第5話 月と船出
その真っ暗な階段は、初めこそ奈落の底に挑む心地だった。だが今は奈落から這い出て、光を求めるために駆け上がっている。一段も踏み外すまいと、少年は全力で階段を上った。
外へ出て二人が最初に目にしたのは、月明りに照らされた『秘密の花園』だった。
薄青い草原が、一陣の風を受けて靡いている。思わずその方向を目で追うと、先に見えたのは一部が風化して剥がれた鉄のフェンスだった。
風に導かれるように、二人はまたも走る。緑の匂い、虫の鳴き声、波打つ草の海原。その上を征くのは、服を帆のようにして風をはらんだ二人の子供だ。
走りながら、オルテは「どうして来たの」と問いかけた。
ミカは「当然でしょ」と息を切らして答えた。それ以上の会話はなく、二人は思わず互いに笑いあった。
剥がれたフェンスをくぐった後、二人が振り返る。
草原は燃え盛って、奥の黒い森まで炎が伸びていた。地下工場でミカが抽出機に当ててしまったあの一発が、この惨状をもたらしてしまったようだ。
他の子供たちは大丈夫だろうか。ミカは生きているのだろうか。フェンスの外で炎の向こう側を心配するオルテだったが、しかしその胸中には両親への執着も、ミカへの思いも存在しない。きっとあの炎が全て燃やしてくれたのだろう。少年は清々しい顔をしていた。
「オルテ……その、ごめんね」
「なんだよ、いきなり」
エリーがしおらしく俯くと、月光がその横顔を照らす。泣き腫らして赤くなった目元がよく見え、少年の心を打った。
二人だけの秘密は燃えてなくなり、帰る場所もなくなった。これで良かったのか。小さな不安が込み上げる。
オルテはふと、マザー・ミカの話を思い出した。フェンスの外側に広がる急峻な山間。その向こうには敵対する国との国境がある。祖国の暗部を知った自分たちを、敵国はどう迎えるのだろうか。
考えている内に、背後で火の手が迫っているのを察した。
どうやら、立ち止まっている暇はないようだ。炎が自分たちの背中を押してくれている。
二人は手を握り、お互いの顔を見合わせる。そして瞳を通してその心を確かめた。
――大丈夫。君となら、きっと。
月明りの下、青緑の海原を、二つの船が漕ぎ出した。
再生の丘 泡森なつ @awamori
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