ワタマガイ
姫路 りしゅう
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「いずみん! ここ、ワタマガイいるかもしれん!」
民泊施設として格安で貸し出されている古い民家の居間で寝転がっていると、
ワタマガイという単語を聞いて、瞬間的に背筋がぴんとなる。
「えっ、本当? どこにいたの!」
やや食い気味にそう聞くと、三矢君は息を切らしながら二階を指差した。
「二階の廊下で見かけて、すぐに見失っちゃった。でも、まだ二階にいると思う」
「見に行こう! ね、
「ワタマガイか、興味深いな、いいぜ、行こう」
大学同期四人による北陸旅行のイベントとイベントの間、ただ宿でぐーたらしているだけだったぼくたちに、急に一大イベントが舞い込んできた。
いびきをかいて寝ている
ワタマガイの説明は今さらいらないと思う。
ツチノコやネッシー、雪男とほとんど同格の、有名なUMA(未確認生物)だ。
その姿は綿のようにふわふわとしていて、バレーボールくらいのサイズ。巨大なケセランパサランのようだと揶揄されることもあるけれど、どちらかと言うと丸まった白い兎のように強い質感がある。
ワタマガイが他のUMAと大きく違うところは、その目撃情報の数だ。
ぼくも何度も見かけたことがあるし、三矢君も岩崎君もそうだ。おそらく一度も見かけたことがない人の方が少ないはず。
ワタマガイはどこにでもいて、誰の目の前にも現れる。森、砂浜、アスファルトの上、そして家の中。
しかし、それだけ目撃情報が多いのに一度も捕まえられたことがない。
誰しも見かけたことがあるのに、誰にも捕まったことがない。
そういう性質から、ワタマガイはUMAの中でもひときわ異質な存在感を放っている。
かつてのツチノコ狩りのように、定期的にワタマガイ捕獲ブームが起こっている気がするけれど、結局成果はあがっていない。
そんなワタマガイが、どうやらこの民家の中にいるようだ。
屋外なら捕まえることはほぼ不可能。しかし、家の中にいるのなら話は別。
「
「そうだね」
ぼくたちは手際よく一階にあるすべての扉と窓を確認した。
どこも開いていない。
「三矢、二階の窓は開けたか?」
「いや、どこも触ってないよ」
その発言から、この民家が密室状態にあることが確定する。
「じゃ、ワタマガイ狩りといきますか」
岩崎君が目をキラキラさせながら腕を捲った。
ぼくと岩崎君はこういった都市伝説の類が大好きだ。
今回の旅行はただの観光だったけれど、普段は怪しげな噂を調査するためだけに遠出したりもする。
三矢君もそれを知っていたから、階段を駆け下りてまでぼくたちに知らせてくれたのだろう。
「しかしワタマガイか」
注意深く階段を登りながら、岩崎君が呟いた。
「岩崎君も見たことある?」
「ああ、あるぜ。といっても毎回、視界の隅にほんの一瞬映る程度だけど」
「ぼくもだいたいそんな感じ」
空中に浮いているときもあれば、地面を転がっているときもある。
でも大抵、そちらの方に意識を奪われた瞬間にはもういなくなっている。
「なんか愉快犯みたいだよね」
「さすがにワタマガイ側にそんな思惑があるとは思えないけどな。警戒心が超絶強いってだけだろ」
「でも警戒心が強いってことは、何かを警戒する必要があるってことでしょう? 例えば、捕食者とか。極論ワタマガイが食物連鎖の頂点に立っているのなら、警戒なんて不要なわけで」
「なるほどな、そんな警戒心を持つ生物が不用意にいろんなところで目撃されるのはおかしい、泉はそう言いたいわけだ」
ぼくは大きく頷いた。
そんなぼくらのオタク談議を黙って聞いていた三矢君が手を挙げて「あんまりよくわかってないんだけどさ」と言った。
「そもそもワタマガイとかツチノコって、そんな『捕まりたくない』みたいな意思のある生物なの?」
「知らん」「わからない」
ぼくと岩崎君が同時に答える。
「えー」
その回答に不満げな三矢君を見て、岩崎君は言葉を続けた。
「実態は知らんけど、まあワタマガイが
「定義? UMAの定義って何?」
UMAとは、『Unidentified Mysterious Animal』の略で、目撃情報や風説などはあるが、その存在が証明されていない謎の生物のことだ。
「で、未確認だとしてもとどのつまり生物なんだから、死を避けるようにできているんじゃないかと仮定して話を進めてるってわけ。生物の定義は結構面倒だけど、基本的には個体の存続と種の存続を根本に抱えているはずだからさ」
「なるほどなあ」
などと話しながらぼくたちはワタマガイを探す。
この民家の二階には部屋が二つとトイレがひとつ、合計三つの部屋がある。
初めに一番近かったトイレの扉を開ける。
「……いねえな」
「そうだね」
トイレの棚や裏側にもなにもいないことと、小窓が開いていないことを確認し、注意深く扉を閉める。
あと二部屋。
もちろん廊下も見ながら、次の部屋へと向かう。
とはいえこの民家は貸し出し用のため、余計なものは何も置かれておらず、見通しのいい家だった。
「ワタマガイにとっては地獄のような環境だろうな」
「完全な閉鎖空間だもんね。ワタマガイが自分で扉を開けたりするタイプなら話は変わってくるけど」
「あんなまるまるとした毛玉がどうやって扉を開けるかって話だけどな。サイズもデカいし」
そうだね、と笑いながらぼくたちは目を皿のようにしてワタマガイの影を追った。
しかし結局、二つ目の部屋にも三つ目の部屋にもワタマガイの姿は見えず、ぼくたちの捜索は実を結ばなかった。
「は?」
「見落とした……?」
「いや、三人で探しててデカい毛玉を見落とすわけがねえ。三矢、本当に見たんだろうな?」
「そう詰められると不安になるけど、見たよ。あんなデカい毛玉を見間違えるなんて考えにくいし、見ての通りこの民家には毛玉と見間違えそうなものがひとつもない」
「……」
三矢君の言う通りだった。有名なUMAであるネス湖のネッシーは流木と見間違えられたという説が濃厚だけれど、この家には見間違えられるアイテムがない。
ワタマガイはこの家の中にいたという前提で話を進めていいはずだ。
ではどうして、ワタマガイはこの家から消えてしまったのだろうか。
「……いや、岩崎君。まだ一つだけ可能性が残ってるよ」
数秒だけ考え込んで、ぼくは顔をあげた。
大きく息を吸い込むと、鼻の奥に木の家の匂いが流れ込んできた。
「ぼくたちは最初に階段すぐのトイレを見たでしょ。その時ワタマガイは廊下の最奥にいたんだよ。そして、ぼくたちがトイレに気を取られている間に、一階へと降りた」
「だな、俺も今ちょうど同じことを思った」
追い込み漁をしている感覚だった。
二階の部屋はくまなく捜索し、窓や扉を全て閉めた。階段を慎重に降りて、三矢君に見張ってもらう。
一階も二階とほぼ同じ間取りで、トイレの奥にお風呂、そして大きめの部屋に台所が追加されているだけである。
狭い部屋から確認していこうと居間からトイレへと向かった瞬間、旅行参加者の最後の一人、篠田君が「なんかあった?」と寝ぼけた声で言った。
「この家の中にワタマガイがいるんだよ!」
周りを警戒しながらそう叫ぶと、篠田君は「なんそれ?」と間抜けな声を出した。
「えっ、ワタマガイを知らない?」
「……WATAMA-GUY? ロックバンドかなんか? いやバンドがこんな家の中にいねえか。いるの!?」
「泉、無視だ無視。探すぞ」
「そうだね。篠田君、また後で詳しく話すね」
まさか現代日本にワタマガイを知らない人がいたなんて。
そんなんでよくぼくや岩崎君の友だちやってけたな。
扉を開ける。まだこの家に来てから誰も利用していないからか、少しだけむっとした空気に包まれる。トイレにもお風呂にも脱衣所にもワタマガイの姿はなく、密室状態だった。
「……やっぱり三矢君の見間違いだったんじゃないかな」
「そんな気もしてきたが、まあ最後まで探そうぜ」
一部屋ずつ戸締りをしながら進み、残すところ最後のひと部屋となった。
入口の扉は半開きになっている。確か部屋につくなり岩崎君が開けていた気がするので、その時からずっと開いていたのだろう。
まず岩崎君が部屋の外から扉をバタンと締めて、「三矢ァ、最後の部屋だ」と彼を呼んだ。
三矢君と篠田君がぼくたちのところに来て、四人が揃う。
「二階にはなにもあがってこなかった。ちゃんと見てたから間違いないと思う」
岩崎君はそれを聞いて、満足そうに頷きながら扉の取っ手に手をかけた。
「なあ、結局WATAMA-GUYってなんなんだよ」
「この部屋ん中にいるから楽しみにしてなって」
扉を開ける。
果たしてその部屋の中心に――白い毛玉がふわふわと浮いていた。
「ワタマガイだ!」
ぼくと岩崎君と三矢君が勢いよく飛び出す。
半ばダイビングキャッチでもするようにふわふわの塊目掛けて手を伸ばした瞬間、後ろからのんびりとした声が聞こえてきた。
「なになに? なにかいる?」
「いやこの毛玉が!」
「毛玉なんて見えないけど」
「――は?」
ぼくたちの足が止まる。
これが、見えない? このサイズの異物が、見えない?
三人で一気に篠田君の方を振り返った瞬間、ぼくたちはあり得ないものを見た。
篠田君の後方にある窓ガラスの奥側、つまり家の外に、大きな毛玉が浮いていた。
「もう一体!?」
とっさにそう思って振り返ったけれど、家の中にいたはずのワタマガイの姿はなかった。
視界の端に、窓の外から遠ざかっていく毛玉の残像だけが残った。
その後どれだけじっくり探しても、家の中にはワタマガイの姿はなかった。
「…………」
ワタマガイ騒動から少しして、ぼくたちは晩ご飯を食べるためにレンタカーに乗り込んだ。
目指す飲食店は決まっていたので、車内の話題は必然的にワタマガイに関連するものとなった。
「最後、窓の外に見えたのって気のせいじゃないよな」
「どう考えても窓を通り抜けたとしか思えないよ」
「物理法則を無視するって、もはや生物じゃないだろそれ……」
口々にそう話していると、後部座席でぼくの隣に座っていた篠田君が「結局ワタマガイってなんなのよ」と言った。彼は最後まで話題についてこれていなかったらしい。
「デカいケセランパサランみたいなUMAだよ。ツチノコとか知らんか?」
「ツチノコもケセランパサランも知ってるけど、ワタマガイは初耳だね。有名? うおッ!!」
ぼくが大きく頷いた瞬間、篠田君は目を大きく見開いて、車の後ろの窓を見た。
「どうしたの?」
「いま、たぶんお前らのいうデカい毛玉が飛んでた! 後ろ!」
全員が声をあげて後ろを向く。「三矢は前見てろ!」岩崎君が運転手の三矢君に注意した。
「本当に見えたのか?」
「たぶん」
「でもお前さっき、部屋にいたやつは見えてなかったんだよな」
「見えなかったよ。部屋の真ん中にいたんだってね。君たちが見たのと俺が今見たのが同じだったとしたら、あんな毛玉見逃すはずないけどな」
「……」
岩崎君は顎に手を当てた。ぶつぶつとこれまでの出来事を整理している。
「部屋の中にいたワタマガイ。窓を通り抜けて逃げた。篠田には見えなかった。でも今は見えた……」
数秒間黙って、彼はぽつりと呟いた。
「もしかしてワタマガイって、UMAというより妖怪だとか……SCPだとかに近い存在なんじゃねーの?」
SCPとは、とあるウェブサイトに投稿される、自然法則に反した異常な物品・存在・現象・場所などの創作物の総称である。
「どういうこと?」
「端的に言うとだ。ワタマガイは俺たちの常識の生物じゃない。夕方時点で篠田はワタマガイを認識していなかった。だからワタマガイの姿が見えなかった。そして認識した今、お前はワタマガイを見ることができるようになったんだよ」
「は?」
「存在を知ることで初めて存在を認識できる、それがワタマガイの正体なんじゃねえか? もちろんサンプル数が少なすぎるから本当かどうかはわかんねえけど、だとしたら瞬間移動にも説明がつく」
岩崎君は助手席から身を乗り出して、自分の眼球を指差した。
「ワタマガイは、自身を認識した生物の視覚の中に住み着く。普段は姿を見せないけれど、確かに俺たちの視覚の中に生きている。でも例えば俺たちが突然死んだら、ワタマガイを認識している人間がいなくなってしまう。だから定期的に姿を見せて、自分の存在をアピールしているんだ。生物の目的は個と種の存続。ワタマガイもそれに則って行動をしている」
「……それじゃあまるで」
ぼくは考えながら言葉を吐いた。
「奴らのことを知るということは、ワタマガイに卵を産みつけられているようなものってこと?」
「近いと思う」
岩崎君が肯定した。
知った時点で浸食される。夕方までは篠田君の体内にワタマガイはいなかったけれど、今はいる。
「だから奴らは物理法則にとらわれず、俺たちの視覚の中なら自由に消えたり現れたり、窓の向こうに瞬間移動できたりするんだ」
ぼくは首を傾げながら質問をする。
「それって変じゃない? 要するにワタマガイはこの次元とは別の次元に生きてるんだよね」
「そういう言い方もできると思う」
「だったらぼくたちはワタマガイに触れないはず。物理的に存在していないんだからさ」
岩崎君もぼくの言葉を反芻しながら数回頷いた。
「なのに、なんで逃げるの?」
「…………」
言葉に詰まった彼の代わりにぼくの疑問に答えたのは、運転している三矢君だった。
「神秘性を保つためとか?」
「ああっ!」
「捕まってしまえば、あるいは捕まえられないことがわかってしまえば、ワタマガイは『幻覚』として処理されてしまう。『解明』されてしまう。そうなればワタマガイはただの現象として認識されるようになり、今のような形で語り継がれなくなる」
そしてそれは、ワタマガイという種にとって滅亡を意味する。
なんだかすごく健気に思えた。
しかし岩崎君は渋い顔をして、「厄介だな」と言った。
「厄介?」
「ワタマガイはさ、人間にとって害がなさすぎるんだよ」
「それのどこが厄介?」
「この真相を発表したとして、もしくはどこかの誰かが提言したとして、恐らく人々はなんのアクションも起こさない。少しばかり話題にはなっても、ワタマガイという存在が禁句になったりはしないだろう」
ぼくは同意する。この謎を発信しても、ワタマガイの増殖は止められない。何故なら人間にとってあまりにも害がないから。
時々視界の中をふわふわとした毛玉が漂うだけ。これを心の底から嫌がる人はほとんどいないだろう。
「うん。でも害がないからいいんじゃないの?」
岩崎君は首を横に振った。
「綻びって言うのは絶対どこかで出るはずなんだ。例えばさっき、篠田がワタマガイを見かけた瞬間、車を運転している三矢までそっちの方を振り向いただろ。視界の隅に突然デカい毛玉が現れたら誰だってそうなる。そしてそれは――」
岩崎君がそう言った瞬間、対向車線を走っていたトラックが急にハンドルを切って、ぼくらの車に突っ込んできた。
衝撃と轟音の後、全身に強い遠心力を感じる。
車が飛んだことに気が付くと同時に着地し、二度目の衝撃が全身を貫いた。
急ハンドルによる交通事故。
原因は運転手の不注意か、あるいは――。
薄れゆく意識の中、視界の隅に、白い毛玉がふわふわと漂って、消えた。
ワタマガイ 姫路 りしゅう @uselesstimegs
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