第2話 帰ってきた婚約者
「イリア! どういうつもりだ!」
凄い剣幕で怒りを顕にしているのは、私の婚約者のジェイドルークス・エヴァルーズ様です。
一ヶ月ぶりにお会いしたジェイド様は、室内でも光を反射しているように煌めいている銀髪を苛ついているのを見せつけるようにかきあげ、紫紺の瞳は怒りの炎がともったかのように、光を帯びています。
ただ、それは片目だけで、右目は黒い眼帯に覆われており、それがまた威圧感を増しているのです。
「どういうつもりと言われましても……」
片や私は、見下されるジェイド様……ジェイドの胸辺りまでしか身長が無く、首が痛いぐらいに見上げています。
「以前から今日は、お茶会にお呼ばれしていると、申しておりました」
私が言い訳をしますと、ますます眼光が鋭くなってきました。
今日のお茶会はお断りができないため、三ヶ月前から予定が入っているとジェイドには伝えていましたのに、困りましたわ。
「いったい誰から誘われたのだ。それから今からそのお茶会は断れ」
「皇妃様からですわ。流石に私からは断れませんので、断るのであればジェイド様からお願いします」
「ちっ!」
舌打ちをいただきましたぁぁぁ!
だから、私は三ヶ月前からこの日は駄目だと言っておりましたのに、当日になってそのようなこと……私からは絶対に断れません……っていうか断れるか! 私の方が舌打ちをしたい!
お嬢様言葉も疲れるんだからね!
心は平常心です。表情を崩したいのを何とかこらえて、私は手に持っている扇を広げました。そして、ジェイドにしか聞こえない低い声で、ぼそっと呟く。
「中に入れて欲しいですわ〜」
実はまだここは玄関ホールだったりするのです。まるで私に文句を言いたい為に待ち構えていたようですけど、いつもこんな感じです。
すると扇を広げている右手首を掴まれ、どこかに連行されるように建物の奥に連れて行かれてます。
そもそも何故今日なのか……一ヶ月ほど前に二ヶ月は戻って来ないと言っていたと記憶しています。
「ジェイド様。何故、今日なのでしょうか?」
私を連行している本人に尋ねてみます。そもそも私は今日は会えないと言っていたにも関わらず、いきなり使いの者がやってきて、皇妃様からの使いかと思えば、まさかの婚約者であるジェイドの使い。
「なぜ、今日だと?」
とても不機嫌そうな声が上から降ってきました。せめて一日ずらすことはできなかったのでしょうか?
お茶会は今日の十五時からだから、午前中とかでも良かったはずです。今は、十四時。十五時ギリギリに行くと色々問題があるので、三十分前には席についておきたいです。いいえ、今からこの手を振り切って行けば間に合う?
……ふと過去の情景が脳裏に蘇ってしまいました。やめておきましょう。
「一ヶ月ぶりに会えて嬉しくないのか?」
「え? この一ヶ月とても平和でしたわ」
とても平和だった。特に私の心が平和だったのです。
すると、痛いほどの視線がブスブスと刺さってきます。隣のジェイドからではなく、ジェイドの執事の視線が背後から突き刺さってくるのです。
そして、ジェイドはというと……視界にも入れたくないほど、不穏な空気をまとっていました。
だって本当のことですから。
「事あるごとに私が呼びたてられることもありませんでしたし、ちょっと領地に戻りたいと言えば、ついてくるという人もいませんでしたし、ジェイド様の部下の方から泣きつかれることもありませんでしたもの」
とても平和でした。
この平和が今日で終ってしまうかと思うと、残念でなりません。あと一ヶ月の平穏があると思っていましたのに。
私の言葉に無言でジェイドは、一つの部屋に入っていきます。両開きの重厚感のある扉を壊れんばかりに勢いよく開け、私を長椅子に押し付けるように座らせてきました。
ちょっと私の手首に跡が残っていませんか?
「それが二ヶ月かかることを一ヶ月で終わらせた俺に言う言葉なのか?」
文句を言いながらジェイドは私の隣にドカリと座ってきました。
「ゴクロウサマデシタ」
別に二ヶ月かかって良かったのですよという思いを込めて、棒読みで返します。絶対に部下の方に無理難題を言ったのだと思います。
後で、差し入れでもしておきましょう。
「イリア。一年後に結婚するのだから、そろそろ諦めろ」
諦める? この婚約がおかしいと思うと何度も言っているはずですが?
「ジェイド様。私はサルヴァール
「別に俺の父が皇帝で、たまたま第一子に生まれてきただけではないか」
「はぁ?! 何度も言っているけど! 皇族と子爵家の婚姻って何! って感じじゃない! あと言っておくけど、父の身分を上げるとか言うと国外に逃亡するから!」
あ……言葉遣いが乱れましたわ。ジェイドの婚約者である以上、言葉遣いに気を使わないといけないのです。
ジェイドの執事から、ビシビシと痛い視線が飛んで来ますわ。
「だから俺は皇位継承の権利を放棄したじゃないか」
はい。この話からわかるように、私は庶民に毛が二本ほど生えた子爵令嬢なのです。そして、私の婚約者は普通であれば皇位継承権が第一位になる第一皇子。そして今日お茶会に誘われている皇妃様の御子になります。
ということはですね。私が今日あるお茶会に参加するしか選択肢がないことがおわかりでしょう。
嫁と姑の関係は最悪です。
ジェイドは子爵令嬢である私との婚姻を望んだ為に、皇位継承権を放棄したのです。
そこはお前が、どこぞの高位貴族に養子になれとお思いでしょう。それは何故かジェイドが拒んだのです。
すると父の爵位を伯爵位に上げる選択肢が出てくるのですが、私の父はのほほんとした田舎のおっさんなので、高位貴族の中に入り、腹のさぐりあいとか絶対に無理なのです。
それに娘を皇族に差し出して爵位を得たとか噂が流れてしまえば、貴族社会で生きていくにはかなり厳しいと思います。
「最近、ジェイド様が色々やらかしてくれているお陰で、次期皇帝にとの声が高まっていることをご存知でないとは言いませんよね」
「別にやらかしてはいない。今回も一ヶ月で北から攻めてきた蛮族共を追い返したじゃないか」
「……その一ヶ月の行程の内、北の辺境に行くのに片道十日です。ということは実質十日で、方を付けたということですよね? どれだけ無茶苦茶なことをされたのでしょうか? これでまたジェイド様の評価が上がって良かったですわね」
厭味ったらしく言います。
ジェイドを皇帝にと押す者たちからすれば、私の存在が邪魔で仕方がないのです。ええ、子爵令嬢が皇妃にだなんて、認められませんから。
「そうだろう? イリアに会うために、最短で終わらせてきたのだからな」
嬉しそうにしないでください。私は褒めてはいません。
それから、もう会ったという事実を作ったのですからいいですよね。
「ジェイド様?」
「なんだ?」
少し落ち着いてきたのか、イライラ感は感じなくなってきました。それを確認した私はジリジリと距離を取ります。笑顔をジェイドに向けて、わからないほどジリジリと。
「同じ皇城内とはいえ、そろそろ遅刻しそうなので、私はお茶会に行ってきます!」
それだけ言って、私は床を蹴って、先程入ってきた扉に重力がかかっているのかと思われる速さで張り付きます。いいえ、入って来る時に、魔力の糸をくっつけていた扉に向って、糸を引き寄せるように移動します。
扉のノブに手をかけたところで、私の顔の横に風がかすめました。違います。私を囲うように両手を扉に押し付けて、威圧的に私を見下ろすジェイドがいました。
「俺と母上と、どちらが大事なのだ?」
くっそ面倒くさいことを言ってきた!
嫁姑問題を理解しろ! このまま結婚しても険悪なのには変わらないのに! 以前から約束をしていたお茶会を放り出して、婚約者のところに入り浸る嫁って最悪じゃないか!
……言葉遣いが失礼しました。
「ジェイド様がお断りを入れてくれないので、三ヶ月前から招待されています皇妃様主催のお茶会に行かないといけないのです」
駄目だというのであれば、ジェイドから皇妃様に言ってくれないと、色々ややこしいことが発生するのだと、遠回しに言えばジェイドは私を扉から引き剥がして、先程いた長椅子に腰を下ろしました。
ええ、抱えられて移動させられた私は、長椅子に座ることなく、ジェイドの膝の上に抱えられているのです。
これは逃さないぞアピールなのでしょう。
そしてジェイドは執事に紙とペンを持ってこさせ、何かを書いて皇妃様のところに持って行くように命じました。
執事が部屋から出ていく際に、私に大人しくしていろという突き刺さる視線を送ってきたのは、いつものことです。
あの執事。ジェイドがいないと、ジェイドにはふさわしくないだとか、お前はここに出入りできる身分ではないとか、こんなチビがジェイド様の婚約者など認められないとか私にグチグチと言ってくるのです。
それは私に言わずにジェイドに言ってほしいものです。それから、私の身長が低いのは、ずんぐりむっくりの父に似た所為なので、遺伝です。そこに文句を言うのであれば、父に言って欲しいですわ。
「イリア。やっと二人っきりになれた」
「普通は駄目ですよ」
ほぼジェイドの所為でこの建物内の人は少ないのです。だから、執事以外の使用人はこの部屋の中にはいなかったのです。
そう、ここは第一皇子であるジェイドに充てがわれた離宮です。
ジェイドの評価に性格は含まれていないことが、とても残念ですわ。この離宮にいる使用人の数は他の皇子様方の離宮と比べて断然的に少ないのです。
それは使えない使用人を次々とクビにしていっているからです。酷いときは使用人の腕を切り落とすという事件までありました。
別に私がジェイドに贈ったハンカチを捨てようとしたことなんて、腕を切り落とすことではないじゃないですか。バラのつもりの刺繍が、惨殺死体の血痕のようになってしまった刺繍なんて、ゴミ同然だと思います。
そんなことを思い返していますと、段々と背中から圧迫感を感じるようになってきました。
はぁ、また無茶をしたようです。
「ジェイド様、寝るのでしたらご自分の部屋にお戻りください」
ここは離宮のサロンですので、ここで寝てしまったら、またあの執事から小言を言われてしまいますよ。
「嫌だ……それともイリアが添い寝してくれるか?」
「しません! それで、十日かかる帰路を何日で戻ってきたのですか?」
「五日……」
……普通は半分の日数にはなりません。恐らくほぼ休みなく、騎獣を取っ替え引っ替えして皇都まで戻って来たのでしょう。
うっ、完全にジェイドの頭が私の肩に乗っています。重い。はぁ、仕方がありません。
「膝枕してあげますから、横になってください」
「……そう言って、いつの間にかクッションに置き換わっていたことがあったが?」
それは足が痺れて来たので、クッションに変わってもらって、私は帰りましたね。しかし、バレて我が家まで押しかけてきたので、それ以後はしていません。ええ、玄関扉が破壊されてしまいましたから、クッションはやめておきます。
「今度は執事のラグザに頼みますね」
「……それはあいつが拒否るだろう」
あの執事。私には文句を言ってくるくせに、ジェイドの前ではいい子ちゃんしているのが気に入らないですわ。時々仕返しをしないと、気が済みません。
「まだ土産も渡していないから、夕食を一緒に取ればいい。多分、その内届く……」
ジェイドは不穏な言葉を言いながら、私を長椅子の端に座らせ、私の膝の上に頭を置いて寝息を立て始めました。
え? なに? そのうち届くって……もしかして部下に後から持ってこさせているってこと? それもジェイドが移動日数を半分にしたのと、さほど変わらない日数で?
それは余りにも権力というものを、振りかざし過ぎではないのでしょうか?
しかしここまで私に執着しなくてもいいと思うのです。確かにジェイドにとっては、人生の岐路という時に私が現れたのかもしれません。
いいえ、ジェイドが人間不信になるきっかけに私があらわれたのだと思うのです。
あれは十二年前。私が六歳のときでした。
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