02:Instant Karma's gonna get me



 畜生。畜生。ふざけろ。畜生ッ。ナメんじゃねえよ。俺はやるぞ。タタラ。てめえを必ず俺の文章で唸らせてやる。ぐうの音も出ないほどに叩きのめしてやる。俺は書いた。書いた。書いた。書いた。狂ったように書きまくった。山ほどの駄作を。どうしようもない凡作を。その全てをあいつは読んだ。ニコニコ笑って、さも楽しげに。畜生。畜生ッ。笑うな。分かってんだよ。お前の美文に到底及んでないことは。この気持ちが分かるか……。ちょっとでも共感してくれるかよ……。自分が人生で最も大事に思ってた道で、自分の完全上位互換みたいな怪物が唐突に現れ、立ち塞がる。それを乗り越えなけりゃ一歩も前に進めないのに、そいつは優越感をおくびにも出さず、そのくせ俺にまとわりついて離れないんだ。この悔しさと胃が煮えくり返るような自己否定を、誰が分かってくれるってんだ。

 皮肉を利かせたコメディ。(https://kakuyomu.jp/works/16817330651187830319

 青春の輝きを描こうとしたファンタジー。(https://kakuyomu.jp/works/16817330652232357065

 悲劇。恐るべき悲劇と女の慟哭。(https://kakuyomu.jp/works/16817330652332570854

 ダメだ。ダメだ。何書いても上手くいかない。こんなんじゃダメだ。この程度の出来じゃあとてもタタラに勝てやしない。

「僕の話を聞いてくれよ」

 タタラはある日、いつもの船外活動EVA中にそうこぼした。俺は播種船ソーア外装の表面処理を進めながら、不機嫌に鼻を鳴らした。

「聞いてるよ」

「僕は面白いと思うな。特に『毒喰らい』は最高だ」

「仕事手伝えよな。あと45分で仕上げるんだぞ」

「そんなこと誰が決めたんだい」

 知れたこと。社会だ。文化播種船カルチュラル・ソーアのシステムだ。中央正義会の教義と公正会議だ。結局全然手伝ってくれなかったタタラを無視して、俺は一人で仕事をやっつけて、船の中へ逃げ戻った。気閘エアロックが増圧手順を踏む間、俺はタタラと一言も口を利かなかった。【窒素充填開始】【第一次プレブリース】【増圧処理進行中。残り30分】「君は」システム音声にタタラが声を紛れ込ませた。「もっと大勢に読まれるべきだと思うな」

 俺はつい舌打ちなんかしてしまった。

「お前こそだろ」

「それもある」

「夢物語さ」

「『ヒトよ、創るなかれ』だ」

「めんどくせえなあ、集会」

 船内に戻るなり、俺たちは大ホールへ駆け足で向かわなければならなかった。遅刻寸前で飛び込んだ正義会の集会は、いつもどおり聴衆で一杯で、いつもどおり退屈の極みだった。中央正義会が政権を掌握して何十世代になるか知らない。かつては人々の胸を熱くさせる高尚な扇動だったろう正義官の演説も、今となっては帰属意識の確認作業でしかない。『維持せねばならぬものは純である』『改変は悪。修正は邪。新奇性は人道の罪』『我らは、もはや二度と取り返せぬ地球の文化を素のままありのままに宇宙の果てまで伝えねばならぬ』『ヒトよ、創るなかれ』『大いなる純粋を汚すなかれ』――

 文化播種船カルチュラル・ソーアに住む1億3千万人のうち、果たして何人が正義会の教えを信じてるんだろう。いや、信じるとか信じないとか、そういうレベルじゃないんだろうな。この教義は俺たちの意識と無意識の根っこに引き剥がしがたく癒着して、言動をおそろしく強固に縛ってる。だからこそ俺はタタラの目が怖い。俺の隣にいる彼が人殺しの目をして壇上の正義官を睨んでいることに、俺はちゃんと気づいていた。

「タタラ。普通になれよ」

 集会からの帰り道、人気のない小道にさしかかったあたりで俺はタタラの肩を抱き寄せた。耳元に唇を寄せて囁いてれば、もし他人の目に触れても、仲のいい友達同士が冗談を言い合ってるようにしか見えないだろうと思ったからだ。

「お前の作品は俺が読む。俺のはお前が読んでくれる。それ以上なにが要る……」

「それじゃ何処へも行けやしない」

「行けるさ」

「たとえば……」

「オーストラリア」

 遥か昔に地球ごと爆発して消えた国。タタラが頬を緩ませる。

「何が良いところ……」

「馬もいるし。隠れ家も腐るほどある。きれいな浜で泳ぎを習って」

「泳ぎの話はしないでよ」

 俺らは笑った。肩を抱き合いゲラゲラと。

 右半身の無い女の子がビニル・シート敷いて営む露店で《生命のスープ》を買い、ハチノスに戻るなり貪り飲んだ。1本切りのボトルを、唾液を交換するような勢いで回し飲みだ。なあ、タタラ。お前には絶対言いたくないが、俺は気に入ってるんだぜ。酔ったお前が、俺の肩に頭を預けて、俺の腕に吐息を吹きかけるようにうたいあげる即興詩。お前はそういうの、惜しげもなくみ捨てて忘れてしまうけど、俺は全部覚えてる。後でこっそりメモを取って形に残してさえいるんだ。分かってるんだろ、タタラ。俺がどんなに――どんなにお前の詩文を愛しているか。なあ、タタラ。《スープ》で朦朧とした意識、副作用で消失しかけた記憶の中で、お前は俺の熱を感じてくれているんだろ。

「泣かせないでよ」

「何が」

 気が付けば、お前は俺と背中合わせでベッドの上にあぐらを掻き、俺のスケッチブックをめくっていた。

「あっ、馬鹿。それ、まだ推敲してないやつ」

「素敵だよ」

 タタラが濡れた目を向けてくる。彼が読んでるのは先日勢い任せに――ああそうだよ、またしてもノープロットの一発書き、計画性皆無のこの俺だ――書き上げた短編だった。もうじき滅亡を迎える人類、その世界で、何もできず、何も分からず、ただ死んでいくしかないちっぽけな子供が、比類なきヒーローへと成長していく物語。(https://kakuyomu.jp/works/16816700426553674327

「ヒトのエゴと成長がこうもつまびらかに描かれた物語はそうそうない。しかも、これほど濃密に情報を詰め込むことは本来避けるべき禁忌だが、卓越した筆力のおかげで全く読みづらくなっていないのが驚嘆に値する」

「お世辞はよせ」

 俺は《スープ》のボトルへ手を伸ばし、舌の上で逆さまにして力任せに振った。しかしもう一滴たりとも残っちゃいない。ゴミ箱へ向けてボトルを投げる。有機硝子製の紡錘瓶は壁に当たり、ゴミ箱の縁に当たり、床に跳ねて転がって、スティール・ラックの脚の下に潜り込んでしまった。畜生。何ひとつ上手くいきゃしねえ。

 タタラの後頭部が、俺の首の裏を咎めるように叩いた。

「君のその性格さえなければな」

「何が……」

「いいよ。寝よう」

「何が……」

「好きってこと」

「何が……」

 彼は一人で横になり、すぐに寝息を立て始めた。俺はラックの脚を見ていた。あの狭い隙間に入ってしまった《スープ》のボトルは、一体何処へ行くんだろう。いつか誰かが見つけ出し、元素輪廻リサイクルに戻すのか。あるいは永劫、そのままなのか……。



   *



 今にして思えば、俺はなんて馬鹿だったんだろう。あいつの言うとおりだったんだ。なんであいつの話に本気で耳を傾けなかったんだろう。俺はあいつの存在感に押し潰されているようでいて、その実、自分のことばっかり見ていた。俺が気にしてたのはいつだって俺の都合だけだったんだ。あいつが何に悩んでいたか、何を考え、何のために動いていたかってことに、ほんのちょっとだって考えが及んじゃいなかった。少し想像すれば分かったことなのに。普段頭を死ぬほど捻って、偉そうに人間のエゴだの心理の動きだの描き出そうとしてるくせに、肝心の生きた人間の気持ちをまるで分かってなかったんだ。

 だからその日、俺は一人で仕事に出た。朝起きた時、隣にタタラがいなかったからだ。それでも俺は気づかなかった。寝起きのキスを交わす相手がいないことにちょっと傷つき、やや不機嫌に口を尖らせただけだった。あのとき真剣にタタラの行先を考えていたら……。もし仕事をキャンセルしてタタラを探そうとしていたら……。全ては変わっていたんじゃないのか。何もかも上手く行ってたんじゃないのか。

「ユ・ベラゲッチュセッ・トゥゲーザ。ペティスー・ビー・ゴナデーエッ」

 その日の歌は自分の胸のモヤつきを誤魔化すためのものでしかなく、歌えば歌うほど自分が傷ついていくような気がしていた。宇宙服を着こみ、内側機密窓ハッチのボルトロックを解除した、ちょうどそのときだ。管理官の金切声が、耳元のスピーカーから流れ込んできたのは。

『フォージッ。戻れ。締め出されるぞ』

「何の話……」

『電波が来てる。配信局まで敵方てきがただ』

 わけもわからず通信機で電波を拾い、聞こえてきた声に愕然とする。

『――ぜこうも形骸化した政治的正しさに縛られねばならぬのか。何者が意をほしいままにしているのか』

 おい。馬鹿かよ。何やってんだ。

『アダムが耕しイヴが紡いだその時、誰が正義官であったというのかッ』

 何処の地球でWhat on earth演説なんかぶってやがるんだよ、タタラッ。



   *



『我々は抗わねばならない』『ヒトは創り続けなければ生きていけない』『どれほど過去作のアーカイヴをまつり上げ、無限に思える娯楽の洪水で大衆を洗い流しても』『新作の必要が全くないほど莫大な作品群がヒトを泉下に沈めても』『それでも創らずにはいられないだろうッ』

 分かってる。よく知ってるよ。だから言うな、それ以上言うな、黙れよタタラッ。俺は宇宙服を脱ぎ捨て、汗だくになって配信局へと走り続けた。街中の人間がタタラの映像を凝視している。街頭TVで。手元の端末で。極まった奴は脳神経直結デバイスで。やめろ。やめろ。やめてくれ。見るんじゃないッ。タタラ、その先はダメだ。扇動だけなら懲役で済む。でもその先を口にしたら、お前は播種船ここで生きていけない。

『正義会を倒せッ。僕らの手に創作の自由を取り戻すんだッ』

「やめろって言ってんだろッ」

 俺の絶叫と時を同じくして爆音が播種船ソーアを揺るがした。配信局の中空庭園あたりに目のくらむような火の花が咲き、真っ黒な突入口がこじ開けられた。雲霞うんかの如き飛翔機フローターの群れが雪崩れ込んでいく。俺はそのありさまを見あげ、口を馬鹿みたいに開けっぱなして汗と唾液を混ぜ合わせ、喘鳴ぜいめいとも慟哭ともつかない声を撒き散らした。つまづいた。転んだ。混凝土コンクリートの固い地面が俺の肘と膝とへハンマーみたいに打ちかかってきた。

 畜生。畜生。

『義を知る船員の皆さま、こちらは中央正義会です。我々は誤る者を赦しません。錯誤者TNB-3303604慣用名タタラをただいま捕縛いたしました。事前簡易裁判の判決は追放刑と確定しております。正義会は播種船ソーアの脾臓です。悪しき過ちは破壊され、皆さまの義と智とは守られます。どうぞ安心してお暮しください。以上、中央正義会でした』

 冗談じゃねえよッ。

 俺は立った。再び走った。息が苦しい。肺が裂かれる。心臓が今にも破裂しそうだ。でも走らなきゃ、今走れなきゃ、俺の命なんかあっても意味がない。追放刑だと。冗談じゃない。俺たち人類は地球を離れ、7000万光年も旅してきたんだ。原子ひとつ残さず全てを循環輪廻させなきゃ到底とうていできる芸当じゃない。たとえ死んでも俺らを構成する物質は船の環境を巡り続けていついつまでも活き続ける。それが俺らの永遠だって、説いていたのは正義会だろ。なのにそこから追放し、半径千万光年何もない超空洞ヴォイドのただなかにお前を独り捨てていく。それがヒトのやることかッ。

 地下に潜り、薄暗い通路を駆け、俺は最も近い気閘エアロックに飛び込んだ。気密窓の向こうには見慣れた漆黒。あの恐るべき深淵に、彫刻室座スカルプタ・超空洞ヴォイドの猛烈な宇宙線は絶え間なく降り注ぎ、時々刻々とタタラの命をぎ落してる。なのに播種船ソーアの制御システムは悠長に普段の手順を踏みやがる。【第一次プレブリース】早く。【船外活動EVAユニットチェックよし】早く。【窒素排出開始】【第二次プレブリースを行ってください】早く早く。【減圧を――】「この糞ァッ」俺は気密扉ハッチを蹴り開けた。周囲で一斉に回転しだした赤色灯のまばゆさを強引に突っ切り外へ飛び出す。無限に続く真空の海。酸素も熱も希望さえない漆黒の虚無。臍帯アンビリカルケーブルを絡まぬように引っ張りながら、俺は闇へと突っ込んでいく。

 ――僕らは行けない。ここから、何処へも。

 ふざけるな。馬鹿を言うなよ。なあタタラ。

『フォージ。フォージなのか、この馬鹿ディア・トゥ・ホースッ』

 警報に気付いて管理官様が怒鳴った時には、俺はもう播種船ソーアの外壁を力いっぱい蹴った後。気閘エアロックで待たされてた十数秒で計算はとっくに終わってるんだ。播種船ソーアの進路がこう。追放刑が行われるのは中央聖気閘きこう。空圧排出からの等速度運動で移動するならあいつの現在座標は容易に求まる。

「タタラ。タタラッ。どこだ。ここだろ。俺の読みは鋭いだろッ。早くしろ、早くしなきゃ、宇宙線に焼かれちまう。どっかこのへんにいるんだから返事すんだよ、おいタタラッ」

『馬鹿だな、来たのか』

 聞こえた。

 電波を拾えりゃこっちのもんだ。古式ゆかしい三角法だ。俺は手足を曲げて伸ばして腰を捻ってトルクを操り向きを変え、電波の来た方へ体を向けた。どこまでもどこまでも黒一色の宇宙空間へと。

 ああ――いる。ちいちゃな骨灰色の人影が、両腕をゆったりと広げて俺の到着を待っている。俺は正確に計算し、奴への交差軌道で空気圧加速をかける。

「タタラ、持てよ、希望をな。軌道はもう読めてんだから」

『来るな。僕に触れちゃいけない』

「なんでそういうこと言うかな」

『触れ得ざるものに触れたものはそれ自体が穢れだと』

「ゴチャゴチャうっせえんだよクソ野郎ッ」

 俺の叫びを、汗を、涙を、宇宙服の循環器が強引に吸い込み持ち去っていく。俺の体が宙を流れ、タタラが急速に近づいてくる。俺は右手を死ぬほど伸ばした。自分の腕の短さがこんなにも呪わしかったことはない。あと何メートルあるんだ、奴まで。どれだけ伸ばせば届くんだ。なのにあいつのヘルメットは、藻掻く俺をじっと見据えてただほの暗く光ってるだけだ。

「勝手に行くな。何処へも行くな。

 お前は俺のそばにいろ。だって俺は――」

 もう少しだ。

 あと数センチ。

 届くぞタタラ。

「俺はまだ、一度もお前を唸らせてないッ」

 俺の指がお前に――届く。



(つづく)

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