12.「拝啓」

「ハァ……ハァ……こ、この、ナイトロングフリータイムっての……! ……お願いします!」


 呼吸を乱しながら左腕と右脚を斬られた男とれを支える傷だらけの女はカラオケの受付前に立っていた。


 自分たちが歩いて来た後には血液が残っており、目の前を通り過ぎた客や店員たちは軒並のきなみ小さな悲鳴を上げて俺達を驚いた表情で凝視していた。

 受付の店員は硬直状態のまま俺たちを見つめ、困惑した様子を浮かべながらも強張った口調で喋りだした。


「あ、あの……この時間、学生様は受け付けてなくて……」


 時刻は二十三時十分、所々破れているが俺が着ているのは学生服──至極当たり前な理由だった。


「お願いします……お金はあるんで……」

「で、ですから学生は……」

「あぁ……そういうコスプレです、コレ」

「と言われましても……」


 新宿から此処ここ三軒茶屋さんげんちゃやまで逃亡し続け、体は限界に達していた。

 意識は朦朧としかけており近くのホテルに移動出来るかも怪しく、今すぐ横にならないと流石に厳しい状態。

 病院に運ばれようものなら俺たちは御終おしまいだ。


 すると店員は困った素振りをしながらも内通電話を掛けて数分程確認を取りだした。




「お客様……ナイトロングフリータイムでしたね……」



 意外にも了承が得られた。




 教えられた番号の部屋に入ると俺たちはオアシスを求めるかのようにソファへと座り込んで、姉さんは持っていたコンビニのレジ袋を漁りだした。

 その中から俺も止血用の包帯や消毒液などを取りだし、欠損部分や負傷箇所の手当てを右手だけでおこなった。

 切られた箇所などは強く止血し、流れる汗を傷口に染みらせながらも何とか終えて──姉さんの方を見ると、ソフトキャンディを口にしながらカラオケの宣伝映像が流れている画面の外側を必要以上に触っていた。


「テレビみてぇに見られねぇよ、それ」


 カラオケボックスだからと言って何か歌う気が起きるはずも無く、レジ袋の中から唐揚げ弁当を取りだした。

 冷めきった弁当をゆっくりと食べ、ようやくありつけた食事に多少の安堵を覚える。

 れが一週間ぶりの食事だと錯覚してしまう程、いつも食べているはずの味が美味しくてたまらない。


 食べ終わるとそのまま姉さんの隣で横になり、欠損した左腕を天井にかざして自分自身の損傷を再び実感する。

 全身の痛みはやわらいできたが其れでも矢張やは身体からだは言う事を聞かない。




 このまま意識だけでも遠くへ行ってしまいたい。


 ※


 ──日本に住み始めて半年が過ぎた。


 適当に選んだ高校の受験も見事合格し、明後日には入学式が始まる春風透き通った日曜の朝。

 戦場では感じ取る事も無かった爽やかな風を受け、クライのお祝い電話を聞く。

 仕事があるからと電話が終わり、俺は部屋の隅っこに置いてあったテレビを一瞥した。


 今日が粗大ゴミの日である事を再確認し、準備を整える。

 生活必需品とやらを一通り買ってはみたがテレビを使う機会は極端に少なかった。

 姉さんが「日本に行ったらテレビが視たい」と言っていたのもあって、どんな物かと思い買ってはみたが其処そこまで面白くもない番組ばかりで為になるのはニュースぐらい。

 意味のない物を持ってても仕方ない、と先日捨てる事を決めて今日が其の当日となった。

 テレビを持ち上げると部屋のチャイムが鳴り、そそくさと玄関前まで歩いて行った。






「はい──………………え」




 目前にいた人物に俺はか細い声を上げ、硬直した。


 任務だったら俺は此処ここで殺されているに違いない、しかし目の前にいる人物は何もせずただ黙って俺を見つめているだけだった。

 俺は下駄箱に隠してある拳銃が脳裏を過ぎり、即座に無力化しようかとも考えたがそんな事は出来ないと俺の足は無様にもすくんでいた。






 姉がいる。


 死んだはずの姉が立っている。


 死んでいるからこそ、だからこそ、──どうして日本にいるのか、何故姉に擬態しているのか疑問は尽きない。






 そして俺は何を考えたのか──馬鹿な行動でしか無かったのに。




 彼女を部屋へと招き入れてしまった。


 姉に擬態した怪物は部屋を見渡す訳でもなく、静かに床へ座るとその場でゆっくりと横になって目を閉じてしまう。


「おい」


 行動の意味が理解できず、頬を突いてみるも起きる気配はない。


 そのまま一時間が経過し、粗大ゴミの収集車が来てしまうも今は此奴コイツを置いて出る事の方が危ない。

 テレビはまた今度捨てよう。


 それにしても寝顔を視ても矢張やはりそっくりで、何故姉の姿をしているのか見当もつかない。

 机の下に隠している拳銃を取り、ベッドに座って怪物の行動を観察する。


 其れから夕方五時まで経っても動かず──俺は何を阿呆あほな事を考えたのか近くのコンビニへ夜飯を買いに行った。


 其れも唐揚げ弁当を二つも買い、この時は餌付けでもしようと考えていたのだろうか?




 銃を構えたまま玄関に入り、部屋に戻るが怪物は寝たままで一歩も動いた気配はない。


「……コイツ何しに来たんだかな」


 唐揚げ弁当をレンジに入れてそんな事を呟き、鶏肉の香ばしい匂いが香り出していき臭覚を揺すってくる。

 

 すると──怪物は双眸を開け、ゆっくりと起き上がった。

 

 拳銃を向けられても静かに此方へと近付いて来て、俺の前に立つとレンジが終了の合図を告げた。

 銃を向けたまま弁当を取りだして部屋に持っていくと怪物は後方を付いて来たので、試しにテーブルへ置いて割り箸も置くと弁当の蓋を開けてみた。


 そうすると怪物は弁当の前に座り、油が跳ねているにも関わらず高温のまま手掴みで食べ始めた。


「食えるんだ……」


 擬態しているとはいえ手掴みで弁当を貪り食う身内の姿は何処か歪だった、箸の使い方がわからないのは仕方のないことかもしれないが。


「お前、腹減ってたんだな」


 がつがつと食い続け、れがあの人食いと同じなのかと疑問すら覚えてしまう。


 此奴コイツを生き残らせてしまったのは俺自身だ、フェイク動画まで作らせて。


「……どうしようかな」




 そう言って、彼女の美麗な黒髪をさらりと撫でた。


 ※


「……あっ」




 身勝手な過去を見た。




 夢から覚めて最初に見たのは眩い天井、赤い壁。

 感じたのは右頬の柔らかい感触。


 どういうことかと思い、視線を左上へ上げる。


「──え」


 見覚えのある血塗れの格好、そして無表情で固定された様な顔が此方こちらを見下ろしている。

 ということは──


「うわぁ」


 いつの間にか膝枕をされていた。

 何処どこで覚えたのだこういうの。


 しかし、この体温から俺は逃れようとはしなかった。

 懐かしい熱、身体の温度まで同じなんてずるい。




 そして俺はポケットにしまっていた袋奈たなの銃を取りだし、膝枕をした状態で姉さんのあごへと銃口を押し付けた。


「もう生きてぇのか死にてぇのか、よくわからねぇや」


 特効弾が入った拳銃、一撃で殺せる武器を押し付けられても姉さんは反撃する素振りも見せない。


 ふと壁を一瞥し、貼り付けてあった沖縄旅行の紙を視て『良いな』と考える。


「海か……行ってみたいな、出来れば誰もいなそうな……行けるとこまで……何処か行きたいな……」


 其の時、俺は笑みを溢しながら喋っていた。

 れで、失うのは最後にしたいと思いながらも彼女の暗い瞳に映る無様な自分を蔑んでいた。






「お前が何で姉さんに擬態していたのか……嫌がらせか、それとも安心させたかったのか知らないけど。

 ──俺がお前を殺さなかったのは……たぶん、きっと……」






 一人になるのが寂しいとわかってて──






 カチッ。




「ふふっ……ふふふっ……やっぱ、お前も連れて行かなきゃダメって事か……」


 俺はつい微笑を浮かべてしまう。

 引いた銃爪ひきがねからは何も出なかった。

 乱心したように撃ってたから、残り弾数なんて考えてなかったんだろう。

 あの袋奈ど素人め。









「ん? ──はぁ……来たか」


 すると奥から客とは違う足音が五つほど聞こえ、俺は気怠けだるそうにしながらも膝枕から起き上がり弾が入っていない銃を捨てた。

 姉さんも俺に続いて腰を上げると、同じくドアを見つめた。






「んじゃ目標は海までって事で……行くところまで行ってみるか」


 無論返事はない、されど其れを了承と取る。

 そして俺たちはそのまま廊下へと駆け出して行った。


 ※




 

 血液が付着したソファやテーブルが配置された一室の外から銃声、怒声や悲鳴が響き渡る。

 其れは一分に過ぎない出来事だったが、誰もいないこの一室の録音機には確かに記録されていた。




 そして静まり返っても、カラオケの宣伝映像だけが流れるこの部屋に先の二人は戻って来なかった。




 姉弟は何処か遠くへと旅に出てしまった。

 海の見える所まで、静かに暮らせる所まで、二人は人類の敵として当てのない道を歩いて行く。

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【完】フェイクシスター・トゥ 糖園 理違 @SugarGarden

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