空蝉ひろい
孤舟 一
第1話 貴子
「どうしたの。まるで死にそうな顔して。」
蒸し暑い日が続いてる初夏の平日に、とつぜん貴子が訪ねてきた。最初に茶道を習った時の先生の娘が、隣のA市に住んでいた。近頃亡くなったことを知り、挨拶に行ってきたと話しながら、勝手に上がり込んできた。
「いつもはキチンとしていたのに、どうしたの」
仏間に置いた座卓の上の、積まれた洗濯物の散らかり方を見て、片付け始めた。欄間や
夏らしい薄い生地の、薄い青地の色が下へと更に薄くなり、帯の下辺りから白地に近くなっている。裾から上にパステルカラーとでもいうのか、薄い青やピンクの朝顔の花と、緑の蔓を伸ばしてそこから葉が裾から膝辺りまで、爽やかさを
「せっかくの着物が汚れてしまうよ。もういいよ。」
「大丈夫よ。これはお店用の普段着だから。」
何を言おうと気にも留めず、上手に外した帯揚げをたすき掛けして、セッセとテーブルの上や、部屋の中の物干しに吊されている物を外し、タンスにしまい始めた。
「貴ちゃんがこんな事をするなんて思わなかった。」
「なに言ってるのよ。私だってお店を守りながら、暴れん坊の男の子二人を育てたのよ。」
毎日が日曜日の、のんびりとした時間を過ごしていたのに、とつぜん来て張り切られても迷惑な話で、しかたなく手伝う羽目になった。
貴子は僕よりも一歳年上で、50kmほど離れた隣県のT市で和菓子店を営んでいる。元々は父方の実家からの、江戸時代中期頃の分家だそうで、明治になるまでは運河を利用した材木問屋として、かなり繁盛していたそうだ。明治の中頃に食べ物屋関係に替わり、それも上手く行かず、曾祖父の妹が嫁いだ頃に和菓子店になった。戦後、材料の調達が上手くいかず資金繰りに苦労をしていた時に、父がかなりの額を援助したらしい。
貴子の母は男の子が出来ずに、勤めていた和菓子職人を婿にしたが、経営面では疎かったそうだ。父からその事情を聞いたことは無いが、貴子が言うには、いつまでも返済ができずにいたので、貴子を許嫁としたとか、そう言って我が家に来ていた。実のところ貴子の大学が近くにあり、下宿での一人暮らしを心配して母が呼んでいたのだ。一緒に食事をしたり、時には泊まったりもして、母も貴子が気に入り本当に許嫁なら良いのにと言っていた。
今はT市の中心地の本店と、東京はじめ近郊に数店の支店を持ってる。貴子は長男夫婦と同居をして、本店奥の内蔵続きの一棟を自室として、華道と茶道教授をしている。その関係もあり、本店では茶道用の主菓子や干菓子の受注も多いようだ。技術の継承と言い、実際には収益的には少ないと言っていた。収益としては支店の方が各店舗共に多いようで、次男の営業の上手さからスーパーや百貨店にも販売を拡げ、いまでは支店専用の菓子製造工場も出来たと聞いた。
「茶道の先生のお宅って、確か小学校の近くだったよね。」
「そうよ、ご近所の家もなくなって、ぽつんと建ってるのが寂しかったわ。」
「随分前から、あの辺の古い家は誰も住んでいる人がいなくなったらしいよ。ほとんど木造の平屋だけど、あのままでは危険だから取り壊しが始まるそうだよ。」
茶道の先生宅の数軒隣に空き家があったとかで、貴子は学生時代に一軒丸ごとを借りて暮らし、母が様子を見に行っていた。近くで茶道を教えていたと云うことで、そこに通い始めた。何度か一緒に行ったが、茶道よりも狭い庭、露地の作りとそこに咲く季節の花や草が好きだった。低木の下の雑草だが、数本の雑草が狭い庭を広く感じさせていた。
「もう、あの庭はなくなったのかな。」
「そうね、塀も壊して車を置いてあったわ。やっと車一台分だから、意外と狭かったのね。」
洗濯物をたたみ部屋の掃除を済ませる、居間に座っている隣で、サッサと着物を脱いでシャワーを浴びに風呂場へと行った。
「ごめん、バスタオル取って」
「そこに下がってるだろう」
「これ嫌よ、臭う」
新しい、まだ畳んでもいないバスタオルを持って浴室のドアを開けると、片手で胸を押さえただけの貴子が立っていた。
「わお、」
「どう、良い身体してるでしょ」
茶道の他に、もう50年近く続けてるスイミングの成果なのか、年齢よりもはるかに若い引き締まった体型をしていた。いつからこういう関係になったのか、互いに恥じらいも薄れて単なる友達のような、というよりも長く続いた夫婦のようになっている。まじまじと眺めても、これ見よがしにポーズしてみせる。
「はいはい、後でジックリと拝ませてもらうよ」
冗談のように言ったものの、次第に関係が進むことに戸惑いも感じ始めていた。ともに連れ合いを亡くしてかなりの時間も経ち、許嫁は冗談でも、かなり親しい関係もあった。74歳の老人と75歳の女性、互いの年齢を思えば充分に枯れてしまったのに。
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