真夏のヴァンパイア

諏訪野 滋

真夏のヴァンパイア

 二十二時という時刻は、昼間に比べれば国道の交通量もぐっと少なくなり、すぐ隣を猛スピードで追い越していく高速トラックに気を付けさえすれば、自転車乗りには好都合な時間帯だ。まして八月ともなれば、直射日光下での真昼のライドなんて自殺行為に等しい。朝一で学習塾に到着して、冷房の効いた自習室で一日中涼み、日が落ちてから帰宅する。受験生の夏の過ごし方としては結局これが最強だよね、と私は上機嫌でロードバイクのペダルを踏み込んだ。

 そろそろ生理来るかも、ナプキンないからサドル汚れたら嫌だな、などと考えながら夜の車道を流していると、一台の自転車が左手にあるコンビニから出てきて私の前を走り出した。私と同じく、ロードの速そうなやつ。こんな遅い時間にご同業か、と思いつつペースを上げて近づいた私は、おや、と思った。前を行くサイクリストの背中のラインは、どう見ても女性のそれだったからだ。手足のしなやかさから察するに、結構若い。まさか私のような女子高生ではないだろうが、ガチな自転車女子とはなんとも珍しい、と私は自分のことを棚に上げて感心してしまう。

 同族意識が芽生えた私は、少し距離を置いて彼女の後をついていった。するとしばらく走った後で、前方の彼女は不意にこちらを振り向くと、右手でピースサインを掲げて見せるではないか。明らかに私にてたものだろう。やばい、ストーキングしてるのバレたかな、と狼狽ろうばいしている私に向けて彼女はさらに人差し指を伸ばすと、首を傾けながら道路の先を指さした。一緒に走るのか、といてきている。これってどうなんだ。男の人だったらもちろんノーサンキューなのだけれど、まさか同性から襲われることもあるまい、と私は腹をくくった。

 私のOKサインを振り向いて確認した彼女のロードバイクから、リアのギアをシフトアップする機械音が聞こえた。反応が遅れた私の前から、身体を強く前傾させた彼女の背中がみるみる遠ざかっていく。爆発的な加速。私は小さく舌打ちすると、フロントをインナーギアに変え、チェーン落ちを防ぐために数瞬待ってから、リアを続けて三段上げた。顔、良く見えなかったけれど色白だったな。どこまで行くのか分からないけれど、ついていけばその素顔を拝ませてくれるかもしれない。私は密かな期待に胸を膨らませながら、彼女が選択した走行ラインをきっちりトレースして夜道のコーナーを曲がった。


 約三十分、距離にして十五キロ程度のライド。郊外にある運動公園のベンチに腰かけている私のそばに立った彼女は、ヘルメットを外すと人懐っこい笑いを浮かべた。セミロングの黒髪、猫のような瞳。サイクルジャージの隙間から見える白い肌には浅葱あさぎ色の静脈が透けて見え、その周囲には汗のたまが光っている。いくつだろうこの人、アラサーってところかな。アスリートという人種は年齢不詳で本当に困る。

「あなた速いね、ちょっと驚いちゃった。まさか、ここまでついてこられるなんて思わなかったから」

 屈託なく笑う彼女の呼吸は、私と違って全く乱れていない。差し出された清涼飲料水のペットボトルを遠慮なく受け取りながら、私は休憩所の壁に立てかけてある彼女のロードバイクを眺めた。

「私、女の人に負けたことなかったんですけれどね……負け惜しみを言わせてもらうと、バイクの性能差だと思いたいところですが。あれ、余裕で軽自動車が一台買えるくらいのお金かけて組んでますよね?」

 単語帳と同じ時間だけ自転車のパーツカタログを眺めている私にはわかる。カーボンのホイールは前後で百万を超える代物だし、フレームからサドルからタイヤまで、彼女の自転車は値段に糸目をつけることなく、すべてが性能に全振りして吟味ぎんみされている。

「いいなあ、バイトしたお金で安いタイヤ買ってるのが馬鹿らしくなる……私が大人に憧れるとしたら、こういう時ですかね」

「あら、手厳しいわね。財力をひけらかす、とかいうくだらない理由のためにこの子を組んだわけじゃないのは、ロード好きのあなたならわかってくれると思うんだけれど。……えっと、学生さん?」

「受験生してます。土日の塾の行き帰りだけロード使って、普段高校に通う時はママチャリで。あ、今は夏休みですから毎日ロード乗ってますけれど」

 おっと、と彼女は両手を上げておどけてみせた。

「あなたが十八歳以上だったらいいんだけれど。未成年を連れまわしたりしたら、ご両親と警察に怒られちゃうわね」

「十八歳ですよ。でも両親については大丈夫です、父は単身赴任だし、母は今日は宿直で帰ってきませんから。ただし、警察の方はどうでしょうか」

 冗談交じりの私の返事に、彼女は声を上げて笑った。つられて私もくすりと笑うと、ペットボトルを開けて中身を一息に飲み干す。気持ちが高揚していたのだろう、口の端からこぼれたドリンクが私の胸を濡らして紺色の生地に黒い染みを作った。彼女も自分のボトルを空けるとダストボックスにそれを投げ入れ、少し照れながら私に右手を差し出した。

伊吹いぶき三条さんじょう伊吹です、よろしく」

 個人情報を漏らしちゃうな、とちらりと思いながら、私は彼女の手を握り返した。

渡瀬わたせ香澄かすみです。N高の三年。自転車同好会で一人部長やってます」

 伊吹さんは、くっと笑って横を向いた。

「わーお、筋金入りだね」

「伊吹さんに言われたくないんですけれど」

 今度は二人で大笑いする。そして私たちはメルアドを交換すると、その夜はそれ以上深く話すこともなく、復路をたどるべく再び闇の中へと漕ぎ出した。


 あれから私は、毎日伊吹さんと会っていた。母親が帰ってくるときは塾で自習しているといつわって二十二時まで、母親が宿直の時は日付をまたいで。

 彼女との五回目のライドは、夜間のヒルクライムだった。地元の山を、頂上付近の展望台までひたすら上る。先にスタートした伊吹さんは、ギアを小刻みに換えながら一定の回転数を保ってぐんぐんとカーブを曲がっていく。赤いテールランプを見失わないようにと焦りながら漕いでいくと、標識のカーブ番号が二十を超えたところで道路が急に平坦になり、私は目的地に着いたことを知った。

 自転車から降りるとそれまで感じていた風がなくなり、夏の夜に特有の肌を濡らすような熱気が私たちを包む。展望台の柵にもたれながら、私は伊吹さんの横顔を盗み見た。髪を後ろで束ねた彼女は、金色の砂をこぼしたような夜景を楽し気に眺めている。暗い。もっとはっきりと伊吹さんの笑顔が見れたなら、それはどんなに素敵なことだろう。私はドリンクを一口含むと、何気ない風を装いながら尋ねた。

「あの、伊吹さん。今度は明るいときにライドしませんか? 夏だからさすがに日中は避けたいですけれど、朝とか夕方とか」

 伊吹さんはちらりと私を見ると、視線を眼下の街に戻した。

「ごめんね。私、夜にしか乗らないんだよね」

 私はその日まで、伊吹さんが私を誘うのが決まって夜であるのは、塾通いしている私をづかってのことだと勝手に勘違いしていた。しかしそれは、どうやら彼女の都合からであるらしい。

「夜だけって……ああそうか、仕事が忙しいんですね。でも土日も出勤なんて、伊吹さんの会社ってブラック」

 私の方に身体を向けた伊吹さんは、さもおかしそうに笑った。

「ああ、そうとるのか。まあ仕事もあるっちゃあるけれど、それが理由じゃないんだよなあ」

 そう言って黙り込んだ伊吹さんは、私の顔を真正面からじっと見る。何か大切なことを言い出すのではないかと緊張する私に向って、彼女はうんと大きくうなずいた。

「よし、お昼にデートしようか。そっちの方が話が早いね」

 嬉しさを顔に出さないように苦労しながら、私はわざと引き気味なリアクションを取る。

「デート、ですか。伊吹さんって、そっち系の人?」

「どうかな。まずは友達からってことで」

 すでにチャリ友だけれど、と思いながら、私の頭はめまぐるしく回転を続ける。

「でも大丈夫なんですか? 私、伊吹さんの事ってほとんど知らないんですけれど。独身?」

「もち。私、浮気は嫌いだよ。あ、でも香澄ちゃんに彼氏がいるんだったら、それはちょっとまずいかもね」

 鎌をかけてきた彼女に、私はにやりと笑って答えた。

「彼氏に使うくらいなら、そのお金でブレーキレバーでも交換しますよ」

「はは、おっけ。でも昼デートって言っても、サイクリングじゃないよ? ごく普通の、歩いてのデート。それでいい?」

 一も二もなく私はうなずいた。

「すいません、我がまま言って。でも私、明るいところで伊吹さんと会いたいんです」

「うわあ、不倫カップルみたいなこと言うね」

 彼女の冗談に笑い転げた私は、日時と場所を約束すると、浮ついた気分をいましめながら自転車の元へと駆け寄った。


 サイクルスーツ以外の私服をほとんど持っていない私は、休日にもかかわらず制服姿で待ち合わせの場所に来ていた。言い訳させてもらうならば、制服の方が伊吹さんが私を見つけやすいのではないか、という思惑もあった。携帯のメールをチェックしていると不意に後ろから肩を叩かれ、振り向いた私はそこにいた人物の異様な姿に硬直する。だぼだぼのパーカーを羽織ったその人はフードを深く下ろし、濃いサングラスと黒いマスクで完全武装していた。真夏の炎天下なのに手袋まではめている用意周到ぶりである。混乱している私の耳に、くぐもった声が届いた。

「ごめんね、遅くなっちゃって。待った?」

 聞きなれた声、伊吹さんだ。わずかに下げたサングラスの縁からのぞいている彼女の目は、いたずらっぽく笑っている。

「おやあ、私の斬新なファッションに声も出ないかな? そんなに驚かないでよ」

「伊吹さんかどうかどころじゃなく、男女の区別すらつかないんですけれど。芸能人か強盗?」

「馬鹿なこと言ってないで。お店予約してるから、さっそく行こうか」

 伊吹さんは駅ビルの最上階にあるイタリアンレストランに私を連れて行った。高そうなお店だ、ドレスコードとかあるんじゃないかと思ったけれど、よく考えると隣の伊吹さんよりはどう考えても私の方がましな格好をしている。

 彼女はなぜか、眺めの良い窓際ではなく壁際の角の席を指定した。腰を落ち着けた伊吹さんはようやくフードを後ろに払うと、サングラスにマスク、手袋のすべてを取ってカバンの中に押し込んだ。先端が少しカールしたセミロングの黒髪が彼女の肩口にはらりとおちるのを見て、私はようやく現実を取り戻す。伊吹さん、やっぱりきれいだ。明るい場所で見る彼女は、モノクロのフィルターをかけられた夜のライドの時とは違って、本来の自然色を取り戻していた。

 運ばれてきた料理に口をつけながら、私は伊吹さんに尋ねた。

「あの。伊吹さんが夜にしかロードに乗らない理由。あれって、いま聞いても構いませんか? デートしたらわかるって言ってましたけれど、その、今の格好から考えると、日焼けしたくないからとか?」

 手を止めた伊吹さんは柔らかく笑うと、バッグの中から紺色のカバーがついた手帳を取り出して、それを私に手渡した。

「……難病手帳、ですか」

「開けていいよ」

 そんな大切なものを、とさすがに一度は躊躇ちゅうちょしたが、彼女の信頼に応えるべきだと考えなおした私は、手帳のページをめくった。公費負担者番号、受給者番号。受診者の欄には、三条伊吹。性別女、生年月日からわかる年齢は……三十二歳か、やっぱり見た目が若すぎる。そして、指定難病名には。

「ポルフィリン、症?」

「なんていうかな。とある酵素に異常があって、ポルフィリンっていう余分な物質が身体のあちこちにたまる病気だね」

 私は伊吹さんの説明が全く理解できなかったが、難病、という恐ろし気な響きに、うまく会話を続けることができない。そんな私の様子を見て、伊吹さんは笑いながら助け舟を出してくれた。

「あはは、そんな顔しないで。今のところ寿命なんかには影響がないらしいし、体力だってあなたに負けないくらいよ」

 それは確かにそうだ、これまでのライドで私は伊吹さんに全敗している。でもそれならば、何だって彼女は自分の病気のことなんかを持ち出してきたのだろう。

「この病気ね、ちょっと厄介なところがあって」

 そう言うと伊吹さんは、パーカーの左の袖をまくった。あらわにされた彼女の手首は帯状に赤黒く腫れあがり、体液が染み出した皮膚の一部には水ぶくれまで生じていた。私はフォークを動かすことも忘れて、彼女の無残なそれを凝視する。

「昨日ちょっと油断して、ここだけ光が当たっちゃったんだよね。そしたらほら、案の定」

 伊吹さんは袖を戻してやけどした部分を隠すと、何事もなかったかようにオリーブオイルがかかったモッツァレラチーズを頬張った。

「光線過敏、ってやつ。日光に当たるとこんなふうになっちゃうから、中学生の頃から昼間は外を出歩けなくなって。挙句についたあだ名が、吸血鬼ヴァンパイア

 私は言葉を失った。伊吹さんがナイトライドを専門にしているのは、夏の暑さを避けるためなんていう生温なまぬるい理由じゃない。陽の光でその身が焼かれることを防ぐために、夜にしか走ることができないんだ。彼女の肌の白さは、それこそ完全な遮光しゃこうの結果だったんだ。

「……そうだったんですか。じゃあ、紫外線防止の日焼け止めとかで」

「だめだめ、私の場合は紫外線じゃなくて可視光線に反応してるから。だから、UVカットガラスなんかも効果がない」

 伊吹さんが壁際の席に座った理由を、私はようやく理解した。ほら、食べなさいよ、なんていう彼女の笑顔を私はどう受け止めればいいのか。伊吹さんはレモンソーダをストローでかき回すと、浮かんでははじける炭酸の泡を見つめた。

「だから私、夏って大嫌い。私の心は輝く水平線を見たくてたまらないのに、私の身体はそれを許してはくれない。子供のころからずっと夏の海に憧れていて、今だって海に関係がある仕事までしてるっていうのにね」

「伊吹さん、お仕事は何を?」

「船の設計に外部コンサルタントとしてたずさわってる。流体力学が専門だよ。もっとも通勤が大変なので、仕事は在宅でほぼリモートだけれど」

 そういって伊吹さんは笑いながら、自分の出身大学と学部を教えてくれた。私が何浪しても合格できそうにない一流大学だ。きっと彼女は、自分の手で変えられることは全部試みてきたのだろう。それでも、どうにもならない事というものはあって。

「治療法って、ないんですか」

「ないんだな、これが。だから難病なんだろうけれどね」

 一通り話してしまうと伊吹さんは、離れた窓の向こうに見える入道雲を憂鬱ゆううつそうに眺めた。

 私は我慢がならなかった。この人は生まれた時から、ずっと太陽に嫌われてきたんだ。それなのに彼女はあきらめたふりをしながら、捨てきれない羨望せんぼうを心の底に押し込めて今を生きている。吸血鬼が陽の光を憎んでいるだなんて、誰が決めた。

 がたんと椅子を押しのけると、私は立ち上がった。

「伊吹さん。夏が終わる前に、私と一緒に海までライドしてくれませんか」

 頬杖をついていた伊吹さんは驚いて手から顔を離すと、呆然と私を見上げた。

「夜の海だってのは我慢してもらうしかないですけれど、その代わり、私がずっとそばにいますから。いままでの伊吹さんの夏、私では埋め合わせにはなりませんか?」

 窓の外では作り物の夏が、分厚いガラスを挟んだ水槽の中身のように、私たちとは隔絶した世界で輝いている。

「……ばーか。学生のくせに、なに社会人にマジになってんのよ」

 横を向いて再び頬杖をついた伊吹さんの瞳は、青の原色を映して静かに揺れていた。


 二十二時スタート、予定のライドは片道約三時間。海で一時間を過ごしたとしても、日の出までにはぎりぎり戻ってこられる。白色のレーザー光線のように、近づいては後方に飛び散るセンターライン。今夜の伊吹さんはいつになく速い。前後のギアを最速に組み合わせても、彼女の背中は容易に近づかない。伊吹さん、正気か。これだけのスピードだと、ほんの小さな石の欠片を踏んだだけでも命取りになりかねない。いや、と私は首を振った。大丈夫、夜の伊吹さんは不死の王なのだから。

 インをつき、アウトにふくらむ。コーナーを抜けると同時にフロントタイヤが浮きそうになるほどペダルを踏み込むと、私はついに伊吹さんを捕えた。隣を走る彼女の荒い息遣いが私の優越感を刺激して、それが私の大腿にさらに力を与える。そのまま松のトンネルを並走し続ける私たちの前方から、かすかに潮の匂いが流れてきた。出口から沿岸道路に抜け出すと、月光を照り返して魚群のように波打つ海面が右側いっぱいに拡がる。

「伊吹さぁん、海ぃ!」

「そんなこと、わかってる!」

 そして私たちは息を荒げたまま、海水浴場のゲートに同時に飛び込んだ。

 自転車を松の木に施錠した私たちは砂丘の陰に隣り合って座り込むと、闇に響く潮騒の音を二人で聞いていた。ちょうど南中している半月が、冷えた砂浜と伊吹さんの横顔をを青白く照らしている。膝を抱えて私の肩に頭を預けた伊吹さんは疲れたのだろう、うっすらと目を閉じていた。彼女と一緒にビーチタオルにくるまった私は、ちらりと腕時計を見る。午前二時、二時間遅れのシンデレラ。

「伊吹さん、そろそろ帰りませんか。結構ぎりぎり……」

「もう少し、このまま」

 微笑した私は小さくうなずくと、彼女の肩を抱いて身体を寄せた。

 どうやら、少し眠ってしまっていたようだ。慌てて起き上がった私は、東の空がすでに白み始めていることに気付いて愕然とする。まずい、と隣を見るとそこはすでにもぬけの殻で、海の方に目を向けると伊吹さんがこちらに背を向けて波打ち際に立っているのが見えた。足早に歩み寄る私をちらりと見た彼女は、黙って前方を指さす。同時に海と空の境界から琥珀こはく色の光条がにじむように漏れ出てきて、伊吹さんの顔を朝焼け色に染め始めた。もうすぐ夜が明ける。

「だめ、だよ」

 私の声に振り返った伊吹さんは、逆光を背にして両腕を一杯に広げると、泣きそうな笑顔で私を見た。

「香澄ちゃんと朝日が見れるのなら、このまま焼き尽くされて、灰になってもいいなあ」

 伊吹さんにこんな言葉を言わせた私は、自分の愚かさを知った。私は彼女の眷属けんぞく。主人の望みに背いても、たとえさげすまれても、彼女を守るのが私の存在証明。

 私は首を横に振ると、伊吹さんを後ろから抱いてその身体をあかつきの光から隠した。

「伊吹さんと一緒にいられるのなら、ずっと夜でも構わないです」

 わたしのせいじゃない。伊吹さん、あなたのせいだよ。吸血鬼の目には、相手を魅了する魔法がかかっているのだから。私は意地悪な気持ちになって、彼女の肩越しにその表情を確かめてみる。怒ったように黙っている伊吹さんの横顔がたまらなく愛しい。

「もう間に合わないから、とりあえずどこかに避難しましょう。暗くなってから帰ればいいですよね。おすすめは、カラオケボックスかホテル」

 私の提案に、伊吹さんはぼそりと答える。

「歌は苦手だから、ホテル」

「決まり」

 笑いながら伊吹さんの首をタオルで巻くと、私たちはサドルにまたがってまだ暗い海岸沿いの道路へと飛び出した。ローギアで回転数を上げるにつれて耳元で風がごうごうと唸り始め、群青と柑子こうじ色のまだらに染まった空ははるか後方に置き去りにされていく。出遅れたね太陽さん、おあいにく様。

 なおも加速し続ける私の横に、信じられないことに伊吹さんが並走してきた。何なのこの人、まだこんなに力が残っているなんて。驚く私に伊吹さんは余裕の笑いを浮かべると、大声で私に叫んだ。

「ねえ、香澄ちゃぁん!」

「なんですかぁ!?」

「大学合格したらさあ、一緒に暮らそぉ!」

 私はくっと笑うとギアを一足飛びに最上段まで上げ、そのまま下りカーブに突っ込んだ。

「明日から、本気出しまぁす!」

 夏はまだ終わらない。受験勉強の時間も、愛し合う時間も、私にはまだたっぷりと残されているはずだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真夏のヴァンパイア 諏訪野 滋 @suwano_s

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ