夏至の魔王は第一宇宙速度で

鳥辺野九

第一宇宙速度


 魔王はついに倒れた。


「勇者よ。褒美に世界の半分をやろう」


 しかし魔王は滅びない。すぐに第二、第三の魔王が生まれるだけだ。


「これで貴様は次なる魔王だ」


 ここに新たな魔王が誕生した。勇者は世界の半分を受け取った。はるか上空、高高度の世界を。


「半分って、上半分かよっ!」




 青はより濃く、緑はより深く。

 清流は坂道を転がるように水の流れが早い。緑の水草も踊る青い水流に、ぽちゃん、波紋が一つ。小石が投げ落とされた。


「入道雲のせいで失敗した」


 少年は川面に流れる波紋を見送った。川の流れの延長上に入道雲が輝いて見える。

 VRMMORPG『インターシヴィル』に湧き立つ雲は眩しい。全感覚支配型VR技術によって再現される仮想世界はプレイヤーの視聴感覚を鮮明に刺激する。水はより青く植物はより緑に、雲はより白く輝く。


「入道雲がキンキンに冷えてたら美味そうだよな」


 緑が色濃い河原で足元の砂利の中から理想的な小石を探しながら、鮮やかなブルーのジャージ姿の男が言った。


「ソフトクリームみたいに?」


 少年はつと腕を水平に伸ばす。人差し指をぴんと立て、一つ二つと人差し指を上へ上へ継ぎ足して、遥か遠く入道雲の高さを数える。


「ビールに決まってんだろ」


「酔っぱらいか」


 夏至の日、太陽は少年の真上にあった。少年は太陽を仰ぎ見て計算した。


「一万二千メートルってとこかな」


「あれで一万二千か。俺が目指すのは二万五千だ」


「ジャンプ魔法でなら入道雲のてっぺんまでは跳べるかも」


「さすがの第四魔王もチート抜きじゃそれが限界だな」


 青ジャージは自らを第四魔王だと名乗った。遥か空の高み、二万五千メートル上空へ跳ぶ魔王だ。

 入道雲の向こう側を見据える第四魔王に少年は訊ねる。


「なんで二万五千メートル?」


「第二魔王に会いに行くんだ」


「なんで第二魔王に?」


「それよ。見てろ」


 第四魔王は手頃な小石を拾った。平べったく滑らかな表面を持ち、指の引っかかりも良さげな扁平した小石。夏至の太陽に照らされてあったかい。

 少年に自慢げに見せつけてから両足を揃えて立ち、ふうとひと呼吸。

 しなやかに身体を折り畳んで膝を上げる。頭は目標地点の川面を睨んだまま。倒れるように足を踏み込んで腕を大きく横に振るう。手は地面すれすれ。指は小石の歪んだ部分に引っかけて、回転力を与えるように手首をしならせる。


「おりゃ!」


 第四魔王は川面に向かって低い弾道で小石を投げた。水切りだ。

 気合いの抜けた掛け声ととも放たれた小石は鋭い回転を与えられて水面を切った。水飛沫をきらめかせて水面を跳ねて、硬めのチップ音を奏でて滑るように跳ねて、やがて波間に見えなくなった。


「どうよ?」


「十九回! さすが第四魔王!」


「十九? よく数えたな」


 少年は少年らしく跳び上がってはしゃいだ。第四魔王は魔王らしく胸を張って川を流れゆく波紋の群れを指差した。


「あんな状況なんだ。第二魔王の奴は」


「どういうこと?」


「第二魔王は魔王から世界の半分をもらった」


 キラキラと夏至の太陽を反射させる川面は水切りの波紋をすべて流して飲み込んだ。穏やかに青い空が映っている。


「「インターシヴィル』の上半分、上空二万五千から成層圏五万メートルまでな」


「無意味な報酬だね」


 少年も水切りをやってみようと自分専用の小石を探す。


「原理は同じだ。空気層に弾かれるように跳ねて、あいつは未だに成層圏を高速で水切り中だ」


 小石を求める少年の手が止まった。魔王を倒したプレイヤーには莫大なゲーム内資産と特別スキル報酬が与えられると聞いている。それが『世界の半分』なのか。

 ふと第四魔王の背中を見つめる。


「第四魔王のおじさんはどんな『世界の半分』をもらったの?」


「俺は冬至から夏至の間までチートし放題だ。その代償に夏至から冬至まではステータス最低値。何にもできねえ」


 第四魔王が背中を丸めた。膝を抱えるように屈み、夏至の入道雲を見上げて睨む。


「夏至ってことは、ちょうど今日までだね」


「そうだな。今日がリミットなんだ。第三魔王に二倍の速さで動ける方法を学んだし、第五魔王に重力を半分にする方法も教えてもらった」


 第三魔王は時間を半分もらった。その結果、人の二倍速く動けるようになったが、寿命は半分になった。第五魔王は重力が半分になった。身体は軽いが、運動エネルギーを半分しか発揮できない。


「どうする気?」


 膝を屈伸させて濃い青空の一点、第四魔王は夏至の太陽を見据える。


「魔王をもう一回ぶちのめすために、ちょっと第二魔王に会ってくるよ。あいつの力が必要なんだ」


 第二魔王は成層圏を人工衛星のように飛んでいる。正確には地上へ落下し続けているが分厚い空気の層に跳ね返されている状態だ。


「会えるといいね」


 少年は手を振った。別れの挨拶のつもりではなく、応援するよと心を込めて。


「夏至の今日まで力を溜めまくったんだ。きっと会えるさ」


 第四魔王は笑顔で言った。


「じゃあな、少年。第一宇宙速度で跳んでやるぜ」


 遥か上空、青いキャンバスに光点が一つ走っている。眩しく盛り上がる入道雲を跳び越えるように。成層圏を落ち続ける第二魔王だ。


「おりゃ!」


 水切りの時と同じ少し気合いの抜けた掛け声で第四魔王は跳んだ。

 空気が爆ぜた。風が巻いた。反時計回りの上昇気流が生まれて、煙と砂埃を巻き込んで一直線に青空へと立ち昇る。

 衝撃波が膨らむ。

 地を這う薄いもやが砂を吹き飛ばし、水を弾けさせ、爆発的に膨張する。川の水までもが弾け飛んで、川底が露わになった。

 少年は第四魔王が消えた青空を見上げて、投げ損った水切り石をぽいと投げ捨てた。


「バイバイ、第四魔王」


 第四魔王を見送ってから、少年はふと思い出す。僕はログアウトしていなかったっけ?

 まあ、いいか。

 とある夏至の日の小さなイベントにて。

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夏至の魔王は第一宇宙速度で 鳥辺野九 @toribeno9

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