03:Stayin' Alive in the Void



 その、はず、だった、のに。

 タタラまで残り半インチというところで、俺の指は体ごと、背後へ強烈に引き戻された。

 臍帯アンビリカルケーブル。真っ白な樹脂素材の直線が、ピンと張り詰めて俺と播種船ソーアを結んでる。これは、俺の命をつなぐ綱。俺を牢へ縛る鎖。

 俺は――

『本当に、君ってやつは』

 為すすべもなく播種船ソーアへ漂い流れていく俺に、タタラは愛らしく笑ってた。

『そういうとこだぞ。お気に入りマイ・フェイバリット

 俺の眼球の分解能限界を超えるまで、ずっとずっと――笑っていた。



   *



 結局、俺にお咎めはなかった。

 聞くところによれば、タタラはもう何年も前からあの反乱を計画してて、俺以外の創作仲間を何百人も引き込んでいたらしい。そんな仲間がいたなんて一度も聞いたことがない。俺以外の書いた作品も読んでたなんて、なおさら初耳だ。だがそいつらがどんな人間でどんな作品を創ってたのか、俺はついに知ることがなかった。反乱組織の構成員は片っ端から正義会に検挙され、作品の没収・焼却と懲役数年の罰を受けたからだ。

 不思議と捜査の手は俺の所へは伸びてこなかった。正義会の捜査員がヘボだったのか。いや、そうじゃあるまい。タタラが俺を巻き込むまいとしてひた隠しに隠してくれてたおかげ。

 あるいは、そこまで手を広げるつもりが正義会にすらないのか、だ。

 ちょっと考えれば誰でも分かる。1億3千万の人間全てに創作活動禁止を徹底するなど、とてもじゃないが不可能だ。データがダメなら紙に書く。紙がダメなら布に書く。それさえダメになったって、混凝土コンクリートの床に涙を塗りたくって絵を描き始めるのが創作者って生き物だ。息の根を止めなきゃ止まらない。それを百も承知だから、正義会も完璧な規制をする気がない。一罰百戒。船員たちがこの事件の顛末てんまつを見て、「おおっぴらにはやれない」「反乱なんかできない」と震え上がってくれればそれでいい。

 要するに、タタラは見せしめにされただけってことだ。

 冗談じゃねえ。

 冗談じゃねえよ。

 それから丸3年、俺は人生という海で漂流した。

 仕事をし、ハチノスに帰り、《スープ》をすすり、ベッドに独りで丸くなる。涙は不思議と出なかった。正義会への恨みも憎悪もびっくりするくらい湧かなかった。何もかもがどうでもよかった。別に生きたいという気はしない。でも死ぬ動機も特にない。時間だけが規則正しく流れ続ける何の価値もないこの世の中で、それ以上に無価値な肉の塊がただ毎日ウンコを作り続けていただけだ。いつしか俺は、タタラのことも思い出さなくなっていた。スケッチブックは新調した。それまで使ってた青い表紙の紙束は、山ほどある書きかけの作品もろとも、いつのまにかどこかへ失くしてしまった。

 ヒトよ、創るべからず。

 新奇性は人道の罪。

 言われるまでもないことさ。ハッキリ言うぞ。俺たちのうちの何人が、本当に新しいものを創れるっていうんだ……。俺らはどうしようもなく囚われている。幼い頃の思い出にか、鼻先にぶら下げられた快楽にか、あるいは居心地のよい教条にか。囚われ、言葉の牢獄から一歩も踏み出せず、同じものばかりを繰り返し繰り返し作っている。とっくに金の涸れた鉱脈をいつまでもいつまでも深堀りし続ける馬鹿な鉱夫みたいなもんだ。

 俺らの苦悩と言葉はぜんぜんオリジナルなんかじゃない。

 俺には――いや。

 俺の創るものには、これっぽっちも価値がない。

 それでも――いや。

 だったら――いや。

 だから。

 そう。であればこそ。

 今。

 ここで。


 俺が書くしかねェんだろうが!!


 新しいスケッチブックの他愛もない仕事のメモと記録とを破って棄てて紙を広げた俺はペンを引っ掴み書いた書いたッ絶え間なく書いた船の外でも気閘エアロックでもハチノスのベッドの中でもだもう体裁なんかどうでもいい知られてもいい咎められてもいい生きようが死のうが知ったことか単に俺は書きたいんだ言葉が溢れて止まらないんだもう俺の作品を読む人はいない読んでほしい人は超空洞ヴォイドの奥へ消えてしまったそれでも俺はここに生きててたった独りでこれを書いてる誰も読まない物語を精魂込めて心血注いでそれが無駄だと笑うやつは価値観が合わないから知ったこっちゃないそれを賞賛するやつも俺とは関係ない好きにしてくれさあできた、新作だ。互いの距離を測りそこねた二人の女の恋の顛末てんまつ https://kakuyomu.jp/works/16817330652489529183 ほらまたできた家族という社会の中で大人になれず藻掻く少女の鬱憤と爆発 https://kakuyomu.jp/works/16817330647616391196 お次は自分より優れた弟子を育てるために真摯に働き続ける立派な大人の成長譚 https://kakuyomu.jp/works/16817330647877161380 まだまだあるぞいくらでも書ける無茶苦茶してやるッ読めるもんなら読んでみろ怒涛のSF https://kakuyomu.jp/works/16817330654044162204 そしてこれが愛の物語、俺が書きたい本当の愛、生きることは死ぬことは永遠不変に人生という時の中に横たわっているんだろッ https://kakuyomu.jp/works/16818093078728669544 全部俺のだ俺だけのものだこれは誰にも渡さない。誰も読めなくていい。そんなことは問題じゃない。創るってことは、本当の価値は、決してそんなものじゃない!

 時が過ぎた。

 10年。

 20年。

 そろそろ体にもガタが来始めた頃、俺はハチノスの片付けを始めた。俺ンはもう、書きためた作品のスケッチブックが山積みで、足の踏み場もないほどになっている。正義会から咎められたことは一度もない。ハ! いいかげんな仕事。俺は鼻で笑いながらスケッチブックの山をあっちへ除け、こっちへ除け、中身をパラパラ流し見て、「これは」という作品だけを破り取って集めていった。なにしろ体積の制限が厳しいからな。よっぽど厳選しなきゃいけない。

 片付けの途中、もう何十年も動かしてなかったスティール・ラックをどかすと、その下から、恐ろしい量の埃とともに、《生命のスープ》の空き瓶と青い表紙のスケッチブックが現れた。

 拾い上げ、埃を吹き飛ばす。やるんじゃなかった。もうもうと舞い上がる綿埃の中で後悔しながら、しかしちゃんと綺麗になったスケッチブックをそっと開く。

 ああ。あるある。

 遥か昔に書いたつたない作品。文章も下手だし。語彙力もないし。リズムの取り方だってイマイチだ。

 でも――面白い。

 なかなかやるじゃないか、20年前の俺。

 やっと分かったよ、タタラ。お前は本気で、俺の作品を好きだと言ってくれてたんだな。

 そこから何作か破り取り、自薦傑作選の中に加えた。

 ポリマー製の袋で厳重に包んで、準備は完了。さあ、行こう。



   *



 文化播種船カルチュラル・ソーアハイポ擺線・サイクロイド型が、文化アーカイヴ・ユニットという芯とのモーメントつりあいを取るためってのは常識だ。物理学的理論は分らないが、アーカイヴに行く方法なら知っている。船外活動EVA臍帯アンビリカルケーブルはもう邪魔だ。たったひとつの命綱を放り捨て、俺は外側気密扉ハッチから超空洞ヴォイドへ滑り出る。船の外壁を蹴れば俺は鮮やかに曲線を描いて飛んでいく。慣れたもんさ。こちとらプロだぜ。

 円筒型のアーカイヴ・ユニットは、播種船ソーアの中心部に船体と切り離されて配置され、ゆるやかに逆回転を続けていた。1辺7mもある長方形記憶素子と演算素子が、息を飲むほどの精密さで放射状配置された情報の系。俺は狭い隙間に身体をねじ込み、アーカイブコアへと潜り込む。

 なんのために? 決まってる。俺の作品を、アーカイヴに加えるためだ。

 そのために厳選した作品群。そのために密閉した手書きの原稿。俺の人生そのものが、真空中を泳ぐ俺の腰にぶら下がっている。タタラが死んだあの日、俺は覚悟を決めた。もう誰も読まなくていい。評価も繋がりも必要ない。俺の書いたものは、何ひとつ存在しない虚空ヴォイドを超えて宇宙の果てまで生きて流れる。

 地球からここまで来た、全てのアーカイヴがそうであるようにだ。

 だが俺は、笑っちまった。コアに入ってそこの光景を見た瞬間、腹をよじってゲラゲラと。俺が何を見たと思う? ハ! 人間ってやつは。どいつもこいつもイカレてやがる。そこには既にあったんだ。ポリマーで包まれた手書き原稿。百も、二百も。万も、億も。数え切れないほどの馬鹿どもが書き残した有象無象の作品群が、広大なコアを隙間もないほどに埋め尽くしていたんだ。

「嬉しいね。俺とおんなじような馬鹿が、掃いて棄てるほどいるなんてさ」

 俺は独りで皮肉を言い、整然と並んだ手書き原稿どもを掻き分けた。こいつら、記憶素子が長方形なのをいいことに、その隙間を本棚みたいに使ってやがる。どこもかしこも先人どもの作品で一杯で、俺のを差し込む余地が見つからない。小一時間ばかりあちこち探り歩き、ようやく狭い置き場ニッチェを見出した俺は、持参した原稿をそこへ納めた。

 3束のうち2束までを。残り一つは――だめだ、どう頑張っても入りゃしねえ。

 まあいい。どうしても残したい作品は納めた。残る一つは、俺自身のちんけな肉体と心中させるのもいいだろう。

 俺はアーカイヴを去った。

 「ウィキャントラッ。ワンダスタッ。ニュヨッタィッゾー・フェイッ・トーッ・メッ」もう俺の歌はやけくそでもなけりゃ逃避でもない。俺は俺の人生をやりとげた。そんな実感が胸から湧いてきて、歌になって溢れ出すんだ。俺はゆっくりと回転しながら播種船ソーアの黄と超空洞ヴォイドの黒の境界線を流れて行った。進んでいけ。進んでいけ。俺の撒いた小さな種よ。「アッ・ハッ・ハッ・ハッ・ステイナラッ・ステイナラッ」どこまでも。どこまでも。時が果て、宇宙が終わる、そのときまで。「アッ・ハッ・ハッ・ハッ・ステイナラァーアーァァアァーアー。オーウェニウォオ」

 と。

 気閘エアロックに戻る道の途中で、俺は独りの塗装工を見つけた。

 そこらに工具を固定して。外殻の上にあぐらを掻いて。ヴォイドを見あげてひたすらペンを走らせている。俺は彼の後ろに降りた。彼は俺に気付かない。ああ。なんてこった。青い表紙のスケッチブック。もう泣かないと決めたんでなけりゃ、今ごろたぶんボロ泣きだった。凄い。凄いぞこいつは。文章が上手い。読者を引き込む力がある。こいつはきっとモノになる。彼は

 俺は手を伸ばした。彼の肩を軽く叩いた。

「わっ」

 彼が驚き、宙へ舞い上がる。その臍帯アンビリカルケーブルを引き戻してやりながら、俺は彼に笑顔を向けた。

「面白そうな小説じゃないか。俺にも読ませてくれよ」

「誰?」

「フォージ。君は」

「――テツ」

「交換だ。俺のも読むかい」

「どんな話……」

 アーカイヴに納め損ねた三つ目の作品を彼の胸に押し付けて、

「一歩も進まず巡り続ける。

 だから無限に遠くへ行ける。

 これはそういう物語さ」

https://kakuyomu.jp/works/16818093081788783457



THE END.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Stayin' Alive in the Void 外清内ダク @darkcrowshin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ