第26話 マネージャー

「ユウさん、少し力が入りすぎています。ここはもっと軽い感じで」


 音響監督から三度目のリテイクが入る。

 はい! と勢いよく返事をするユウキだが、自分のセリフが回ってくる度に繰り返されるダメ出しに、もう心が折れそうだった。


──いや、落ち込むのはあと。今は目の前の仕事に集中しないと。


 初めての声優の仕事は、アニメーション映画のゲスト声優だった。

 オファーがきた時は「お芝居なんて絶対無理……」と正直思ったが、まだ個人としてもグループとしても、仕事を選んでられるほど安定した地位を築けてはいない。上がるのは大変、落ちるのは一瞬なのが人生だが、それがより顕著なのが芸能界だ。今急速に伸び始めてるIrisも、何がきっかけで失速するかわからない。

 やれることはやっておく──一抹の不安を覚えながらも、ユウキは自らこの仕事を引き受けた。

 

「はいカット。OKです」


 ようやく自分のセリフをすべて撮り終えて、ふぅ、と安堵の息を吐く。

 初挑戦の仕事に慣れない環境と、想像以上にライフを持っていかれて、気を抜いたら口から魂が抜けていきそうだった。


「お疲れ、ユウ」


 スタジオを出ると、タクシーを呼んでくれていたマネージャーが労いの言葉をかけてくれた。

 一五〇センチあるかないかの小柄な体躯に、学生を思わせる童顔。くせっ毛の長髪が風になびいている。

 かっちりしたスーツを着込んでいる彼女は、はたから見ると大人か子供か判別がつかなかった。


「ありがと、椿つばきさん」


 礼を言い、ユウキはマネージャーと共に後部座席に乗り込む。

 船戸椿ふなとつばき──彼女はIrisを担当する優秀なマネージャーだ。

 子供のような見た目とは裏腹に、頭脳明晰、理知的な性格、さらには博識と、中身はそこらの大人より大人びている。また本人はあまり語らないが、海外の有名な大学を卒業しているらしい。

 年齢は今年二十五になる年で、高校二年のユウキとは八歳離れている。れっきとした成人女性だ。

 椿がアパートの住所を告げると、タクシーはゆっくり走り出した。




「あぁぁ疲れた……」

「うわ、ちょ……重い」


 玄関のドアが閉まるなり、正面の椿に抱きつくように寄りかかるユウキ。


「重いって酷いな〜」

「体格差を考えろ体格差を……」


 呆れたように言って、椿は背中からユウキを引き剥がす。

 靴を脱ぎ、慣れた様子で椿は部屋に上がっていく。


「ソファ横に置いてある紙袋がそう」

「わかった」


 短く頷いて、椿はさっそく紙袋の中を確認した。


「おぉぉぉぉ! 」


 そして中身を見るなり、まるで宝石でも見つけたかのように目を輝かせる。


「自分で取りに行けなかったプライズのぬいぐるみ……!」


 取り出されたのは、有名な某ゲームキャラクターのぬいぐるみだった。丸々としたピンクの体に、つぶらな瞳と短い手足がくっついている。

 特にゲーマーでもなんでもない椿だが、このキャラクターのビジュアルが大好きで、家には大量のグッズがところ狭しと飾られているらしい。


「ありがとう……ありがとう……」

「どういたしまして」


 ぬいぐるみを抱きしめながら今までにないくらい喜ぶ椿の姿に、ユウキは口を綻ばせる。

 このぬいぐるみの人気は相当なものらしく、最近忙しくしている椿がようやくゲームセンターに行った頃には、とっくに都内にある分は取り尽くされてしまっていたらしい。椿があまりにも落ち込んでいて、どうにか出来ないかと思っていたところ、たまたま実家に帰省した際に地元のゲームセンターで見つけたユウキが頑張ってゲットしたという経緯だ。

 こんなに喜んでくれるなら、決して上手くないUFOキャッチャーに大量の時間と小銭を消費した甲斐があったなと思う。


「……じゃあ用も済んだことだし、帰ろうか──な?!」


 椿の声が裏返ったのは、身体を軽い衝撃が襲ったからだった。


「やだ」


 その声で、椿は自分がソファに押し倒されたのだと気づいた。

 押し倒した当人は、無言でその上に覆い被さる。


「そんなすぐ帰らないでよ」


 懇願するように、ユウキは椿の目をまっすぐに見つめた。


「あー……ユウ?」

「オフのときはユウキって呼ぶ約束」

「ユウキ」


 椿は最初こそ驚いていたものの、すぐに落ち着きを取り戻して言った。


「何がお望み?」


 その表情は、ユウキの言いたいことを完全にわかっているもので。

 何もかもすぐに察する大人な椿が、ユウキは少し憎らしかった。


「言わなきゃわかんないよ」

「……わかってるくせに」

「さぁなんのことかな」

「……ドS」

「ドSで結構」


 さっきまでぬいぐるみではしゃいでいたとはとても思えない雰囲気をまとわせる椿。

 頭のいい彼女に口では一生勝てないとわかっているので、ユウキは早々に諦めた。


「……今日頑張った、から……ご褒美が欲しい」


 顔を耳まで真っ赤に染めながら、ぽそぽそとそう口にする。


「ご褒美って、具体的になに?」

「〜〜〜〜〜!」


 目の前の大人は完全におもしろがっている。けれど、ここまで言ったらもう止められない。


「椿さんの……血、飲みたい」


 いつの間にか、ユウキの瞳は鮮やかな赤に変わっていた。


「よく言えました」


 椿はユウキの頭にぽん、と手を置くと、自身のブラウスのボタンを二つ外し、襟元をぐいっと外側に引っ張った。

 浮き出た鎖骨と華奢な肩周りがあらわになる。


「ブラウスとジャケットに血がつかないように。できるね?」


 言われるがままに頷く。

 

「……いいよ」


 椿が言った瞬間。

 待てから開放された犬のように、ユウキは椿の肩に歯を立てた。

 鎖骨の少し上。小学生くらいの幅しかない肩に、二つの小さな穴を穿つ。


「……っ」


 痛みに思わず力む椿。しかしそれも一瞬だ。やがてじわじわと言いようのない快感が身体中を駆け巡る。

 吸血は、人間と吸血鬼双方に独特の快感を与える。人間側がそういった感覚を得るのは、吸血の間、吸血相手である人間を大人しくさせておくための機能だとされている。


「……っ……っ」


 ユウキの舌が吸血箇所をなぞるたび、こそばゆい感覚が肌を撫でる。

 スーツに血を付けるなと言ったからだろう。血が垂れないように、いつもより舌の触れる回数が多い。


 しばらく、お互いの荒い息だけが聴覚を占めた。


「……満足した?」

「……うん」


 元の目の色に戻ったユウキに、椿が笑いかける。


「ごめん。一昨日も飲んだのに」

「いいよ。私の血なんかでユウキの仕事へのリスクを減らせるなら、いくらだってあげるさ」

「……ありがと」


 椿の言葉に、ユウキは少し間を空けて礼を言った。


 椿がユウキの吸血を受け入れているのは、あくまで行為を仕事の一環と捉えているからだ。


 普段から欲求を発散させておいたほうが、そうでない場合に比べて欲求を刺激された際の理性の働きが圧倒的に強くなる。食欲や性欲、その他の欲求と同じように、吸血欲求にもそういった特徴があった。


 そして椿は、ユウキの仕事へのリスクを減らすという意味で、吸血はマネージャーの自分がやるべきことだと認識している。

 しかしそれは、決してユウキがそうなるように誘導したわけじゃない。

 椿にカミングアウトをしたとき、吸血鬼の特徴や注意事項を聞いた椿は、ユウキに細かくヒアリングしながらユウキが芸能界で仕事をする上でのリスクを極限まで下げる対策をいくつか考えた。そのうちの一つが「定期的に吸血行為をする」というものだ。


 けれど、あくまで仕事の一環だということを突きつけられる度に、モヤモヤした感情が胸の内に湧いてしまう。

 椿が仕事と割り切っているおかげで吸血させてもらえているのに、仕事と思われるのは嫌だなんて、矛盾してると自分でも思っている。

 この感情の正体がなんなのか、ユウキの中でとっくに答えは出ていた。


「椿さんって、ほんと鈍いよね」

「? なんのことだ」


 乱れた衣服を整えながら身体を起こす椿は、ユウキの発言の意味を少しもわかっていないようだった。

 以前、椿を混じえたIrisメンバーとの雑談の中で、椿は生まれてこの方、人に恋愛感情を抱いたことがないと言っていた。自分がそれを知らないから、他人にそれを向けられてもわからないのかもしれない。

 人からの好意に鈍く、恋愛に疎い部分はハルと少し似ているところがあった。

 

「さて、今度こそ本当に帰るかな」


 立ち上がり、ぬいぐるみの入った紙袋を持って椿が言う。快楽を伴う吸血の直後は多少なりとも甘い雰囲気になるものだとユウキは認識しているが、こうも清々しく切り替えられては「吸血は仕事」と言う椿の言葉が100%本音であることを感じざるを得ない。


 気持ちに気づいて欲しいなら、もっと積極的にアプローチするべきなのはわかっている。


 しかし一歩踏み出そうとするたびに、アイドルとしてそれはするべきじゃないという思いが歯止めとなる。

 気づいて欲しいという本音と、アイドルだからダメだという自制が絡まって、できることと言えば「女子同士に特有の距離の近さ」として言い訳ができる範囲のことくらいだった。


「椿さん」


 玄関に向かう背中に声をかける。

 ん? と椿が振り返った。


「ちょっとだけぎゅってしていい? 充電したい」


 したいことなら山ほどあれど、今のユウキにできるのはこれくらいしかない。

 ユウキに限らず、Irisのメンバーみんなに懐かれている椿にとって腕組みやハグは日常茶飯事だ。拒否されるかもしれないという怖さはなかった。


「はい」


 案の定、椿は当然のように聞き入れて、その子供みたいに小さな腕を広げた。

 ぱぁ、と花のような笑みを浮かべ、すぐさまユウキは抱きつく。

 身体が密着して、十五センチほどある二人の身長差がよりわかりやすい格好になった。力を入れすぎないように、ゆっくり椿の身体を包んでいく。

 柔らかな感触に幸せを噛み締めていると、やがて背中にぽんぽんと優しい感覚が生まれた。


「初めての声優挑戦、よく頑張ったな」


 温かい声が、優しく鼓膜を震わせる。


──あぁ、好きだな。


 ずっとこのままでいたい。

 今日は帰らないで欲しい。

 もっともっと褒めて欲しい。


 だけどそんなこと言えるはずもなくて。


「よし、充電完了!」


 無理やりにでもそう言って、ユウキは椿の身体をパッと放した。


「今度こそ満足した?」

「満足した!」

「そか」


 本当は満足なんてしてないけれど、元気よく返して誤魔化す。そうでもしなきゃ、どんどん欲が出て、もっともっとと止まらなくなってしまう。

 また明日も仕事で会うのだからと、再び伸ばしたくなる手を必死に抑えた。


「じゃ、また明日」


 靴を履き、手を上げる椿を玄関で見送る。


「今日もありがとうございました」

「こちらこそ。ぬいぐるみありがとうな」


 ぬいぐるみの紙袋を掲げ、心底嬉しそうな顔で礼を言う椿。

 その笑顔だけで、ユウキの心はいとも簡単に跳ね上がる。

 けれどそんな笑顔を見れたのも一瞬で、無情にも玄関のドアがパタンと閉まった。


「あーもうちょっといてくれてもよかったのになー」


 ソファにごろんと身を投げて、静かになった室内で独り言を呟く。疲労も相まって、直ぐに何かをする気にはなれなかった。


「ん?」


 しばらくぼーっと天井を眺めていたら、部屋の隅に置いた仕事用バッグの中から、スマホの着信音が聞こえてきた。

 慌てて立ち上がり、バッグの中からスマホを取り出す。

 画面に表示された名前を見て、翼は目を瞬かせた。


「はい、もしもし──」

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天然美少女吸血鬼と先輩清楚お嬢様の百合 藤崎 @fujisaki0317

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