第6話 もう何度目?

「うっ……暑い」


 寝苦しくて目が覚めた。重い。暑苦しい。そして何故か血なまぐさい。


 血なまぐさい?


 思わず飛び起きて、私の寝ている後ろを見ると窓から入ってくる月明かりにキラッと反射する物体が見えた。


 手のひらに魔力を込めて、光をともす。

 私の水色の布団が赤黒い斑点模様に侵食されているのが目に入った。


 またか! もう何度目だ?


 粗く息をして、肩を押さえているジェイドが、私の布団の上に横たわっていた。


 春に皇城に戻って今は初夏。このようなことが、既に両手を超える領域まで達している。 


 肩を押さえている手を持ち上げると、肩にナイフのようなモノが刺さっている。柄がないナイフといえばいいのだろうか。どうみても暗器の部類の武器。


 そして、ジェイドの様子から毒が仕込まれているのだろう。そのナイフを抜き、私の手で傷口を押さえる。


「まずは『解毒』」


 魔術の基礎は母から教えてもらったけど、どうも私には相性が悪くて、前世の記憶からイメージを引っ張り出してきたほうが使い勝手がよかった。


 だって、漢字自体に意味があるし、言霊っていう言葉に力が宿るっていう考えもあったりするからね。


「もう良いかな? 『治癒』」


 ジェイドの表情を見て毒を排除できただろうと思い、傷を治していく。


 イメージの考え方で一番違うのは治癒なんだろうなと思っている。


 母から教わったことは、傷口を糸で縫い合わせるようにって言われた。

 確かにこれは切り傷ならいいけど、ちょっと深いキズになると、表面だけ治して、深いキズはそのままってことになる。


 だから、私は人体構造をイメージして、肩の血管、神経、筋肉、皮膚という順に治していく。


 よし、見た目はキレイに治った。私の寝間着と布団が血まみれだけど。はぁ、明日は母に手伝ってもらって、布団を洗わないといけない。

 流石に子供である私は、魔術で布団の染み抜きができても、シーツを交換したり、布団を干すのは難しい。


 実は、魔術を使って一人でやろうとして、シーツを破いてしまったことがあった。母からは『一人でやろうとして偉いわね。でも次からは母ちゃんが手伝うから一緒にしようね』っと忠告を受けた。

 シーツもただじゃないと無言の圧力を感じたのだった。


 取り敢えず、ジェイドの血まみれの衣服を脱がす。私なんて袖を通したことがない上質な生地だ。

 前世の記憶では絹に近い。


 代わりに今は王都に行って居ない兄たちのゴワゴワの古着を取り出す。

 ジェイドの身体を少し浮かせて着替えさせた。

 魔術様々だ。普通なら夜中に母を叩き起こしているところだ。最初は手間取ったけど、意識がないジェイドを着替えさすのも手慣れたものだ。


 はっ! 侍女の職いけるんじゃない?

 まぁ、子爵令嬢じゃ下女がいいところか。


 血まみれの布団と衣服は部屋の隅に固めて明日の朝に洗濯だ。兄たちの部屋から拝借していた布団を引っ張り出してきて、再び私はベッドの住人になる。


 こんな事が繰り返されるので、兄たちの私物が大活躍しているのだ。

 って、そもそも辺境の地にいる私を頼らないといけない状況って何って思う。ジェイドの悪い噂が流れているというけど、そもそも周りの環境が悪い。


 これじゃ、人間不信が悪化するだけだ。


「いりあ」


 意識が戻ったジェイドが私を呼んだ。


 本当にこの状況は十歳……十一歳の子供には過酷過ぎると思う。


 私は隣に寝ているジェイドの頭を撫でてあげる。

 するとジェイドは私にすがりつくように、くっついてきた。……冬じゃないから、暑いのだけどという文句を押し込めて、私も眠ったのだった。




「まぁまぁ、ジェイド。おはよう」

「おや?来ていたのかい? ジェイド。母さん。今日は卵はあったかな?」


 ジェイドがシレッと朝から家にいることを、受け入れている両親は凄いと内心思っている。

 ジェイドが皇族だとわかって、最初はかしこまっていたけれど、今ではこの通り、近所の子が遊びに来ている感じだ。ジェイドから今まで通りで接して欲しいと言われたのもあったのだけどね。


「おはよう。今日は一日こっちに居ていいか?」

「ゆっくりしていくと良いよ」


 そう言って、父は庭に出ていく。庭で飼っている鳥が卵を生んでいないか見に行ったのだろう。

 たびたび私が血まみれの布団と衣服を母と一緒に洗濯してるのを見て、少しでも栄養のあるものを食べさせようとしているのだ。


「母ちゃん。おふとん、水につけているから後で一緒に干して欲しい」


 私は起きて直ぐに外に出て大きなタライに水を張って、布団と衣服についた血を洗落としていた。

 血痕はどす黒く変色していたので、やはり毒が混じっていたのだろう。


 ちなみに貴族である我が家にも使用人はいる。近所に住んでいる女性が一人と執事のじぃちゃん。

 といっても貴族の体裁のため、使用人として雇っている感じだ。母も父も自ら動くのが好きだから、家のことは自分たちでほぼ賄っている。


「わかったよ。イリアは偉いね」


 母も父も詳しくは聞いてこない。ジェイドの立場から何が起こっているのかは、薄々理解しているのだろう。


 だけど、三つ年上の兄は違う。 


「ジェイド。暇なのか? だったら、川に遊びに行こうぜ!」


 いや、死にかけた人を川に連れて行っては駄目だ。


「兄ちゃん駄目だよ。……今日はイリアと遊ぶんだよ」


 遊ぶ予定はないけど、今日は大人しく過ごして欲しい。明日はお茶会とかいうモノに出なければならないって言っていたからね。


「ふーん。じゃぁ仕方がないな。ジェイドはイリアが大好きだからな」


 ……大好き? 兄からそう言われて首をかしげる。普通じゃないのかな?



 昼までは何事もなく過ごしていた。昼食を食べて、ジェイドに昼寝をしろっとベッドに押し付けたところで、訪問者がやってきた。

 近所に住む友達の一人だ。


「いりあちゃーん! いっしょにいこー! いつものおじちゃんが来たよー」


 屋敷の外からの誘いの声に、とうとう来たのかと身体が固まった。いや、いつもは冬になる前に来るのに、去年は来なかった。だから嫌な予感はしているのだ。何かあったのだと。


 私はベッドに押し付けているジェイドに言う。


「ジェイド。私はユーリちゃんと遊びに行くから、ちゃんと寝てるんだよ」

「どこに行くんだ?」

「ん?……ここは辺鄙なところだからね、年に数回、商人が来て、色んなものを売ってくれるんだよ。ほら、秋口に服とか売りに来てる商人いたよね。あんな感じ」


 私は嘘は言ってはいない。年に数回、行商人がこの地域に寄ってくれる。


「ふーん。俺も行く」

「駄目だよ。ジェイドはお昼寝。身体を休めないとね」


 私は強引に寝るように言いつけて、屋敷を出る。ジェイドが出てくると面倒なことになるのが目に見えているからね。


 そして玄関を出たところで、亜麻色の髪の素朴なワンピースを着た女の子が立っていた。


「あのね。おじちゃんがイリアちゃんを呼んできてって言ったんだ。きっと面白いものを見せてくれるんだよ」


 屋敷から出てきた私に、一つ年上の女の子が嬉しそうに言う。

 たぶん、違う。 


 何を言われるかわからないけど、私は間違ったことはしていないと、堂々と言える。人命救助は最優先だ。

 私を迎えに来たユーリにはニコリと笑みを浮かべて手を繋いで、町の中央広場に駆けていく。


 人々が集まり、物珍しい品物を購入したり、奴隷たちがパフォーマンスをしているところにだ。




 そして、私は奴隷商人の男の前に立つ。他の子供たちには、人の良さそうな笑顔でお菓子を与えていたけど、私には糞虫を見るような目で見下ろしてきた。


「おっちゃん。男前になったね」

「誰の所為だと思っている」


 私に文句を言う奴隷商人の片目は黒い眼帯で覆われて、もう片方の目で私を見下ろしていた。

 ここは、集まっている人から離れた、荷馬車の前。人々からは丁度死角になっている。


「わたし。わるいことしてないもん!」

「人の物をとっちゃいけねぇって教わらなかったのか!」

「えー? 代わりに良い物、詰めてあげたよ。価値は十おくDでぃーるだったよね」


 十億Dディール。それは万能薬の元となる貴重な素材の一つだ。月光花キアセレーネという特殊な条件が揃わないと開花しない花だ。どこに生えているかわからない幻の花らしい。

 まぁ、近くの森に群生地があるのだけどね。


「ちっ! あんなものクソにまみれて使い物にならなかったぞ」


 知っている。正確には血と糞尿だね。

 繊細な花なので、水が違っても枯れるって、目の前の男が教えてくれたのだ。


「おじちゃん。人はうんちするよ。知らなかった?」

「お嬢ちゃん。あまり俺を怒らすなよ」


 いや、普通は杭まで打ったひつぎに入れて人は運ばない。それに王都からここまで最低十日はかかる。生きていた方が奇跡に近い。

 違うな。何かしらの魔術の痕跡があったから、途中までは問題は無かったのだろう。足の腱を切られた状態でも。


 私が茶化すと、低い声色で私を脅してきた。たぶん、この男のバックには高い地位の貴族がいるのだろう。

 だから、こんな風に好き勝手していられる。そして、その貴族がジェイドを殺そうとしている張本人か、その人物に繋がっている者。


「終わったことを今更ぐちぐち言われてもねぇ。直ぐに気が付かなかったおっちゃんが悪いんじゃない?」

「クソガキ!」


 そう言って、奴隷商の男は私の胸ぐらを掴んで、宙吊りにした。


「私に何かしても意味ないよ。憂さ晴らしにもならないよ」


 私はただの子爵令嬢で、ジェイドは既に皇城に戻っている。今、ここにいるのは内緒だけど。


「でも、おじちゃんは平民。私は貴族。手を出すとただでは済まないよ?」

「ガキのクセにいっちょ前に俺を脅すのか? ああ? 辺鄙な子爵家など、どうでもできるんだよ!」


 まぁ、そうだろうね。でもそう脅されては私も黙ってはいられない。ここには家族とのほほんとしている父を慕ってくれている領民がいるのだから。


 だから、隠している力を奴隷商の男にぶつける。ふん! ランドヴァラン辺境伯爵家の血縁であるサルヴァール子爵家を舐めてもらっては困る。


 このヴォルシュデール帝国の国境を守護し、そして拡大してきた一族だ。普通であるはずがない。


「なぜ、貴族が貴族で在ることができるか。高位貴族と低位貴族になぜ分けられるのか。根本的な理由は何?」


 奴隷商人の男は私の質問には答えられない。

 男は私から手を離し、陸の上で生き足掻く魚のように胸を押さえながら口をパクパクさせている。


 息をすることもままならないのだろう。


「答えられない? そうだよね。圧倒的な魔力の差。それで私をどうするって? ふふふ。言い返してあげるね。別にその辺りの魔物に食われたって偽装することなんて、私には簡単。だって私はランドヴァランの血が入っているもの」


 そう言って、私は息が出来ずに蒼白な顔色になっている男に金色の目を指し示す。そう、これが私の切り札でもある。


 ランドヴァランの魔眼。己より低位な存在を操ることができるチートな魔眼。それによりランドヴァラン辺境領は拡大していったとも言える。


 まぁ、ドラゴンを操れって言われたら、無理だって返す程度の魔眼だね。


「だったら、さっさと殺せばいい。いや、俺が殺す」


 ここにはいないはずの声が聞こえた。思わず威圧していた力を霧散させて、声がした方に振り向く。


 そこには銀髪の青年が粗末な衣服を着て立っていた。美人と言っていい容姿には不釣り合いな木綿のシャツとズボン。

 兄たちには似合っていたのに、ジェイドだと違和感ありすぎる。


「ジェイド。昼寝の時間だって言ったのに」


 とジェイドに近づいて追い返そうと足を一歩踏み出した瞬間。ジェイドの姿がブレた。


 これはヤバいと思い、右手を横に突き出して、何かを掴む。

 掴んだのは先程まで私から離れた位置に居たジェイドの腕だ。


 ジェイドは、瞬間移動したかのように奴隷商人の男に詰め寄って、身につけていた短剣を突き立てようとしていた。

 ……それジェイドが死にかけていた毒がついた暗器だからね。


「イリア。止めるな」

「はぁ、駄目だよ」

「何か知らないが、こいつはイリアを怒らせたんだよな。そんなやつは死ねばいい」


 理由を聞かずにそんなことで殺すの! どういう思考回路でそのような結論に至ったのかわからないけど、私は奴隷商人の男を殺すつもりは元から無い。


 そもそも私は怒ってはいない。怒っていたのは奴隷商人の男の方だ。


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