再生の丘
泡森なつ
第1話 ようこそ、再生の丘へ
「ごめんなぁ、ごめんなぁ」
自分に対して何度も謝罪の言葉を述べ、涙ながらに頭を下げる父の姿。
その時は、父が何のために謝っているのか理解できなかったオルテも、今にしてみればその真意を容易に想像することができた。
齢十四にして親に身を売られてしまった少年オルテは現在、重厚な護送車の中で一人ぽつんと座り込んでいた。時折やってくる車体の揺れに身を任せながら、自分がこれから連れて行かれる場所を想像した。
ここに至るまで、少年は様々な境遇を経た。始めは戦争が起こり、それまで決して裕福ではなかった家庭は更に貧困を極めた。やがて少年は父親に手を引かれて奴隷商人の下へと連れられると、その次は様々な国の市場を転々とした。収容所のような施設に詰め込まれ、時には下衆な大人たちの衆目に晒されることもあった。
「金が貯まれば、必ずお前を買い戻してやる」
それは、奴隷商人に引き渡される際、父がオルテに対して言っていた言葉。家庭が貧しくなってからの父は徐々に身をやつれさせ、光が消えていく瞳は恐ろしくもあった。それでもオルテは彼のその言葉を信じて、それまで決して誰にも買われまいと心に決めていた。他の子供たちの背中に隠れてなるべく目立たず立ち回り、誰かの目に止まりそうになれば大怪我のふりをしたり、ひたすら愛想が悪そうに振る舞って、そうして売れ残ってきた。まともな食事にもありつけず、商人から気まぐれに暴力を振るわれることもあったが、それでも生き残ろうと必死だった。
しかし、ある冬の日、オルテは季節風邪を患ってしまう。咳き込む少年の様子を見た商人は、彼が感染症にかかったのだと勘違いした。すると他の奴隷に伝染しては不味いと考えた商人は、彼を殺そうとして、殴る、蹴るの暴行をくわえたうえで寒空の下に放置した。オルテは何度もただの風邪だと訴えたが、それでも商人は信じることはなかった。
「ただの風邪なら死なねえだろ」
冬の星空を眺めて、全身が痛むのをこらえながら、それでも思い出すのは父との約束だ。この一晩を耐えれば、父が現れるかもしれない。暖かい毛布で自分を包み、この身を買えるだけの金を商人に渡して、我が家に帰ることができるのかもしれない。だから、せめてそれまでは死んでなるものか。全身の痛みが消えていくのを恐れながら、父との約束をよすがに、オルテはひたすら耐え続けた。
その日の明朝。オルテの期待は予想だにしない形で裏切られる。オルテたち奴隷の子供が収容されている施設に、国の特殊警察部隊が突入したのだ。その場は瞬く間に鎮圧され、オルテを含む収容所の子供たちを保護。奴隷の子供は一晩にして自由を取り戻すこととなった。
子供たちを迎えようと、沢山の大人が国の保護施設を訪れた。両親、兄弟、養子など、様々な理由で引き取られ、子供たちが施設から去っていく。
しかしそんな中、オルテにだけは行くあてが無かった。父は結局、自分を取り戻しにこなかったのだ。
少年は絶望し、打ちひしがれた。しかしそんな暇も許さないと言わんばかりに、彼の前に一つの選択肢が差し出される。
訳も分からず渡された書類に書かれていたのは『再生の丘』と呼ばれる施設の名前。
それは、国が管理する孤児院での暮らしだった。
あれから季節は巡り、春となった。忙しなく揺れる護送車の中、あの時の父の顔を思い出そうとする。涙でぐしゃぐしゃになった情けない男の顔。この期に及んでも、少年は彼が嘘をついたとは思いたくなかった。
やがて車が停車し、目的地への到着を知る。外に出ると、頭上から降り注ぐ太陽が彼の目を焼いた。
「ようこそ、『再生の丘』へ」
迎えたのは、白の長髪に白の瞳を持つ、陽だまりのように柔らかな笑顔をした、二十にも満たない若い女性。
彼女はその背後に広大でカラフルな花畑を携えており、一目見た少年は、もしかするとそこが天国なのではないかと一瞬錯覚した。
目の前の女は、ゆるやかに垂れた目尻と小さく微笑む口元で、こちらの緊張をほぐす。不安に苛まれた少年の心に少しの日差しを与えた。
「……う」
奴隷だった頃の名残で、オルテはつい無愛想に会釈する。だが女はそんな彼に構わず微笑んで、少年の小さな手を引いた。
視界一面を埋め尽くす広大な花畑は、どこから風が吹こうともかぐわしい花の香を運んでくれる。色とりどりの花弁がそよいでは空に舞い上がり、豪華な舞台の装置のようだ。中には、見たことのない奇妙な見た目の花も所々で咲いていた。オルテは何度も目をこすっては、やはりその景色が夢ではないことを確認する。
『再生の丘』――花々の間を行きながら、女は言葉の意味を説明した。
そこは身寄りのない子供たちが集まる国立の孤児院であり、子供たちが大人になるまでの間、そこで勉学に励み、常識を知り、社会で活躍するための技能を身につけるための場所。
入院する子供は、オルテと同じような十四、五歳くらいの子供から、下は十歳にも満たない者と、まばらである。彼らはそれぞれの年齢に応じて必要な教育を受ける。そして大人になると、この丘を去って社会に出るというのだ。
長大な花畑を抜けて、オルテが連れられたのは赤レンガで出来た大きな西洋風の建物の玄関口。曰く、そこは十数名の子供たちが暮らすための家であり、そして学び舎でもあると女は言った。
「改めまして、私はミカ。この孤児院の『マザー』です」
「『マザー』……?」
ミカは胸に手を置いて、自らをそう呼んだ。
「『マザー』とは、この孤児院『再生の丘』の代表者であり最年長者のこと。ある時には勉学を教える先生で、ある時にはあなたたちを律するお姉さんで……まあつまり、お母さんみたいなものかしら」
柔らかな笑みとともに、彼女は自らの役目をそう言ってのけた。
オルテは思わず、自分が彼女の笑顔に見惚れてしまっていることに気がつく。はたとして顔を横に振る少年に、彼女はまた「ふふ」と笑みをこぼした。
「オルテ。丘はあなたを歓迎します。色んな子どもたちがいるけれど、あなたならきっと仲良くなれるわ」
彼女が差し伸べた手を見て、少年は一瞬戸惑った。これまで貧困に喘ぎ、親に売られ、奴隷商人を転々としてきたその人生の中で、誰かから手を差し伸べられたのは殆ど初めてのことだったからだ。
それが一体何を意味するのか。自分はこれからどうなるのか。少年にははっきりと理解ができない。
だが、先程から胸中に渦巻くこのむず痒い感覚は――それはともすれば未来に対する『期待』と呼べるものなのではないか。そう思うと、少年はその手を取らざるを得なかった。
マザー・ミカの白くて細い手を、小さな両手が包む。ミカは一層明るく笑った。
「よ、よろしくおねがいします……」
孤児院での生活は、オルテにとって忙しいものだった。
朝の六時半に起きて、朝食を取る。昼まで勉学に励み、昼食を取った後は外に出て仕事を行う。昼下がり、日が傾き始めた頃には仕事を終えて、また勉学に励む。そして時間になると夕食を食べて、就寝までの自由時間を満喫するのだ。
仕事とは、あの一面の花畑から花を摘み取って籠に入れ、残った根を掘り返して、また新たな花の種を植えるという作業だ。摘み取った花はどうするのかと問うと、「国が買い取って世界中の花屋さんに卸す」のだとマザー・ミカは答えた。勉学に休息日はあるが、この仕事だけは休みの日も必ず行っていた。孤児院の財源の一部でもあるから、欠かすことは出来ないのだという。
しかし、慣れない日々にやわな体が驚いたのか、オルテは時折鼻血を出して、ミカに何度も看病されていた。また最初の内はろくに眠ることができず、頻繁に真夜中に起きては、自分が今どこに居るのか、どうしてこんな所に居るのかと、そんなことばかり考えていた。窓のない護送車で運ばれたため、ここが故郷からどれだけ離れているかの検討もつかない。父さんと母さんは今頃どうしているのだろうか。お金を稼ぎ、自分を買い戻そうと、今も奴隷市を駆け回っているのだろうか。そんな考え事をしてから眠りにつくと、オルテは決まって望郷の夢を見るのだった。貧しくとも寂しくはなかった、そんな日々の夢を。
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