14

 若者はしばらくしゃがみ込んだまま、立ち上がろうとはしませんでした。

そのままじっとして、固まってしまいます。

ただひたすら、スーツケースの中から、こぼれ落ちた石を、見つめて

いました。

善行さんはその姿をチラリと見ると、可哀想に感じます。

「ところでキミ、名前は?」

そういえば、名前もまだ、聞いていないことを思い出したからです。

石のように固まる若者の肩が、ピクリと動きます。

「ヒロシ…」

泡のようなつぶやきが、かすかに聞こえます。

「ヒロシくん、かぁ」

善行さんは確かめるように言うと、心持ち明るい声を出しました。

「ヒロシくんさ…これからミツキちゃんに、朝ごはんを作るんだけど、

 キミも食べていくかい?」

ゆっくりと若者は、顔を上げます。

その後ろ姿に向けて、善行さんはさらに、声をかけます。

「大したもんは、出来ないけどね。

 こんなじいさんの作るもんだ。

 ご飯と味噌汁と、卵焼きくらいだけどね…」

 すると、それまで黙っていた若者が、ふいに声をもらします。

「卵焼きは、甘いですか?」

背中を向けたまま、かすかにつぶやきます。

「もちろん!」

その後ろ姿に向かって、善行さんはうなづいてみせます。

「ミツキちゃんは、甘いのが好きだから」

そう言った後、

「甘いのは、苦手かい?」

にこやかに、そう話しかけました。

 中庭の方では、ミツキちゃんがシロを抱きかかえて、縁側を上がろうと

しています。

今日も、ゴキゲンの天気です。

抜けるような青空に、ミツキちゃんの姿が光を浴びて、まぶしく光って

いました。

それをチラリと見やると、

「私の入れるコーヒーは、中々のものだよ。

 一緒に飲まないかい?」

そう声をかけました。


「オジサン!」

ミツキちゃんが、縁側から声を張り上げます。

「シロちゃんにも、ご飯、あげなくちゃ!」

よっこらしょ!と、小さな身体を元気よく動かします。

「お、そうだな!」

よく気が付いたねぇ~とうなづくと、

「気が向いたら、コッチへおいで!」と言うと、

「よぉし、美味しい卵焼きを作ってあげよう」

善行さんはスタスタと、台所へ向かいます。

ミツキちゃんはシロをかかえたまま、

「たまごやき、たまごやき」

嬉しそうに、ついて行きます。

若者はその姿を見ると、

「やっぱ、ジイサンと、孫そのものじゃ、ないかよ…」

そうつぶやきます。


 結局若者はあきらめて、スーツケースのフタを閉め、

「また、出直します」とだけ言って、重たいスーツケースを引きずりつつ、

帰って行きました。

ミツキちゃんは、目をクリクリさせて、シロの側に張り付いていましたが、

そのうちシロの横で、丸くなって、縁側で眠ってしまいました。

そこへ、いつもののどかな声が、響いてきました。

 




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想い出屋へいらっしゃい daisysacky @daisysacky

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