第38話 番外編 一番星に願いごとをしちゃいました
「レイ、もっと早く切り返して、違う!!そんな高い姿勢だと切られるよ!!」
マリアベルはレオナルドとテラスから雲一つない青い空を見上げながら、かつて剣を教えてくれた指導者マチルダのことを思い返していた。
マチルダはエバンスが信頼を置く部下で、マリアベルの両親と同じ世代の女性だ。エバンスはマリアベルのことを身分がバレないよう常にレイと呼んでいた。そして、マチルダにも「この子は騎士を目指しているレイだ」とだけ伝え、性別も明かさなかった。
(今、思うと絶対女の子だってマチルダさんは気付いていたと思うわ。だって、男の子にしては細すぎるし、力も無かったし、何より顔つきで・・・)
マリアベルはあの頃出会った大人たちが騎士見習いレイの事情を探らなかったことに感謝している。
(モディアーノ公爵家の子だと知られてしまったら、騎士の訓練を続けることが出来なかったかも知れない。でも、将軍もマチルダさんも私をただの騎士見習いとして扱ってくれたから、訓練を最後まで終えることが出来て、私は素直に困っている人を助けたいと考えるようになったわ)
―――――マリアベルが十三歳になる頃、マチルダは配置換えで王都を離れることが決まった。
「レイ、あんたは良い騎士になる。澄んだいい目をしているからね。最後まで見届けられないことが本当に心残りだよ」
「マチルダさん・・・」
マリアベルは眦に涙が溢れて来るのを必死に堪えた。騎士がめそめそ泣いてはいけないと目の前のマチルダに教えられたからだ。
「いいか。これからも腕を磨くことだけでなく、王都で困っている人を見つけたら、自分に何が出来るのかと考えることを忘れるんじゃないよ。一つ一つ丁寧に色々な人と苦難を乗り越え、小さな幸せを積み重ねていくんだ。そうすれば、やがてこの国は大きな愛に包み込まれて幸せな国になる」
マチルダは度々、マリアベルに小さな幸せを積み重ねることが大切だと言い聞かせた。大きなことは出来なくとも、小さなことは出来るだろう?と。
(マチルダさんは現実的な話で私に道理を教えてくれた人だったわ。高潔な騎士の誓いよりも、国が護るべき民との向き合い方をいつも説いてくれたもの。それが私の将来でとても役に立つことになるなんてね。マチルダさんもまさか私が王子と婚約するとは思って無かったでしょうに・・・)
「――――マチルダさん。私は王都で困っている人を見て見ぬフリなど決してしないと誓います」
「ああ、やっぱりあんたは良い目をしている。私は遠くへ旅立つが、後のことは任せたよ」
「――――はい」
マリアベルは空を見上げて返事をした。少しでも俯けば溜まった涙が零れ落ちてしまいそうだったからである。青くて雲一つない空。そう、今日と同じ空だった。
「レイ、あんたにこれをやる」
おもむろにマチルダは胸ポケットから白いハンカチを取り出した。マリアベルは涙を溢さないよう上を向いたまま手を伸ばして、それを受け取ったのだが・・・。
「ははっは、何だよ。最後に笑わせてくれるね。さあ、涙を拭きな」
言われた通り、ハンカチで涙を拭うマリアベル。
「―――――可愛い刺繍・・・」
涙を拭い終えたマリアベルは真っ白なハンカチに刺繍された青い鳥を指でなぞった。
「ああ、それはハチドリという鳥だ。小さな幸せ、愛の象徴と言われている。私が大好きな鳥なんだよ」
「これ、マチルダさんが刺繍したのですか?」
「ああ?そんなことを聞かれたのは初めてだね。そうだよ。こう見えても私は刺繍が得意なんだ。ほら、この剣帯の刺繍も私がしたんだ」
彼女は黒地の帯を指差す。そこには紫色の糸で蜘蛛の刺繍が施されていた。
「カッコいいです!!」
マリアベルは素直な気持ちを伝えた。マチルダは少し照れているのかフッと笑う。
(あ、紫の蜘蛛って・・・・まさか?)
回想しながらマリアベルは、マチルダの本当の仕事は王家の影(紫蜘蛛)だったのかも!?と勘が働いた。横でマリアベルの昔話を黙って聞いているレオナルドに確認しようと視線で訴えてみる。
「ん?マリー、どうした?」
「いえ、レオはマチルダさんのことをご存じなのかな~と思って?」
「あー、それは・・・」
レオナルドは左のほうへ視線を動かした。マリアベルは彼の不自然な行動に首を傾げる。
(何故ここで、私から視線を逸らす必要が?何かやましいことでもあるのかしら)
「レオ?」
少し強めに名を呼び、袖を引っ張るマリアベル。レオナルドはハァーと大きなため息を一つ吐いた。そして・・・。
「おい、出て来い」
レオナルドは視線の先に向かって呟いた。
「御意」
マリアベルはこの声を聞いたことがある。
(ま、まさか・・・)
そのまさかだった。ひらりと舞い降りて来たのは恩人マチルダだったからである。
「マ、マチルダさん!?どうして・・・」
床に片膝を付き、顔を伏せているマチルダにレオナルドは声を掛けた。
「顔を上げろ。マリーとの会話も好きにしろ」
レオナルドの命令を受け、ゆっくりとマチルダは顔を上げた。マリアベルと視線が合った瞬間、硬い表情をふわっと緩める。
「初めまして、マリアベル様」
マチルダは含みのある言葉を告げて、ニヤッと笑う。
「もう!!!」と言いながら、マリアベルはマチルダに飛びついた。まさかマリアベルが飛び掛かって来ると思っていなかったマチルダは横倒しになり、マリアベルもバランスを崩して床に倒れ込んでしまった。
「何をやっているんだ・・・」
レオナルドは床に這いつくばる二人を見ながら、苦笑する。
「笑ってないで助けて下さい」
ドレスで床にうつ伏せになっているマリアベルは起き上がるのが容易ではない。彼女はスッとレオナルドの方へ手を伸ばした。レオナルドは当然のようにマリアベルの手を握って立ち上がらせると、ついでに二人のことを黙って見ていたマチルダも反対の手で引っ張って起こした。
「殿下、申し訳ございません。お恥ずかしいところを見せてしまいました」
「いや、気にしなくていい。マリーが嬉し過ぎて飛び掛かったのが原因だからな。ククッ」
レオナルドは笑っている。マリアベルは横から軽くひじ打ちをした。
(もう、確かに私が悪かったけど、笑い過ぎ!!)
「ええっと、マチルダさんは今王宮でお仕事をしているのですか?それといつから、ここにいたのですか?もしかして、殿下の身を守っているのですか?」
聞きたいことが次から次に湧いて来て、マリアベルの口から質問が次々と飛び出す。しかし、マチルダは答えていいのか分からず、口を閉じたままレオナルドに視線で指示を仰ぐ。
(この感じ・・・。もしかして、守秘義務で勝手には答えられないのかしら)
レオナルドはマリアベルの表情に陰りが出たことを見逃さなかった。
「――――いいか、お前は今、影ではなく、マリアベルの知人マチルダに戻れ。俺が居ない方が良いなら席を外すが?」
「いえ、殿下はここへ居て下さい。ご配慮ありがとうございます」
マチルダはレオナルドに一礼するとマリアベルへ向き直った。
「レイ、立派に成長したね。あんたがここ(王城)に現れた時は心臓が止まったよ」
「マチルダさんは、私がモディアーノ公爵家の者だと知らなかったんですか?」
「ああ、知らなかったよ。将軍が何処かから拾ってきた子だと思っていたからね。だから、しっかり育てないとダメだと勘違いして・・・。その結果、あんたには世の中の道理とか仁義の話ばかりしてしまった。お貴族様のあんたには不要な話だっただろうに・・・。あの頃、嫌がらずに聞いてくれてありがとね」
マチルダは胸に手を当て、騎士の礼をする。
「そんな、私は家の事情で世の中に対する教育が行き届いてなかったので、マチルダさんの話はとても役に立ちました。ハチドリの騎士だって、マチルダさん無しでは世間に登場しなかったです」
「あー、ハチドリの騎士と聞いた時はレイだろうと思っていたよ。刺繍は自分で?」
「はい、マチルダさんのハンカチを見本にして練習しました。今では私の代名詞になってしまいましたが、本当のハチドリの騎士はマチルダさんです」
「ははは、それは言い過ぎだ。王都の民から慕われるハチドリの騎士はあんただけだよ。自信を持って胸を張りな!!」
何年も会ってなかったのにマチルダはレイと最後のお別れをした時と何一つ変わらない態度で接してくれた。それがマリアベルはとても嬉しい。
「はい、ありがとうございます」
「私はこれからも影から、殿下やあんたを支えていく。姿を見せることはないが、いつも近くにいるからね」
(姿を見せることはないって・・・、そんな・・・。だけど、それがマチルダさんのお仕事で・・・)
「―――――はい」
マリアベルの返事を聞くとマチルダはレオナルドに「話は終わりましたので、私はこれで・・・」と言った。
「ああ、これからもよろしく頼む」
「御意」
レオナルドと簡単なやり取りをするとマチルダは姿を消した。
悲しい面持ちのマリアベルに、王家の影は主以外に素性を明かしてはいけないという決まりがあるとレオナルドは説明する。本来ならば、マチルダを表に出すことはご法度。しかし、レオナルドは今回その決まりを破って、マチルダをマリアベルの前に出した。当然、二回目は無いということである。
(今回、マチルダさんと対面出来たのは特別な計らいだったということなのね。そう、―――もう会えないと思っていたのだから、一度でも会えたことに感謝しなければならないわ)
「レオ、ありがとう」
マリアベルは気持ちを切り替えて、レオナルドにお礼を言う。その表情は澄み渡った空のように清々しかった。
レオナルドは婚約者マリアベルに王族のルールを押し付けることを申し訳なく感じていたが、彼女の清廉な表情を見てそんなことを考えてしまった自分を恥じた。
マリアベルはレオナルドが想像するよりも強い信念を持って生きている。何より置かれた場で最善を考えることが出来る人だ。彼女にとって、生きて行く上で何かしらのルールがあることは当たり前のことで、それを嫌だとかしたくないという考えなど端から持っていないのだろう。
「――――マリーはカッコいいな」
「んー、それはハチドリの騎士としてですか?」
「いや違う。マリーの存在、その全てがカッコいい。そして、凄く可愛い」
レオナルドは甘い言葉を真面目な顔で言う。
「まあ、どうしたのですか?そんなに褒めて、フフフフ」
マリアベルは笑みを浮かべながら、ふと思った。レオナルドはいつも最後に必ずマリアベルを褒めてくれている気がすると。
(そのおかげで私の心はいつも幸福な気持ちで満たされているわ。だから明日も今日よりガンバロウと思えるのかも知れないわね)
――――再び、空を見上げると少し薄い水色の雲一つない美しい空に、星がひとつ輝いていた。
(私もレオを幸せに出来ますように・・・。王家の影が必要なくなるくらい平和な世の中となりますように・・・)
マリアベルは密かに祈りを捧げた。
姉が愛の逃避行をしました(スペア(妹)でいいと言った王子と、それなりに楽しく暮らしていきます) 風野うた @kazeno_uta
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