三日月村の呪い

神崎 小太郎

全一話

 

(序幕) まず初めに――――


 この作品は、神崎小太郎が初めて描いた本格的なホラー小説です。舞台は、東北の奥地に潜む「三日月村」。一年を通じて満月を望むことができないこの村は、今では地図からも抹消された謎多き里です。


 語り部となる主人公の女性は、生と死の狭間をさまよう謎めいた存在。彼女の視点から紡がれる物語は、読者を恐怖の深淵へと誘い込みます。


 暑苦しい夜にピッタリなこの作品、『三日月村の呪い』。十分で最後までたどり着けますので、ぜひお手に取ってご覧ください。さあ、恐れを知らない読者の皆さん、身の毛もよだつ本編へと足を踏み入れましょう。


 *


 精霊舟の秘密――――


 この夏の夜話にお越しいただいた迷い人の読者さんは、お墓の中を覗いたことがあるだろうか。私はかつて祖母の四十九日の忌明けに行われた納骨式で、自分自身の体験として知り得たことがある。


 それは、黒アゲハが妖しく空を舞う暑苦しい日の出来事だった。こんな世迷い言の語り部となる私自身も、今ではこの世の人ではないかもしれない。


 人目を避けるため、私たちは朝靄に覆われる時を選んだ。祖母の旅立ちの時が来ると、遺骨を持った村人の長老の案内に従った。家を後にすると、故人の霊魂が二度と戻ることのないよう、全員で歩調を合わせて三度横に回った。


 母がむせび泣きながら位牌を胸に抱き、私はもの悲しい想いで遺影を任された。地域の人々が野辺送りの風薫るのぼり旗を掲げる葬列を作った。


 先頭の縁者が魔除けの鈴を打ち鳴らし、米穂に花が咲きつつある田んぼの畦道を通り、祖母の遺骨を村はずれにある墓地まで運んでいった。母は歩きながら、これは野辺送りと故郷に伝わるしきたりであり、土葬と同じようにひと昔前までの日本では当たり前だったと教えてくれた。


 お墓に遺骨を埋葬する儀式は、村の男衆たちが担ってくれた。彼らが石塔を動かすと、納骨スペースが顔を覗かせた。そこには静寂な神々しい雰囲気が漂っていた。


 野々村家代々の先住者と思われる骨壺は土に帰ってしまったのか、僅かな面影だけが感じられた。彼らは空いているスペースをかき分け、祖母が永遠の眠りにつく、舟を模した木製の骨壺を供えて、両手を合わせた。それは、母の故郷の村では、紫陽花の雫に濡れる精霊舟と呼ばれていた気がする。


 一年にわたって満月を見られない「三日月村」。


 今では、三日月村は地図からも抹消され、幻の聖地となっている。しかし、地元の人々に迷惑をかけるといけないので、その所在地は明かさないことにする。


 母親の古めかしい実家は東北の片田舎にあり、祖母が長らく住んでいた。幼い頃、彼女から不思議な話を聞いた記憶がある。


 人が亡くなると、寺の坊主が読経し、故人を極楽浄土に導く葬儀が行われる。続いて、焼き場で荼毘に付され、遺族と最後の別れを迎える。命日から七日目に六文銭を払って三途の川を渡り、四十九日までに天国か地獄かが決まる。お布施の金額によって戒名が変わり、救いの手が差し伸べられると寺の坊主は説明する。


 私はそれとなく思い当たる節があり、胸が締め付けられた。でも、ひとつ許せないことがあった。


 黄泉の国で眠る聖地を差別するように、戒名の値段を吊り上げ、お布施を求めることはもってのほかで、悪徳坊主の成れの果てだ。祖母も同じく「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と呆れていた。彼女の言う通り、神や仏の前では故人に関しては平等なはずである。


 万が一自分が亡くなった際の葬儀と墓は、祖母が私と母に面と向かって、細やかで構わないと遺言を残した。墓は先祖代々の聖地に合葬し、遺品の整理はすみやかに片付けることを厭わない。


 ただし、祖母がひとつだけ強く言い遺したことがあった。鈴の音がする桐で覆われた禁断の箱は、けっして開けたり中を覗いてはいけない。軽はずみに開けると、おぞましい災難を引き起こし、取り返しのつかないことになる。そして、野々村家の裏切り者として、先祖代々の墓から自分の魂が追放されてしまう。


 百歩譲っても、得体の知れないものを庭で荼毘に付すなどと考えてはならない。もし処分に困ったら、鎮守の森にひっそりとたたずむ神社の信頼できる神主に供養を頼んでほしいと告げていた。


 祖母の話では、亡くなった人は三十年から五十年の時をかけて、精霊舟と共に朽ちて土に帰るという。そして、亡骸が跡形もなくなると、三途の川を渡り終わり、黄泉の国にたどり着いたことになると話してくれた。私は幼心にもかかわらず、その話に胸が熱くなった覚えがある。


 けれど、皆さんにお伝えしたいのはこの切なくも美しい話ではない。それは、異世界ではなく現実の親元で起きた、実に不思議で身の毛もよだつ出来事である。


 *


 呪いのこけし――――

 

 時をさかのぼれば、梅雨の終わり頃に祖母の訃報を聞いた。葬儀から納骨式が慌ただしく通り過ぎ、一か月ほどして早咲きの彼岸花が怪しげに咲き誇り、ひぐらしの泣く初盆を迎えて、再び母と一緒に祖母の家を訪ねた。


 母が遺品整理を始め、古めかしい桐箱を見つけ、中を覗いた。途端に鈴の音が鳴り響いた。箱の奥の方から、和紙に包まれ、長い黒髪が描かれたこけしが現れた。母は祖母の遺言を忘れてしまったのか、それを庭で焼こうとしたが、私は彼女の遺言を思い出し、反対した。その瞬間、家の中が急に暗くなり、冷たい視線を感じ、こけしの目がぎょろっと動いたように見えた。


 その黄昏時、私は今日あったことが頭から離れなかった。突然、窓ガラスが震え始め、爪で引っ掻いたような、耳を塞ぎたくなる音が轟いた。居間の片隅に目を向けると、取り残されたこけしが、あたかも涙を浮かべているように思えた。


 恐怖は収まることを知らずに、私を次から次へと襲ってきた。ガラスにひび割れが入りかけた瞬間、こけしの目がまた動き、冷たい眼差しが私の心を貫いた。


「お母さん、今の見た?」


 母は私のことを笑い飛ばそうとしたが、彼女の声には震えが混じっていた。



 夜の帳が下りると、母は早々と寝室に引きこもり、眠ってしまった。私は居間にひとり残され、こけしのことが頭から離れず、眠る気にもならなかった。


「何かいる……?」


 私は自分の傍らに得体の知れない気配を感じた。枕元から恐る恐る立ち上がり、音のする方に足を運んだ。その瞬間、こけしの口がおもむろに開き「そこのあなた、おいでおいで、怖がらずに……」と低く不気味な声が響いた。やはり、こけしはただの人形ではなく命を宿していたのだ。


「ぎゃあ、助けて……」


 思わず恐怖で凍りつき、そう叫ぶのが精いっぱいだった。こけしの顔が刻々と変わり、まるで生きているかのように表情が歪んでいく。黒髪がゆっくりと伸び始め、生き物のように動き出した。そして、私に向かって一歩ずつ近づいてきたのだ。


「お母さん! お母さん!」


 私は叫びながら母の寝室へと駆け込んだ。しかし、彼女は布団の上で動かず、まるで何かに取り憑かれたかのように目を見開いていた。窓が閉まっているのに、部屋の中には冷たい風が吹き込み、壁にかけられた祖母の遺影が揺れていた。


「私がいけなかったの。美咲、ここから、早く逃げて!」


 母の声は儚くかき消され、遠くから聞こえてきた。私は恐怖で打ち震えながらも、母を助けようと手を伸ばした。だが、その瞬間、こけしの黒髪が追いかけてきた。大蛇のように、ぬめぬめと四方八方から伸びてきて、私の手首を絡め取った。


「助けて……誰か……」


 私は必死にもがいたが、そこには助けてくれる存在など誰もいなかった。黒髪の力は強く、逃れることができなかった。こけしの顔がますます恐ろしい形相に変わり、その口からはおどろおどろしくあざ笑う声が響いた。


「ぎゃっはっはっは……怖いだろう。苦しいけど天罰だ。なぜ、おまえたちはわたしを捨てようとした。荼毘に付そうとした母親は草葉の陰で首吊りの刑だ。おまえも逃れられない同罪だ。皆殺しにしてやる。こちら側に来い!」


 こけしは野々村家に代々引き継がれた、禁断の呪い人形だと名乗った。祖母はその魔力を封じるために鈴の付いた箱に入れて封印していたらしい。こけしの忌まわしい声とともに、私は暗闇の中へと引きずり込まれた。永遠に続く恐怖の中で、私はこけしの呪いから逃れることができなかった。


 *


 異界への誘い――――


 目を覚ますと、なぜか私は見知らぬ場所にいた。薄暗くどんよりとした空気がこもる部屋の中、壁には赤トンボが飛び交う古びた掛け軸がかかり、床には埃が積もっていた。どこかで聞いたことのある声が響いていた。


「美咲ちゃん……」


 振り返ると、そこには眉間に皺を寄せる祖母の姿があった。しかし、その顔は生前の優しい表情とは異なり、どこか冷たく、無表情だった。


「おばあさん……?」


 祖母は私の言葉など気にせず、影や足跡を残さず、ぬうっと近づいてきた。彼女の手には、あのこけしが握られていた。こけしの目はぎょろりと動き、私を見つめていた。恐怖に駆られてじっとしていられなくなり、庭に逃げ出てみると見たこともない川が流れており、彼女が後を追ってきた。


「美咲、ここは三途の川の畔。あなたも向こう側に渡るのよ」


 私は思わず恐怖で後ずさりしたが、足が動かない。まるで何かに縛られているかのようだった。祖母の手が瞬時に伸び、こけしを私の手に押し付けた。


「これを持っていなさい。渡らなければ、あなたも永遠にここにいるのよ。永久に小石を積み重ねながら」


 その瞬間、こけしの目が赤く光り、川の水音がざわめき、地面が揺れ始めた。このままでは、私が川の向こうに引っ張り込まれてしまう。こけしの手が伸び、私をしっかりと掴み、もう逃げられない。


「いやあ、助けて。誰か……」


 叫び声はむなしく響き、無限の闇の中へと吸い込まれていった。目を開けると、再び祖母の家の居間に戻っていた。しかし、前とは何かが違っていた。薄汚れた壁には見知らぬ顔の遺影が並び、部屋全体が現実の世とは思えないほど、冷たい雰囲気に包まれていた。


「ここはどこなの?」


 私は立ち上がり、部屋の中を見渡した。そこには、あの不気味なこけしが再び置かれていた。こけしは幼い少女に成り代わり、その身体は頭とかけ離れて、血を流していた。頭だけがコロンと転がり、射るような目が再びぎょろりと動き、私の方を見つめて、口を開いた。


「お前もこちら側の存在になったのさ。これから、葬列が始まるのだ」


「葬列ってなに……?」


 私の言葉が終わると同時に、凍るような風が部屋を吹き抜け、壁にかけられた遺影がガタガタと揺れ、まるで生きているかのように私を見つめていた。足元からは不気味な霧が立ち込め、部屋全体が異様な雰囲気に包まれていった。


 私はやおらに立ち上がり、部屋の外へと足を運んだ。薄暗い裏庭には、黒い衣装をまとった人々が首をうなだれて並んでいた。彼らの顔はいずれもベールで覆われて見えず、ただ無言で足下を見つめていた。その手には、古びた提灯が握られており、ぼんやりとした蝋燭の光が揺れていた。


「これは……何?」


 私は震える声で呟いたが、誰も答えてくれなかった。自分の意志にかかわらず葬列に駆り出されて前へと歩くしかなかった。寺の境内を抜けると、先にはどこまでも続く墓地が広がっていた。そこには、三日月の明かりが薄く照らす中、無数の墓石が並んでいた。


「ここは……どこなの?」


 私は再び尋ねたが、やはり誰も答えなかった。野辺送りの葬列は粛々と進み、私の足元には冷たい霧が絡みついていた。前方には、大きな墓石が見えてきた。そこには「美咲之墓」と私の名前が刻まれていた。


 それを見て、驚きと恐怖で立ち尽くした。心臓が激しく鼓動し、冷たい汗が背中を伝った。葬列の先頭に立つ人物がゆっくりと振り返った。その顔は、祖母のものだった。祖母の目は虚ろで、口元にはこの世のものとは思えない笑みが浮かんでいた。

 そして、こけしの少女はのぼり旗を高く掲げて、皆を誘導していた。その目はいずれも虚ろで、口元が裂けていた。


「美咲、こちらへ来なさい」


 祖母の声は冷たく響き、私は恐怖で動けなかった。周囲の人々も無言で私を見つめていた。祖母は手を差し伸べ、私を引き寄せようとした。


「いや、行きたくない!」


 私は必死に抵抗したが、足元の霧が絡みつき、動けなくなってしまった。祖母の手が私の肩に触れた瞬間、冷たい感触が全身に広がり、意識が遠のいていった。



 目を覚ますと、私は自分の部屋のベッドの上にいた。窓から差し込む朝の光が、まるで悪夢から解放されたかのように感じられた。全てが夢だったのかと安堵しながらも、心の奥底にはまだ恐怖が残っていた。


 ふと、部屋の隅に目をやると、あのこけしが静かに置かれていた。まるで何事もなかったかのように、無表情で私を見つめていた。私は震える手でこけしを手に取り、窓から外へと投げ捨てた。


「もう二度と戻ってこないで……」


 そう呟きながら、私はためらうことなく、深呼吸を繰り返して心を落ち着けた。こけしの呪いから解放されたのか、それともまだ続いているのかは分からない。だが、私は今回経験した未曾有の恐怖を乗り越え、新たな一日を迎える決意をした。



✽.。.:*・゚ ✽.・゚ (終幕)・゚ ✽.。.:*・゚ ✽

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