後編 繋がれし者たち

 二人で戸口の地面をさっと掃き清めた後。荷車から直に積まれた荷を降ろす。この村の乾燥した空気の元では、多少の砂埃は払えば簡単に落ちる。その程度のことは誰も問題にしない。村人は心得ている、過剰な潔癖は身の程を知らぬ贅沢。ここは彼らのかつて暮らした文明世界とは違うのだ。

「まずは敷物、次に家具は大きいものから……僕が奥で受け取って、君が中に押し込む。この段取りで。ざっといくつか入れたら、君も中に入って一緒に使いやすいように整えよう。うんと細かいものはその後で」

 スミルの勝手な差配、だがテツジは別に逆らわない。きびきびとした彼の言葉を小気味よいと思っていた。

(ふうむ。気障なのは案外言葉だけかもな。いや、当然か)

 そう、生前の彼の生き様の一片は確かに、その気取った口調からうかがい知れる。だがそれがどうであれ、この厳しい世界に生まれ変わったならば、誰もが変わる。この男もまた自分と同じように現実に鍛えられたのだろう。それに彼の方がここの暮らしは長いのだ、そう思えば。

(ならここはお手並み拝見だ)

 と、テツジが思った端から、逆に向こうの方から。

「ずいぶん低いテーブルだね?座って食事を?」

「俺の体では椅子も大きなものが要るし、すぐ痛む。いっそ無い方がいい。部屋もその分広く使える」

「なるほど、それでその分こんなに敷物に奢ったわけだ。いいね」

 先を求めるようなスミルの視線に、テツジは釣り込まれて続けた。

「俺の前いた世界、俺の生まれた国には『タタミ』という敷物があった。わらを堅く編み固めたマットを芯にして、さらに編んだ草のシートでくるんで、家中に敷き詰める。部屋の中ではその上に座って生活するのが昔ながらのやり方だったのだ。汚さないように靴は戸口で脱ぐ。素足なら痛まないし、余程痛んでも表のシートを張り替えればいい。もちろんここではそこまでのことは出来ないが、真似事なら」

「うん面白い」スミルは素直に感心した様子。「この村なら、その方が暮らしやすいかも知れないな。落ち着いたら一度長老様に見て頂いたらいい。みんなが学べる……

 こんな世界だから。良い知恵はみんなで持ち寄って生きていくべきさ」

 生きることに真剣で貪欲、やはり彼もこの村の住人だ。彼の言葉にテツジは最前の思いを強める。

(なるほど。なら俺もこの際、あんたに何か学ばせていただこうか……)

 互いに目配せ一つ、引っ越し作業が始まった。


「どうだい?こんなところで大体いいのかな?」

「ああ、ここまで片付けてもらえば充分過ぎる。ありがとう、おかげで助かった」

 実際の作業も、スミルはてきぱきとして無駄が無かった。思っていたよりもずっと早く引っ越しが済んでしまったことに、テツジは丁寧に頭を下げて。

「すぐには何も礼は出来ないが……」

「ふふ、いいよ礼なんて。この村ではこういうことも周りもちだよ。今度機会があったら、君が誰かを助けてやればいいのさ。

 それにそもそも今日、僕はね?君という人物に対する僕の勝手な好奇心を満たしに来ただけだから。そういう意味で僕は、謝礼ならとっくにもらったよ。満足さ。

 ……【後見人】としての責務もこれで果たせた気がするしね」

「?」先のお返しとばかり、もの問いたげな視線を返すテツジ。水鳥男はすぐにその意を汲んで、今までより言葉を選ぶ様子でやや訥々と。

「そうだね、どこから話していこうかな……うん、そもそも僕という人間について聞いてもらおう、それが話しやすいから。少し回りくどくなるかも知れないが勘弁してくれたまえ。

 ……ねぇ君、ここに来る前、僕は何を生計たつきの道にしていた人間だと思う?」

 そう、それはテツジも大いに知りたいところだった。だが彼は少し首をかしげる。まるで見当がつかないからだ。スミルのそのよく言えば粋、悪く言えば気障な言葉遣いとふるまい。額に汗して働いていたというイメージは無い。知的労働者としても実務的な匂いがしない。あるいはオーリィのような高級遊民だったのか?いやそれも少し違う気がする。迷うテツジに、スミルはふふと軽く笑って。

「画家だよ。それも売れない、ね。芸術家の端くれと言いたいけどそれもおこがましいかな。年中油絵の具をこねてキャンバスに向かって、好きな絵を描いてはみるものの、それは画壇にも世間にも全然認められなくて。だから雑誌の挿絵だの、店の宣伝ポスターだの……まぁそれで食いつなぐことが出来ていたんだから、分相応に恵まれていたのかな……今思えば。

 そう。この世界じゃ、絵描きの出番なんてまるで無いからね。あの『山』にもつくづくそう教えてもらったよ。水鳥はさ、僕の特にお気に入りの画題モチーフだったんだ。でも見てくれたまえよ僕の姿、実によくじゃないか?ハハ!僕よりよっぽど上手い!……本当には意地が悪いよ」

(道理でわからないはずだ)腑に落ちるテツジ。「画家」、それは武骨一辺倒のエリート軍人の一族の中で生まれ育ったテツジには、これまでまるで縁の無かった人種。だがスミルが自分のことから語り出したのは正解だったのだろう、テツジにはこの男が急に身近に感じられるようになった。そう、ことに最後の一言が心に響くのだ。この村の住人誰もが感じる、「山」の嫌味な、皮肉な悪意。それはしかし時に、同じ運命に墜とされた者として、村人達に連帯感と、共に立ち向かう勇気を抱かせる。

(この男も俺の仲間なのだ。俺は、俺たちは負けん……!)

 湧き上がるこの気持ちこそ、恥知らずのあの「山」に対する、おそらく最大の意趣返し。そう思うテツジは、いよいよスミルの言葉に耳を澄ませる。

「……でね、そんな僕がこの村に生まれ変わって現れて。その時僕のお隣さんになってくれたのが、この隣に住んでいた『彼』だ。すでにもう百歳近くになる老人だったが、僕が独り立ちするまではとても元気だったよ。

 そしてね?とても奇妙な偶然が一つ。

『彼』は元小説家。それも自分で言ってたよ、ちっとも流行らない三文文士だったって。僕たちはさ、出会ってすぐに仲良くなれた。似た者同士だったからねぇ……絵と文学、ジャンルは違ってもそこはね?分かり合えることは多かったんだ。美とは何か芸術とは何かなんて大上段の議論も出来たし、題材の決め方や表現の方法といった制作技術論、そしてしまいには画廊や出版社にどう頭を下げるかの処世術から、締め切りと金欠を毎月どうやってしのいできたかの愚痴まで!一緒に暮らしていた間、時には夜遅くまで語らって。まるで飽きなかったよ。

 ……そう、わかったのさ。僕は、いや僕らはね、前の世界での方がよっぽど孤独だったんだって。だから彼と過ごした日々は本当に楽しかった……」

 話の途中から。いつしかスミルの視線は左の、今は誰もいない空き家に向けられていた。その瞳に灯る憧憬に、テツジは胸を締め付けられるような思い。

 そう、その隣の主はもうこの村に、この世にいない。

 そして、やおらスミルはテツジに向きなおって言う。

「彼に代わって君が彼の【後継ぎ】としてあの山に呼ばれたことは。もちろん長老様からも聞いていた。まずはあのオーリィが【お隣さん】として、【新入りさん】の君を受け入れる。そしてそれが上手くいって君が無事に【独り立ち】出来たら、僕がそれを【後見人】として見届ける。それはこの村のしきたり、慣わしとして決まっていたことだし、僕は今日という日を待っていた。君に名乗り出るこの日をね。でももちろん!その間、ただぼんやりしていたわけじゃない……

 僕は君のことはずっと注視していたよ。幸い水の日の朝市でいつも顔を見ることが出来たし、役場に行って君の噂や評判も聞いたし……君は知るまいね?そっとあの東の荒れ地に出向いて、遠くから君の様子を観察させてもらったこともあるんだよ。

 そうだね、君にとっては!僕は顔をちょっと知っているだけの男だったろう。当然だ。君が僕に関心を持つ理由は無い。でも僕にとって君は違う!

 君は『彼』のだから。どんな人間がか、気にならないはずがない!……わかるね?わかるはずだ、今の君なら!」

 はっとした顔のテツジに、スミルはいつの間にか熱くなっていた口調をフイと和らげ、軽く頭を下げて、だが冷たく堅い調子は崩さずに。

「……おっと、僕としたことがつい……そうだね、君には『彼』に対して別に何も責任も負い目も無い、わかっているさ。それはあの山が勝手に決めたことだから。

 ただ、村がしきたりとして【後継ぎ】だの【後見人】だのと決めたことには意義はあるんだ。【お隣さん】はさ、余りにも……【新入りさん】と心が結びつき過ぎる。どうしても身内びいきになってしまうのさ。だからもし新入りがロクでもない人間で、村に害悪を及ぼすような人間であっても、それを正すのは難しい場合もある。新入りを客観的に、厳しくドライに評価できる人間が別に必要で……

 君に対して。僕ならどんな酷な評価でも下せる。君は僕の大切な友だった彼の代わりだ、それがくだらないヤツであってたまるものか!もし仮にそうであれば、僕なら断固として君を断罪出来る。【後見人】はね、村が定めた村の秩序と生活維持のための最後の安全装置なんだよ。そういうわけでね……

 今日改めて。僕の君に対する所見を、評価を君に宣告させてもらおうじゃないか」

 固唾を呑むテツジの前で、スミルは大きく一つ息を吸い整えて……

「合格だよ。文句の付け所なし、さ。君は立派な『彼』の【後継ぎ】だ」

 そう一息で言って、たちまちスミルは気障ないたずらっぽい笑みに顔色を崩す。

「いや実はね?少し心配だった時もあったんだ、来たばかりの君はさ、嫌な目つきをしていたから。でも今の君は見違えるようだ。

 どうだい君?きっと、オーリィが余程んだろうね?……彼女は本当に大したものさ、流石は村一番の美女!違うかい?

 ……今日はね、君と近づきのしるしに渡したいものがあるんだ」

 待っていてくれたまえ、と、スミルはひょいと出ていく。どうやら隣の家に何かを取りにいったようだ。程なく。

「ねぇ君?僕は何を生計の道にしているかわかるかい?これさ!」

「……これは!!」

 スミルがテツジの前に広げたのは、一幅の手ぬぐい大のタペストリー。

「刺繍屋。こんな村でも……いやこんなところだからこそ!女性たちはみんなきれいな物を求めてる。だからここで初めて覚えたのさ、刺繍の刺し方をね。僕はもしかしたら、元の世界でよりよっぽど売れっ子だよ!役場のメネフ君からもしょっちょう注文がある、彼が仕立てた女性の服に、仕上げにワンポイント刺すのが僕。

 で、これはね?前々から少しづつ、修行がてら刺していたものさ。僕も元は画家の端くれ、練習でもどうせ刺すなら、美しいモノに限る!そう思ってね。

 ……ああ、いやいや!をしないでくれたまえ、心配することはないよ。

 は美しい……あれはもう、美そのものさ。僕にとっては崇拝の対象ではあるけれど、とてもおこがましくて。にはなれないんだよ。そう!

 彼女は、これは、今は君の傍にあるべきだ。どうか受け取ってくれたまえ」


 緻密に刺繍糸で刺されたその面影。

(すぐに会えたな。まったく、こんなにもすぐだとは……)

 新居にそれを掲げて、テツジの独り立ちの引っ越しは終わった。

(完)

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