嘘のエッセイ、ウッソイ

笑顔のTシャツ

捨てられない私達のための箱

どうしても捨てられない、思い出の品ってあるでしょう。

私にとっては「全部」がそれで。

だから幼い頃から整理整頓はどうしても苦手だった。


古い携帯ゲーム機やソフトや周辺機器なんて、次のハードを買ったらもう遊ばないのだけど。それでもクリスマスにもらったりお小遣いを悩みに悩んでやりくりしたり、寝る間も惜しんで遊びこんだ思い出の塊。


「要らないもの」として処分するなんて、思い出までゴミ箱に捨ててしまうようで怖かった。

それに遊びたくなる時があるかも知れないしだなんて、箱いっぱいにこれまで遊んだゲームや玩具を詰め込んでいた。

また遊んだものなんて精々1つ2つだったけど。


何においてもそんな調子だから、私の子供部屋は年々ものがすし詰めになっていった。

幼い頃ボロボロになるまで連れ回したピカチュウのぬいぐるみ。

使いきれない色鉛筆20色セット。

ディズニーランドで買った帽子。

県外に引っ越した友達が最後にくれた真っ黒でツルツルの大きな石。

見た目がかっこよくて何年も使ってたのに、台風の日にポッキリ折れて大泣きした折りたたみ傘。


子供なりに置き場を考えて棚や押し入れにかっこよく並べていたけど、いよいよ物量の限界が訪れた。

江の島の土産屋で惹き込まれ買った大きな貝殻を棚の隙間にねじこもうとして、倒れたレゴブロックの宇宙船は床で砕け散り、おまけに思わず落とした貝殻までぱっくり割れた。

その時の絶望、完成までの苦労や喜びが全て抜け落ちたように全身が冷え切った感覚は、今も覚えている。


そのまま力も入らず一日中ぐったりと倒れ込んでいた私を母は見かねたらしい。

翌日、元々は一体何が入ってたんだというほど大きな段ボール箱を部屋へ持ってきて、整理整頓にいくつかの決まりを設けた。

・床や机の上を物置きにしない

・棚に置くものの間に隙間を作る

・部屋がもので溢れないよう、もう使わないものや要らないものを少しずつ捨てる

・どうしても残したいものは、この「思い出箱」に収める


部屋中の全てを仕分ける一大事業には長い時間がかかった。

「要らないもの」なんて一つたりともなかったから。

それでも思い出を噛み締めながら、もう中身の固まったラメ入りのりや図工で作ったティッシュ箱とトイレットペーパーの芯の城なんかを捨てていく。

昔のおもちゃやゲームは外箱を捨てなんとか体積を減らして、過去を凝縮させていく。


結局案外コンパクトにまとまり、思い出箱の隅にいくつかの余りが収められた。

こんなに捨てる必要なかったじゃないかと思ったけど、大人になるまでこの箱一つに収めなきゃだからよく考えて入れなさいと釘を刺されてしまった。


それからも様々なものが部屋に招かれ、徐々に溢れ出し、一つ一つの出会いを振り返りながら選別され、箱の中も少しずつ満ちていった。

最初の頃に敷き詰めたもの達は、もう箱から取り出すのも困難になっている。


それでも箱に残されたもの達が、自分が生きて、出会ってきた全てがここにあると証明してくれる。

どんな出会いも体験も、時間とともに過去に流れる。

けど思い出として残れば、大切にしたいものが自分の内に取り込まれる。

自分自身は積み重ねた過去の集積だ。

だから、身体なんかよりもこの箱がよっぽど自分自身だった。



それが起きたのは、大学で一人暮らしを始めてから一年以上経ってからの時だった。

入らない。

下宿先でも変わらず部屋にものが溢れては箱へと移し、ものが溢れては箱へと移すを繰り返すこと数度、いよいよ残る容積は失われていた。


箱を覗けば友人との旅行先で作ったガラスアート、傑作だったADVの初回特典グッズ、数月前に亡くなった祖父の形見の腕時計、直近で収めたものたちの隙間から更に古い記憶が垣間見えている。


第一に考えたのは箱を増やすことだ。

けど同じ大きさの段ボールをもう一つ部屋に置いたら収納スペースは限られてくる。

何より思い出箱を好きに増やしてしまえたら、いずれ部屋の全てが段ボールが呑まれることが目に見えている。


なら箱の中身を減らすのか。

それは選んで残してきた「必要なもの」から、「要らないもの」を選び直すことになる。

もう二度と動かず生産もされてないおもちゃ、もう会えない友人、もう開催されないイベント、もうこの世にいない人、どんなに手放したくなくても過去へと流れてしまうものたち。

それを思い出として、自身に取り込むための箱。

自分自身、それを形作る無数の出会いから、「要らない」を選べるか?


箱は増やせない。

中身は減らせない。

部屋には物が増え続ける。


もはや何も出来ない時、現実から目を背けるのは得意だった。

焼け石に水にもならないとわかりながら、箱の隙間にアニメ映画の特典ポストカードを差し込む。

部屋の細々した雑品を見つけては僅かな隙間にねじこんでいく。

それもすぐに終わりが訪れ、どんなに目を凝らしても学祭で作ったTシャツの収まる隙間はどこにも見つからなかった。


けどシャツなら広げればほとんど体積を取るまい。

ほかの薄手の物品もいくつか堆積した上面に重ね押し込むと、思い出の山が僅かに沈む。

考えてみれば、積み重なり見えない部分にもそれなりに隙間は残っているはずだ。

ならばまだ残せる。


もう入らないと諦めていた、高校卒業記念のフォトフレームを置き、静かに力を籠める。

なんとか収まった。

まだ、収まるものがあるはずだ。

置く、力を籠める、置く、力を籠める。

自らの限界を試すように、箱の密度を高め続ける。


水族館で買ったリアルなマンボウのクッションを置き、両手に力を籠める。

潰れた中綿の先で、積みあがった思い出達がギシギシと軋んでいく。

手が一瞬止まる。

あまり無理に押し込めば、さすがに中のもの達が無事では済まない。

そもそも幅も箱の縁ギリギリで厚みもかなりある。

多少押し込んだ所でどうにかなるような大きさではない。

惰性で続けてるだけの意味のない試行。

そこまで残す必要のあるものなのか。


大学で初めての彼女にせがまれて買ったものだった。

あまり買う気もしなかったし、彼女も私の家に置き去りにしたままだったのだから、別に本気で欲しかったわけでもなかっただろう。

なんとなくのその場のノリで、部屋に置くには持て余しそうな大きさのものを無理やりねだり困らせてみただけ。

相手を面倒がらせ、一歩譲らせることを勲章のようにかき集める、それを親密さと思い込み愛おしんでいた、鼻で笑うような黒歴史。

はじめから何の思い入れも与えられなかった、大切にする理由も特にない扁平な魚。


マンボウと目が合う。

箱の中身は軋んだ音を立て続ける。


きっと他のもの達も、さほど変わらないものが大半を占めている。

”もう二度と動かず生産もされてないおもちゃ、もう会えない友人、もう開催されないイベント、もうこの世にいない人、どんなに手放したくなくても過去へと流れてしまうものたち。”

「手放せばなくなる」ということ以外、きっと大した付加価値はない。


過去の様々なつながりを愛おしみ、思い出の品を残す。

どうして?

”箱に残されたもの達が、自分が生きて、出会ってきた全てがここにあると証明してくれる。”

ものを無目的に残し続けるくらいしか、過去を大切にする方法がない。

大切な思い出だからものを残す。

ものを残しているから大切な思い出。


”身体なんかよりもこの箱がよっぽど自分自身だった。”

過去のつながりから自分に積み重ねられたものがないから、箱に自身の代わりをさせている。

整理整頓が、「要る」と「要らない」を分けることが出来なかったのは、自分の中に本当に残っているものなんて一つも無かったから。



両腕に力を籠める。

両足も踏みしめ、頭から箱に喰らいつくようにマンボウを押し込める。

ぎちぎちぎちと箱に詰められた思い出が唸りをあげて反発する。

力を強めるほど、こちらが押してるはずなのにまるで過去から押し潰されるような圧を感じた。

潰されまいという一心でがむしゃらに力を籠め、押し抜き、押し返され、両足を踏み抜き、そして。


ガクン、と何かの底が抜けた。

押し返していた力がふっとかき消え、箱に飛び込むように体勢が崩れる。

顔を上げると、転げた身体を受け止めたマンボウは、箱の縁から少し沈んだ所にみっしりと詰まっていた。


物理的に収まるはずはなかったが、しかし入ったものは入った。

積み上げた過去は全て守られた。

その価値がどんなに薄っぺらいものだとしても。



それからはありとあらゆるものが箱に収まっていった。

買って3年目でうっかり割った100均の皿。

旅行先で一応手に取ったまま、一度も読まず帰った三つ折りの観光リーフレット。

レシートでなんとなく折った紙飛行機。

ちょっと凝ったデザインの服のタグ。

力を籠めれば箱の中身はたやすく沈み、私の全てを呑み込んでいく。


つい買ったものの置き場所に困るグッズやインテリアはそのまま箱へと送られた。

本の整理で、うっかり未読の小説や新刊漫画を沈めていたことに後で気がついた。

一瞬しまったと焦ったけれど、箱の中の思い出になったのだから読んでも読まなくても用は果たされたのだろう。

結局、どう辿っても箱に流れるのは同じなのだから。



昔から整理整頓が苦手なせいで、随分とりとめのない話になってしまった。

部屋に箱があった時は、思い出はしまいこむものと思っていたから、過去を振り返り言語化するなんて経験がまるでなかったせいだ。

そう、最後に箱を失くしたことを書かなくてはならない。

といっても特に劇的なエピソードがあるわけでも別にない。

笑い話にもならないただの間抜けな終わりだ。



就職を機に職場の近くへ引っ越した。

諸々の条件や時間の猶予が厳しく、前よりも幾分か狭い新居になることを余儀なくされた。

それでも部屋の狭さは大した問題にならないだろうと高をくくっていた。

日用品以外は箱一つに収まれば事足りるのだから。

最低限の家具や日用品以外は全て箱に詰めたおかげで、引っ越しはとてもスムーズに済んだ。

一体どれだけの質量を収めたかも分からない箱は、業者にひょいっと持ち上げられ軽々と新居へと運び込まれた。


自身の間抜けさを思い知ったのは、業者が立ち去り日用品をひとまず配置した後。

あとは思い出箱を収納スペースに置けば新居での生活が始まる、はずだった。

箱が収納スペースからはみ出る。

どう配置しても、はみ出る。


どうせ収納なんて最低限で問題ないからと手狭な新居にさっさと決めたことを、今更後悔してももう遅い。

箱をなんとか収めるには日用品をどかすしかない。

とはいえそんなわけにもいかない。

思い出がどれだけ必要でも、掃除機や洗剤やトイレットペーパーが無ければ毎日の生活が成り立たない。

人生で本当に必要なものは、全て箱の外で消費されている。


ああせめて箱の径があと15㎝も小さければと嘆いたところで、ふと一つ思い至った。

押し込めば中身が狭まり、収まる。

それが箱で繰り返され続けてきたことだ。

押せば中身が縮むなら、外から押せば箱だって縮むはずじゃないか。


何一つそんなはずないが、そうなっている以上はそうなるのが道理だ。

だから箱を押し縮めることにした。

ベッドを少し引きずり、頭側と壁の間に箱を挟み込む。

足側に回り、全身に力を籠めてベッドを壁へと押しやる。

丈夫な段ボールと言えど紙の箱だ。

ベッドはずりずりと徐々に進み、進み、進み、何かがおかしいと思い始めてもなお進み、気づけば。


ガツン、とベッドが止められる。

顔を上げ奥を見てみれば、ベッドは元々置かれていた位置、壁にぴったりと頭を付けていた。


笑う。

声を上げ、腹を抱え笑い転げる。

だってこんなの、笑うしかないだろう。

押せば縮むものを押し続けたらどうなるかなんて、園児でも分かり切ったオチ。

こうして私の箱、10年以上収め続けた人生の全てはあっけなく消え去った。

はじめからどこにも無かったみたいに。



それからは本当に酷いものだった。

過去を全て失っても生活は続く。

飯を食べ、風呂に入って眠り、飯を食べ出勤し、食べ眠り、たまに掃除をし食べ眠る。

結局箱が消えても何も変わることなんてないと思う間もなく、今度は床が消えた。

正確には床がもので埋まった。


ひとまず用意した代理の新・段ボール箱はものの数日であふれかえり、行き場を失った新たな思い出達、あるいは生活の残骸は瞬く間に部屋中へ氾濫していった。

分からない。

箱に思い出を収める、関わった全てを箱へと垂れ流すのがずっと当たり前だったのだから、今更必要とそうでないものを整理整頓することなんで出来るはずもなかった。


空き箱、紙袋、レシート、何かのラベル、そういったもの達を踏みしめ、埋もれるように眠り、毎朝を迎える。

何が必要で何がゴミかも分からないもの達に沈むような暮らし。

それでもただ変わらず繰り返される毎日の中で、垢のように自身から撒き散らされ積もる雑品たちだけが、この部屋で暮らす現在が日々過去を重ねていることを伝えてくれる。

まるで全身汚物まみれで壁に糞尿を塗りたくる老人の有様だったけれど、過去の堆積物に包まれるのは、自分に抱きしめられているような不思議な安心感があった。


そうして日々を暮らし、積み重ね、日々を暮らし、積み重ね、積み重ね、積み重ねている中で、ふと違和感を覚えた。

増えていない。

到底整頓されているとは言えない部屋だけど、絶えず外部から床へと送られていく過去の量に対し、さほど床が盛り上がっていない。


釈然としないながらもいつも通り積み重ね、積み重ね、積み重ねているうちに、とうとうフローリングが姿を表し始めた。

明らかにものが減っている。

何が無くなったのか照らし合わせようにも、もう部屋に放り出したものなんてほとんど覚えられていなかったが、私の過去は確実に消し去られていた。


ああそれとも、とそこで思い至る。

全ての過去と共に無に消えたと思っていたあの箱は、まだこの部屋にあるのではないか。

どこまでも圧縮され体積を持たない存在となっても、その役割だけがこの部屋に残り続けている。

あるいはこの部屋こそが、どこまでも思い出を溜めこみ続ける箱なのか。

それならば私は、過去を箱へと押し付け私自身の代わりにさせていた空っぽな自己は、詰められた思い出達とまた一つになれているのだ。

これまでの思い出は決して無くなってなんかいない。

そこにどんな意味があるのかなんて、一度たりとも考えたことは無いけれど。



それからも同じように日々を暮らし、生活から湧き出るものを部屋に放り出し、ものが増え、減り、増え、減り、部屋は段々とシンプルにまとまっていった。


最近になって、気づいたことがある。

前に一度特大セールだった毛ガニと買い、いつか次に食べる時のためと仕舞っておいたカニスプーンが見当たらない。

どうせなら色々揃ってるに越したことないからと買った80種工具ツールセットは、よく使うのでリビングの棚に数本差したドライバーだけ残し行方不明になっていた。


今は特に使わなくても、いつか必要になるかも知れない未来。

それはもう収めてしまって良いものだと、きっと箱は考えている。


特に理由もなく日ごろ使わない分まで揃え、うっすら埃を被っていた食器やコップが消えた。

大安売りで大量に買い収納を圧迫していたティッシュ箱のストックがごっそり減った。

なんとなくデザインが気に入ったものの、普段遣いしにくく買って1年袖を通さなかった古着が消えた。

買って数日以降は、不意に危機感を覚えたほんの一瞬しか使っていなかった腹筋ローラーやマットも消え失せた。

そして部屋から何が失われても、それで不便を感じることは一つとしてなかった。


部屋の表層には今日必要なものだけがあれば良い。

ものを通じて過去を想うことも未来を願うことも、箱の底に仕舞われたままで果たされる必要だ。


部屋にはスマホにPC、エアコンや冷蔵庫や電子レンジや洗濯機や掃除機、シャンプーや洗剤やトイレットペーパー、スーツに一週間は着回せる私服、そういった日常だけが残されている。

今を生きるための必要だけは、いつまでも仕舞うことができない。


でもPCは無くたってスマホがあればなんとかなるだろう。

ボディソープや洗顔料やシャンプーやリンスやハンドソープ達だって、石鹸一つでも慣れれば案外気にならないかもしれない。

食事だっていつも同じ完全食を摂ればキッチンの一切を減らせる。


これまで箱に沈めたありとあらゆるもののように、ほとんどはあってもなくても実際さほど変わらない。

起きて、食事を摂り、出勤し、帰り、食事を摂り、眠る。

それ以外は箱にあるものたちと同じだ。

数十秒ごとにスクロールされるショート動画のように、右から左へと現在を流すための物品。


だから全てが箱の中で構わなくて。

いつかそのうち、洗濯機や石鹸、スマホに食料も箱の底へと沈むのかもしれない。

何一つない部屋にじっと横たわり、ただ時間が流れていくのに任せる。

別に「食べる」も「出勤する」も、「生活する」もあってもなくても気づかないじゃないかと気付いた時に、箱は私自身を呑み込んで、過去も未来も現在も一つに混ざり合う。

あの人いつの間にかいなくなったねなんて薄っすらと振り返られ、それもすぐ日々の記憶の底に埋もれ、もう思い出されることもない。


夜ごとベッドで目を瞑り、自身の集積そのもの達に抱かれるのを感じる。

自分自身と溶け合う中で、再び目を開ける明日が「必要」でなくなる時を妄想する。

そんな風に私の全てが片付けられていくならば、きっと幸せなことだろう。

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