だってバイトだし

月峰 赤

だってバイトだし

「家に帰りてー」

 アルバイト沢渡アキラは座布団代わりに敷かれたダンボールに胡坐をかきながらスマホをいじっていた。日課にしているまとめサイト巡回も終わり、スマホの時計を見ると時刻は10時30分。始業時間から丁度1時間経っていたが、十分に時間を潰せなかったことでアキラはチッと舌打ちをした。

「んだよ、いつもならもう少し時間が経つのに、今日の記事はカスばかりだな」

 まとめサイトの画面を消し、スマホのホーム画面からマンガアプリを探し出しタップする。画面に大きくアプリサイトの名前が現れ、ホーム画面が出てくる。その上に動画視聴でコインがゲットできるウインドウが現れた。

『動画を見る』をタップするとローディングの輪がくるくると回って動画を読み込んんだ。その間に、商品が置かれている棚の隙間に隠していたファンタグレープを口にする。口の中に甘みが広がり、まとめサイト巡回で疲れた体に力が漲ってくる。


 アキラが5年務める『モレストム』は全国にチェーン展開している大型商業施設である。店内には食料品だけでなく衣料品、生活用品、映画館やボウリング場にカラオケ、有名なテナントやイベントスペースもあり、夏は涼しく冬は暖かく、常に快適な空間を提供してくれるこの場所は平日の暇な時でも多くの客で賑わっている。

 アキラが担当するのは食料品と併設しているトイレットペーパーや洗剤などの日用雑貨売場だった。主な仕事は品出しや商品入れ替え、返品作業である。納品日や新商品が導入されるときは忙しいが、それ以外は売場補充をするだけでほとんどすることが無くなる。しかもこのスーパーは従業員の数も多く、アキラが手を下さずともほとんど終わってしまうことも多い。それゆえ、こうして隠れて遊んでいても問題が起こることは無かった。


 今、アキラは日用雑貨を保管しているバックルーム倉庫の奥から、さらに奥の扉を開けた先、季節の過ぎた返品待ちの商品や、棚から外れた処分品が置かれた部屋にいた。その角の場所に背を持たれてダンボールを敷いて座っている。

 スマホ片手にジュースを飲んでいる所を見られれば間違いなく怒られるわけだが、もちろんその為の策は考えてあった。

 部屋のドアを開けた時、扉はこの部屋へ向かって押すように開く。そしてアキラの座っている位置はドアの影となる位置にある。開けただけでは、すぐこちらに気付くことは無いが、アキラのサボりが見つかるのは時間の問題だ。

 その為、現在ドアの前に、返品商品がぎゅうぎゅうに詰まった重たいオリコンを置いている。オリコンはドアに密着させず、人一人が通れない程度にはドアが開ける位置にある。こうすることで部屋に閉じこもってサボっている疑惑を与えず、何か作業をしている為に起きた不慮の事故であると主張すれば突き詰められることは無い。急にドアが開けられたとしても姿を見られずに済むし、その間にジュースやスマホを片付けて適当に

『あ、返品商品の確認をしていました!』

 とか言ってオリコンを片付ければ疑われることは無い。むしろキチンと仕事をしている優秀な従業員だと思われるだろう。

 その為にわざわざ部屋の反対側にあった大量の返品商品をこちら側に寄せたのだ。 

 効果は抜群。負けの知らない完璧な戦法だった。


 マンガアプリを操作し、今ハマっているお気に入りの漫画をサッサッとスワイプしていく。今日の分を読み終えると、次のマンガアプリにハシゴする。そうしてあらかた読み終えると、急に空腹感が出てきた。こうなると、途端に何か食べることしか考えられなくなる。

 作業用エプロンのポケットを弄り、プロテインバーを取り出して一齧りする。コーティングされたチョコと中のクランチパフが口の中でバリボリ砕けると、ほっと人心地付いた。

 そうしながら次は何をしようかなと再びスマホに手を伸ばそうとした時、ガチャリとドアノブの回る音がした。アキラが気付いた時にはすでにドアは軽く押されており、置いてあったオリコンにぶつかって止まった。

「あ?誰かいるのか?」

 低い男性のその声は主任の落合だった。軽くドアを閉めては、また開けるという動作を繰り返し行い、オリコンがぶつかる音が室内に響き渡る。

 この時、アキラの頭は焦りと緊張で支配されていて、事前に考えていたシチュエーション対策は完全に忘れていた。


 ―どうする⁉なんて言うんだっけ?俺は何をしている予定だったっけ?―


 アキラは記憶を遡りながら、とりあえず手に持っていたプロテインバーとスマホをエプロンのポケットへ乱暴に仕舞い、飲みかけのジュースを棚の奥へと押し込んだ。

 そうしてドアの方に向き直ったとき、置いていたオリコンがドアによって音を立てて押されており、十分に開いたドアの隙間から落合が顔を覗かせた。

 ヒッと悲鳴のような息が出ると、それを察知したのか、落合の首がぐるりとアキラの方を向いた。

「あ?なんだ沢渡、お前ここで何してんだ?そのダンボールはどうした?」

 その言葉に、まだダンボールを敷いたまま座っていることに気が付いた。血の気が引き、すぐに立ち上がるが咄嗟の言い訳が出てこない。

「あ、あのですね、これは…」

 言いよどんでいると、怪訝な顔をしていた落合の視線がアキラの横にある大量のオリコンに移った。

「それ」

 落合の指が返品商品の詰まったオリコンを指す。アキラもつられてそちらを見ると、自分がここで何をしている予定だったのか、瞬時に思い出すことが出来た。

 がばっと立ち上がり、落合を真似て手近にあったオリコンを指差した。

「あ、はい!返品商品をまとめようとしてたんです!中身がバラバラだと、メーカーさんも大変だと思いまして!」

 愛想よくしようと、無理やり笑って見せる。

 それを見て一瞬何か考え込んだ様子の落合だったが、「そうか、お疲れさん」と納得した風にアキラの労を願った。

「あぁ、いえ…」とへらへら笑いながら、アキラは心の中で「落合の馬鹿め」と蔑んでいた。

 以前まとめサイト巡回をしていると、好印象を与える秘訣という記事があった。相手と同じ行動をすること、すなわち落合の指差したオリコンをアキラも指差すこと。そして笑顔で会話すること。などなど。

 最初読んだときはこんなモン役に立つのかよ、PV稼ぎのゴミ記事だろと貶したものだが、いざこの場で役に立ったことで、素晴らしい神記事だと心の中で浅く感謝した。

 これで平穏な生活は保たれた、と安堵してると、落ち合は手に持っていた紙の束をアキラに差し向けた。

 アキラが手に取ると、それは十数枚にも渡る返品命令書であった。

「まとめといてくれて助かったわ。返品期限明日までだから、作業しといてくれ」

 その言葉に、紙を持つ手が微かに震える。とんでもないことになってしまったと悲観に暮れるが、今はこの仕事を回避する為に考えを巡らせなければならなかった。

 しかし突然のことに頭が回らなかった。

「え、あ、あの、これ僕が……やるんで?」

 上手く口の回らないボソボソとした話し声に、落合は体を寄せた。

「あ?まぁ誰でも良いんだけどよ」

「え!じゃ、じゃあ入って来たばかりの江田さんにやらせましょうよ!あの人返品作業やったことないですし、経験させといた方が良いですよ!」

 我ながら完璧だと思った。咄嗟に出てきた言葉にしては説得力があると自負した。

 落合も少し考えて「あぁ、まぁなぁ…」と顎に手を当てている。


 ―落合チョロっ!これはイケる!―


 そう思ったのも束の間、

「まぁ、江田さんは品出しで手一杯だし、返品やるにしても、数が少ない返品から教えた方が、教える側の負担も少なくて良いんじゃねぇか?」

「は、はぁ…ですが…」

 ですが……の跡に言葉が続かない。言葉のガソリンはすでにガス欠を起こしている。

 何も言えないでいると、落合が止めの言葉を放ってくる。

「返品商品まとめてるなら、その中身を理解している沢渡がやる方が効率は良いだろ?」

 アキラはグゥの音も出なかった。まさかここまでの準備が全てこの後の地獄に繋がっていようとは思わなかった。

「膝痛めないようにダンボールまで敷いて、準備が良いじゃねぇか」

 見当違いな落合の言葉に、ははっと乾いた笑いを漏らすことしか出来ない。

「じゃあ頼むわ」

「わ、分かりました……」

 そう言って半開きとなったドアから落合が出ていくのを見届けると、アキラは敷いていたダンボールに座り込んだ。

 手に持っていた返品命令書をパラパラと捲っていく。商品一覧が細かく印字されおり、これからこの商品を探し出し、数量を入力していかなくてはいけない。

 アキラは舌打ちをした。指示書を投げ捨て、代わりに棚の陰からジュースを取り出し、ゴクゴクと飲み干した。


 ―まぁいいや、作業しといてくれとしか言われてないし。何個か打ち込んどけば充分だろこんなモン。それに明日は落合は休みで、代わりの社員が来る。その人に落合からの引き継ぎだとかで仕事を回しても気づかんだろ。そもそも落合は、このオリコンをまとめる作業をしていると思い込んでいる。つまり数量を打ち込んでいなくて怒られたとしても、まとめるのに時間が掛かって打ち込めませんでしたって言えばいい。だってバイトだし。真面目な仕事ぶりさえ見せれば、怒られる筋合いも無い―


 スマホを見ると、間もなく12時を回るところだった。割り当てられた作業スケジュールを確認すると、アキラはまもなく休憩時間となる。

「さて飯食って、午後はYouTube見ながらダラダラすっかぁ」

 落合と話していたことで凝り固まった体を、軽くストレッチして解していく。体をスッキリさせると、ドアの前に置いてあったオリコンを足で追いやり、バックルームから出て行った。

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