第2話 関守石
秋のお彼岸が過ぎても真夏のような猛暑が続いていたのに、それがこのところ、未明には一気に晩秋を過ぎたような寒さになっていた。寒さに震えて掛け布団を増やした。初夏に暑い暑いと言っていたものだから、娘が来て片付けた。干した後に何処に締まったのか見てなかったので、随分と長い時間が掛かって完全に目が覚めてしまった。眠いような、それでいて眠れもしないでグズグズしてる時に、貴子から家に来ないかと誘いの電話が来た。去年、茶室の庭を広くして、少し作り替えたが、あまりにもキッチリしすぎて落ち着かないという。
小さな城下町の、既に街の代表的な老舗というに相応しい風格の和菓子店の、棟続きの裏の一角が貴子の部屋に当てられていた。そこに小さな庭を設え、茶室として数人に茶道も教えていた。貴子の唯一の趣味として、茶道を続けてきて、庭も少しずつ手を加え、思い通りの茶室と庭を造ってきた。その庭が店の練り菓子の紹介と共に、フリーペーパーに載せられた。冊子で紹介されたことは嬉しかったが、店中の裏へと続く狭い土間を抜けて、勝手に庭の見学に来る人が増えてしまった。いつ来るのか分からない状況になり、ノンビリと寛ぐことも出来なくなった。
「長男夫婦と台所も分けて、裏の家は私だけの住まいにしたの。ほら、あのこと以来お客様が勝手に裏にまで来て、東京からも見学させて欲しいと来られるでしょう。商売柄断れないし、去年から息子夫婦は店の上で暮らし、あの家は私だけの住まいとして、時間を掛けて改築をしたの。お庭だけは私の思い通りにしたつもりなのに、何となく気に入らないのよね。」
夏に突然訪ねてきて、長い間の一人暮らしにも慣れていたのに、互いに老いて自由の身になった気の緩みで、まるで若い頃に戻ったような関係になってしまった。それからというもの、頻繁に電話も来るようになり、ときどき買い物にも付き合わされるようになった。
「分かった。タカちゃんの自慢の庭を見せてもらうよ。いつ頃が良いのかな」
「いつでも良いよ。明日でも、二人とも毎日が日曜日だからね。」
「じゃあ、そうだね、明後日、水曜日だけど」
「わかった、待ってるね。」
とくだん用事もなく、明日でも良いのだが、寝不足で出掛ける気持ちにもなれなかった。
「どう、変わったでしょう。」
店の横の通路の鍵は外されていて、店には挨拶だけをして横の狭い道を抜けた。変わったでしょう、などと言われてももう十年以上も来てないし、貴子の茶室に来るのは初めてだった。
住まいを改築して庭を拡げたという。店の土間入り口を塞ぎ、店から直接には入れなくした。茶会を開く時には、店の横の通路を通るようにして、その入り口も表通りからは分からないようにしてある。店の中からも狭い道に通じて、裏の家の玄関へと行ける。横幅一間程度の玄関は実用的では無く、庭に入らないようにする工夫らしい。普段使いの玄関はこの建物の裏、店は表通りに面しているが、裏の玄関は裏通りに面していた。
本格的な茶会には実用的とは思えないが、見せ掛けという玄関の左手横は、
改築して広くしたという茶室や庭を見てから、久し振りに貴子と彼女の両親の墓所に行った。
先祖累代の大きな墓の横に、何基かの墓があり、その一つに彼女の両親と夫が入っている。墓所の石段を上がった横に小さな地蔵堂が建てられ、石仏が置かれてた。貴子が地蔵堂の前に線香を焚き手を合わせたときに、これは何と聞いたが、聞こえなかったのか、何も答えなかった。寒々とした地蔵堂の、線香の煙に
貴子の両親は厳格な人と聞いていた。結婚した相手は、父親の元で鍛えられた和菓子職人で現場を仕切り、貴子が今の会社経営の礎を築いた。長男が本社の経営をし、次男夫婦は東京を中心に数軒の店を立ち上げ、最近は別会社に独立させたなど、そんな話をしながら境内を歩いた。改築を機会に台所を別にし、一切の経営から手を引き、経営は二人の息子に引き継いだという。
お地蔵様の足下に、三角のような四角のような、少し平らになっていた石が気になっていた。タカ子に聞いて、彼女の墓所を整備をしたときの敷石で、家の所有物じゃないの、と言うので持ち帰った。残っていた黒いシュロの紐を、歪な石に巻いて関守石にしてみた。出来損ないのアンバランスが、職人技の関守とは違う妙な味を感じた。貴子もその方が良いと言ってくれた。
本社の店奥の
「あ、ごめんなさいね。遅いお昼を外で済ませてきたので、夕飯はお向かいにこちらからお願いするので・・・。何も言わずにごめんなさいね。」
とんでもないというように手を強く左右に振りながら、佐恵子さんは小走りに蔵の方へ入っていった。いつもは厳しいことで知られている貴子が、妙に優しい言葉使いでさらに戸惑ったようだ。見ていてもおかしかった。
お手伝いのシゲさんが床の用意も出来たので、これで帰ると挨拶に来た。何事かを耳打ちして貴子が戻り、
ちょうど一服した後に、食事が届いたとシゲさんが膳の用意をして、茶室の入り口に箱膳を並べると、それではこれでと帰って行った。まるでままごと遊びのように貴子が給仕をして、略式だからと言って寿司と吸い物の膳を共にした。
「いつも箱膳なの」
「ううん、普段は息子夫婦と一緒なの。台所は別にしたけど、朝とお昼は一緒に向こうで食べてるの。夕飯はこちらで一人。お店の仕事も夕方からいろいろと忙しいし、孫も下宿で暮らし始めたし、夫婦二人だけの時間も作ってあげないとね。」
片付けた後、濃茶を一服して、もう足が保たないと言うと、薄茶を用意して庭に面した
ユラユラとした
何となく話題も途切れて、ただ揺らめく灯りの庭を見て居た。
「タカちゃんもよく頑張ってきたね。和菓子の店を会社組織にして大きく伸ばし、これ程の見事な家にも住んで・・・。」
それに応えるでもなく、独り言のようにつぶやき始めた。
「人の一生って、思い通りに生きた人ってどれほど居るのかしら。あのお地蔵様はね、流産した私の子どものために建てたの。お茶はね、ただ一つだけ、自分自身でいられる時間なの。時間が掛かって面倒で、などと言うけど、私にとってはとても短い、本当の自分に戻れる時間なの。」
途切れ途切れに話し、長く感じられた時間が過ぎた。
「もし流産などしなかったら、貴方と同じ時間を共に過ごせていたなら、今とは違ってたのかしら・・・。」
何を言ってるのか理解できずに、薄明かりに揺れる横顔を覗き見するように見た。冷めてしまった茶碗を片して、これ新作ですって、と野球ボールやサッカーボウルを真似た和菓子を勧めてきた。
「本当は、わたし、こういうのは嫌いなの。今度、次男の会社で作るらしいのよ。味では無くて、何というのか、何となくね。」
「分かる様な気がする。」
宿の予約を忘れていたという言い訳で、夜咄とかいう茶会を終わりにしてもらおうとした。それを話すと、もう床の用意もしてあるので今夜はここに泊まって、と言われた。いつもの快活なタカ姉に戻り、さあさあ片付けるの手伝ってと部屋の電気が点けられ、水屋の中も案内された。
ここには母屋とは別に風呂もあるようだが、近くに銭湯が有るというので、一緒に散歩がてら行ってきた。何事もないように振る舞っていたが、何とも女性だけの家に泊まることに戸惑いもあり、お地蔵様を建てた
一つ部屋の中で布団を並べ、寝ようとしても落ち着かない。
「貴方は幸せな生き方が出来たの。」
などと唐突に聞いてくる。見るとまっすぐ天井を見詰めている。
「何が幸せなのか、良い生き方とは何なのか判らない。毎日返済のことばかり考え、社員の仕事を探すためにバカみたいに頭を下げて廻り、二人の子供には恵まれて自慢もできるが、30年近くも離婚もせずに家庭内別居を続け、顔を合わせれば実家の親のことで喧嘩ばかりで、充分な教育の機会も与えられなかった。タカちゃんがお茶の時だけが自分で居られると言っていたけど、それさえ自分にはなかったような気がする。」
今まで他人には言ってはいけない事と思っていた事を、ああこの部屋の天井は格天井作りを模していたのか、年輪の模様が市松模様で美しい作りだ、などという普段とは違う空間に、幾つもの想いが重なり、ダラダラと余計な事ばかりを話してしまった。
そろそろ晩秋なのに、部屋の中は暖かく、聞こえるか聞こえないかというくらいの空調の音が、息苦しい無音の闇を防いでいた。炉の残り火に香木を焚べたのだろうか、ボンヤリとした灯りと香の中、貴子は目を開けたまま天井を見ている。もしも、この人と同じ時間を過ごせていたら、果たして幸せな生き方が出来たと思えるのだろうか。お地蔵様の話が気になるが、口に出してはいけないような・・・。
貴子がそっとこちらの布団に入ってきた。目を閉じて手を回してくる、その身体を抱きしめた。その温かさが心地良かった。
翌朝、台所の音で目が覚めた。
「朝は向こうで一緒でないの。」
寝間着のまま台所に行って、声を掛けた。まるで新婚生活のようで、むず痒いような恥ずかしさを感じて、後ろから抱きしめたい衝動に駆られた。
「今朝は私が作るの、あなたのためにだけね。」
後ろに向き直ると、そう言って笑みを浮かべ、またまな板の音を立て始めた。
隣の茶室に行き、畳廊下に座り庭を眺めると、昨日作った関守石だけが落ち着かない様子だった。全てが計算し尽くされた景観の中に、グレてる石だけが浮いている。
「はい」
大きな梅干しを一個入れ、小さなティースプーンを指した湯呑み茶碗を持ってきた。
「こうして、あなたのお母さんが、朝になると食事前にお父さんに出していたわね。あれ見てて、いつか同じ様なことをしたいなあ、何て思っていたの。」
箱膳の蓋らしき盆に、大きな湯呑み茶碗と干菓子の皿を添えてあった。
空気の入れ換え、などと言いながらガラス戸の掃き出しを開けた。気付かなかったが、雨戸も有った様だ。一気に入る外の空気は爽やかで、暖かみも感じられた。
梅干しを潰して茶を飲みながら、あらためて眺めると、やはりあの関守石は不釣り合いだった。黙って庭に降りて、関守石は前のものと交換した。紐を解いた石だが、今日帰る前に地蔵堂に返さなければ。そう思えるほど、持ってきてしまった石の中に、とてつもなく大事なものが隠れているように思えた。
空蝉ひろい 孤舟 一 @mametoebi
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