終章

 十二月二十日。あれから早くも四ヶ月が経った。Kがいなくなって、私は元の退屈な生活に戻った。最初は彼女への罪悪感で辛くて辛くて仕方なかったが、夏休みの遅れを取り戻すべくなりふり構わず勉強ばかりしているうちにあの頃の記憶は少しずつ薄れてきた。

 今日は二学期の終業式。休暇を前にした恍惚と、眼前に迫る受験の不安と、二つ、我に在り。


「Sさん、ちょっと来てもらってもいい?」

「はい?!(ビクッ……)」

 ヴェルレーヌの紛い物みたいなことを考えていたら突然担任の先生に名前を呼ばれたので、驚きで飛び上がってしまった。手招きされて廊下に出て話を聞く。

「Sさん、コンクールで賞を取ったんだって?すごいじゃない!」

「え? すみません、人違いじゃないですか?よく分からないんですが……」

身に覚えがなかったので、困惑した。

「ほら、美術部のKさんと一緒に出した作品よ。大賞だって!」

 先生の言葉に心臓が凍りつく。校舎の外に積もった雪よりも硬く、冷たく。

「で、今呼び出したのには訳があって。あなたとKさんには終業式の前の表彰で登壇してもらうことになるから、よろしくね。クラスと別行動になっちゃうから先に伝えないといけなくって……」


  脈拍が速度を上げていく。どういうことだろう、正直に言って全然心の準備ができていなかった。逃げ出した私が表彰されるのは全くもって不可解だったし、これからKにどうやって顔を合わせればいいのかもわからなかった。泣きたいくらいだったが、半ば強制的に先生に連れて行かれる形で体育館へと向かった。


 体育館の出口側にはこれから表彰される生徒が列を成して座っていて、その一番後ろではKが体育座りしていた。私は先生に促されてKのそばに座る。

「久しぶり」

 あの日のように眠そうにしたKが先に声をかけてきたが、Kの発話に対して、私は愛想笑いをしながら頷くしかなかった。何て返せばいいのか分からなくて。

 まずは八月のあの日のことを謝るべきなのだろうか、それとも、その件については踏み込まずに近況を尋ねた方がいいのだろうか。思い浮かんだ選択肢について逡巡しているうちに、返事するべき機会を逸してしまった。まただ。私の脳の処理は、この世界に対して差し当たり常に遅れ続ける。


 Kの整った顔には穏やかな微笑が浮かんでいた。まるで私のしたことなんて一切気にも留めていないような。しかし、それがなぜなのかは全くわからなかった。意図が読めない。あれだけ迷惑をかけたんだから少しは私を責めてくれたって構わないのに。

 いっそ、これから私を皆の前に突き出して欲しい。作品制作にちっとも貢献していないのに何の恥じらいもなく登壇して表彰状を受け取りに来た、面の皮の厚い女として告発してくれれば良い。そうも思った。


 私が自罰的な妄想に耽っているうちに、表彰のない一般の生徒たちが集まりだした。そして整列が終わると式が始まった。


 しばらくして、運動部の新人戦の表彰が終わった。そろそろ次は私たちの番かなと思っていたところ、突然校長用の演台がどかされ、プロジェクターの用意が始まった。体育館の照明が消され、二階の窓の暗幕が閉まる。まさか……と思ったが、まさにそのまさかだった。美術科の先生の紹介があって、真っ暗な体育館に映像が流れ始める。


 大画面に映し出された映像の出来は完璧だった。視覚的な美しさがカンストしていた。流石にフルでアニメーションを手書きするのは不可能なので映像の素材は一枚絵が中心だったが、ブルーブラックを基調とした映像は、この上なく曲にマッチしていた。Kによって描かれた主人公の女の子の表情は、どれも並のイラストでは遠く及ばない儚さを秘めていた。

 なーんだ、私のシナリオやテキストなんて無くてもよかったじゃん。Kの技術とセンスだけで十分作品として成立していた気がした。

 落胆しているうちに作品は問題のシーンへと差し掛かる。さて、どうなるのかな。まるで他人事のように鑑賞していた私の耳元に、Kが小声で囁く。

「ここからだよ、見てて」

 すると、まるで彼女の声が合図であったかのように音楽は荒々しいドロップに入る。パニックになった主人公はいじめっ子に魔法を放ち、シナリオ通り絶望する。

そして白いカットと散文詩が挿入される。たぶんKが書いたのだろう。びっくりするくらい上手で的確だった。文章という唯一のアイデンティティさえもが剥奪されてしまった私だが、驚きが先行してそこまでの悔しさは湧かなかった。

 あっけに取られているうちに映像は最後のシーンへと移る。音楽が最初の曲調に戻るのに符合して、映像も最初の寝室のシーンに戻った。悪夢から目覚めた主人公の驚く様子がリアルな上に、何より締まっていて良いオチだった。この双括型の構成だけは私のアイデアで唯一よかったところだと思う。

 上映が終わると、会場中から拍手が湧いた。カーテンが再び開かれてすっかり明るくなり、生徒会の役員が体育館を元の状態に戻す。

 完成版の出来に衝撃を受けた私は、さっきまでの躊躇いも忘れてKに聞いてしまった。

「ねえ、K。」

「どうしたの?S。」

「最後のあの詩、どうやって書いたの?」

 私が不沙汰を詫びさえせずに突然切り出したのも気に留めず、Kが返事する。

「忘れたの?自分でノートに書いてたじゃん。編集したのは私だけど、文言自体はあなたの書いたメモに全部書いてあったよ」

「え?」



 あれを私が書いた?ありえない。Kに委細を尋ねようとしたが、美術の先生が改めて私たちの名前を呼んだせいで中断された。

「〇〇映像コンクール、高校生の部。最優秀作品賞……県立N街高等学校、三年四組、S崎観月。三年七組、K瀬悠。」

「ごめん、後で説明するから。S、行こう?」


 全く理解が追いつかない私を置き去りにして、式は次へと進む。Kが袖を軽く引っ張ったので、私はさっきのKの発言を反芻しながら壇上に上がった。

 体育館中の視線と拍手を一身に浴びる。自分のしたことがこんな風に皆から承認されたことなんて今までなかったので、誇らしいというよりもむしろ、宙に浮いているみたいな不思議な気分になった。私たちは校長から賞状を受け取って二人でお辞儀する。

 

 その時だった。上半身を起こす時、Kがこちらを見て笑みを浮かべた。いつもの目を細めた眠そうな微笑みと違って、はっきりと。彼女は受賞の喜びを噛み締めていた。彼女の嬉しそうな表情は、本当に私のことを許しているようだった。何故かはいまだに分からないが、私も満面の笑みを返した。


 まもなく表彰式は終わった。続く終業式が終わった後、校長の長話から解放された生徒たちが足早に体育館を後にする。私たちはあえて、教室に戻る他の生徒たちの後ろに並んだ。

 体育館と教室棟を繋ぐ外通路。冬のひんやりとした風が私たちの間を吹き抜ける。晴々とした気分の私たちは互いに八月のことを謝罪した。

「K……あの日はごめん」

「別にそんなこと気にしなくていいのに。コンクールの期限だって間に合ったし。というか、こっちこそ追い詰めちゃって本当にごめん。私、制作があそこまで負担になってたなんて思いもしなかった……」


 その後でずっと気になっていたことを聞く。

「で、結局あのテキストは何だったの?」

「最後に会った時に私に投げつけたノートあったじゃん。あの中にS本人の大量の構想メモがあったから、あれを参考に書いてみた。もしかしたらSが意図する形にはならなかったかもだけど、それはそれで共作の醍醐味ってことで。」


 目から鱗だった。私は、その時になって初めて、カフェで投げつけたノートのことを思い出した。あの詩は本当に私のものだったらしい。なんで全部没にしようとしたんだろう。あの頃の私はきっと、ずっと他人の優れた作品に触れ続けたせいで感覚が麻痺してしまっていて、それで自分の出来に自信が持てなくなっていたのかもしれない。

「そんな。なんで自暴自棄になったりしたんだろう。そんなことする必要なかったのに……私、本当にバカだ……」


「その通りだよ。別れた後カフェでしばらくメモを読んでたんだけど、いいアイデアばっかりだったし、なんで没にしたのかさっぱりわからなかった。全然絶望する理由なんてなかったと思う」

 察するに、どうやらKにしてみれば、突然連絡を絶ったこと以外には私に対する不満はなかったらしい。さっきの笑みはそういうことだったのか。私の自己嫌悪は完全に取り越し苦労だったわけだ。

 その瞬間、劣等感や罪悪感といった呪縛が全部解けるのを感じて、本当に救われた気がした。Kの告白が、私のネガティブな内面に風穴を開けてくれたのだった。


「だから言ったじゃん、Sには才能があるって。そうじゃなきゃ最初から共作なんか持ちかけてなかったよ」

 私の目に間違いはないんだから、とでも言いたげな顔をしたKが続ける。


「というわけで、今回のコンクールも最終的にうまくいったし、次は……」

 私は慌てて遮る。

「それだけは絶対に嫌!もうその手には乗らないからね」

「嘘だよS、冗談だってば!」

 私たちはやがて、Kの教室の前に差し掛かる。

「久しぶりに話せて嬉しかった、それじゃ……またいつか」

 こっちを向いたKの顔は、女神のように輝いていた。Kはドアの向こうに去り、賑やかな教室に溶け込んでいった。

 そうして私はまた一人になる。だけど、不思議と寂しくはない。窓を透過した冬の日差しが、いつもより確かな足取りで教室へと向かう私の背中を照らした。体育館で私の手を引いたKの温度が、今でも私の指に絡みついて残っている。

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エクリチュールの36.5度 汲冷泉 @culeeze

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