第25話 約束と夏休み
グラウンドを抜け、北に進む歌恋は建物からどんどん離れていった。
コミュニティセンター外周の境界塀を軽々飛び越え、敷地の外へ出る。外と言っても、人の出入りがあるセンター近辺は定期的に手入れされており、道は綺麗だ。
前を歩く歌恋は一言も言葉を発さない。しかし歌恋がどこに行くのか、ハルにはわかっていた。
敷地の外に出て十分弱で、目的の場所に着く。
そこは川だった。
川底がはっきりわかるほど透き通った水が緩やかに流れ、大小様々な岩がそこかしこに点在している。川幅は最大でも五メートル程度で、それほど大きな川ではない。水深は膝下くらいの所もあれば、場所によっては一メートルを超える所もあった。キラキラと夕日を反射する水面が眩しい。
センターに来たことのある吸血鬼やスタッフであれば誰でも知っている有名な場所だが、山奥に隠れるように存在するここは、秘密の遊び場のような雰囲気があった。
夏はここで川遊びをする者も多いが、幸いにも今日は他に誰も来ていないようだ。
「単刀直入に聞くわ」
川を背にハルと向かい合った歌恋が、そこでようやく口を開いた。
「何に悩んでんの」
腕を組む歌恋の、真っ直ぐな視線がハルを射抜く。
なんで、とは言わなかった。今日の自分がいつもとちがう調子なのは、誰が見ても明らかだっただろう。相手が歌恋ならなおさら、気づかないわけがない。
「…………」
けれどいくら長い付き合いの歌恋にも、あのことを話すには勇気が必要だった。
どんな反応をされるのか怖くて、口が思うように動いてくれない。
なにか言おうにも、何を言えばいいのか分からない。
口を閉ざすハルに、歌恋ははぁ、と息を吐いた。
「話したくないなら話さなくていい、なんて優しいこと、あたしは言わないわよ」
「…………」
「ずっと腑抜けたままのハルなんて許さない」
歌恋は逃がしてくれないだろう。そういう性格であることは重々承知している。このままずっと悩んだままではいけないこともわかっている。
「でも」
同じ吸血鬼だからこそ、自分のしたことの重さがわかるだろうから。
「言ったら、きっと軽蔑する」
目を伏せて、視線だけでも歌恋から逃げた。
つるりとした岩肌を意味もなく見つめる。
次に放たれる歌恋の言葉を聞くのが怖かった。
はぁぁぁぁ、と、さきほどよりも深く大きなため息が聞こえて。
「悲しいわあたし」
打って変わって、語気の弱い歌恋の声。
「え」
半ば反射的にハルは視線を戻す。
組んでいた手を解き、歌恋は言った。
「あたしに対するハルの信頼は、その程度だったってことでしょ」
予想外の言葉だった。
「……別に信頼してないわけじゃ」
「してないじゃない」
慌てて否定しようとするが、言わせまいと歌恋が遮る。
「話したらあたしが軽蔑する、なんて勝手に思い込んで、一人で悩んで、堕ちて」
「………………………」
「……あたしは」
黙りこくるハルに構わず、歌恋は続けた。
「ハルのダメな所も、アホな所も、抜けてる所も、過去の失敗も……全部知ってる。全部隣で見てきたから。だから今更、やらかしがひとつやふたつ増えたところで驚いたりしないわ。それに──」
歌恋の力強い瞳が、よく聞けと言外に言っているようだった。
「悪い所以上に、あたしはハルの良い所を知ってる。もしハルが人に軽蔑されるようなことをしたのだとしたら、そこに理由があったことくらい、言われなくてもわかんのよ」
「…………っ」
放たれる言葉の一音一音が胸に刺さる。
きっとただの友達なら、同じことを言われてもダメだっただろう。
生まれた時からずっと一緒の歌恋だから、その言葉すべてに重みがあった。
心の底から彼女がそう思ってくれているのだと、確信することができた。
そして、もし自分が逆の立場だったら、きっと同じように言うだろうと思えたことが決定打だった。
「歌恋ってさ。ほんと優しいよね」
昔からそうだ。
クールで冷たそうなフリして、いつもなんだかんだ助けてくれるのが彼女だった。
「バカね」
ふ、と歌恋は笑う。
「ほんとに優しい人は、こんな無理やり人の悩み聞き出したりしないのよ」
靴を脱ぎ、足湯のように川に足先を浸からせながら、二人は程よい岩の上に並んで座っていた。
「仲良い女の先輩に無理やり吸血した、ねぇ」
話を聞いた歌恋がつぶやく。
ごく、と唾を飲み込んで、ハルは続く言葉を待った。
時間が何倍にも遅くなったような気がする。
さっきの歌恋の言葉を疑っている訳ではない。が、それでも緊張を解くことはできなかった。
無意識に、全身に力が入る。
「ま、そんなことだろうとは思ったわ」
歌恋は、いつもと変わらないテンションでそう言った。
「え……」
ハルは思わず目を瞬かせる。
「なに驚いてんのよ」
「だって……」
何かあったことは勘づかれても、その内容まで予想されていたとは流石に思わなかった。
ハルの言わんとすることを察して、歌恋が説明をする。
「自分で気づいてないかもしれないけど、ハルが一人で悩んでる時はほぼ百パーセント吸血鬼特有のことだから」
まるで自分の事のように歌恋は言いきった。
「それ以外でもたまに相談してこない時あるけど、今回みたいに頑なに隠す時はもう確定。で、ガチ凹みする吸血鬼特有のやらかしなんて吸血鬼バレか無理やり吸血のほぼ二択でしょ。そこにハルの軽蔑するって一言で、後者かなと思ったわけ」
「…………」
スラスラと台本を読むように続ける歌恋に、開いた口が塞がらない。
姉のユウキに負けないくらい、歌恋のハルに対する理解度は相当のものだった。
「すごいね、歌恋」
「別に凄かないわよ。何年あんたの幼馴染みやってると思ってんの」
ぶっきらぼうに返す歌恋だが、その表情はどこか嬉しそうだ。
「でもま、久々にやっちゃったわね〜」
「う」
緊張感はいつの間にか消えていて、いつもの会話の雰囲気が戻ってきた。
「風邪引いてたとはいえ、無理やりはちょっとね〜」
「あれ、慰めてくれる流れじゃ……」
「そんなこと言ってないわよ。驚きも軽蔑もしないとは言ったけれど、友達がダメなことしたらダメって言わないと。甘やかすのは相手のためにならないわ」
「それは、そう……」
「……この状況で素直に頷くのはハルの良いところだと思う」
しょもしょもと萎れるハルに、 流石に歌恋の茶化しも止まる。
「冗談はさておいて……ハルの行いを正当化する訳じゃないけど、正直その状況になったらあたしも耐えられるかどうかは自信が無いわ」
「……歌恋も?」
「風邪引いたところに人が来るだけなら耐えられるわね。でもいつもより制御きかない体調のときに、夢と状況が重なって? 腕引っ張られて超至近距離で? おまけに寝ぼけていたとはいえ『あなたになら吸われてもいい』って言われるとか……役満どころじゃないわよ」
その状況を想像したのだろう。歌恋は苦い表情を浮かべる。
「もちろんハルが悪いことに変わりはないし、その先輩には何の非もないけどね。ただ同じ吸血鬼として、気持ちはわかってあげられるってことだけ言っておくわ」
「……ありがとう」
その言葉だけで、ハルは気持ちがだいぶ軽くなるのを感じた。翼との状況はなにも変わっていないし、自分のしたことを正当化する訳でもないが、第三者に気持ちをわかって貰えたという事実に安堵を覚える。
「大事なのね、その先輩のこと」
歌恋の言葉に、こくりと頷いた。
「じゃあさっさと仲直りしてきなさい」
「……うん」
「怖いの?」
「……怖い」
「そう。でもこのまま終わりにしたくないんでしょ?」
「……うん」
「なら勇気を出さないと」
「……許してもらえるかな」
「さぁ、どうかしらね」
気休めは言わず、歌恋は淡々と口にした。
「ま、もし許してもらえなかったらその時は言って。あたしが今やってるゲーム手伝ってもらうから」
「えぇ……」
「めちゃくちゃ嫌そうね。平気よオンラインでできるし」
「いやでもわたし役に立たないから」
「大丈夫、最初は誰だって下手くそだから。そこから少しずつ上手くなっていくの」
「もしかして休み毎日付き合わされるやつ……?」
大のゲーム好きの歌恋に、昔丸一日素材集めに付き合わされた記憶を思い出して怯えるハル。
「当たり前じゃない」
なに当然のことを、と言いたげな顔で歌恋が答える。
「落ち込んでまともなプレイしなかったら期間延長するから」
「ゲーム廃人怖い」
「嫌だったら意地でも仲直りしてきなさい」
歌恋は挑発するような笑みでそう言った。
ここまで言われてまだウジウジしようものなら、それこそ自分は歌恋と、そして翼の友人として相応しくないだろうとハルは思った。
「わかった。頑張る」
ハルが言うと、歌恋は満足げな表情を浮かべた。
「でも……」
少し言いづらそうにハルは続ける。
「先輩に謝るのは、もう少し先でいいかな。今日明日はちょっと……心の準備をする時間が欲しい」
心が上向いてきたとはいえ、まだ万全とは言えないメンタルだ。どこでどう謝るか、言葉の内容もちゃんと考えてから翼にコンタクトを取りたい。
「ヘタレ」
「絶対言うと思った」
予想していた通りの反応が返ってきて、言われた言葉に反しハルはつい表情を和らげる。
「ま、それぐらいならいいんじゃない。頑張りなさいよ」
「うん」
久しぶりに覇気のある返事がハルの口から出た。
彼女の激励に、ちゃんと応えなければいけない。
「さて……用は済んだし、そろそろ帰りましょうか」
「そうだね」
ん〜、と座ったまま伸びをする歌恋。ハルは一足先に立ち上がった。
遅れて、歌恋が川につけていた両足を引き上げる。
そのまま濡れた足先を岩肌の上に乗せ、立ち上がろうとした。
「──っわ?!」
ツルっと歌恋が足を滑らせたのは、その直後のことだった。
「?!」
慌てて手を伸ばすハルだが、その手は虚しくも宙を切る。
大量の水しぶきを上げて、歌恋の体が川の中に落ちた。
「……大丈夫?」
顔を出し、全身びしょ濡れになった歌恋に声をかける。
「……大丈夫に見える?」
「見えないかな」
「早く戻ってシャワー浴びなきゃ」
顔に張りついた髪をサイドによけてから、歌恋はハルの立つ岩の縁に左手を付いた。
「ん」
歌恋が右手を伸ばしてくる。上がる手伝いをしろということだろう。
差し出された手を、ハルは前傾姿勢で思い切り握った。
直後。
「?!」
グイッとその手が引っ張られて。
次の瞬間には、ハルは不格好に川へとダイブしていた。
「──────」
冷たい川の水が全身を包む。
ぼこぼこと耳に水が入っていき、周囲の音が遠くなった。
慌てて川底に足をつき、ぶはっと川の中から顔を出す。
すぐ横で、歌恋がそれはそれは楽しそうに笑っていた。
「歌恋」
名前を呼ぶと、「なによ」と歌恋が腹を抱えながら応える。
そんな歌恋に、ハルは容赦なく水をふっかけた。
「わっ?!」
「お返し」
「やったわねっ! こんの……!」
お返しのお返しとばかりに、今度は歌恋がハルへ水をかける。
それから何度も水をかけてはかけられ、かけられてはかけてを繰り返した。言葉では殴り合いつつも、その表情は川遊びではしゃぐ子供のそれだ。
「「疲れた……」」
どちらからともなく終わり、ヘトヘトの状態で揃って口にする。
「帰ろう……」
「そうね……」
元気のない声で言い、緩慢な動きで二人は陸に上がった。
センターはすぐ近くだが、全身びしょ濡れのままではと、できるだけ髪や服の水気を絞る。軽くギュッと力を入れただけで大量に水が染み出してきた。
「歌恋」
大事なことを言っていなかったことを思い出して、ハルはTシャツの裾を絞りながら名前を呼んだ。
「ありがとう」
今日歌恋と話さなければ、いつまでああして堕ちていたかわからない。
強引にでも話を聞いてくれたことを、心から感謝していた。
「どういたしまして」
髪ゴムを解きながら歌恋が応える。
歌恋がそれ以上何も言ってこないので、重ねて礼を言うようなことはしなかった。
できる限りの水気を絞って、二人はセンターへの道を戻る。
きた時と同じように塀を飛び越え、敷地内へ入ると宿泊施設である北棟にまっすぐ足を運んだ。
「おかえりー……って、なんで濡れてんの?」
「「……色々あって」」
一階でタオルをもらい、今日泊まる予定の和室に向かうと、一足先に風呂を済ませた姉二人がダラダラとスマホをいじっていた。
「ちゃちゃっとお風呂入ってきちゃいな。そしたら夕飯食べて、夜は遊び倒すぞ〜!」
ニコニコと今日イチ楽しそうにユウキが言う。
着替えを準備してすぐ大浴場に二人で向かい、サッと入って出たあとは自販機でお決まりのコーヒー牛乳を買った。タオルを首にかけ、グビグビと一気に飲み干す瞬間は至高の気分だ。
その後は姉二人と合流し、食堂で夕飯の肉じゃがを食べた。望月姉妹が残したにんじんを花村姉妹がもはや当たり前のように箸でつまみ、皿を綺麗にする。
腹を満たしたあと、近くにある売店でユウキにアイスを奢ってもらい、ラウンジの柔らかい椅子に座ってお笑い番組を流しながら頬張った。
それからは日付が変わるまで遊び倒した。
UNO、人生ゲーム、地下の卓球場での真剣勝負、枕投げ──卓球勝負では体力テストの挽回とばかりにハルが三人に全勝し、枕投げでははしゃぎすぎてスタッフに騒音で怒られるという事態になった。
三ヶ月ぶりの幼馴染みとの再会を十分に楽しんで、四人は眠りにつく。
久々に深い眠りについたハルは、数時間後歌恋に肩を思い切り揺さぶられるまで、一度も起きることはなかった。
「着きました」
昨日と同じドライバーが、ユウキのアパート前で車を停める。
日が出る前にセンターを出発したため、時刻はまだ早朝だ。完全に寝不足の四人だが、ドライバーの都合上、今日朝早くに出発することは昨日のうちから決まっていたことだったので、それをわかっていて夜更かしをキメた四人の自業自得だった。
「じゃ、梨沙、歌恋、またね〜」
座席を立ち、車に残る花村姉妹にユウキが挨拶をする。ハルも便乗する形で手を振った。
「あーい。夏休みのうちにまた遊ぼ」
梨沙が答え、歌恋は静かに手を振り返した。
二人に背を向け、車を出ようと開いたドアに向かって歩き出す。
「ハル」
ユウキが先に車を下り、続いてハルも外に出ようとしたところで名前を呼ばれた。
振り返ると、腕も足も組んだ歌恋が煽るような笑みを浮かべていて。
「気合い見せなさいよ」
静かな圧を放ちながらそんなことを言ってくる。
川での話のあと、歌恋とは「夏休み中に必ず先輩と話す」ことを約束した。もしそれを反故にしようものなら、今度は説教だけじゃ済まないだろう。
しかしハルもこの一日で腹を括った。
自分が言った言葉を簡単に覆すつもりはない。
任しておけと言うように、ハルは歌恋に向かってグッと親指を立てる。
歌恋が満足げな表情を浮かべたのを確認して、ハルは車を出た。すぐに車のドアが自動で閉まる。
少し離れた場所でユウキと並び、走り出す車を見送った。
「ね〜何言われたの?」
車が見えなくなってすぐ、顔をニマニマさせたユウキが訊いてくる。
「内緒」
ハルは少し意地悪な笑みを浮かべて答えた。
「え……妹間だけの秘密ってコト……? お姉ちゃんショック!」
「じゃあわたし帰るから」
「えちょと待ってちょと待って! 午前中はウチいる予定でしょ〜!」
冗談で駅に向かおうとすると、ユウキが慌てて抱きつき、引き止めてくる。
昨日よりスキンシップが多いのは、きっと自分が立ち直ったことを悟っているからだろうとハルは思った。家に帰ったら、きっとすぐに三津も気づくのだろう。何があったかは隠していたが、何かあったことをあの祖母に隠せているとはとても思っていなかった。
幼馴染みといい姉といい祖母といい、つくづく自分は周囲に恵まれているとハルは思う。
「ありがとね。お姉ちゃん」
自分の手を引くユウキに、ぽつりとそうつぶやいた。
「ん〜? なんのことやら」
オートロックの鍵をカバンから探りながら、とぼけるユウキ。ユウキがそう言うならと、ハルはそれ以上この話題を続けるようなことはしなかった。
──帰ったらばあちゃんに謝らないとな。
何を言われても上の空で、普段以上に素っ気ない態度を取ってしまったことを早く謝りたい。きっとユウキと同じようにとぼけるだろうなと思いながら、開いたオートロックのドアをくぐった。ユウキに手を引かれるまま、アパートの中に入る。
階段を昇る足取りが、昨日以前よりずっと軽い。
高校一年の夏休みが、ようやく動き出したような気がした。
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