私の青春初期の素描
中学時代の私はとことん落ちこぼれで、学問にもスポーツにも頭角を顕さなかったし、何事においても才能の片鱗というものをまるで見せないつまらないガキだった。私の中学校の成績は五段階評価だったが、私は四以上の評価を取ったことがなかったし、三を取ることも稀で、「一、二、一、二」の行進の掛け声のような成績表だったので、私の両親は最後まで三段階評価だと勘違いをしていたくらいである。スポーツも、いくつか習い事には通ったが、どれも長くは続かず、唯一長続きした空手もセンス皆無で、同年代の中で初段を取るのに一番時間がかかったのを覚えている。空手といえば、唯一打たれ強さを褒められたことはあるが、身体中に青タンの絶えない生活には正直嫌気がさしていて、こんな痛いだけの野蛮なスポーツは一刻も早く辞めたいと常々思っていた。
そんな私でも、友人は比較的多い方だった。ただ、このような落ちこぼれを相手にする人間など皆似たり寄ったりの不良ばかりだから、部活や学業のような正当な方法で社会と関係するなんてことは望めず、周りの大人たちに迷惑をかけて注意を惹くか、それも叶わぬのならただいじけて皆で授業さぼるくらいが関の山だった(ここで言う不良というのは、ヤンキー漫画然とした不良のことではなく、単なる劣等生のことである。少なくともそんなツッパリは私にはなかった)。
喧嘩もあったが、ほとんど猿同士のじゃれ合いのようなものだったし、私などは武道経験者といっても他人を本気で殴りつけるだけの冷徹さも度胸もなかったので、そのような揉め事からはなるべく距離を取りコソコソやって凌いでいた。さらに言えば、この喧嘩というのにも可笑しな慣らいがあって、普通イメージされるような不良同士の喧嘩とは遠く、スポーツの延長にあるような微温なものに過ぎなかった。私たちの仲間の中から、誰でもいいから喧嘩をしたいというやつが名乗りを上げる。すると、それを聞いた顔の広い別の仲間が、他校の別のグループから挑戦者を集い、セッティングする。それからいつもの公園に集まって、選手二人に決闘をさせるのだが、みっともない揉み合いの後に大抵どちらかが相手の金的を蹴り上げて、それで終わり。股間を抑えて悶える男を囲んで、観衆も笑い転げるのだが、いったい何が面白いのか、いや、何も面白くはないなと、少し白けて、各々帰路に着く。こんな具合である。
警察の世話になるようなことも滅多になかった。あったとしても、自転車を改造したり、深夜徘徊をしたりして、補導されるくらいのことだ。今でも交友のある私の友人で、深夜に小学校のプールで泳いでいたところを通報され警察署に連行されたお間抜けがいるが、今や彼は女装コスプレイヤーになっているのだから、人生何があるか分からない。そういえば、私の通っていた公立中学の近くには私立中学があったのだが、そこの生徒が補導される度に私や私の友人の名前を騙っていたということを後々知って、その時ばかりは本気で叩きのめしてやろうと思ったが、結局腰が引けてリベンジすることができなかったのが私たちらしい。
私の時代にも愚連隊というものはあって、反社会的な大人たちと直に関係しているような(私たちが偽物だとした場合の)本物の不良もいることにはいたが、そのような連中のところを出入りしているような人間は、私たちの中にいるときは傍目仲間のように迎えられたが、その実どこか疎んじられていたことを覚えている。万引きした品物を売りつけてきたり、さらには犯罪の方法(あまり詳しくは書けないが、自販機をちょっと弄ったりするような内容)そのものを商材にして売りつけてきたり、そんなとんでもない輩だったので、疎んじられて当然といえば当然だったのだが、そんな彼らも表立って悪事を働くようなことはせず、街中でカツアゲをしたり、盗んだバイクで走り出すようなことはまずなかった。現代でも地方ではそのようなことをする古典的不良もいるのかもしれないが、もしそうなら東京の不良は対照的で、良く言えば大人しく、悪く言えば陰湿ということになるだろうか。
"盗んだバイク"で思い出したが、私は当時から尾崎豊が好きではなかった。というのも、十五の夜に盗んだバイクで走り出すのは不良にしても流石にイカれているし(歌詞のモデルになったバイクは尾崎の兄のものだったらしいが)、何より前の世代から安易に借用したかのような反体制的姿勢を、校内に収まってしまう規模の対大人の構図にまで矮小化させ、その上で大人たちを呪いつつ、しかもその他には自分自身の存在を証明する何ものも持たないというチンケさに、自身のコンプレックスを刺激されたような気持ちになり、いたたまれなかったからである。大人になってからたまたま読んだ暴走族関連の記事で、逮捕された青年が(騒音を出しながら珍走したことに対して)次のような供述をしたと書かれていたことを思い出す。
「周りの人に見られるのが嬉しかった」
彼は、その他に社会と関係する術を持たなかったのだ。他者から正当に評価してもらえるだけの才能もなければ、何らかそのような能力を身に着けるだけの努力もできない。しかし、人間である以上は、社会的な関係から切り離されてしまうことの恐怖からは逃れられない。彼は見てほしかった、仮令それが敵意によるものであっても……
ただ人に迷惑をかけて、誰かに叱ってもらうことでしか、彼は自分自身の存在を了解できなかったのだ。
こんなに哀しいことが他にあるだろうか?
思い出の中の神殿 坂本忠恆 @TadatsuneSakamoto
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