山には山の怪がある

カフェ千世子

山には山の怪がある

 趣味というわけではない。ただの時間つぶしとして、やっているだけだ。

「目的も無しに筋トレとジョギングばっかしてるの意味わかんない」

 弟と妹にはすこぶる評判が悪い。そうは言っても、他に家でしたいことがないのだ。連続ドラマは数か月にわたって時間を拘束される気がして、観る気になれない。映画はたまに観るくらいでいい。読書はそんなに集中できない。1冊読み終わるのに平気で数か月くらいかかる。

 時間をつぶすのに本当に丁度いいのだ。時間の調節が自由だ。短時間でも長時間でもやりようがある。時間つぶしだけが目的なので、負荷はそんなに強くない。

「ムキムキになりたいの?」

 と問われたが、全然そんなつもりはないので違うと答えたら、ますます不可解に思われたのだった。ボディメイクのつもりもないのに、筋トレするのは意味が分からない、と。



 弟妹と不仲というわけでもないと思うのだが、二人との間に溝を感じた。家にいると無駄な衝突が起こる気配を感じた。

 外に出るしかない。時間つぶしは外でやるしかない。


 というわけで、山に来た。近場にそこそこ登りがいのある山があって良かった。



 街中から少し山に入ったところに滝がある。そんなに歩いていないので疲れてはいない。が、滝が見応えがあるので休憩して眺めた。

 滝の前にはベンチが複数設置してあって、休憩している人が大勢いた。


「これさあ、結構きつくない?」

「意外と疲れる」

「富士山とか無理ちゃうん」

「やばいかも」

 登山用品フル装備で大きめリュックの数人がぼやいている。

「えー……何合目かまでは馬で登れるらしいよ」

「馬で登るん⁉」

「泊まるとこどこに予約してた?」

「確か8合目」

「そこまでは絶対行かなあかんやん!」



 軽装の二人組が怪談を話している。

「この山のどっかの別荘に出るらしい」

「この山、元々別荘地やったらしいから、別荘山ほどあるで」

 かつては山上はリゾート地だったらしく別荘が各地に点在している。

「打ち捨てられた別荘を廃墟マニアが訪れたところ……」

「ぼろっちい別荘ばっかりやけど、大体セコムマーク貼ってあるんよな」

 かつては山上で避暑をするのが一種のステータスだったらしい。だが、近年はこの暑さである。山上と街中との温度差はマイナス4℃。30度越えの日に山の上に行っても、そんなに涼しくないのだ。

「そう言うたら、いい感じの廃墟ホテルがあるんやっけ?」

「あー、あそこは文化遺産的な感じになってて、クラファンで保存活動されてるって」

「へえぇ。行ってみたかったんやけど」

「見学できる日とかあるんちゃうかな」



 中級者と初級者の組み合わせの二人がハイキングの行程を話している。

「で、この後の行程はダムから茶屋の方へ行って、D寺を抜けてF公園で休憩」

「F公園⁉ 嫌や!」

「は? なんでよ」

「F公園は幽霊が出るって有名なんや!」

「いや、知らんし」

「だってあそこ墓地あるやろ!」

「外国人墓地あるけど」

「いやや! そこだけは嫌や!」

「なんでよ! 自販機もベンチもトイレもあるのに!」

「F公園以外で!」

「私のお気に入りスポットやのに、心霊スポットにせんといてよ!」



 紙の地図を広げて見ていた一人が連れに話しかけている。

「ちょ、地図見てん! この山、地獄谷ってところある!」

「実はな、この山の中、最低でも3か所は地獄谷があんねん」

「ええ! 地獄がそんなに!」

「メジャーな名づけ方なんやな。地獄」



 別に聞き耳を立てたわけではないが、みんな声がそれなりに大きいので全部聞こえてくる。他人の会話をひたすら聞き続けるというラジオ番組があったなと思い出す。

 滝を見て落ち着くはずが、全然落ち着かないので、休憩は切り上げて先に進んだ。




 山を奥へ奥へと進んでいく。山の中を流れる川沿いを多く歩くようなルートを進んだ。

「おお! なんだここ……」

 突然、広々とした岸辺が現れた。白い砂が大量に滞留していて、歩くと少し足が埋まる。緑に包まれた夏の山の中に、白い景色が広がっていて、そこだけ別の世界のようだった。


 一瞬、ルートを外れたかと不安になった。こんな景色があるとは地図では読み取れなかったのだ。地図アプリを確認してみるが、そこまでルートは外れていない。他の人の足跡もある。

 川の周りに草木がない。それだけ、水量が多いときに流されたということだろう。随分範囲が広い。白い砂の中には、ゴロゴロとした岩も埋まっている。木々との境目を見れば、人の3倍もありそうな大きさの岩が何個もあって、思わず背筋が冷えた。こんな大きさの岩が運ばれてきたのだ。

 絶対に荒天の時には近づくまい、と思った。



 人がいない。麓に近い場所ではあんなに人がいたのに、先ほどから全然人に出会わなくなった。

 そろそろ腹が減ってきた。昼食は簡単にパンである。調理パンの塩分がちょうどいい。だが、ラーメンが食べたい気分もある。体が塩分を求めている。

 普段飲まないのに、炭酸ジュースが飲みたい。糖分と水分を体が求めているとわかる。下山したら、飲もうと決める。

 もっとがっつり肉が食べたい。これも、下山したら食べようと決める。

 普段、食事はなんでも美味しいと思う方で、これが食べたいと強く思うことはない。それが、今日はあれが欲しいこれが欲しいと次々頭に浮かぶ。これは、とてもいい兆候だと思う。活力を得られたのだ。山を登って良かったと心から思えた。


 しかし、一度下山後のことを考えてしまうと早々に欲求を満たしたくなってしまった。当初は体力の限り歩こうかと計画していたが、食後は下山する方に向かおうと決めた。


 北へ行けば植物園があり、そこから出ているバスで駅まで行ける。西に行けばF公園があり、そこから住宅街に抜けられる。東は山中の奥へ行ってしまう。南はこれまで来たルートをそのまま戻るのが一番早く下山できるだろうか。横に逸れても大差はなさそうだ。

 北か西か南か。全然別のルートを行きたい気もあるが、下山後に立ち寄る飲食店に困らなさそうなのは断然に南だ。北か西に行く方が早く下山できそうだが、南の方がより栄えた街に出る。ルートもわかっているので、道迷いの不安がない。


 南に戻る、と決めた。



 食事を終え、片づけて、ザックを整えて背負い直す。屈伸を数回して体をほぐしてから歩き出す。

「……ーっ」

 その矢先に人の声がわずかに聞こえてきた。えっと思って辺りを見回す。切羽詰まったような響きに聞こえて、どこだと真剣に探す。


「……たす……て……」

 明確に救助を求めている声だ。より一層、焦りを感じた。周囲を見回してみても、見つからない。どこか物陰に隠れているのか、と岩の後ろを見ていく。

 何個か岩の後ろを確認した先に、彼はいた。



 首だけが見えた状態だ。体が何かに隠されてると思い、近づけば、首は地面から生えていた。生首の状態だ。その状態で助けてくれと声を出す。

 声にならず、ただ息を飲む。


「だ、大丈夫、ですか」

 ようやく声を絞り出す。それだけを尋ねるのが、精一杯だった。

「生き埋めになってて……ここから出してくれ」

 土砂に埋まったのか! と理解した。早く出してあげなければ、と彼の周囲の土をかき分けだした。



 土をひたすらかき分ける。道具もないので、素手だ。首から下、肩が見えた辺りで、どういうことだ……と疑問が湧いてくる。

 裸の肩が見えている。服を着ていない状態で埋まっているのか。


 裸で埋まるとは、何が起こってそうなったのか。誰かに埋められたのでは、と第三者の存在が浮かんでくる。

 何がどうして、そうなった。

 恨まれていたから、埋められたのか。


 もしかして、反社とかそういう人の関係なのか。


 じわじわと怖くなってくる。その第三者は近くにいないのか。もし、この人を助けるところを見られていたら、自分も同じ被害に遭うのではないか。

 だが、反社の人なら海を使うんじゃないか。麓の街は山と海に挟まれている。目の前が海だ。山より、海の方が使いやすいんじゃないか。

 ……反社の人の思考回路なんてまったくわからないが。



 影の伸び方で、日が傾いてきているのがわかる。日が落ちるまでに山を出ないと、行動ができなくなる。


 ようやく腕が出せた。のどの渇きを感じる。水分補給をしていた自分が感じているのだから、この人はもっと渇いているはずだ。

 どう考えても、自分一人で掘り出せない。



「これ、水!」

 ペットボトルの蓋を開けて手渡す。行動食として持っていたスポーツ羊羹も差し出す。

 日よけとしてエマージェンシーシートを被せる。少し考えて、予備用に持っていた小さいヘッドライトも渡す。


「助けを呼んでくる!」

 そう言って、その場から走った。決して逃げたわけではない、と心で言い訳する。



 道を南下して西に行く方が近いか、と分岐でそちらに向かって走った。D寺には駐車場があった。F公園も駐車場がある。そこまでは車の乗り入れができる。救急車もそこまでは来れる。ここからそう離れていないはず、と急ぐ。



 アハハハハ! と甲高い笑い声が聞こえてきた。

「ぺる、下に落ちていったでー」

 えっと思いながら何が起きてるのかと立ち止まる。がさがさと茂みをかき分けて犬が顔を出した。

「ぺる、自分で登ってきた~」

 懐っこそうなレトリバーだ。犬の顔を見て、日常の世界に戻ってきたとほっとする。


「これ、お姉さん。みんなが犬平気なわけやないんやから、リードはしなさい」

「は~い」

 ベテランぽい雰囲気の登山者のコンビが犬の飼い主の女性に注意をしている。

 そこではっとなって、そのベテラン登山者の二人に助けを求めた。




「あれ?」

 その二人を伴って、彼がいた場所へと戻ってきた。しかし、そこには彼の姿は影も形もなく。なんなら、誰かが埋まっていた形跡も見当たらない。

 場所を間違えたかと周辺を探すが、まったく見つからなかった。

「え? あれ? なんで……」

 戸惑っていると、二人はああ~と声を出す。


「お兄さん、からかわれたんだよ」

「山には、変なのが時々いるからね」

「はあ……」

 その変なのとは、人間なのか化け物なのか。考えてみると、人間の方が怖い気がした。




「ただいま」

「おかえりー。どこ行ってたの?」

「○○山に」

「ええー。暑いのに、がんばったね」

「ああ、うん……」

 弟と会話する。まだ何か気分がぼんやりとしている。熱い風呂に入ればすっきりするだろうか。あれは実際に起きたことだったのか。自分でも疑う気持ちはあった。だが、ペットボトルの水、行動食、エマージェンシーシート、ヘッドライトは確かになくなっていた。



 日常から非日常へ。非日常から日常へ。

 この件で山に入ることに忌避感が生じたわけではないが、しばらくは控えようと思ったのだった。

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