第10話 作られたわがまま令嬢
ちょっと待ってください。今、なんて言いました?
皇帝に立つ……皇帝に成るつもりなのですか!
確かに、現皇帝陛下からはジェイドの働きが認められ、皇位継承権を戻してもいいと言われているのは知っています。
ですが、私という存在がそれを邪魔しているのです。ですから、私を愛人という立場にして、皇妃となる令嬢を高位貴族から選ぶように、皇帝陛下の周りから言われ、ジェイドがブチギレるというのを何度か繰り返して今に至っているのでした。
ということはですね。ジェイドは皇妃にする高位貴族の令嬢を見つけたということですね。
……胸がチクリと痛みましたが、気の所為ですわ。これは喜ばしいことですもの。
「それではジェイド様は皇妃となる方を見つけられたということですわね」
私は愛人という立場になる以上、皇妃となる方を立てなければなりません。仲良くできる方ならいいのですが。
「それで、どこの家の方に決めましたの?」
「あ?」
何故かとても不機嫌な返事が返ってきました。
もしかして、これは私が聞いてはいけなかったということなのですか?それは失礼しました。私は所詮子爵令嬢でしかありませんから。
「どうしてここに来て、そのような考えに至ったのか、頭が悪すぎますね」
そこの執事、うるさいですわよ! 質問した私が馬鹿だと言いたいのですか!
ですが、下調べしてある程度の関係を作っていかないと、私の立場としては、皇城で暮らすには色々問題が……はっ! 愛人という立場でしたら、別に皇都で暮らさなくても、辺鄙な田舎の離宮を賜れば、煩わしいことを回避できるではないですか!
「俺はイリア以外を娶るつもりはない」
……とても低い声で、ジェイドから言われた言葉に、思考が停止します。おかしなことを言われましたわ。
そう思っていると、私が入ったことがない部屋に入っていきました。ジェイドの私室の近くの一室だということはわかります。
昔、ジェイドが私をお茶会に参加させるために転移で連れてきた場所が、ジェイドの私室でした。
ええ、それから何度かジェイドの私室に転移で連れてこられるということが起こり、流石に私はこれは駄目だと思い忠告をさせてもらいました。
『あのさぁ。どう見ても身分が低い子どもが皇子の部屋から出てくるって、駄目だよね』
『別に俺は構わない』
『なんて私が噂されているか知っている? 下賤なる者が皇子に取り入ろうとしているって……』
『へー。それ誰が言っていたんだ?』
『ジェイド! それは噂をする人が悪いのではなくて、そういう悪評を立てられる隙があるジェイドが悪いの!』
人殺しでもしそうな表情をしたジェイドに、お前が悪いと言い聞かせて、その場はやり過ごしたのです。それからは、ジェイドの部屋に転移で連れてこられることはありませんでした。
が、皇都で住むように言われてしまい、父や母を巻き込んで大変な問題に発展したのは、今となってはいい思い出ですわ。
しかし、長年この離宮を出入りしていますが、初めて入る部屋です。
前室があり中央の大きな扉と脇に小さな扉がありますので、ジェイドの私室と似た作りの部屋だと感じました。
そして、前室から中央の扉を抜けていきますと、一番に目に飛び込んできたのは、明り取りの大きな窓から入り込んでくる初夏の日差しと、青々と茂った庭の木々です。
部屋を見渡しますと、凄く物がない部屋です。淡い水色の壁紙に足音がカツカツと響く白い石の床が印象的で、外からの光を室内に淡く反射しています。
部屋の中にあるのはガラスのローテーブルと、それを挟むように向かい合わせになって置かれている、白い革張りのソファーです。
いつもこの離宮に来るたびに使っているサロンの方がまだ物がいっぱい置かれているぐらいです。でも既視感がある部屋ですわね。
そしてジェイドは私を抱えたまま、ソファーに腰を下ろしました。そこは私を解放してから、座りましょうか。
「イリア。今日からここの部屋を使え」
「は?」
私がジェイドに抗議をしようとしたところで、意味がわからない言葉を言われました。この部屋を今日から使えですか?
「私は皇都にある屋敷に戻りますよ」
「あそこは引き払った」
「……」
引き払った? 引き払った……引き払っただって!
「あそこは私が皇都にいるときの住む場所だったはず!」
何を勝手なことをしてくれているのだと、ジェイドに突っかかっる。
それに、あの屋敷には領地から使用人として住み込みで働いてくれていた人もいたし、皇帝陛下からジェイド経由で渡された仕事もそのままにしている。
まだ皇族のジェイドの婚約者として、仕事を回されているのだ。それはどうしたのだ!
「元々は俺が購入した屋敷だ。どうしようが俺の勝手だろう?」
そう言われてしまえば、ぐうの音もでない。だけど、それは元々ジェイドのわがままから始まったことだ。
婚約者が皇都にいないって、寂しいじゃないかというジェイドのわがままだった。しかし、皇都にサルヴァール子爵家の持ち家なんて存在しない。
それに皇都なんて父でさえ、年に一度か二度ぐらいしか行かないのに、屋敷があっても維持費だけ大概出費していく。割に合わないので、皇都にはサルヴァール子爵家の屋敷はない。
だったら、ジェイドが個人資産からお金を出し、屋敷を購入し、維持費も出すと言った。
私は勿論反対した。ジェイドが殺されかけるような皇都に住みたくなかったというのもあるけど、当時の私は七歳。流石に母も苦言を呈した。子供だけで皇都に住まわすことなんてできないと。
しかし、この馬鹿は言ったのだ。
『皇都で暮せば本を貸し出す図書館に通いたい放題ですよ』と。
これで本好きの母は陥落してしまった。
すると今度は父が、母が領地に居ないことに戸惑いを示した。父は何かと母に意見を聞くことが多い。いや、母が何かを決める前には必ず相談するとと言っていたからだ。
貴族社会は基本的に人の粗を大きく問題視する傾向にある。些細なことでも、事を大きくし、騒ぎ立てるのだ。
ちょっとのことでも貴族社会では痛手になる。過去に爵位を返上するケースまで出たほどだ。
父がゴニョゴニョと言っていると、この馬鹿は更に続けた。
『領地の管理に長けた管理官を送りましょう』と。いい笑顔で少年ジェイドは言い切ったのだ。
父がそれに頷こうとして、私は待ったをかける。
『婚約者だからと言って、そこまでしてもらっては駄目だ』と。
ここまでされると逆に父が皇族に媚を売っていると言われかねない。
だから、屋敷はジェイドが購入し、使用人として領地の者を雇い、私の身の回りの世話をすることに話が落ち着いた。
近所に住むユーリちゃん一家が私と共に皇都で暮らすことになったのだ。
「ユーリの家族はどこにいるの? その屋敷を引き払ったら、暮らす場所がなくなるじゃない」
そう、彼らは皇都に来る際に今まで住んでいた家を人に明け渡したのだ。普通に計算しても私は十年以上その皇都の屋敷に住み続けなければならない。
だから、彼らの家も誰かに管理してもらうために、人に譲ったのだ。
「ああ、問題ない。今は牢に入っているからな」
「どこが問題ないのよ! 問題ありまくり! 早く出しなさいよ!」
するとジェイドがため息を盛大に吐き出して、室内を見渡す。いや、見渡しても何も無いと思うけど? ああ、執事のラグザはいるか。
「ラグザに同じ部屋にするように頼んでいた。誰の部屋かわかるか?」
「……私の部屋だけど、それがなに?」
そう、私の部屋。寝室は勿論別にあるけど、私の私室には物を置いてはいない。
「元々イリアの部屋には物が少ないことは知っているが、俺が最初に必要になるだろうと贈っていた家具が見当たらなかったのは何故だ?」
「……」
何故って言われても困るなぁ。
「クローゼットの中にはドレスは一つも無かったそうだが、俺が送ったドレスはどこに消えたんだ?」
「……別に消えたわけではないけれど……」
「だったら、クローゼットを使えない理由は何だ?」
「必要が無いから?」
くっ! まさかこのタイミングでバレるとは……だから、ジェイドには用があるなら私が離宮に行くと言って、なるべく屋敷には近づかせないようにしていたというのに。
「イリアが答えなくても、聞き出して理由を知ってはいるが、俺はイリアから聞きたい。何故だ?」
はぁ。これは私が招いたことだ。そして、私の甘さが招いたことだ。
「家具は元々興味がなかったのもある。屋敷に着いた早々にユーリが欲しいと言った。だけど、これは私に贈られてきたものだから、ユーリが使うと問題になるとは忠告はした」
ジェイドが贈ってきた家具は皇族御用達の品だということは見た瞬間にわかった。磨かれて曇り一つない鏡が備え付けられた鏡台。入れる物によって引き出しが違う遊び心があるチェスト。何を置くのか検討がつかない細工に凝った飾り棚……等々があった。
「ユーリの言い分は同じ屋敷の中にあるからいいだった。だけど、私が首を縦に振ることがないとわかると、両親や付きてきてくれた使用人たちに泣きついたのだ。私がユーリを叩いてきたと」
「どこから叩いたという話が出てきたのだ?」
「強いていうなら、自分の正当性を認めさすために、嘘をついたかな? それが続くと大人たちは、皇族の婚約者になってから私が人が変わったと思うようになったみたいで、なんというか、面倒になった」
私がそうじゃないと言っても、当の本人のユーリは痛い痛いと腫れてもいない頬を押さえて泣いている。段々と大人たちの目が変わってきた。
最初はただの子供の喧嘩だと思っていたが、私がユーリを顎でつかって粗相をすると殴っていると。
だけど大人の前ではいい子ぶっていると。
段々と私と使用人たちの間では溝が広がってきたのだ。
そのうち、私の私物が無くなりだし、家具は使用人たちの部屋に運び込まれ、最後に残ったソファーとガラスのローテーブルは魔力で固定し動かなくしたことで、私の部屋に残ることができた。
「家具は皇族御用達の品だから売ると足が付くぞとは脅しておいたけど、小物はいくらか売り飛ばされたから、後で買い戻しておいた」
流石に皇族から贈られた物を手放すのは色々問題になるから、奴隷商人のおっさんが教えてくれた知識を駆使して、お金を工面して買い戻した。
役に立ったよ。何事も無駄なことなんて無いということだ。
「それからは、空間収納に入れて持ち歩いているから、ジェイドから贈られた物は手元に全部ある」
「俺、イリアから凄く愛されている」
どこをどう切り取ったら、そういう感想になるの? 皇族からの贈り物が無いっていう状況を他の貴族に知られれば、蜂の巣をつついたように騒ぎ立てられるのは、目に見えているじゃないか。
「ただの保身だけど」
「お話中失礼いたします。イリアお嬢様。そこは嘘でも、そうだと答えるところです。それから、言葉遣いが乱れておいでです。気を付けてください」
「ほほほほ、失礼しましたわ」
嘘でもとは、普通は口にはしないものですわよ。それもジェイド本人の前ではです。
あと、子爵令嬢の仮面などペラペラなので直ぐに剥がれますわ。
それにしてもこの執事。未だに私のことをお嬢様呼びをする。ふつうはサルヴァール子爵令嬢と呼ぶべきでしょう。
「しかし、いつまで経っても、貴女はジェイド殿下の婚約者という自覚がおありでない。民草などジェイド殿下の前ではひれ伏して当然。貴女がご自分で対処できないのなら、直ぐにでも殿下に報告すべきでした」
はぁ、わかっていますわ。だけど、そうすれば、皇族から贈られたものを私物化したという罪、盗んで売ったという罪に問われ、領民が裁かれるのです。
それは私が嫌だったのです。
だからこれは私の甘さが招いたことだと、ラグザの言葉を受け入れます。私が悪かったと。
「ラグザ。イリアは何も悪くはない。親元から離して皇都に来るように言ったのは俺のわがままだった。初めからあの母上の顔色など窺わずに、イリアをこの離宮に連れてくれば何も問題は起こらなかったのだ」
「はい。差し出がましいことを申しました」
「わかればいい」
本当にこの執事はジェイドの前だと良い子ちゃんですわ。私が反論しようものなら、その百倍ぐらいは返してきますのに。
「あの使用人共のことはイリアは気にしなくていい。特にあのユーリとかいう女は、絶対に許さない。あの女だろう? イリアをこのような目に遭わせたヤツは」
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