第4話 誰がための再生

 勢いそのままに駆けだしたオルテが向かったのは、マザー・ミカの部屋の前だった。

 必死になって走っていたが、その足は無意識のうちに助けを求めていたようだ。

 彼女なら何か、自分を救ってくれるような言葉をかけてくれる。彼女ならきっと、その身にふりかかった疑惑を全て完璧に否定して、身の潔白を証明してくれる。様々な期待を胸に、部屋のドアをノックした。

 少ししてから扉が開く。その先で見えたのは、暖色系の照明で白髪を輝かせた、ミカの姿だった。

「オルテ、来てくれたのね。さあ座って」

 喧嘩をして飛び出してしまったおかげか、ミカとの約束に遅れることは無く、何事もなかったかのように部屋へと案内される。

 彼女の部屋は施設の代表者でありながら、鑑賞や嗜好などの類は特になく、あるのは本棚と机の他に、大きな暖炉くらいだった。唯一、歴代の施設代表者と思しき若い男や女の写真が、壁の高い所に飾られていた。

 暖炉の傍の一人掛けソファに案内されたオルテだが、暖炉には火が灯っていなかった。冬も迫り肌寒い季節。少し心もとない気持ちになりながらも、そのソファの座り心地に心を休ませる。

「目元が赤いですね。何かあったのですか?」

 ふと、ミカがオルテの顔を見て尋ねた。走りながら思わず流れた涙を何度も拭っていたせいで、顔にその痕が残っていたようだ。

 オルテは躊躇うも、しかし彼女を信頼したいという気持ちは隠せなかったので、先ほど自分の部屋で起こったことを打ち明けた。


「――そうですか。エリーとそんなことが……」

「……ミカは、そんな悪い人じゃないよね?」

 オルテがおずおずと尋ねる。

「勿論です。私は君たち孤児の皆を、何よりも大事に思っていますから……ただ」

 ミカは立ち上がり、少しだけ調子を変えて話し始める。それは冗談や取り繕いではなく、心の底を明かすような、身の入った話し方だった。

「ごめんなさい。君たちに隠し事をしていました。正直に話してくれた君のためにも、これは伝えないといけません」

 彼女はおもむろに暖炉の傍へ行き、身を屈めてその中を覗く。そしてストッパーのような物を動かしたかと思うと、暖炉の奥を隔てていた鉄の板が開き、奥へと続く空間が生まれた。

「この先が、君たちの言う『地下工場』へと続く道です」


 暖炉をくぐった先の道は想像よりも広く、ミカほどの身長ならば難なく歩くことができた。

 道中、ミカは施設のことについて語りだした。

「この施設――『再生の丘』が作られたのは今から二十年前。国境付近に位置するここは当時、小さな村が広がっていましたが、戦時中にによる被害を受けて殆どが更地になりました。辛うじて残った施設の建物を除いて――」

 それはオルテが生まれるよりも前の話。この時の敗戦は当時の祖国にとってそこまでの痛手ではなかったらしく、次なる戦争に向けてより軍備を拡大する機運にさえなっていた。

「核による被害は軽微……むしろその報復のために戦争を起こそうと、国は立ち上がります。大方、国民の不安を煽らないように虚勢を張ったのでしょう。しかし彼らはその裏で、汚染された領土を少しでも再生させるため、ある非道な方策を取っていたのです」

 一度立ち止まって、ミカはふいに問いかけた。

「オルテは、を知っていますか?」

 聞き馴染みのない言葉に、首を横に振った。

「イネ科植物、あるいはヒマワリやポプラといった花に至るまで……植物の中には核物質や重金属などを吸収するものがあります。その特性を利用し、土壌にある汚染物質を吸収して土地を再生するというのが、ファイトレメディエーションなのです」

 まさか、とオルテは口を開く。脳裏を過ったのは、自分たちがいついかなる時も休まず課せられていたあののことだった。

 ミカは目を伏せて頷く。

「国家は孤児となった自国の子供たちを使って、この『丘』で土壌再生のための労働に従事させています。花を作って売るというのはただの方便。自分たちは危険地帯に足を踏み入れずに、戦争の尻拭いを、戦争の被害者である子供たちに押し付けていたのです」

 オルテは真っ先に浮かんが不安をミカにぶつける。

「それって、僕たちはどうなるんですか。毎日汚染された場所にいる僕たちは……」

「……皆、二十歳を迎える前に死にます。国家は日々の食事に抗生剤を混ぜるなどして誤魔化していますが、それも時間の問題です。二、三年も居続ければ次第に目が見えなくなり、呼吸も困難になる。少しでもその症状が見え始めた者は、国が早々に回収して内密に処理するのです。その後については私も知りませんが、恐らくは……」

 ミカは最後まで語らなかったが、その結末にあるものは察することができる。

 オルテは絶望した。絶望と共に、一体何がどうなっているのか、もはや分からなくなっていた。

 父さんと母さんには会えないのだろうか? 自分もすぐに死んでしまうのだろうか? 国が自分たちを騙したというのなら、自分は何を信じればいいのか?

 オルテが懊悩し、涙を浮かべる中。そんな彼の脳を貫くようにして、ミカが柔らかな声で囁いた。

「でも、そんなのは嫌でしょう? このまま国に殺されるだけなんて……」

 その声にはっとして見上げると、いつの間にかあの地下工場に辿り着いていた。

 ごうごうとあのけたたましい音が鳴り響いて、奥では巨大な焼却炉が地獄のように燃えている。よく聞くと、あの轟音は焼却炉ではなく、全く別のどこかから発生していたようだった。


「ある時、当時のマザーが立ち上がりました。私たちに残された時間は少ない。それでも、何も知らずに死んでいく子供たちを黙って見届けることはできない。ならば、彼らの思惑が達成される前に、鉄槌を下さねばならないと!」

 マザー・ミカは語りながら、オルテを布で覆われた巨大な物体の前に連れた。地下工場に鳴り響く轟音は、その布の奥から聞こえてくるものだった。

「幸いにも、私たちには国家に噛みつくための『牙』がある。それは彼らが最も忌み嫌っていたものであり、故に私たちに押し付けてきた最大の『武器』……!」

 布が払われ、正体が露わになる。

 現れたのは、オルテの部屋ほどの大きさを誇る、継ぎ接ぎだらけの巨大な機械だった。その隣には見慣れた籠が置いてあり、籠の中には花弁のみを毟り取られた花が大量に入っていて、これもオルテには見覚えがあった。機械はそれらの花を飲み込んで何かを抽出しているようで、猛獣の威嚇のような機械音を響かせて振動している。

「花の花弁以外の部分――子実や茎葉、根には、ファイトレメディエーションによって吸収された汚染物質が蓄積されています。歴代マザーたちが完成させたこの抽出機を使って、その汚染物質を抽出しているのです」

「何故、こんなことを……」

 ミカはその質問を待っていたと言わんばかりに、喜々として微笑んだ。

ですよ! この汚染物質を再利用した『物質散布爆弾』を作り、その『武器』を以ってこの国に報復するのです!」

 オルテは身を強張らせた。穏やかなはずのミカの笑顔が、その時に限っては歪な皺を作るほどに悍ましかったからだ。

「私たちはいずれ死ぬ運命……人知れず踏みにじられて散る徒花あだばなです。ならば――」

 右手を掲げ、彼女は高らかに告げる。その手には話に出た球状の『物質散布爆弾ダーティボム』が握られていた。

「私たちの自爆と共に、彼らにその罪の重さを教えてあげましょう! その愚かさを、一人残らず、奴らの染色体の一つ一つに至るまで、余すことなく思い知らせてやるのです!」

 ミカは高らかに笑った。白い肌には汗がつたい、焼却炉の光を受けて煌めいている。白内障の瞳は野望のためにぎらぎらと輝いて、暴れる白髪はひたすらに美しい。しかし、オルテには同時に恐ろしくもあった。憧れていたはずの人が、こんなにも悍ましく、底なしの憎悪を胸に秘めているなど、彼にはとても受け入れられないことだった。

 ミカは爆弾を置き、その白い手を――まるで初めて会った時と同じように――少年に向けて差し出した。

「オルテ。全ての爆弾がもうじき完成します。ですが、恐らく私の体はもう長くはありません。眼は霞んで、体力も衰え、花摘みの仕事さえもできないのです。だから代わりに君が、この施設のになってください」

「ぼ、僕が……」

「君は強かで、利口で、そして国を憎んでいる。自分を捨てた親を、そのきっかけとなった戦争を、それを起こした国家を憎んでいるはずです。この『丘』に来て間もない子供の中でも、特に信頼に置ける君にこそ、この国を滅ぼしてほしいのです」

 それこそがミカからの『頼み事』だった。

 だが、最早少年の中に彼女に対する憧れはなく、ましてや国に対する憎悪もはなから持ち合わせていない。今は彼女の思想にただ恐れるばかりだった。

 彼女は自死を厭わず、国を巻き込んで、高濃度の汚染物質で破滅するつもりだ。そうなれば二、三年と経たずして自分たちは死ぬだろう。

 国に殺されるか、復讐のために滅ぶか。しかし、少年の答えはただ一つだけ――。


「……たくない」

「……なんと?」

 オルテは恐怖に負けぬよう、拳を握りながら叫んだ。

「外に出て、父さんと母さんと会うんだ! それまで、僕は死にたくない!」

「な、何を……」

「僕は何も憎んでなんかいない……!」

 叫んだ勢いそのままに、オルテが踵を返して走り出す。ミカは気圧されている。逃げるなら今しかない。しかし、そんな彼の後ろ姿に向けて、ミカはおもむろに懐から何かを取り出した。

 刹那、『パンッ』と乾いた音が地下工場に響き渡る。次の瞬間には、オルテの足元で何かが高速で着弾した痕跡があり、その何かはミカが突き出して構えているから発せられていた。突然の事態にオルテは思わず硬直する。

「抽出機が作れるのですから、の一つくらいあっても不思議ではないでしょう?」

 そう言って、ミカは握っていた銃のスライドを引き、開いた穴に手動で弾薬を込めた。次弾の準備をしている。次も撃つつもりだ。自分がこの計画に協力すると言うまで、彼女はきっと撃つのをやめないだろう。

 身近に迫った死への恐怖から、手足が震えて動けなかった。ひとたび気を抜けば恐怖で目が眩みそうだった。しかし、そんな中にありながら、オルテはあることに気が付く。

 ミカの手先がわずかに揺れているのだ。霞む視界の中、必死に照準を合わせようと、白く濁った眼で少年を睨んでいる。

「もう、時間がないんです。近い内に国から派遣された業者が施設にやってきます。その時に彼らの車を奪い、爆弾と共に国中を巡って、汚染物質をばら撒くのです。だから、もうご両親のことは忘れなさい。どうせ全て終わるのですから……」

 引き金にかかる指にぐぐ、と力が込められる。ミカの表情に迷いは見えない。

 ――死ぬ。今度こそ当たってしまう。しかし、自ら動き出す勇気はなかった。オルテは力いっぱいに目を瞑り、そして祈った。

 弾は当たらない。汚染物質も嘘だ。どれもこれも悪い夢なんだ。

 目を開けた時にはいつもと変わらない『丘』での朝を迎えていて、昼時になればエリーと共に『秘密の花園』で陽だまりに満ちた時間を過ごす。汚染物質も国家の陰謀も、将来への絶望もない。いつか父と母が自分を迎えに来るんだ。いつか、きっと……。


「オルテ‼」

「……!」

 突如、甲高い声が耳を突いた。

 少年を現実に引き戻したのは、抽出機の影に隠れていた少女、エリーの精一杯の大声だった。

 するとミカはすぐさまエリーの方へ銃口を向け、迷うことなく引き金に指をかけた。

 ――まさか。嫌な予感が背筋を駆ける。エリーはミカのことをずっと警戒していた。ミカ自身もそれを分かっていたはずだ。ならば、計画に不都合な彼女をミカはどうするだろうか。最悪の想像が電流となって少年の脳内を巡ると、次の瞬間には体が前へと動いていた。

 パンッ!

 発砲の後に響く、金属同士が衝突する鈍い音。オルテの咄嗟の体当たりが功を奏して、銃弾が抽出機に風穴を開けるだけに終わった。

「早く逃げるわよ! 機械だらけだから、あいつも迂闊に撃ってこないわ!」

 そう叫ぶエリーの声は、その端々が恐怖で震えている。彼女の懸命さに応えようと、オルテもわななく脚に力を込めて走り出した。

 走れ、走れ、走れ。脚が宙をかきそうになるのを必死に制御し、自身に命令した。機械の排熱が肌にまとわりつこうが、炉の熱で滲み出た汗が目に入ろうが、そんなことも厭わずに走った。エリーの背中を追いかけて、ついて離れずに走った。

 背後からは絶えずミカの叫び声が聞こえてくる。後ろを振り向くとすぐそこに彼女がいるような気がした。その恐ろしさに耐えながら、少年少女はひたすらに走った。

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