なぜ巡り会うのかを私たちはなにも知らない

天川

なんでもないや

「………っ!」


 書類を受けとるために身体を捻った瞬間、脇腹に食い込む感触が身を甘く苛む。


「……課長? どうしたんです?」

 新人の女性に尋ねられ、私はなんとか取り繕ってその場をやり過ごした。


 受け取った書類をデスクに置き、手洗いへ向かおうと席を立つ……瞬間……!


「……んぅっ」


 内股に、またしても甘美なる苦痛が鈍く走る。

 それでも、不自然な歩き方にならないように努めて平静を装って部署を後にする。


 男子トイレ、その中に人の気配が無いことを確認して……私は鏡の前に立った。


「……っ……は…ぁ」


 ため息をつこうとしたのだが、妙に湿り気を帯びて喘ぎ声のようなものが漏れてしまった。


 夏場のノータイ勤務のため、スッキリした首もとにもかかわらず、上まできっちり留められていたボタンを……私は一つ、二つと外して、改めて確認した。


 ……一応気を遣ってくれたのであろうか、白い色をした縄が首から胸にかけて身体に絡み付いているのが見てとれた。


『これ……入れてみたの。二人の秘密の印よ』


 夕べの言葉が思い出される。

 決して大きくはないが均整の取れて美しい乳房の南半球に、アルファベットのSを四つ並べた刺青……


 ぶるる……、と思わず身震いする。


 確かに、確かに……夕べは少し油断していた、それは認めよう。

 だが、これは少々やりすぎではないか……?


 冷や汗のような感触を感じながら、再び私は首のボタンを留めていく。


 朝、目が覚めた時彼女の姿は部屋になかった。

 だが記憶が無いわけではない、しっかりと覚えている……それも結構具体的に。


 身体に巻き付いていたも、単なるいたずら程度に考えていた。


 だが、結び方は実に複雑で技巧に満ちていた。


 そもそも、ほどける末端が完全に背中側に纏まっており自分では手が届かないのだ。

 それでも、普通に動く分には問題はない。日常生活に支障の出るような結び方はされていない、実に巧妙な結び方だった。……動くごとに妙な刺激が生まれてしまうのだが、今はそれは置いておこう。


 とりあえず、浴室にあった剃刀で縄を切ろうとしたのだが、どういうわけかびくともしない。

 仕方なくロビー横の売店で鋏を買ってきたのだがそれでも縄は切れなかった。さすがに焦ってきて右往左往し始めた時、枕元の書き置きに気づいた。


『夕べはとても素敵だったわ、ありがとう

 また近いうちに会いましょうね✨


 追伸:

 その縄は軍用のケブラー製だから普通の刃物じゃ切れないわ。今度会うときにほどいてあげるから、約束忘れないでね♥️』


 ……私は、後悔よりも諦めに満たされてそのまま服を着て(念入りにデオドラントスプレーは吹いておいた)そのまま会社に出ることにした。


 さて、このままトイレにいるわけにもいくまい。部署に戻ろうか……。


 私は、部下たちにばれないようにと願いながら、再びデスクに戻り仕事を続けた。


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なぜ巡り会うのかを私たちはなにも知らない 天川 @amakawa808

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