第24話 健康診断、体力テスト、幼馴染み
翌日の午後。電車を乗り継いで都内にやってきたハルは、駅を出てタクシーに乗り、まっすぐユウキのアパートに向かった。
通っている学校に近いオートロックアパートの三階の部屋が、ユウキの東京での家だ。
今や超有名アイドルになったユウキだが、アパートは上京した当初と変わらないので特別家賃の高いアパートという訳でもない。若い女性が東京で一人暮らしをするときの水準と変わらないレベルだろう。防犯も兼ねて、近いうちに引っ越すことをマネージャーと検討はしているみたいだ。
「ありがとうございました」
ユウキのアパートに着き、お金を払ってタクシーを下りる。
すぐ目の前にエントランスがあり、住人を呼び出すためのインターホンが見えたが、今日は部屋には上がらないため、ハルはその場でスマホを取り出した。
「おはよう。着いたよ」
電話が繋がってすぐ、端的にそう告げる。
『はーいすぐ降りる』
返ってきたのはもちろん姉の声だ。電話が切れて、それほど待つことなくバタバタと階段を降りる音が聞こえてくる。
「お待たせ」
オートロックのドアが開いて、半袖ジーパン姿のユウキが出てきた。
「道覚えてた?」
「大丈夫だった」
「そか」
よかったよかったと口にしながら、ユウキは腕時計を見た。
「十五分くらいで迎え来れるってさ」
「わかった」
二人並んで道の端に立ち、迎えが来るのを待つ。
今から向かう吸血鬼コミュニティセンターは、人里離れた山奥にある。
一般人には秘匿されている施設であるそこに行くためには、センターから派遣される車に拾ってもらうのが通常だ。
「あ、きたきた」
予定の時間より少し早く、見慣れたシルバーのワゴン車がゆっくり走ってきた。
車はアパートの手前で減速し、二人の正面で停車する。
「お願いしまーす」
運転席に向かって挨拶をしながら、二人は車に乗り込んだ。ドライバーの初老の男が軽く頭を下げる。彼も吸血鬼だ。
「望月姉妹久しぶり〜」
乗車した直後、後ろの席から馴染みのある声が聞こえてきて、ユウキの顔が勢いよくそちらを向いた。
「え!
一番後ろの席に座っていたのは、ハルとユウキの幼馴染み、
姉の梨沙は少し癖のある明るい茶髪が特徴的で、年齢はユウキと同じ。よく動く表情が快活さを感じさせる。
一方妹の歌恋は、昔から一貫したハーフツインのヘアスタイルにやや大人しめな雰囲気をまとっている。こちらはハルと同い年だ。
言うまでもなくこの二人も吸血鬼であり、例に漏れずその容姿は整っている。梨沙は美人、歌恋は美少女という表現が似合うだろう。
「え、もしかして三月の引越しぶり……?」
「そうだよ〜こんなに離れたの生まれて初めてじゃない?」
「たしかに!」
梨沙と会話しながら、ユウキが二人の座る一番後ろの四人席へと進んでいく。
窓側の席にユウキが座り、ハルは必然的に四人席の真ん中になった。席順は左から歌恋、梨沙、ハル、ユウキだ。
「久しぶり」
「久しぶり」
姉達に比べ圧倒的に短い口数で、挨拶を交わす妹二人。
「出発します」
運転手の渋い声を合図に、ゆっくり車が動き出した。車は徐々に加速していき、アパートのある狭い路地から幅の広い道へと抜けていく。
「埼玉での生活はどう?梨沙、歌恋」
スピードの緩急が落ち着いた頃、窓側からユウキが話を振った。
ん〜、と少しだけ考える素振りをして、先に答えたのは梨沙だ。
「別にそこまで大きな変化はないかな……暮らしやすさで言えば、前とそんな変わらないよ」
「そっか」
「あたしは前の方が断然良かったけどね」
肘をつき、外の景色を眺めながら歌恋が口を開く。
クールな表情で言い放った歌恋を見ながら、姉の梨沙が顔をニヤつかせた。
「歌恋はハルと遊ぶの大好きだったもんね」
「別にそんなんじゃないけど」
「え〜毎日遊んでたじゃん」
「そりゃ隣の家に数少ない吸血鬼仲間が住んでたら行くでしょ」
面倒くさそうな表情で歌恋は言う。
そもそも種として数の少ない吸血鬼にとって、近所に住む同族の存在はあまりに大きい。隣家ならば尚更だ。望月姉妹と花村姉妹は同い年ということもあり、生まれてからずっと一緒に過ごしてきたと言っても過言ではなかった。
今年の三月に花村姉妹の父の仕事の関係で埼玉に引っ越してしまったが、それまで望月姉妹と花村姉妹はずっと同じ学校に通い、お互いをフォローし合っていた。
「てかお姉ちゃん達もそうだったでしょ」
言われた梨沙は「ま、そうだね〜」とあっさり頷いた。
「でも私らより歌恋たちのほうが全然遊ぶ頻度多かったよ。ね?ユウキ」
「だねぇ」
「ユウキまで……もう辞めてよね」
姉サイドに追い風が吹いて、歌恋が不満げな声を出す。
「ちょっと、ハルもなんか言いなさいよ」
自分一人では分が悪いと、歌恋は同じ妹サイドのハルへ助けを求めた。
けれど、ハルからの反応はなかった。
「ハル?」
ぼーっと前を見ていたハルに、歌恋がもう一度声をかける。
「……え? あ、なに」
「何ぼーっとして。車酔いでもした?」
「や、平気」
「そう?」
「うん」
梨沙を間に挟んで顔色を
本音を言えば、今日も朝からずっと鬱々とした気分だった。久しぶりの外出で少しは気が紛れるかもと思っていたが、頭の中にはずっと、翼との一件が鎮座している。
幼馴染みとの再会で上がるはずのテンションも、びっくりするほど落ち着いてしまっていた。
平静を装ったのは、余計な心配をかけさせないためだ。
「…………」
そんなハルを、何か言いたげな表情の歌恋が横目で見つめる。しかし、当のハルがそれに気付くことはなかった。
車窓の景色が街並みから緑生茂る山中に移り変わってからしばらくして、車の前方に目的の建物が見え始めた。
山奥にしては有り得ないほど綺麗に整備された道路の先に、これまた山の中とは思えないほど綺麗な建物が正門の向こうに三棟並んでいる。この門の内側の敷地一帯が、関東の吸血鬼コミュニティセンターだ。
関東と関西それぞれに存在する吸血鬼コミュニティセンターは、日本における吸血鬼のすべてが集約された施設である。コミュニティの名の通り、数少ない吸血鬼たちの交流の場を提供する他、主にやっている事として吸血鬼の研究がある。
研究というと物騒に聞こえるが、決して非人道的なものではなく、吸血鬼と人間双方の暮らしをより良くするためのクリーンな研究だ。例えば抑制剤の開発及び改良がその代表的な例になる。
入口の門を抜けた先で車を降りた四人は、慣れた動きで左手の建物に入った。正面の壁すべてがガラス張りになっている三階建ての建物だ。東棟と呼ばれるここは吸血鬼に関する研究を行うための棟となっている。
自動ドアを抜けると、三階まで吹き抜けになった広い空間に出た。
「お、花村&望月姉妹じゃん。一年ぶり」
白衣をまとった女性スタッフの一人が、建物入口の受付けデスクの向こう側で手を挙げる。吸血鬼のコミュニティは閉鎖的だ。ここのスタッフもここを訪れる吸血鬼も、ほとんど全員顔見知りのようなものだった。
「今日は健康診断と体力テストだよね。もう準備できてるから、着替えておいで」
「「「「はーい」」」」
まともに受付けをすることなく、流れるように館内を進む。
途中にある女子更衣室へ入った四人は、健康診断と体力テストのために持ってきた軽装にそれぞれ着替えた。
「相変わらずダサイわね……」
歌恋が残念なものを見る目でハルが着た半袖Tシャツを見る。そこには白無地に「世界一
デカイ市」と、意味不明な文字列が並んでいた。
「毎年恒例だよねー」
「ダサいかなこれ」
「ダサいわよ……なんで懲りずに自分で選んでくるんだか」
「私は嫌いじゃないけどね〜むしろ毎年の楽しみでもある」
ハルを除く三人は有名なスポーツブランドのウェア、一方のハルはダサ白Tシャツに黒のハーフパンツといった格好で、わちゃわちゃと会話しながら四人は更衣室を出た。
「ちょっとトイレ行ってくる」
通路のトイレを横切る直前にハルが言い、歌恋が「あたしも」と続いた。姉二人が「はーい」と間延びした返事をする。
「歌恋、ハルのことだいぶ気にしてるね」
妹たちが離れたタイミングで、ユウキがそう口にする。
「ハルわかりやすいからねぇ……で、あんたは何も聞いてないの?」
「聞いてないよ」
「そう。聞いてあげないんだ?」
「んーそうしてあげたいのは山々なんだけどねー」
廊下の壁に寄りかかり、ユウキは視線を床に落とした。
「家族だからこそ言えないことってあるじゃん。今回のはたぶん、そういうやつなんじゃないかな」
なんとなくだけどね、と続けるユウキ。
「なるほどね」
「わかるでしょ梨沙も」
「わかるわかる」
同じ年の妹を持つ者として、梨沙がうんうんと頷く。
「じゃ、ここは大親友の歌恋ちゃんにお任せしようじゃん」
「うんうん。歌恋なら上手くやってくれるでしょ」
「まぁ私の自慢の妹ですから」
「む、それを言うならハルだって私の自慢の妹だけど?」
「お? こちら妹への愛の深さは負けるつもりありませんが」
「いやいや私も負けないですけど」
「何くだらないことで争ってるのよそこのシスコン二人」
トイレから戻ってきた歌恋が呆れた表情で言った。後ろには、特になんとも思っていなそうな顔のハルがいる。
ぐりん、と姉二人の顔が同時に妹たちの方へ向いた。
「「ねぇ! 二人はどっちの方が妹愛強いと思う?!」」
「どっちも別に大差ないわよ」
間を置かず、ピシャリと歌恋が言い放った。
「しょーもないこと言ってないで、早く健康診断終わらせるわよ」
人数が少なく、四人とも採血のない年だったのもあって──十八歳以下の吸血鬼が採血必須なのは十五になる年のみ──一時間後には全員すべての診断を終えていた。
三十分ほど休憩し、一度東棟を出た四人は向かいにあるもうひとつの建物──西棟に向かった。
室内スポーツのコートやジム、プールなどが集約されたスポーツ施設で、建物のすぐ横にはグラウンドも広がっている。
「あー体重増えてたー……」
歩きながら、梨沙が嫌そうな顔で自分のお腹をつまんだ。
「どれどれ」
「あ、つまむなっ」
「んーたしかにちょっと肉が……」
「アイドル基準やめてくださーい」
後ろで騒いでる姉たちとは対照的に、前を歩く二人は静かだ。どちらもおしゃべりな方ではなく、ハルにいたってはいつも以上に口数が少ない。
「去年は総合で負けたけど、今年は勝つわよ」
歩きながらふと、歌恋が言った。体力テストの話だろう。毎年ハルと歌恋は接戦で、勝ったり負けたりを繰り返していた。
「うん」
一切モチベーションはなかったが、自分の気持ちがどうだろうと体力テストはやらなければいけない。
まったく覇気のない返事をして、ハルは重い足取りで体力テストへと臨んだ。
テストの種目は八つ。基本は人間の学生が行う内容と同じだが、 シャトルランは時間がかかりすぎるため5km走、50m走はタイムの正確性を考慮して100mに距離を伸ばすなど、いくつかの項目は吸血鬼基準に内容を変更されている。
体力テスト用に道具が準備された体育館で、まずは立ち幅跳びから測った。
ハル──4m71cm。
歌恋──4m82cm。
勝ったのは歌恋だった。
次に握力。
「あたしの勝ちね」
これも僅差で歌恋の勝利。
その後、反復横跳び、長座体前屈、上体起こしと続けて室内の項目を測定したが、ハルが勝てたのはひとつもなかった。例年であれば五分五分くらいの勝率が、今年は勝負にすらなっていない。
少しの休憩を挟み、残りの外種目をやるべく四人は外に出た。夕焼け色に染まる空の下、グラウンドでハンドボール投げ、100m走、5km走の順に行う。
結果は散々だった。
三種すべてにおいてハルは歌恋の記録を下回り、八種目完敗というあまりにも酷い勝負。
毎年外種目はハルに分があっただけに、何も事情を知らないスタッフは困惑顔だ。
「あーらら。大丈夫あれ」
一足先に体力テストを終わらせ、妹たちの様子を密かに見ていた梨沙がユウキに言った。
「ん〜ダメかもね……」
腰に手を当て、困ったようにユウキは笑う。
「ハルはまぁ仕方ないとして……」
「うん。問題は歌恋のほ──あ」
梨沙が途中で言葉を止めたのは、歌恋が無の表情でハルのもとへ向かったからだ。
「ハル、ちょっと来なさい」
静かな、しかし力の籠った声だった。
返事を待たず踵を返した歌恋に、ハルは何も言わずついていく。
「あ〜やっぱりこうなったか」
グラウンドから離れていく二人の背を見届けながら、ユウキが後頭部で手を組んだ。
「まぁ予想通りっちゃ予想通りというか……むしろここで歌恋に喝入れてもらうのが1番いいかもねぇ」
「姉なのに呑気だねぇあんたは」
「あなたの妹ちゃんを信頼してるんだよ」
状況に反して、二人はのほほんと会話を続ける。
「帰ってきたら、アイスでも奢ってやりますか」
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