座だ。「ミラーズは……あなたは、おそらく私の曾祖母にあたる」

 血まみれの男は首を振った。

「私はドミトリィだが……しかし四代目にあたる存在。ドミトリィ四世だ……」


「四代目」リーンズィは困惑する。「どういうことだ?」


「懐かしい眼差し、懐かしい声です。騎士様の面影を感じます……」

 ミラーズは寂しげに微笑む。

「ヴォイド、あなたの心が透けて、まざまざと見えるようです。あなたの心にある幸せな歴史が……。調停防疫局の歴史では……ドミトリィ様が、私を迎えに来て下さったのですね?」


「そうだ。私のロードした人格記録媒体から得られる情報は、曖昧で、不確かだが……少なくとも私の世界のドミトリィは、あなたを聖歌隊へ迎えに行った」

 ヴォイドは咳き込み、多量の血を撒き散らした。彼自身の血が蒸気となって吹き上がり、彼の姿を飲み込もうとする。

「多くの代償を払い、あなたを家族に迎え入れたそうだ。そうしてあなたは、私の曾祖父の屋敷で男児を出産し、ドミトリィと名前を付け……幸福のうちに日々を送り……しかし三年ほどで息を引き取ったと聞いている。私は写真と庭の墓でしか貴女を知らないが……アルファⅡモナルキアが不死病筐体として運用してきたこの肉体は、あなたの遺児の、その末裔に当たる」


「そう……」ミラーズは目を伏せた。「あなたから、私の匂いにも、あの人にも似た香りを、時折感じていました。私の……私の、遠い子孫だったのですね。幸せだった私の、救われた私の……」


「そして今、アルファⅡモナルキアの人工脳髄には、そうはならなかった世界の……エージェント・ドミトリィの人格記録媒体もまた、装填されている……彼の願望と妄執を利用すれば、この死地を乗り越えることが出来る」


「待って欲しい」当惑したのはリーンズィだ。「な、何故……別の世界枝に属する同位体の、その人格記録媒体が、君に、私たちに……装填されている? それはおかしいのではないか。私たちに、時間枝から脱出するための能力など無かったはず」


 ――アルファⅡモナルキアは、そもそも起動さえしなかった。

 エージェント・シィーの証言だ。自分の意志で時間を渡ることどころか、身動き一つ出来なかったのが実態だった筈だ。


「誰かがそのような操作を行ったのだろう。時間連続体と矛盾するメディアを運んできて、差し込んだのだ。ユイシスの記録によれば……アルファⅠサベリウスが、一度だけ、起動する前の私たちの前に現れている……」


 不滅者の塔の蠕動が烈しさを増す。

 ヴォイドは脂汗をかく頭で、呆と、空を見上げていた。

 初めて空の高さを知った者のような顔で、沈黙していた。


「リーンズィ。アポカリプスモードでなければ、ウンドワートを五体満足では回収できない。彼女は必要な存在だ。何を代償にしても、連れ帰らなければ。犠牲いけにえの役目は私が引き受ける……。トリガーを、君に任せる。最終意志決定者。調停防疫局の最終代理人。アルファⅡモナルキア・リーンズィ……私の後継者よ。我々の娘よ……」


 ライトブラウンの髪の少女は、手渡されたその不朽結晶の兜を、二連二対のレンズを備えたそのヘルメットを正面から見つめた。非人間性の檻を。

 迷っていられる状況ではない。

 意を決して、無数の人格記録媒体を装填したその装具を頭に被せた。アジャスターが作動し、脳定位固定のための螺旋が浅く頭蓋を穿つ。

 目の奥に火花が散り、バイザーの内部に無数の表示が流れていく。


【登録完了:アルファⅡモナルキア・リーンズィ】の文字が表示されると同時に、耳元で『準備はよろしいですか?』と女の声がした。


「……ああ。これが、私なのか……私なの、ユイシス?」


 必要とする全ての情報が有無を言わさずリーンズィに書き込まれていく。

 感情は冷却され、情動は切除され、迷妄や非合理的判断の介在する余地が狭まっていく。

 もはや死に体の、ミラーズに似た顔をしたその男の左手を掴み、ピアノの指使いを教えるようにして、ガントレットの入力装置へと、解除キーを打ち込んでいく。


「アポカリプスモード……起動準備完了」


「これで良いのだ、リーンズィ」男は言った。「これで約定は果たされる。花嫁を捨てた騎士が帰還する……最初のアポカリプスモード起動だ。ゼロ・アワーだ。この過程を経ずにして、リーンズィはその活動目的の完結を許されない……」


『エルピス・コア、オンライン。弾頭を選択してください』


 > 選択:<月の光に吠える者>

 > 投与:全部位

 > 期限:無制限


 ヴォイドの左腕部、ガントレット内部のチャンバーで、悪性変異体の因子を詰め込んだ骨針が生成される。

 そして射出すること無く体内で炸裂した。

 ヴォイドは雄叫びを上げながら数歩よろめき、その筋組織を剥き出しにした、人間に似ているだけの肉塊としか言いようがない体を急速に再生させ、そして泡雲のように膨脹させていく。

 その五体は、瞬く間に二脚を備えた大型狼のような異形へと貌した。

 ガントレットが残置されていなければ、それはまさしく、ただの獣であった。

 暴れ狂わないのは首輪型人工脳髄がヴォイドの意識をまだ維持させているからだ。


「あなたは……?」

 気配を感じ取ったか、塔の処理にあたっていたケットシーが振り返り、遙か背後の異様へと息を飲んだ。

「……まさかマモノを、悪性変異体を、コントール出来る機体なの?」


 回答は出来ない。

 アルファⅡモナルキアにとって、アポカリプスモードの全機能開示は最終手段にあたる。

 だから「そのような機体では無い」とだけ、淡々とした声音で応えた。


 ヴォイドの変異に伴い、その膨れあがり、拡張されていく腕部から、タイプライターじみた意匠の施された甲冑が放擲された。変形の許容限界を超えたため、ロックが解除されたのだ。

 新しいアルファⅡモナルキア、リーンズィは、醒めきった思考の辺縁に、その影を捉えた。最適経路を転がりながら駆けて、左腕部全てを覆うガントレットを掴み、己の左腕へと躊躇無く填め込んだ。

 アジャスターが起動し、無数の固定用ビスが突き刺さり、彼女の血管と骨に深々と根を張る。同様の経緯で固定用ベルトがリリースされた重外燃機関を拾い上げて背負い、骨髄にまで届く採血針を、そうあれかしと命じる声に従って次々に身体に受け入れていく。


『エルピス・コア、オンライン。弾頭を選択してください』


 リーンズィは心を切除し、次なる変異を実行していく。


『リローデッド。<砦の壁を登る者>。投与:全表皮、期限:無制限』


 採血された液体が重外燃機関に流れ込み、排気孔から血煙となって噴出される。少女の長く繊細な指はガントレットの内部で切断され、造り出された骨肉の血芯がチャンバーから飛び出した。

 視界内に『使用可:蒸気加速式多目的投射器』の文字が躍るのと同時に、「再装填リローデッド!」と少女は鋭く声を上げる。


『選択:<雷雨の夜に惑う者>。投与:全筋肉組織。期限:無制限』


 次のK9BSを。

 さらなる悪性変異の因子を。

 逡巡すること無く、苦悶するヴォイドへと打ち込んでいく。


再装填リローデッド。選択:<青い薔薇>、投与:全筋肉組織、期限:無制限」


 皮膚組織が急激に硬化を始め、関節部以外が不朽結晶装甲に装甲されていく。生身と言える部分の全てが置換されていく。石の代わりに煉瓦を。肉の代わりに腐れた海を。流動する液状化した身体組織で、神経系と筋肉が溶け合った新しい運動器官を編む。人工筋肉よりも強靭で汎用性の高い身体組織が、装甲の内部で再構成された。火花ではなく連鎖を。羽化する虫の如く、不朽結晶連続体の殻の内側で、変異は不可逆的かつ徹底的に進行していく。神経束に相当する組織がある種の植物へと変異して、一切の節を持たない、区切りの無いひとかたまりの回路を形成する。神経系が全てを同時に知覚し、全ての部位で同時に判断する異様なネットワークだ。

 勿論、人間の心臓など跡形も無くなった。


 これから先、ヴォイドは人間の時間ではなく、機械たちの時間ではなく、怪物どもの時間に生きる。

 かつてヴォイドだった何かは、自己破壊と再生の連鎖で爆発的に質量を増大させていった。

 見窄らしい右腕は見る間に再生し、不朽結晶連続体で構築された甲冑に包まれていく。

 ただし、通常の悪性変異体のように、過度に膨れあがることはしない。己自身の異邦を、極めて正常に、極めて正確に順序立てて、自身の異形の肉体へと、適切な密度で取り込んでいく。

 もはや彼をアルファⅡモナルキア・ヴォイドたらしめている要素は、擬似人格を転写した首輪型人工脳髄以外には無かった。


 全ての加工は、果たして完了した。

 変異の際に汚濁した血流を撒き散らした点を無視すれば、それは遠く異邦の地からやってきた、甲冑で身を固めた巨大な騎士に似ている。異様な背丈をしていて、装甲の内部で流動体の悪性変異体が息づいているとしても。

 やがてヴォイドは自分の頭を抱えた。

 不滅にして不朽であるべきその装甲を、押し潰し、ねじ切った。


再装填リローデッド。<宵の畔に浮かぶ者>。投与:全筋肉組織。期限:無制限』


 ヴォイドの首無しの胴体が己の頭部を掲げると、リーンズィが有機再編骨針弾の照準を、一切の躊躇無く、その目も鼻も無いのっぺらぼうの、兜の如き肉塊へと定めた。

 発射する。

 着弾と同時に砕けた結晶群が一斉にさざめいた。

 首無しの騎士の手の中で、頭から肉がそげていき、緑色の眼球は溶けて落ち、やがて髑髏となり、青い光を放って四散した。

 即座に集合して、しかし形を結ばない。

 揺らめいて蠢く。

 青い炎が、ひとかたまりになって、宙空に浮かんでいる……。


 真っ青な火球へと変わり果てたその物体は、ウィルオーウィスプとも呼ばれる特異な変異体だ。燃える泉で息絶えた不幸な旅人の末路。感覚器だけを備えたエネルギー質量体。この変異体は炎上する己自身によって空気の揺らめきを感知し、熱と光の反射から、物体の像を明瞭に捉えて、本能的にその方角へと移動する。

 最大の特徴は、その感覚器が三次元空間のみならず、さらに上位の空間をも感知するということだろう。

 時折、科学的に説明の付かない動きを見せることで知られている。


 接触神経束は、ついにその炎に触れることはなかった。熱と光の揺らぎについてさえ情報の遣り取りができれば、胴体と首が繋がっている必要が無い。これらは呪われた不死にのみ現実化が可能な領域であり、もはや科学によって構築されるスチーム・ヘッドの常識では計ることが出来ない。


 煌々と燃え上がる青い炎を、巨人はしかし、舞い降りてきた調停防疫局の旗で包んで、捕まえて、体に結わえ、抑えつける。

 リーンズィは平板化した思考を巡らせる。

 世界地図を背にした竜の紋章。まさしく彼女たちの旗だ。

 しかし、この戦場に、そんなものを持ち込んだ覚えが無い……。

 あるいは、持っていたのか? 

 否、記憶を検証することには然程の意味が無い。<時の欠片に触れた者>が跋扈するこの都市で、過去ほど不確かなものもない。

 それは寺院の石碑に刻まれた警句とは異なり、いとも容易く書き換えられる……。


 塔が震える。破滅的な増殖の時間が進行していく。進路を僅かに変えている。アルファⅡモナルキアの存在を感知して、あるいは押し潰そうとしているのだろう。その首無しの怪物は、左腕で己の右腕を捥ぎ取って乱暴に振り回した。

 腕からは見る間に肉がこそぎ落ちて行き、やがて骨で組まれた長大な剣へと変貌した。


 いずれにせよ、そこに立っていたのは、鎧を纏う怪物だった。

 騎士の獣。

 首のない騎士の骸……。


「ヴォイド……」


 精神外科的心身適応からひととき解放されたリーンズィが、己の片割れ、その変わり果てた有様を、呆然と眺める。


「これで、本当に良かった、の?」


 定位固定装置を解除し、ヘルメットを外し、少女は目の縁に煙り立つ血を零しながら、真っ赤な二つの瞳の色で、異形の騎士を見つめる。

 貌無く、歴史無く、矜持無く、神命さえも無く……。

 ただ夜の闇を彷徨う、まことの騎士。

 忠義なき騎士が求めるのは花嫁だけだ。

 墓碑銘もない、弔われることもない、何にも縛られぬ、死人の騎士……。


 かつて調停防疫局で作成計画が進められていた、特務仕様型ホースマン・局地殲滅用変異体アナイナレイターの第一号。

 ヴォイドは、まさしくそれに成り果てた。

 プロジェクト名をディオニュシウスという。

 首を刎ねられ、尚も歩むことをやめなかった聖人の、古い時代、失われた世界で信仰されていた、形骸の名前にあやかる。


『私の花嫁は……どこだ……』


 ヴォイドではないその騎士は、もはや誰でもないその騎士は、存在しない喉で、声ではない声で、呻きではない呻きを上げる。ドミトリィ四世の言葉ではない。おそらくは初代ドミトリィと記憶が混濁しているのだ。そしてまさしくこのためにこそ創造された首輪型人工脳髄は、既に装甲内部に飲み込まれ、未知の方法、只人には想像さえ及ばぬ尋常外のコマンドが、変性意識の混濁に逆らい、その人ならざる肉体を制御している……。

 そして貌無き瞳で、もはや漂着者に似つかわしくない、歪んだ世界を一つも映すことも無い、世界の実像と対峙するための、煌々と燃え上がる巨大な眼球で、己の花嫁を探し始める。


 これがゼロ・アワーだった。

 一つの時間枝におけるアポカリプスモード起動、その最初の瞬間であり、

 アルファⅡモナルキアが呼び寄せる、大災厄の予徴であった。

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アフターゾンビアポカリプスAI百合 〜不滅の造花とスチームヘッド〜 むえん @zignika

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