短編集
雪屋 梛木(ゆきやなぎ)
行旅死亡人情報データベース
あたしね、名前も知らんおっさんと暮らしてたことがあったんよ。
何度も名前をきいても教えてくれへんから、ずっとおっさんって呼んでてん。一緒に暮らしてた言うても、いっぺんも嫌なことはされとらんし、おっさんもあたしに指一つだって触れとらん。
おっさんはどこからどうみても人畜無害の顔だったんだけどな、背だけはちいこかったん。ずっとクラスで一番ちいこいあたしが言うんだから間違いない。どのおっさんより一番ちいこかった。でな、そのおっさんが頭頂部をやけに気にするんよ。バーコードでもない真っ黒でふっさふさの髪なのに。なんでも、スマホがなかったむかーしむかし、アンテナっていうながーい棒みたいなもんで髪をとかすと電波がよくなるとかいう都市伝説があったらしくて、必死に頭頂部の髪を手ぐしでとかしよるんよ。そんなことしても電波はよくなるわけないんやけど、そん頃のあたしはそんなことも知らんほど幼くて、一緒になって自分の茶色い髪もとかしてたんさ。だからあたしの髪はボロボロで、パサパサ。すーぐ抜けよる。あんまりにも抜け毛が多いんで、掃除ついでに丸めてな、コロコロ部屋ん中を転がしてたくらいよ。
でもおっさんの髪はあんまり抜けないんよ。たまーに抜けた毛は大事そうに指でつまんで、ゴミ箱に捨てるんじゃなくて、わざわざ外に出して、風に乗ってどこかに飛んでいくのを眺めとった。そんときはあたしも真似をして、くしに残った髪を手のひらにのせて息をふぅってしたもんよ。何しろその頃は家族が誰もおらんくて、おっさんとふたりっきり。おっさんに見捨てられたらどうしようもなかったから。
ある日突然おっさんの髪がぽろって取れてしもた時も、あたしは驚かなかったんよ。本物じゃなかった、やっぱり偽物か、いやに黒くて若々しかったもんな、て。安心とか、ほっとしたような気ぃの方が大きかった。ああ、これであたしも一緒になって髪をとかさなくてよくなるんだ、って思ってしもたんよ。おっさんはぽろって取れたあとのつるつるの頭に、偽物の髪をぺしって載せて、でも上手くくっつかなくて、ぽろって取れて。その繰り返し。あまりにもおっさんがずっとやってるから、ちょっと笑ってしもたんよ。本当に面白かったから。
でもおっさんは泣いとった。泣いて取れた髪の上に覆い被さって大粒の涙を流しとった。べつに髪が取れてつるつるの頭になろうがおっさんはおっさんなのであって、なんであんなに泣くのかあたしにはまだ理解できんかったんよ。もとからイケメンなんて顔面からほど遠いけん、毛があるかないかでそんなに変わるわけでもないもんで。
あんときおっさんが泣き崩れたわけを、あたしが大人になって、おっさんが息を引き取る間際にようやく教えてくれたんよ。
あの偽物の髪はおっさんが旅立った星との唯一の通信手段で、壊れたらもう二度と自分の星に還ることができないんだって。そっか、だからおっさんはこんなにちっこかったんやね。ふさふさのおっさんも、つるつるのおっさんも嫌いじゃなかったんよ。
おっさんがひろくて暗い宇宙で迷子になって、この地球に落ちてきただけだとしても、幼い頃のあたしは楽しかったし今は寂しい。おっさんの髪は、大事にあたしが毎日くしでとかすから。いつかおっさんの星に電波が届いたらいいな、って思うんよ。
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