睦月 壱

2048.1/3

私の世界は灰色になった。

誕生日、その日は学校だった。雪が降っていた。夜遅くまで部活をやっており、辺りは田舎だったから街灯と車のライトだけが視界の頼りだった。

横断歩道を渡ろうとしたとき、途轍もなく速いスピードでライトも焚かないで走っている車がいたことに気が付かなかった。

自分の目の前に車が来た瞬間、世界が止まったような錯覚を覚えた。その後は、覚えていない。気がついたらここにいた。

下半身不随だけで済んでよかった、と思えるわけがなかった。あの日から、今までの私がいなくなったような錯覚に陥った。華々しい毎日をただ純真無垢に謳歌していた私が。

仙台市内にある病院のベッドで意識を取り戻してから十日が経過したが、私には事故が起きる瞬間から今までがほんの数秒の刹那に思えた。

看護師が朝食を用意している最中、私は思わず声を漏らした。

「私…もう出られないのかな…」

「心配ありません。200日ほどリハビリを続ければ、大抵の場合退院できますよ。一緒に頑張りましょ!」

励ましになってないんだよ。

どれだけ励まされたって、どれだけ哀れんだ目で見られて、今までの私は帰ってこないんだよ。

下半身不随は不治の病と称されるほど深刻な病の一種で、まだ明確な治療法が見つかっているわけではない。

この時だけは、やり場のない怒りが、私の体を支配した。

自分の身に起きたことがどんなことか、少しずつはっきり分かってきた。事の重大さを実感する度に胸の奥が軋み涙が溢れた。

私の目に映る全てのものが、灰色になってしまった。


2048.1/4

今日もベッドの上で窓際に咲く花を眺めていた。

看護師さんに聞いたら、あの花はチューベローズ、和名で「月下香」というらしい。

綺麗な名前、そう思った。

その時、不意に視界の右前の方で誰かが起き上がった。

どうやらあの女性患者はすでに外出許可が出ているらしく、病室の外に出向くようだった。

羨ましい限りだ。私は歩くどころか、足が少しも動かないのだから。あと少しで車椅子も支給されるが、私に使いこなせるだろうか。

「…ふんふん、ふんふ、ふんふふんふん〜♪」

彼女は鼻歌を歌いながらスリッパの音を快活に響かせて部屋の外に向かって跳ねるように歩いていた。私のベッドを通り過ぎた時、彼女のポケットからメモ用紙らしき小さい紙が一枚落ちた。

「あっ、あの。」

「ん?」

視線が絡み合う。

スラッと整った鼻にきちんと型取られた眉。少し茶色がかった大きくつぶらで少し垂れ目気味な瞳の下には涙ボクロがあり、紅い唇は顔のどのパーツよりも存在感を放っている。身長もそれなりにあり、丁寧に手入れされたショートヘアは少し茶色くメッシュがかっていた。

綺麗だ…最初に感じたのは彼女の美貌に対する感心だった。

その後に湧き上がってきた感情は、妙な既視感だった。どこかで見たことがあるのだろうか。いや、私の記憶にこんな人と関わった覚えはない。気の所為なのだろう。

「どしたの、アタシの顔になんかついてる?」

呆気にとられている私を彼女は怪訝そうに見つめていた。

「あぁ、なんか紙?みたいなの落ちましたよ。」

「…?あっ、ホントだ!ありがと、教えてくれて。」

「いえ、本当は拾ってあげれたら良かったんですけど、生憎動けなくて…てか、」

彼女は紙を拾ったあともまだ私の瞳を覗いている。

「私の顔に、なんかついてます?」

「あぁ、ごめんごめん。アンタのことつい別品さんや思って。目も透き通ってるし、髪もツヤツヤやし、何より小顔!羨ましいなぁ」

「ええっ、そんなコトないですよ。あなたも随分素敵です。私、惚れちゃいそうでしたもん。」

「え、いや、ちょ褒めたって何も出ないからね!?」

彼女は頬を少し赤らめ目線を逸らした。

「あははっ、本心ですよ。本当に素敵な方です。」

「じゃあ、真に受けちゃおっかなぁ?てか、アンタ名前なんていうの?」

彼女は上目遣いで私に問いかけた。唐突に名前を聞かれたことに少し戸惑いつつも、私は答えた。

「あっ…凛々蝶、って言います。碧羽、凛々蝶。」

「凛々蝶…かわええ名前!!あっ、アタシは香菜。少しリリーに比べれば地味かもしれないね。」

「リリー…?」

「あ、ごめん。初対面の人と会うとついあだ名つけたくなっちゃって。だってこれから長い付き合いになりそうな人を今のうちにニックネームで呼んでたら更に仲良くなれそうな気がしない?」

面白い人、そう思った。

「フフッ、まあ確かにそうですね。香菜さんはあだ名とかあったんですか?」

「特にないね。短いからカナで馴染んじゃったなぁ。てか呼び捨てでいいよ〜。同じ病室で同じ年代の女の子なんてそうそう会えるものでもないし!」

「そっか…。じゃあ、香菜。」

そう呼んだ時、私の心の中で既視感がまたもや軋んだ。やっぱりどこかで…?

一応フルネームも聞いておこう。

「苗字、なんて言うの?」

「月に下って書いてつきもと。月下香菜。よろしくね、リリー!」

月下、香菜。

月下香。

チューベローズ…

ただの偶然か。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

睨めっ娘 イザナミ @Izanaminomikoto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ