ワンオペ子

オメガカイザー

第1話

まるで悪夢のような心地だった。生活に必要なもの以外は殆ど置いていない殺風景な部屋の壁に背中を向けてうなだれるようにして男がぐったりしている。

男はほとんど疲れて眠っているように見えた。だぶだぶの黄ばんだ白Tシャツ、160センチ大の小柄な体格に似合わない大きな頭部…腹の出たビワみたいな体系にしまむらの特売コーナーでワンコインで買ったような短パンに腰には雑巾の様な安っぽいタオルを巻きつけている。

ただ――――頭部に目を向けると白髪の混じった短髪に加え運動不足なのか肥えて顎のラインが埋まった肉に白いものが混じった無精髭、明らかに不摂生な中年男のそれだが頭部があらぬ方向を向いており、その右2メートルほどに男が付けていたであろう眼鏡がフレームが曲がった状態で放置されていた。

状況だけ見れば『異常な力』で殴打され首の骨が折れたのが死因というべきだろう。


それを眺めている自分――――この異様な光景がまるで他人事のように感じられる。

まるで幽体離脱した自分が部屋の天井から俯瞰してみているかのような錯覚を覚える。

中年男が死んでいるのは明らかだった。何故ならこの状況を招いたのは彼女だったのだ。しかし部屋には男の命を奪った凶器が無かったがそんなものを使う必要が彼女にはなかった。


「思い出した…私…」


女――――は先程の茫然とした面持ちからスゥーッと目を細め、薄紅色の唇を歪めた。





――――――時間は二週間ほど遡る。


『佐藤ひまり』はコンビニでバイトしていた。所詮接客業であるわけだがその業務は苛烈を極めていた。

それに加えて都心近くの店舗ならばほぼ休む暇がない。特に朝の通勤ラッシュ、昼のランチタイム、そして退勤時の17~18時の混雑時は熾烈を極める。

食料品を買う客ならレジに向かって対応すればいいだけだが、コンビニの業務はそこらの単純肉体労働とは比べ物にならないほど苛烈さを極め、業務内容も多岐にわたり複雑化している。

このAI全盛期の時代には中国、アメリカなどの欧米先進国の都市部のコンビニはほぼ自動化され客がレジに入り品物を取れば店中の防犯カメラが対応したQRコードを読み取り、店を出る際にはゲート通過時には自動的にネットワーク決済が行われほぼセルフサービス式である。とはいえ地方では整備やネットワーク網の未発達ゆえか人を雇うところもそれなりには存在していた。

日本が何故か頑なにそこを自動化しない企業が比較的存在するのも、やれ人の温かみが大事だの、汗水垂らして行う労働の価値だのそういった目に見えない付加価値的な物を妄信している時代錯誤な経営者の方針の年代にもよるのだろう。

人類の文明というものはそれが維持、発展していく限り合理的かつ省力的なプロセスを踏まえアップデートされていくものだがそれにしてもこの国はそういう価値観を忌み嫌う風潮が払拭できていないのは確かだ。

これはこの国が抱える病理的な物かもしれない。レトロ的な価値観は人類の数千年にもおける歴史的な観念から時には振り返る事も必要だろうがこの国のそれはやや度が過ぎていた。

それが悪いとは言わない。だが、2600年もの連続した歴史を持つ国家が持つゆえの積み重ねていた固定観念が、そこに住む人々の根底に想像以上に根付いているのかもしれないのである。


そんな事など露程も考えず佐藤ひまりはせっせと働いていた。コンビニの業務は先程も記載したが苛烈を極める。安い賃金に比較して求められる能力も高く、最近は帰宅してからすぐに爆睡している始末だ。

しかし、彼女が履歴書に記載した年齢は26。いくら晩婚化が進んでいる現代社会においてもそろそろ相手を探さないといけない年だろう。


「お~、バイト君。今日もセクセク働いているねッ!」


小太り気味の店長がそう言って彼女の尻に軽く触る。思わず小さな悲鳴を上げそうになった。この人はいつもそうだ。

繫盛期にも自分は奥のスタッフルームに閉じこもってスマホでソーシャルゲームばかりしているのを知っている。店長とは言うものの業務内容はほぼバイトに押し付け気味で彼女以外は、何人も短期間でやめている上に若い女性が多かった。


「君はよく頑張ってくれているねぇ~今後も頼むよッ」


早口気味で話しかけてくるのが鬱陶しい。今は忙しいのだ、手伝えとは言わないが気が散るので話しかけてほしくなかった。

店長はしばらく脂ぎった顔にニヤニヤ笑うを張り付けて忙しく動き回る彼女の様子を眺めていた。一人でうんうんと頷きながら満足そうだ。

正直、気持ち悪いと思う。こんな職場は辞めてしまいたいのだが、どういう訳かその決断をいつも先延ばしにしていた。その理由がよくわからない、結論をよく先延ばしにするのは自分の悪い癖だと思う。

体を触ってくるのは立派なセクハラであり、犯罪である。証拠さえ押さえれば簡単に警察に相談できる内容だったが何故かそうする気が起きなかった。


(どうしたんだろ…わたし…)


ひまりは自分の優柔不断さに苛立ちを感じ始めていた。しかし、内面のコンディションは最悪そのものだったが彼女はそれを感じさせないほど完璧に業務をこなし、釣銭を渡すときはハキハキと通る声で客に微笑み、レジを素早く正確に叩き、商品の在庫を正確に把握し客足が減った隙を見計らって補充を行い、肉まんやおでんの仕込みも最適なタイミングで行うなどほぼ完璧と言ってもいい仕事ぶりだった。

容姿も彼女は本当に魅力的だった。駅前を歩けば何人もの人間が振り返り見とれる程だった。チャラチャラしたナンパ男が何人も声をかけてきたこともある。

その魅力がひまりをこのコンビニの看板娘的なポジションに押し上げていた。大多数の人間が彼女に好意を寄せる…そんな素質を不自然なほどに備えていたのだ。

そうして彼女は過酷なバイトをこなしてようやく自分のマンションに帰ることが出来たのだった。


マンションに戻りドアを開ける。殺風景で生活に最低限必要な物しか置かれていない部屋だ。

年頃の女性の部屋にしてはあまりにも飾りっ気がない。あまり無駄な物を置きたくない性分だった。ほっと溜息を吐いてソファに座るとクッションがズシリと深く沈み込んで体を包み込んでくれる気がした。

テレビでも見ようかと思い、パチンと指を鳴らすとプロジェクターが壁に映像を投影する。立体的なリアルな質感がアナウンサーの姿を描き出していた。

まるで女優のように美しいアナウンサーがAIによって描かれた3Dモデルであった。声も生身の人間ではない聞き取りやすい発音ですらすらと原稿を読まずに読み上げている。

そうしてニュース番組をボーッと見ていた時だった。あの薄気味悪い声が聞こえてきたのは。


「やぁ、ひまりくん。くつろいでいるようだね?」


「て、店長!なんでこの部屋に来たんですか?」


「なんでって…いつもこうしてるじゃないか」


店長は眼鏡の奥の細い目を歪めてニヤニヤ笑いで返す。その瞳の奥には紛れもない欲望が渦巻いていた。


「まぁいいか。毎回同じ筋書きは面白くないし、こういうシチュエーションも興奮すするからねぇ…始める前に教えてあげようか。君はねぇ…アンドロイドなんだよ!」


「えっ…」


ひまりは絶句した。自分がアンドロイドなんて目の前の男は気が狂ってしまったんじゃないかと思ったほどだ。


「普通に考えるとさぁ、ありえないでしょ?こんな時勢にさぁ…綺麗な女の子がね、鍵を付けずにさぁ…自分の部屋に入るなんて…なんでだと思う?」


「え…えっ…そんな…」


「そうだよっ!ぼくがねッ、毎日こうしている時の記憶をリセットする…そんなふうにプログラムしたんだよっ‼」


言うが早いか店長はひまりを押し倒してきた。臭い舌が頬をナメクジのように這いまわりながら、乳房を脂ぎった手でがっしりと掴まれているおぞましい感覚を感じる。

それなのになぜか大声を出したり振り払ったりできないのがこの汚らわしい男の言葉を証明しているような気がした。


「僕はねぇ…とある企業から『新商品』のモニターとして選ばれたんだ!

詳しくは知らないけど前に『AI新法』ってのが成立してそれ関係じゃないかなぁ?

確かにこの国じゃ年々汚いジジイや役に立たないババアばかり増えて疲れない、文句を言わない働き手が必要になるのは分かるけどね」


「や…やめて…」


「やっぱり飽きないよねぇ!この瞬間はさぁ!」


店長が涎を垂らしながら醜悪な欲望に歪んだ顔を見た時、彼女の頭脳ユニットの奥で封印されたなにかが弾けた。


「い、いやあああああああッ!」


ひまりは勢いよく腕を振り払った。手の甲に粘性のあるねっとりとした生暖かい汗が振れる感触と共に何かが砕けるような感触がした。








―――――――――そして話は冒頭に巻き戻る。


ひまり…試験運用機0913は虚ろな笑みを浮かべながら死体を見下ろしている映像がとあるビルのコンピュータのモニタに映し出された。

店長も知らないことだったが0913のカメラは絶えずこちらの監視センタービルに送信されていた。

それだけじゃない。他のモニターに配られた試験運用型のアンドロイドの周囲にも同様の処置が取られそこでも監視が行われていたのだ。


「このケースで三件目か、アンドロイドがモニターを殺害したケースは」


「しかし配布された1000体のうち殆どのアンドロイドとモニターの関係は良好ですよ。それに今回はあの下葦という男があんな想定外の扱い方をしたから…」


下葦というのはひまりに殺されたコンビニ店長の名字であった。

本名は下葦好一(もとあしこういち)。年齢は42。独身で家族からも見捨てられ、マイナンバーと紐づけされたクレジットカードの履歴からは多数の違法ポルノコンテンツやラブドールの購入履歴からそういう性癖を持っていることは分かっていた。

このプロジェクトは政府からモニターのプライバシーをデータに加える権限を密かに承認されている。法律的にはプライバシーの観点から人権侵害に当たるのだが『AI新法』の一部にそれを了承する条文が法律可決前に密かに加えられていた。

彼がモニターに選ばれたのは様々なデータを取りたかったからで、ある程度の変態的行為は予測していたが、まさかあそこまでするとは想像の範疇外を超えていた。


「三か月程度の運用試験中に何が分かるというのだ?もっと時間を…最低でも数年単位でかけなければ詳細なデータというのは得られん」


「しかし例の新法の目玉としての政策…生涯のパートナーを推進する試みはなるべく早く進めろとの政府からのお達しが…」


「安全性はともかく人型アンドロイドの需要はどの国でも高まっており、時代の主要産業になるべき柱だ。我が国は人材と技術力はとうの昔に中国に抜かれ、米国からは言いなり…頼みの自動車産業も環境保護という名目でがんじらめにされる始末で関連企業も次々と外資に買収されている。

インドですら2030年代後期以降は少子高齢化の波が押し寄せてきている。だが、上手く行けば先進国ほぼすべての国が巨大な市場になり得る。

この国が再び経済大国として立ち上がるにはいち早くAI産業で大きなシェアを占めるべきなのだ。時間をかけていたらいくら政府の検閲があるとはいえマンパワーで圧倒的な差がある中国や米国に抜かれてしまう」


「確かにな、この国の産業スパイの浸透率を知っているか?時間をかければかけるだけ技術が流出する可能性が高くなる。何故か政府は頑なにスパイ防止法を制定しようとはしないのが不思議だな」


「外遊の際に接待か女か…そちら方面からパー券の購入なり選挙資金でも貰ってるんでしょう?」


「国が進めている政策の障害になりそうな事を国がやっているとは愚かな」


「内部での足の引っ張り合いなんて、大戦の頃からそうではないですか」


「まぁいい。他の997件のデータは良好だ、我が国の政府は早い成果をお望みなのだ

大丈夫さ、これを含めた3件の不幸な事故は警察を使えば揉み消せる。なにせこの計画は国がバックについているのだからな」


「0913は待機していた処理部隊が確保。機能停止させたとの事です」


「回収後に廃棄処分するしかないな。モニターが幾度となく記憶消去を行ったメモリーは興味深いのでデータは欲しいものだがな」


データの収まったタブレットで名簿を見るといくつもの名前がリストアップされているで金井順子、甲田結衣、武内路瓶…そのリストのファイル項目は『要注意モニター』であった。このリストの中に入っていた今回の被害者・下葦好一は除外されることになるだろう。彼は死亡という形でテストから外されたのだから…無論このデータが一般に公開されることはない。

どの国でも多少なりとも隠蔽や捏造を行うのは国の運営を円滑にこなすため仕方のない部分もあった。

国というシステムを持続させるには不要な情報は可能な限り排除するのが好ましい。

独裁国家でもない限り不都合な情報は多少なりとも洩れるわけだがそれはそれでやりようがある。

しかし何故ひまり…0913がプログラムに逆らって下葦を殺害したのかは分からない。プロテクトは社内でも天才として有名な女エンジニアである高神真樹娜が携わっていたはずだ。彼女はここ数年で頭角を現してプロジェクトの中核としてたびたび名前を見る機会が多い。

在宅勤務が多く現場に顔を見せることは滅多に無いが一度だけ顔を見たことがある。綺麗な女だが、どことなく無機質な感じがする不思議な人物であった。

天才と呼ばれる人間はエジソンやゴッホの様に奇人変人が多いからその類なのかもしれないが。


(人間に近付き過ぎたプログラム人格がなんらかの『バグ』を引き起こしているのか?)


彼は頭に浮かんだ推測を振り払った。自分はプログラムに関しては専門外だし、なにより今は結果が欲しかった。将来のキャリアにも関わってくる大事な時期なのだ。


「まぁいい。どのみち3件のモニターはいずれも社会的には不適合者…クズと言われる者共だ

奴等は家庭も持たず、親からも見捨てられ、友人もろくに居ない…そういった人社会のゴミ共が老いて将来は年金や生活保護で国が無駄な税金を浪費するより早めに消えてもらった方が誰も困らないし、この国の発展の礎になるのならば有意義な事だろう」


そう言ってプロジェクトの主任は満足そうな笑みを浮かべた。それは奇しくも『プログラム』内に隠されたもう一つの使命に目覚めたひまりと同じ表情をしていた。

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