ホウキ乗りたちの井戸端会議

綿雲

魔女の軟膏

"ホウキ用『魔女の軟膏』、秋の新作!王道シナモンローズとクサリヘビの香り"。


窓の外、銀杏の街路樹の向こう側で、ホウキに乗った女の子が踊りながら宙返りをひとつ。キラキラしたエフェクトと音楽に合わせて、ブランド名のアイキャッチが流れた。


「クサリヘビの香りって、どんなよ?」

「スモーキーっていうか、焦げ臭い感じだった。この前買ったけど」

「それ、つまり黒焼きの匂いなんじゃないの」


それもあるかも、とダリアはホログラム広告を一瞥もしないまま、手の中の水晶をクロスで磨き続ける。午後の町をぼんやり眺めるばかりのライラックと同様、暇を持て余しているのだ。

黒いとんがり帽子に黒いマント、挙げ句の果てに黒いサングラスとアームカバーに身を包んだ姿は、あからさますぎるほど「魔女」だ。今日だって酒場まで愛用のホウキで来た。そして、ホウキよりよほど速いものに乗っているはずのリリーは、いまだに来ない。約束の時間はもうとっくに過ぎたが、リリーが遅れてくるのも、それを待ちながら駄弁るのも、いつものことだった。


「ダリアも軟膏って使ってるの?あたし、ホウキ乗らないからよくわかんないんだけど」

「使うよ、ほら。今の広告のじゃないけど」


とりとめのないお喋りは、ときおり新たな発見を生む。ダリアは胸元からピンクブロンドに光るコンパクトを取り出すと、ぱかりと蓋を取ってライラックに差し出す。中には乳白色の、ほのかにリンゴのような匂いのするクリームが入っていた。容器のふちから真ん中にかけてへこんでいて、使用感がある。ホウキの柄に塗るの、と言いつつ、するりと指先で拭うようにクリームを取る。そしておもむろに、自らのくちびるにそれを塗りつけた。


「えっ。ホウキに塗るもんだって今言ったじゃん」

「体にも塗ると、より効果がある」

「そういうもん?」

「と、されている……もとは肌に塗るものだし。普通に化粧品として使うコもいるよ、保湿効果あるし」

「ええー、まじ?そういうもんなんだ……」


ダリアの艶めくくちびるを羨ましそうに見ながら、しかしライラックは眉をひそめている。自分が座ったり地面に置いたりする道具に使うものと、美容ケアとして自分の肌に塗るものと、区別がないのには何となくむずむずした。

南国生まれのライラックには、ダリアの色素が薄くきめ細かな肌がより魅力的に映っていた。金髪と白い肌、そして赤いくちびるは、黒い服によく映える。浅黒い肌に黒い髪、派手な色のサリーばかり着ているライラックとは大違いだ。雪深い森で育ったリリーなんて、ダリアよりもっと白い。髪や睫毛まで白い。いつもそこらじゅう機械油で黒く汚れてはいるけれど。


「そっちだって、じゅうたんに振るでしょ、飛行魔法の……粉?」

「じゅうたん粉をおしろい代わりに顔中にはたけって?むりむり、あんなもん近くに寄っただけでくしゃみが止まんなくなるんだから!」

「コショウでも入ってるの?お手入れ大変そう」


そう、本来は魔女の軟膏も、じゅうたん粉――本来、一般には妖精の粉と呼ばれる――も、それぞれ飛行魔法の補助具であるホウキやじゅうたんの手入れのためのアイテムである。経年劣化の防止、機体に流れる魔力量の調節、飛行機能の向上、等々の目的があり、近年では各社が競ってより品質が良く、おしゃれで、魔女ウケの良い製品の開発に取り組んでいる。


「胡椒を入れる場合もあるよ、それはまあ、各々の家の作り方によって。カレーとおんなじ」

「料理も魔術か……」

「そういうことかも。これもママのお手製」


ライラックはサリーの懐から金のペンダントを取り出すと、シャカシャカと振ってみせた。じゅうたんの「キー」だ。バイクのキーと同じで、これがないとじゅうたんは乗り手の言うことを聞かなくなる。この中に件の、自家製妖精の粉も入っているのだが、そろそろ中身を新品に変えないと使用期限が切れるかもしれない。前に詰めたのはいつだったか、ライラックはもう思い出せなかった。嗅いでみると、シナモンやアニスのスパイシーな香りに混ざって、台所で放置されて萎びたニンジンのようなにおいが漂ってくる。異常はなさそうだ。


「でも最近はスプレー式のやつも売っててさ!これが便利なんだ、いい匂いだし、シュッとやって日陰干しすればいいだけ」

「へえ、いいじゃん。粉のときはどうお手入れするの?」

「じゅうたん広げて、ふるいながらまんべんなくかける」

「めんどくさそう……」

「しかもそのあと丸一日使えないの!粉が定着するまで。それから一日経ったら、ひっくり返して裏面にも粉ふるう」

「その間移動はどうするの?」

「できない!だからレンタルか、一家に一枚は予備があるから、そっちを使うんだ……手入れがちゃんとされてればね」


そして実際、手入れなどろくにされないまま、予備のじゅうたんは納屋に放り込まれている。なのでライラックの住む町にはかなりの頻度でレンタルユースのじゅうたん屋が建っている。建っているとは名ばかりで、実態は布を貼っただけのテントなのだが。それでもどの店もそれなりに繁盛しているようだ。最近は魔女心をくすぐるような愛らしい柄のじゅうたんも多い。ヒョウモントカゲモドキ柄とか。


「そこまで行ったら、陸路をバイクにでも乗ったほうが速そう」

「いやあ、でも免許がさ……じゅうたん取っちゃったら、もう二輪はいいかなってなるし」

「たしかに。私も迷ったけど、結局ホウキしか取ってない」

「だいたい、二輪免許なんか取れる教習所、田舎にしかないし!」


リリーのようなもの好きは別として、二輪車の免許を持つ魔女はほとんどいない。バイクに跨って空を飛ぶことにロマンを見出す輩は存外多いものの、陸路を走るほうには興味がない場合がほとんどだ。二輪車の免許を取りさえすれば陸路も空路も走り放題だが、実にホウキの15倍と言われる危険を犯してまで、機械仕掛けのクラシックに乗りたがる魔女はごくわずかである。

ちなみに、リリーの乗っているバイクは、黒々と光る超大型のビンテージ、それも500年は昔の型らしい。化石と言っても差し支えない代物だ。なのに運転手の操縦は荒いため、走るたびにどこかしら故障させている。


「リリーもよくやるよね、だってそもそも車体がえらい値段する上、手入れに維持費とか車検代とか魔法燃料代だってあるのに!年にいくらかかる勘定?」

「うちらもそれなりのもの揃えようとしたら、それなりにかかるんじゃない?この前百貨店ですんごい値段のじゅうたん見たよ」

「あれは一部のブルジョワおばさま向け!それにじゅうたんは一枚買ったらあとは何百年だって乗れるし、手入れしたり繕ったりすれば」

「そうなの?丈夫なんだ、ホウキは結構壊れやすい……事故も多いし」

「ホウキはみんなスピード出しすぎ!ぜったい法定速度無視してるでしょあれ」

「それは一部の田舎のヤンキーだけ……だと思いたい……」


陸路を走る車に法定速度があるように、空路でもいちおう速度の規制がなされている。だがその実態は国や乗り物によってまちまちだ。たとえ町から町の間でも、居住区外の領空にはパスポートがないと出られないため、閉鎖的なローカルルールがまかり通っているのだ。中でも二輪車は絶対数が少ないため、規制はさらに緩くなる。

お国柄もあってか、じゅうたんの運転を急いだりしないライラックには信じられないことだが、都会の空を走る魔女はみんな飛ばす。ダリアの最新式クリスタルフレームのホウキだって、ライラックからすれば充分速いのだが、リリーなど機嫌の良いときは速度計が一息に振り切れるほど飛ばす。何度事故に遭えば気が済むのか。


「リリーのいつも乗ってるのは、技師のひいひい……ひいおばあちゃん、に譲ってもらったんだっけ」

「らしいね。壊しても修理して乗り続けてるし、愛着あるんじゃん?」

「精密機械は壊れやすいとは言っても、なるべく壊さないように乗るつもりはないのかな……」


リリーがいつも機械油に塗れているのはこれが主な理由であろう。やれ排気バルブが、サスペンションが、などと専門用語を並べ立てては、かいがいしくバイクの整備に明け暮れている。

何やかんやと理由をつけて、手のかかる相棒を可愛がるのを楽しんでいるのだ。もちろん共に空を冒険することも。


「やっぱ実家が修理店とか、そういう伝手がなきゃなかなか乗れないよね、バイク」

「実はちょっと憧れある?」

「ばれた?今度後ろに乗せてもらおっかなあ」

「……それくらいならいいけど……公道を乗り回したいなら、やめといたほうがいいかも」

「え?なんでさ」


聞き返した刹那、どおん、と盛大な爆発音が耳に飛び込んでくる。反射的に背後を振り向くと、大破した酒場の玄関――玄関だった部分――から、もうもうと上がる煙と火花に包まれて、巨大なドラゴンの頭が生えていた。店内に張られた防衛結界のおかげで、巻き込まれた人はいないようだが、店内は恐慌に陥っている。当たり前だ。いきなり3メートルはありそうな物体が壁を突き破って突っ込んできたのだから。


「遅れてごめえん、ちょっと衝突事故起こして、エンジン炎上しちゃって。ライラ、ダリア、片付け手伝ってえ!」


焦げ臭い煙幕を払うように、瓦礫の中からごくのんびりとした声が響く。たんこぶを作って気絶したドラゴンの下から姿を現したのは、スカイブルーの炎を吹く真っ黒い1800ccバイクと、同じく真っ黒に煤けた我らが悪友。


「……ああいうふうに、事故が起きた時、ホウキなんかよりよっぽど、たちが悪いから」

「ああー……そうだった……」


他の道具と違い、運転手本人の魔力だけでなく、魔法燃料の力を使って動く二輪車は、急には止まれない。文字通り、機体と一蓮托生なのだ。リリーはがたついて異音を響かすバイクを、慣れ切った様子で床板の上に停めると、にこにこしながらふたりのそばに駆け寄ってくる。


「いつもありがとお、ここはおごるから!」

「そういう問題じゃない!」「ばか……」


この機体の修理には、いったいどんな軟膏が効くものか。ライラックとダリアはため息をつきながら、リリーの起こした大規模な事故処理のために重たい腰を上げた。

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