私のトヨ
私は幼い頃、病気がちであった。
季節の変わり目など起きている日より伏せっている日の方が多いくらいだ。さりとてよほど重症になるということもなく、ただ数日うなされ枕を汗で濡らしていればその内にわかに食欲も湧き大きい握り飯などパクつけるのである。
はや病院に駆けつけるほどでもなし、とりあえず布団に押し込まれ折々頃合いを見ては母が「大丈夫?」などと一声掛けては仕事に戻っていく程度のものだ。
母はいわゆる兼業主婦というものであった。家の奥に籠もっているなんて勿体ないとばかりに仕事に精を出し、また能力も高い故に先でも重宝されていたようだ。
さて、看病である。
父も日中は仕事で不在だ。では誰が私の看病をしてくれるのか?
そこで白羽の矢が立ったのが、隣家で子守として働いていたトヨであった。隣の子が成長し子守の手も空いてきたと聞いた母が我が家へと引き抜いてきたのだ。
隣家は苦笑しつつもトヨの背中を押してやり、トヨも今より好待遇で働けるとあれば悪い話ではなかったのだろう、いそいそと我が家へとやってきた。
いまでも隣のミヨおばさんが「トヨは元気にしているか」と顔を出しにくることがある。その度にトヨはミヨおばさんのもとにすっとんでいき、シワシワになった手を大事にさすってやるのだ。
トヨは人情が厚く働き者だった。
子守以外にも掃除が得意らしく床はいつも塵ひとつ落ちていないほど清潔で、私がやれ頭が痛いだの寒気がするなど零せばサッと布団へと案内し、ぐずぐず言う私を叱りもせず寝入るまでそばにいてくれた。そのぬくもりがなんと心強かったことだろう。
そしてトヨは今、窓辺でゆったりとしたソファに腰掛けうつらうつらとまどろんでいる。
今まで文字通り休みなく働いていたのだ。寿命といえば聞こえは悪いがせめて完全に動かなくなるまでは看取ってやるつもりであった。
しかし別れというものは突然訪れるものである。
ある日トヨの口から突然けたたましい警告音が鳴り響いた。
「やだ、爆発するんじゃない!?」母が悲鳴を上げ後ずさる。「だから充電スタンドに繋げっぱなしは危ないって言ったじゃない!」
私も警告音に負けじと声を張り上げた。
「バッテリーが完全にイカれてるんだ。交換も出来ないから充電し続けるしかないんだよ!」
子守ロボットとして販売されたトヨの型番は生産が終了して久しい。型落ちはメーカーサポート対象外の上に修理部品も取り寄せ不可である。
簡単な修理ならば私にもできなくはない。が、大事なデータが吹き飛んだら一大事だ。
どうしたものかと逡巡していると、母がユメを連れてきた。
トヨの引退後に我が家へとやってきた最新型のアンドロイドであるユメはトヨを一瞥し、呆れたように「人間で言う風邪のようなものです」と告げた。さらには「とりあえず電源を切って、しばらく放置したあとに再起動しましょう。古いのは大体それで直るんですよ」などいけしゃあしゃあと宣う始末である。
これだから最近のアンドロイドは冷たいなどとレビューをされるのだ。
風邪をひいたら電源を落として放置しろだなんて血も涙もない機械のような所業と言わざるを得ない。
私はトヨの隣へイスを持ってきて腰掛けた。
あれこれ世話を焼きながらずっと側にいてくれた時のように、トヨに毛布を掛けてやる。
丸まった背中をさすりながら、ふと、こんな風に寄り添ったのはいつぶりだろうかと思う。
小さい頃はよく熱を出したものだが、成長するにつれその頻度は減っていった。それでも年に数回程度は熱っぽいなどとゴネてこうして看病してもらったものだ。
それすらも無くなったのは私が学校を卒業し成人してから? いや、もう少し後、充電ケーブルを差しっぱなしでトヨが自由に動き回れなくなったころかもしれない。
ふと気がつくと、あれほどうるさく鳴り響いていた機械音がいつの間にか鳴り止んでいた。毛布をめくり、そっとトヨの顔を覗き見る。
猫型お手伝いロボットのトヨはニヤリと笑い、小さな舌をペロリと出した。
まるで熱があるふりをしていたあの時の私のように。
短編集 雪屋 梛木(ゆきやなぎ) @mikepochi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。短編集の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます