Stayin' Alive in the Void

外清内ダク

01:Cultural Sower's Blues



 42番気閘エアロックの気密窓越しに見る虚空そらは、空きチャンネルに合わせたTV画面の色だった。

 俺らの体と同様に文化播種船カルチュラル・ソーアだって新陳代謝を求めてる。滅亡した地球から実に7000万光年、彫刻室座スカルプタ・超空洞ヴォイドの真っ暗闇まではるばる文化遺産を運んできたのは人類の狂気じみた執念のなせるわざだが、百世代や二百世代でできるこっちゃないのは明白だ。人も死ぬ。物も減る。船もあちこち傷つき朽ちる。だから常に新世代の搭乗員を生産しつづけ、教育しつづけ、仕事を割り振りつづけなきゃいけないし、猛烈な宇宙線で劣化した外装を塗装しなおす底辺職も必要になる。俺らみたいな外壁塗装工が普段どんなふうに扱われてるか、説明するのも面倒だ。部屋に湧いた害虫を思い出すがいい。そのときのあんたの反応は……。そうそう、おおむねそんな感じ。もちろん俺が害虫の方。

「ダーッ・ダダーッ・ダッダッダ・ダッダ」その日も俺はやけくそに歌いながら外側気密扉ハッチから滑り出た。「ゲチュモロラーニン、ダーダッダ・ダッダッ。ヘラロナハーウェイ、ダーダッダ・ダッダッ」臍帯アンビリカルケーブルが絡まぬよう慎重に手繰たぐり寄せながら、播種船ソーアの黄ばんだ外壁を蹴り進んでいく。

『フォージッ。この馬鹿ディア・トゥ・ホース船外活動EVAとは聞いてないぜ』

 当たり前だろ、言ってない。管理官様はいたくご立腹だが、叱られた程度で怯む弱虫は虫の世界じゃ生きてけない。A10区画の外装が剥がれかかってるってインシデントを耳ざとく聞きつけたのは間違いなく俺。あんたらのようなノロマな耳をしちゃない。歩合給なら仕事を取るのも早い者勝ち、ってのが自由競争のことわりだろう。俺は耳元のコンソールをいじり、わざと音量を最大にしてやった。

「ボーン・チュビィイ・ワァーァアアーアー」

『鼓膜の治療代を請求してやる』

 それっきり管理官は何も言わなくなった。おかげで俺は独りっきりだ。見ろよ、この光景を。距離感が狂うまでに巨大なハイポ擺線・サイクロイド環境宇宙船・アーコロジーは地平線と呼ぶべきものすら形成して、あまりにも純粋すぎる黒一色の宇宙空間を横一文字に割っている。何百世代も前、まだ播種船ソーア乙女座ヴァルゴ・超銀河団スーパークラスタ内を飛んでた頃には、無数の星々がゴミみたいに空へ貼り付いて見えたそうだ。だが今は何もない。これこそ超空洞ヴォイド。なんと美しい闇だろう。俺は思わず歌うのもめ、何百回と目にしたはずの景色に魅入みいられ、ひとほうけた。

 そうだな。仕事は後でいい。

 目的の地点まで辿り着き、塗料や工具をポケットから引っ張り出し、そこらへ適当に固定する。これは塗装工の不文律で、こうしとけば他の奴に仕事を盗られることはない。まあ少なくともまともな神経をした奴にはだ。

 そのうえで、腰の裏にぶら下げといたスケッチブックを引っ張り出す。

 外へ出たことがない奴は知るまいが、宇宙ではメモ一つ取るにも難渋する。コンピュータは宇宙線ですぐダメになるし、シールドしようと思えば大金がかかる。そんな時に役立つのは、案外原始的な道具だったりするもんだ。電波妨害も故障もない、真空中でも平然と動く、最強のコミュニケーション手段、紙とペン。

 俺は書いた。

 何を書いたかって……。さあ、なんだろな。小説のような、詩のような、ひどく曖昧な散文だ。ただ単に目の前の風景を見て、書かずにいられなくなったから書く。それだけの幼稚な文章遊びだ。

 なんで書くのかと問われれば、たぶん、毒気に当てられてるから。

 かつての地球人類同様、俺は頭がイカれてる。

 むかしむかし、地球の滅亡が避けられないという事実が判明した時、最期に残された数十年で人類が考えたのは莫大な智の集積を超巨大宇宙船で外宇宙へ送り出すことだった。自然科学や哲学、言語はもちろんのこと、絵画、マンガ、小説、演劇、映画、歌謡、料理のレシピからセックスの手練手管まで、数千年の時間をかけて積み上げてきた傑作名作駄作凡作の数々をアーカイヴに満載して発進した文化播種船カルチュラル・ソーアは実に7万5千隻。この宇宙のどこに居るか分からない、というかそもそも居るかどうかも分からない、外宇宙の別星系の全く異なる生命体に、を伝えたい。その一心で人類は馬鹿げた種子を撒き散らした。

 宇宙中に散り散りになった播種船ソーアのうち何隻が健在なのか、今となっては知るよしもない。俺たちはただこの一隻の船にしがみつき、遠く遠く宇宙の果てを目指して無限に進み続けるしかない。はっきり言って頭がおかしい。どうかしてるとしか言いようがない。

 でも俺は、ちょっと分かる気がするんだ。

 俺には金がないけれど、船のアーカイヴを自由に閲覧する権利は誰にでも認められてる。御多分に漏れず俺も観た。無数の物語と絵と音とを。洪水みたいな情報にガキの頃から浸り続け、そうするうちに、なんでだろな。創ってみたいと思い始めた。何か書いてみたくなったんだ。

 だから書いてる。この文章を。『ヒトよ、創るべからず』って中央正義会のお題目は知ってるし、通報されれば命に係わることも承知の上。データ化なんかしようものなら、すぐさま検閲されて人生終わり。だからこうして宇宙へ出て、誰もいない虚空ヴォイドの中で紙にペンを走らせている。

 なんでこんな危険を冒してまで創作なんかしなきゃいけないのか、俺にもそれが分からない。ただもう、俺にとってこれは、酸素を吸って二酸化炭素と水を吐くとか、デンプンを食ってATPを反応させるとか、そういうレベルの行動なんだ。生きてる限り誰も自分の代謝を止められないように、時の流れと宇宙の拡大を誰にも止められないように、俺のペンは無限に走る。たった独り、暗闇の中で。

 なのに、その時。

凝り性アーティスト

「わあっ」

 いきなり後ろから肩を掴まれ、俺は驚き飛び上がり、うっかり播種船ソーアの外壁から離れて宇宙空間へ浮き上がってしまった。手足をばたつかせながら背後を見れば、そこには俺と同じ既製品の宇宙服を着た同業者が立っている。ヘルメットのバイザー越しに、そいつの端正なニヤつき顔が見える。知ってるぞ、あの顔。確かタタラって名前だ。話したことはほとんどないが。やばい、見られた、俺が小説書いてるところを。宇宙服の中でじっとりと冷や汗が湧き始める。タタラは臍帯アンビリカルケーブルを掴み、俺を船側へ引き戻す。

 間近に迫ったタタラのヘルメットが、俺のバイザーにカチ当たった。宇宙服表面の微細振動を経由して、奴の声が伝わってくる。

「小説だろう、それ」

「だったら……」

「『新奇性は人道の罪』『ヒトよ、創るべからず』知らないはずはないよね」

「告発か……」

「いや、すまない。おどかそうという気は少ししかなかった」

「少しあるのかよ」

「僕はただ嬉しいだけさ。同じ馬鹿が他に居て」

 困惑と不安で固くなってる俺に、タタラはスケッチブックを差し出してきた。ブルーの厚紙に挟まれた、俺と同じ画用紙の束。俺が阿呆みたいに口を開けていると、タタラはじれったそうに表紙の角を俺の胸に押し当ててさえ来る。やむなく受け取り、開いてみる。警戒しながら、視線を落とす。

 俺は。

 俺はもう、口も利けなくなってしまった。

 小説だ。物語だ。スケッチブックの端から端まで、几帳面な文字でびっしりと書きこまれた恐ろしく精緻なストーリーだ。なんだこれは。悪寒が止まらない。なんという表現力だ。息ができない。俺はこの目ではっきりと見た。はるか太古に失われたはずの地球――その草原を流れる小川、せせらぐ水のしぶきを浴びて、白い花が揺れているのを。俺は肌で確かに感じた。ぬるい地球の風が俺の頬を撫でていくのを。なんだこれは。なんでこうなる……。すさまじいまでの文章の妙によって、俺は話の中の世界に引きずり込まれた。違う、それすら形容として不足だ。

 俺の前に世界がある。手の届くところに、確かに空想の事物がる。

「僕も書くんだ」

 奴の、タタラのはにかみが、俺を現実に引き戻した。気が付けばそこは播種船はしゅせんの外装上で、頭上には超空洞ヴォイドの黒が、下には塗装の黄が、残酷なまでに画一的に塗りたくられている。

 タタラの手が、俺の手を無神経に握る。

「君のも読みたい。どんな話……」



   *



 俺とタタラの関係を『友達』と呼べたかどうかは怪しいところだ。『仲間』ってのも実態と乖離してる気がする。一番適切なのは『共犯者』。後ろめたい趣味を共有し、一緒に表社会から逃げ隠れする利害一致の関係。

 俺たちは、互いに作者で、読者だった。

 凝り性アーティスト。創作者なんてのは大なり小なり呪われてんだ。他の誰のものでもない自分自身の手で創るという行為への妄執と、他人に認められたいという自己顕示欲、そこにちょっぴりの成功体験と気色悪く色づいた信仰と倫理観が絡みつき、みんな底なし沼から抜け出せなくなっていく。俺だってもちろんそうだ。たった独りで書き続け、誰にも見せずにここまで来たけど、読者と感想を求めてなかったはずはない。そんなところに異様なほど趣味の合う男が現れたんだ。囚われもするさ。俺は弱い男だ。

 俺たちは毎日のように一緒に船外活動EVAに出て、塗料が乾くのを待つ間に互いの作品を見せあった。俺が書いて、タタラが読む。タタラがうたって、俺が聴く。奴は俺にないものを山ほど持ってた。たとえば詩才。たとえば音感。すさまじいまでの読書量。正直に言うよ。俺、読むのは大嫌いなほうで、実は普段ほどんど本を読まない。それなのになんで書こうと思ったんだ、なんてのは奇妙な矛盾だが、人間ってのは矛盾を抱えてる生き物ではある。でもタタラは違う。そんな半端な自己正当化の論理なんか必要とせず、ひたすら文字と文章を愛してる。好きで好きでたまらない。あいつはそういう男だった。

 だから奴の書くものは、俺を心底へこませる程度に優れすぎていた。畜生。なんて美しい文章なんだ。背景にある語彙も知識も桁が違う。俺はずっと、自分の作品は大したものだと思ってた。アーカイヴにある地球時代の名作と比べたって決して引けを取らないつもりでいたんだ。だがそんな思い上がりは、タタラによって打ち砕かれた。格が違う。なまじ自分が書き手であるばかりに、タタラがどれほどの文才を持っているかが明確に分かってしまう。その理解が余計に俺を苦しめる。

「うふっ。わははは。いいね、新作」

 なのにタタラは俺のつたない駄作を読んで、腹を抱えて笑ってるんだ。その日彼に読ませたのは、工業用AIがおかしな趣味にハマってヘンテコな製品を設計してしまい、人間たちが右往左往するっていうコメディ(https://kakuyomu.jp/works/1177354054883198624)。大して良い出来とは思えない。文章の流れも悪いし言葉遣いも幼稚だし、何よりストーリーが薄っぺらい。ウケ狙いのダサい一発ネタに過ぎない。そんなくだらないものに、あいつは涙までこぼして笑ってる。

「最高だよフォージ、すっごく面白い」

「ノリで書きなぐっただけだよ」

「君は文章の足腰がしっかりしてるからな。深く考えずに肩の力をぬいたほうが、かえって鮮やかになる気がするね」

「ちぇっ。嫌味はやめろ」

「僕が嘘やからかいを言う男だと思うかい……」

「正義会の使いっ走りをかたって人をビビらせたのはどこの誰だか」

「悪かったよ。謝ったじゃないかあ。つい悪戯をしたくなる性格で。あ、待てよ、ねえフォージ、僕のやつの感想も聞かせてくれよ」

「最高だったよ、こん畜生ッ」

 俺たちは絡み合いながら船に帰った。俺たちはいつも一緒だった。飯食うのも、風呂入るのも、買い物行くのも、仕事するのも、書くのも、読むのも、寝るのも、起きるのも。生きるためのよしなしごとを、俺らは全部共有してた。タタラ。二人並んだベッドの上で、お前の寝息を聞きながら、俺が何を見てたか分かるかよ。あの灰一色の天井に行くべき未来が浮かび上がってる。なあタタラ。俺にはお前が敵なんだ。俺はお前を超えなきゃいけない。俺は初めて出会ったんだ、俺よりすごいものを書く男に。俺は戦わなきゃいけないんだ、俺より優れた全ての書き手に。ずっと知らなかった、こんな感覚。アーカイヴの中の化石みたいな作品群からは到底感じ取れなかった、生きた人間の紡ぐ物語の鼓動。俺はお前に初めて感じた。お前の物語に、俺は粉々に砕かれちまった。

 でも、砕かれたままで終われるもんか。

 俺は拳を握り締め、ただ真っ直ぐに突き上げる。

「俺は行くぞ、もっと高みへ。お前の境地の、さらにその先へ」

「――僕らは何処へも行けやしない」

 驚いて横を見れば、タタラが親指をしゃぶりながら寝言をこぼしていた。

から、へも。未来永劫」



(つづく)

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