ブラックベリーシンドローム

月井 忠

一話完結

 少年はひざまずくと、小さく盛られた土に向かって手を合わせた。


「ドクター。今日も生きてます」


 彼は立ち上がると、木陰から覗く太陽を見上げた。

 今日も暑くなる。


 丘を下りていくその背中は小さく、病衣のようなシンプルな白い服をまとっていた。

 彼はアルファと呼ばれている。


 もっとも、その名で呼ぶ者はもうほとんどいない。


 アルファが割り当てられたキャビンまで戻ってくると、ドアの前には少女が立っていた。


「おはよう、アルファ」

「うん、おはようシータ」


 同じように白い服を着たシータはにっこり笑うと、両手を合わせたまま胸の高さまで持ち上げる。


「ほら、今日もいっぱい採れたわ」


 開いた手にはブラックベリーが盛られていた。


「本当だ。それじゃ一緒に食べよう」

「ええ」


 二人はアルファのキャビンに入ると、いつものように朝食の支度を始めた。


 部屋の隅に置かれた段ボール箱を開け、レーションの袋を取り出し、テーブルに置く。

 蛇口をひねってコップに水を注ぎ、テーブルに置く。


 そして、シータが採ってきたブラックベリーを皿の上に移す。

 最後は二人が椅子に座り、テーブルで向かい合う。


 朝食の支度と言っても、その程度のことだった。


「やっぱり、このブラックベリーは美味しいね」

 アルファは口をもぐもぐとさせた。


「ええ。こんなに美味しいものが近くに自生しているなんて、私達は幸運ね」


 彼らはいつも同じメニューの食事を取っている。

 しかし、それもいずれ終わる。


 レーションの入った箱は底が見え始めていた。

 元々蓄えられていた食事はあと僅かであり、近い将来、自給自足になるだろう。


 だが、彼らにとってはいい機会なのかもしれない。

 味の薄いレーションには飽き飽きしていたのだ。


「ごちそうさま」

 二人は手を合わせる。


「ねえ、アルファ。この頃、私の身体で少し気になることがあるのだけど」

「どんなこと?」


「胸の動悸が収まらない時があるの。一緒に調べてくれない?」

「それは大変だ。すぐに行こう」


 二人は手早く朝食の後片付けを済ませるとキャビンから出た。


 生い茂る草の間に、土がむき出しになった道がある。

 その道を行くと、いくつものキャビンが現れた。


 シータが住むキャビンもあるのだが、ほとんどは空っぽだった。


 かつてここには二人と同じような子供たちが住んでいた。

 ドクターと名乗る老人は彼らのことをチルドレンと呼んだ。


 子供の名は皆ギリシャ文字であり、何らかの順番があったことを思わせる。


 ただ少なくとも、チルドレンが消えていく順番ではなかったようだ。


 初めにいなくなったのは、ラムダと呼ばれる少年だった。

 ドクターはしばらく「失敗だ、もう終わりだ」とつぶやいていた。


 それから、チルドレンは一人また一人と減っていった。

 彼らがどこに行ったのか、二人は知らない。


 ただドクターの研究所に入っていく姿を見たのを最後に、いなくなるということが度々あった。


 そうして、ドクターとアルファ、シータの三人だけになった。

 その頃にはドクターは動くことも話すこともできなくなっていた。


 しばらくして二人はドクターを看取ると、丘の上に簡素な墓を作った。


 道の先に研究所が見えてきた。

 ドクターは多くの学術書を残してくれた。


 二人はわからないことがあれば、いつもここに来て調べている。

 彼らは難しい学術書を読み解くことができるほど優秀だった。


 もっとも学術書に書かれていることしか知りようがなかった。


「そういえば、シータの症状はどんなものなんだい」

「この頃、ブラックベリーを摘むときに不思議な症状が現れるの」


「どんな?」

「あなたの顔が頭に浮かんで、胸の動悸が収まらなくなるのよ」


「シータも?」

「え? それじゃあ」


「うん。僕も君が帰った後に、残ったブラックベリーを食べると、シータの顔が浮かぶんだ。それで胸がどきどきする」


 二人は考え込んだ。


「もしかすると、これは何かの病気かもしれない」

「そうね」


 ともに黙り込むと、本をあさり始めた。




「どこにも記述がないわね」

「うん」


 研究所の小さな窓からは夕陽が射していた。


「ひとまずこの症状をブラックベリーシンドロームと名付けよう。今のところ重症化はしていないようだけど、油断は禁物だ」

「ええ、そうね。今日はこのぐらいにして、食事にしましょう。昼食を取りそこねてしまったわ」


「そうだね。調べるのは、また明日だ」


 二人は研究所を出ると、シータのキャビンに向かった。


 森は静かで、風の音しか聞こえない。

 静かで不気味な風景だった。


 今のところ動物の復活は確認されていない。

 昆虫の類はいるのだろうが、それも少ない。


 この星はまだ破滅の瀬戸際にいる。


 そんな世界でドクターは、生命の禁忌を犯すような研究をしていた。

 研究所には、未だ材料となる種が多く眠っている。


 いつか二人がドクターの研究を引き継ぐのなら、人類はまた繁栄するかもしれない。


 その時は、彼らが言うところの「ブラックベリーシンドローム」が再び社会を繋ぐことになるのだろう。

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ブラックベリーシンドローム 月井 忠 @TKTDS

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