妖精喰い

尾八原ジュージ

妖精喰い

 村の娘たちの間で妖精食が流行った年、ネリはまだ九歳だった。


 なんでも妖精を食べた人間は美しくなり、年もとらなくなるという。本当に美しくなるかどうかはともかく、妖精を食べると眼がぱっちりと大きくなり、潤んだようにきらきら光ることだけは確かだった。

 そのかわり口の中が、黒木苺をたらふく食べた後みたいに黒く染まる。とはいえ口を閉じてさえいれば、大きく潤んだ瞳だけを見せていられるので、年頃の、特に見た目を気にする娘たちは、こぞって森に妖精を獲りに出かけた。掌に載る大きさの妖精たちは、さしたる抵抗もなしに、さりさりと音をたてて食われた。

 ネリは妖精を食べなかった。妖精は半透明の羽と水気の多そうな胴体を持っていて、それらはネリに、彼女の大嫌いなバッタを連想させた。バッタのようなものを食べるくらいなら、一生美しくならなくてよかった。第一、年をとらなくなったら困る。ネリは大きくなったら村を出て、街の学校で絵を習うのが夢だった。九歳のままでは、街の学校には入れてもらえない。

 ネリの両親もまた「あんな気味の悪いものを食べるだなんてとんでもない」と口を揃えた。だからネリの家で妖精を食べたのは、ネリの姉さんのミリだけだった。ある日の夕食どき、ミリの顔の変化に気づいた父さんは、大きな声でミリを叱りつけた。

「妖精など食べてはいけないと、あんなに言ったじゃないか」

 ミリはふてくされた様子で口を閉じ、俯いたままつぶらな両目をぱっちりと開いて、じっと爪先を見つめていた。


 大きな眼を輝かせ、口をかたく閉じた娘たちは、こんな具合でどんどん増えた。

 村人たちは彼女らを指して、黒苺病と呼んだ。悪口のように聞こえたから、ネリはその言葉を使わないことに決めた。口の中が黒くなっていても、ネリはミリのことが好きだった。

「妖精を食べたくらいで年をとらないなんて、そんな馬鹿な話があるもんですか。どうせあと何年かしたら、嘘だったとわかるわ」

 母さんがそう呟いたときの諦めきったような顔を、ネリは後々までずっと覚えていた。

 実際、母さんの言った通りになった。三年経つとミリの背は伸び、顔つきも少し面長になった。成長している、つまり年をとっているのだ。

 その頃にはもう、妖精食はとっくに廃れていた。黒苺病の娘たちは、口元を隠し、瞳をきらきらさせながら、概ね黙って暮らしていた。

 そしてその年の七月、彼女たちは揃って姿を消した。


 そのときネリは、ミリと二人で家に籠り、夏祭りの衣装を縫っていた。よく晴れて明るい、いかにも夏らしい午後だった。

「あ」

 突然ミリが、声をあげて立ち上がった。すたすたと歩いて居間を横切ると、そのまま家を出ていこうとする。

「ミリ、どうしたの?」

 ただならぬ雰囲気を感じたネリは、そう声をかけながらミリの肩を叩いた。その途端ミリは振り返り、

「あーーーーーーーー!!!」

 真っ黒な口を大きく開けて叫んだ。

 まるでミリの顔に、真っ暗な穴が空いたように見えた。ネリは青ざめて後ずさった。

 ミリは「あーーーーーーー」と大声を上げたまま、バタンとドアを開けて外へ出ていく。まるでバグパイプのように息継ぎもせず、長く長く叫びながら森の方へ向かう。

 まもなく、村のあちこちから同じような声が聞こえてきた。村のあちこちから黒苺病の娘たちが、獲物を呑む蛇のように口を開けたまま、ぞろぞろと集まってきた。

「あーーーーーーーーーーーーーーー」

 娘たちは声をあげながら列を作り、ぞろぞろと森の中へ入っていった。

 追いかけた者はいなかった。村人の誰もが、凍りついたようにその場に立ちすくんでいた。

 黒苺病の娘たちは、一人も帰って来なかった。村人たちが何度森の中を探しても、足跡ひとつ、服の切れ端一枚、見つけることができなかった。

 その年、妖精たちは爆発的に繁殖した。森の中はヴァイオリンのような妖精の羽音で満ちた。やがて住む場所が足りなくなったかれらは集まり、黒雲のように固まって、夕暮れの空をどこかに飛んでいった。


 以来、村人たちは森の中で妖精を見かけても、食べるどころか、近づくことさえしなくなった。

 そしてあの年「妖精を食べると美しくなって年もとらない」などという流言がどこからやってきたのか、後になって考えても、とうとう誰にもわからなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

妖精喰い 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ