番外編
第37話 番外編 王女さまを抱いちゃいました
ある日、王宮の侍女たちの間である噂が立った。そして、その噂は瞬く間に王都へと広がる。レオナルドの耳に入った時には、もはや、手遅れだった。
「殿下、どうする?こういうのって早く解決しないと面倒なことになるよ」
第一騎士団副団長ホーリーは他人事のように言う。
「分かった。早急にマリーと母上が会う機会を作る。それにしても一体、誰が言い出したのだ・・・」
レオナルドは、深いため息を吐いた。
――――その翌日。
レオナルドはマリアベルを連れて王妃宮へ向かった。その名の通り、王妃宮とは王妃が生活している宮。言うまでもないが、王女ミシェルもここで生活している。
マリアベルは王妃宮へ入る前から顔を強張らせていた。
彼女は幼少期から家門の事情により、その存在を隠されていたのである。当然、外に出れないので貴族の子供同士で交流する機会にも恵まれなかったし、王立学園に通うことも出来なかった。レオナルドが一番驚いたのは、マリアベルに対して、弟エリオットが生まれたことをモディアーノ公爵は最近まで伏せていたということである。そういう経緯もあり、マリアベルは子供との交流が苦手で・・・。いや、正しく言うなら慣れていないのである、
今日、王妃宮へ来たのは王妃に対面するためだった。それは悪意のある誰かが王妃とマリアベルの不仲説を唱えたからである。事実無根な話なのだが、マリアベルがジュリエットの妹ということもあり、邪推するには事欠かない。その悩ましい噂の内容は、王妃はレオナルドの前婚約者ジュリエットを気に入っていて、マリアベルを認めていないという話だった。
いつものレオナルドは噂ごときで対処しないのだが、この噂は二つ問題を抱えている。
一つ目はマリアベルの人気が高いということだ。王妃がマリアベルを嫌っているという話が流れると、マリアベルではなく王妃が批判されるという現象が起こっている。このままでは王妃が女性貴族たちから総スカンを食らう可能性があるだろう。
二つ目は、そもそも王妃が怒る原因となったのは前婚約者から美しい妹に乗り換えた王太子が悪いという説である。この説は徹底的に王太子レオナルドを叩くという流れだ。マリアベルの美貌は既にこの国だけでなく近隣諸国へも伝わっている。それ故、男のやっかみ的な側面もあるだろう。
しかし、一番恐ろしいのはどちらのパターンでも、マリアベルには一切傷がつかないのだ。いまや、絶大な人気を誇る彼女は王家に無くてはならない存在となっている。
――――さて話を戻すと、十分ほど前に王妃のサロンへ到着したのだが、まだマリアベルはアルカニックスマイル笑を張り付けたまま緊張していた。
事情を知らない王妃の侍女たちは噂を鵜吞みにしており、マリアベルの様子を見て、王太子の婚約者はやはり王妃(姑)が苦手なのかとヒソヒソ耳打ちをしている。
その声はレオナルドにも聞こえていたが、今は聞き流した。
何故なら、レオナルドは母である王妃は朗らかな性格で、マリアベルに意地悪をするという考えなど、微塵も持っていないと知っているからだ。それにマリアベルも無駄に厳しい(理不尽な)本当の母親よりも、温和な王妃に好意を持っていることを隠してはいなかった。
また、その王妃は多くの子供たちを育てた経験上、マリアベルは悪意を持って固まっているのではなく、単に緊張しているだけだと気付いている。
「マリアベルさん、ようこそ王妃宮へ。遊びに来てくれて嬉しいわ」
王妃は自らマリアベルに歩み寄り、両手で彼女の手を包み込んだ。王妃のその行動で、漸くマリアベルの強張った表情がほどけていく。
「王妃様、お招きありがとうございます。ご挨拶が遅くなり申し訳ございません」
マリアベルは花が綻んだかのような美しい微笑を浮かべる。初めて見る彼女の色香に当てられた侍女たちはため息を吐く。
レオナルドはマリアベルを抱きかかえて王太子宮の奥深くへ帰りたくなる衝動が沸き上がってくる。だが、理性を総動員して何とか耐えた。
「まあまあ、可愛らしいわね。レオが夢中になるのも分かるわ。フフフ」
王妃は上品に手で口元を隠して笑う。こういう時に扇子を出さないのは相手に気を許しているという証拠である。
王妃の行動に驚いている侍女が数名いた。レオナルドは彼女らが噂の発生源だなと勘が働く。後で呼び出して、こってり絞ってやると胸に誓った。
「そんな恐れ多いです。夢中なのは私の方かもしれませんし・・・」
マリアベルはチラッとレオナルドを見る。己の婚約者はなんと可愛いことを言うのだろうとレオナルドはドキドキしてしまう。
「あらまあ、レオったら。あなた、そんなに顔を赤くして、フフフ。マリアベルさんありがとう。息子のこんなに幸せそうな顔を見る日が来るなんて、夢のようだわ。大体、この子はね・・・」
「母上、そういう話は今すべきではありません」
レオナルドは口を滑らせそうな王妃に釘を刺す。注意された王妃は全く反省していないようで下を向いてクスクスと笑っている。
(王妃様、ツボに入っていらっしゃる?それにしても本当に優しいお方だわ。多分、我が家(モディアーノ公爵家)がおかしいのよね?普通の親子はこういう風に優しくて穏やかな時を過ごすのよね?)
マリアベルは殺伐を極めたモディアーノ公爵家の日々を回顧する。父親は無表情で嫌な事しか言ってこないし、母親は不在。姉ジュリエットは子供のころから王妃教育で王宮に行って留守がち。専属の使用人もいないマリアベルは本当に孤独だった。
しかし、この王妃宮では王妃が息子の成長を喜び、侍女たちもそれをにこやかに眺めている。
(ここの雰囲気、とても居心地がいいわ)
「失礼いたします。王妃様、少し宜しいでしょうか・・・・」
突然、奥の部屋から侍女が現れた。彼女は王妃へ何かを小声で尋ねている。やり取りが終わると侍女は王妃に一礼して、また奥の部屋へと戻っていった。
「母上、どうかしましたか?」
「ミシェルが起きたみたいなの。今、乳母が連れて来るから待っていてね」
(あ、とうとうミシェル王女が・・・。私、大丈夫かしら」
マリアベルは不安になって来る。王妃と話して遠ざかっていた緊張が、また近づいて来た。そこへレオナルドが、マリアベルの耳元へ囁きかける。
「マリー、緊張しなくても大丈夫だ。先ずは俺がミシェルを抱く。よく見ておいて真似したらいい」
「レオ、ありがとうございます。じっくり観察しますね。赤ちゃんの抱っこって難しいのでしょう」
「いや、ミシェルはもう首もしっかり座っているから、心配しなくていい」
「―――――分かりました」
マリアベルは首が座るという言葉の意味がイマイチ分からなかった。しかし、先ずは観察してみようと口には出さず、首を縦に振る。
この時点で王妃宮の侍女たちは反省の念に駆られていた。それは王太子レオナルドとマリアベルが仲の良い恋人にしか見えなかったからである。
彼女らは前婚約者のジュリエットとレオナルドの不仲(原因は女性に興味のないレオナルド)を知っていた。だからこそ、この光景に衝撃を受けたのである。
王太子は女性に興味が無かったのではなく、前婚約者ジュリエットに興味が無かっただけで、現婚約者マリアベルには心底惚れ込んでいるのだと。
―――――奥の部屋から、乳母が王女ミシェルを抱いて歩いてきた。
マリアベルに宣言した通り、先にミシェルを乳母から受け取って抱いたのはレオナルドだった。
「ぶー、にー、にー」
「おお!聞いたかマリー!!今、ミシェルが俺のことを呼んだぞ!!」
(レオ、嬉しそうね。あ、でも、ミシェルさまの表情が・・・)
次の瞬間、ミシェルは泣き出してしまう。
「まあまあ、レオが大きな声を出すから・・・。フフフ」
王妃はミシェルが泣くくらいでは動じない。彼女は狼狽えるレオナルドを見て、楽しそうに笑い声を上げている。結局、レオナルドからミシェルは乳母に戻された。そして、赤子を泣き止ませるために侍女たちは全力であやし始める。
ところが、泣いているのを止めようとすればするほど、ミシェルは火がついたように鳴き声を大きくしていく。
マリアベルは赤子がこんなに大泣きをするものだとは知らなかった。弟エリオットが赤子の時の姿なんて知らないし、そもそも成長過程も見ていない。正真正銘、未知の世界だ。
大声で泣いているミシェルの顔は真っ赤っかになっている。こんなに大声を出し続けて、赤ちゃんは苦しくないのだろうかと心配になって来る。
(レオはオロオロしていて役に立たなさそうね。侍女の皆様も困っていそうだし、最後は王妃さまの出番かしら?)
「マリアベルさん、ミシェルを抱いてみる?」
(えっ、嘘!!このタイミングで私???)
「え、私がですか!?あのう、ミシェルさまは今お泣きになられていらっしゃって、私では・・・」
マリアベルは泣いている赤子をあやすことなど絶対に無理だと顔に出して断ろうとしたのだが、おおらかな王妃は気にも留めてくれない。
(うーん、大泣きしているミシェルさまを抱っこして、ショックで気を失なわれたりしたらどうしよう。赤ちゃんと触れ合う機会なんて、今まで全くなかったのだもの誰か止めてくれないかしら・・・)
マリアベルは視線を彷徨わせる。しかし、この行動が誤解を呼んだ。
「マリアベル様、宜しかったら・・・」
不意に話しかけて来たのはミシェルの乳母だった。大泣きしているミシェルを抱えて、マリアベルへと近づいて来る。
(えええ、嘘!!あちらから近づいて来るなんて!!流石に逃げたらマズいわよね・・・)
後ずさりしたい気持ちを押さえて、笑顔を張り付けて余裕があるような素振りでマリアベルは赤子ミシェルが近づいて来るのを待ち構える。
とうとう乳母はマリアベルの目の前に来た。その腕に大泣きしている王女ミシェルを抱えて・・・。
マリアベルは覚悟を決める。泣き止ませることが出来なくても、落とさないように抱くことが出来れば許してもらえるだろうと。
両腕を伸ばし、受け取る素振りを見せると、その上に乳母がミシェルをそっと乗せる。同時にズシっと重さを感じた。
(赤ちゃんって、見た目よりも重いのね。あー、こんなに泣いて真っ赤に・・・)
マリアベルは無意識にミシェルに顔を近づけて覗き込んだ。正直なところ観察していると言った方が正しいかもしれない。
(お目目もお鼻も、そしてお口も小さい。それに手の指の小さいことと言ったら・・・)
マリアベルの視線の先にあるミシェルの指が何かを掴もうとふにゅふにゅ動いていた。
(あ、そうだ!!)
マリアベルはドレスの胸元にあるリボンへミシェルの指が届くようにと少し体を傾けた。すると目論見通り、ミシェルの指がそのリボンをぎゅっと掴む。
次の瞬間、ピタッとミシェルは泣き止んだ。
「おおおおお!!」とその場にいた侍女たちがどよめく。実はミシェルが大泣きをして、こんなにあっさりと泣き止んだのは初めてだったからだ。
「マリー!!やっぱりマリーは女神だ!!ミシェルもそれが分かるなんて、流石、俺の妹だ!!」
レオナルドは周りが女性だらけだということも忘れて、マリアベルを賛辞する。マリアベルは苦笑いを浮かべるしかなかった。
―――――そして、最近、王都に流れている新しい噂は、ハチドリの騎士は大泣きする赤子にも好かれるという話。それを聞いた王国民から、泣き止まない赤子の枕元に飾るマリアベル様の肖像画が是非欲しいという声が高まった。
「俺のマリーの肖像画をそんなことに使われるのは・・・」
レオナルドは却下する気満々だったのだが、不意にミシェルがマリアベルの腕の中でキャッキャッと笑い声を上げていた様子が頭に思い浮かんで来たのである。
結局、渋々ではあるが、マリアベルの肖像画の販売を許可した。
ただし、その肖像画にはレオナルドも一緒に描かれており、それが理由であまり効果が無いという次の噂が立つのはもう少し後のことである。
――――後日談。
マリアベルの肖像画を販売することになった経緯をレオナルドが本人に告げると、彼女はミシェルが泣き止んだ本当の理由を話してくれた。今更ながら、レオナルドは先に聞いておけばよかったと酷く後悔したのだった。
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