1.3秒はあまりに遅い

@sankichi92

1.3秒はあまりに遅い

 ロケットの離昇リフト・オフと同時に、加速に伴う強い力でヒロトは座席に押さえつけられた。ぐっと息を止め、ついにこの時がきたのだと高揚する。

 ヒロトは、生まれてはじめて月を離れ、地球へと向かう。

 月生まれの子どもが地球にいく割合は年々減りつつあった。小さいころは皆、周りの大人が話す地球にあこがれた。青やオレンジにかがやく空、変化に富んだ色とりどりの景色、無限の空気に水、自分より大きい動物、たくさんの人——。しかし、6倍の重力という現実を知るにつれ、夢みる気持ちはうすれていく。実際に地球にいったヒロトの先輩たちも、話に聞くのと体験するのはちがったという一方、もう一度行きたいかと聞けば口をそろえて一度で十分と首をふった。

 それでもヒロトは、二度と月にもどらず、地球に移り住むつもりだった。

 ロケットが慣性飛行に入って体を動かせるようになった。そばにある小さな窓からちょうど月が見えたが、ヒロトの生まれ育った街はとっくに識別できなくなっている。

 気づくと、いくつかメッセージが届いていた。地球に移住するためにたくさんの人に助けてもらった。そうした仲間たちからの応援のメッセージだ。読みすすめるうちに月を離れたんだという実感がわいてくる。

 はじめ、ヒロトが地球にいく理由を話したとき、だれも理解してくれなかった。

「ストリート・ウォリアーでオンライン対戦する」

 ヒロトが小学校で「地球にいったら何をしたいか」というテーマで作文したときのタイトルだ。先生は真面目に書きなさいなんて言ったが、ヒロトは大真面目だった。このころは子どもの言うこととして相手にされなかったが、何年も同じことを言いつづけるうちに周りの大人たちは腫れものを扱うような態度になっていった。

「ゲームなんて月でもできるじゃないか」

「地球にはもっと色んな楽しいことがある」

 彼らは何もわかっていない。ヒロトがやりたいのはなのだ。たしかに、月・地球間の光通信の確立で、ゲームをダウンロードしてプレイするだけなら月でもできるようになった。しかし、どんなに技術が発達しても、光の速度という限界があるかぎり月・地球間の通信遅延がなくなることはない。オンライン対戦は地球の裏側同士との通信遅延を最大として設計されている。60フレーム/秒で4フレーム、約0.067秒である。これに対して、月・地球間の距離は光の速度にして約1.3秒。あまりに遅すぎる。この遅延を埋めるには直接地球にいく以外ありえない。「もっと楽しいことがある」だって? 同じことを地球のプレイヤーにも言ってやるといい。

 地球のプレイヤーたちこそがヒロトの支えだった。対戦や通話は難しくとも、テキストでのコミュニケーションはできる。プロも参加するコミュニティに入って、プレイ動画にアドバイスをもらったり、テクニックについて情報交換したりするようになった。そして、そうするうちに、彼らと対戦したい、地球にいきたいという思いはますますつのっていった。

 あるとき、仲よくなったコミュニティメンバーになぜ大会どころかオンライン対戦にも出てこないのかと聞かれた。偏見をおそれて月生まれであることを隠していたが、日に日に言いわけは苦しくなっていたし、何より嘘をつくのも申しわけない気持ちだった。おそるおそる月に住んでいて対戦したくともできないこと、いつかは地球に住みたいと思っていることを明かした。みんなおどろいていたが、応援の言葉がそれをうわまわった。なかには、地球に移住するにあたっての具体的な支援を申し出てくれる人もいた。「こんなに熱心にプレイしてきて、試合ができないなんてあってはならない」とのことだった。

 まもなく地球の大気圏に突入するというアナウンスが流れる。ヒロトは再度シートの安全確認をし、深呼吸した。

 もうすぐ、世界中の人たちと一緒にゲームができる。


 ——二年後。式典の中継にアナウンサーの声が重なる。

「最後に入場するのは、オリンピック史上初の月生まれの選手です。eスポーツ競技『ストリート・ウォリアー』に出場します——」

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