第6話 息継ぎ

屋根に座り、月を見ていた。

淡く銀に輝く月は寒々しい空に似合っていた。残酷に思える。どこが?そうだ、見上げることはできるのに、決して手は届かないところか。月に触れるには、どうすればいいのだろう。湖に映った月を、月と思い直して触れるしか手はないのだろうか。

「廻茱」

耳慣れた声がかすかに聞こえる。

ああ、聖苑。どうしてまた来てしまったのか。お前は知らなくていいのに。お前はこんなところとは無縁でいればいいのに。

屋根をつたい歩き、外壁へ降りる。

「廻茱!」

切羽詰まったような、思い詰めたような、いっぱいいっぱいな余裕のない風情。

「聖苑か」

今日はちゃんと皇子の服を着ている。寒さの心配もなさそうだ。聖苑はくりくりとした目を尖らせ、眉根を寄せて問う。

「損傷程度とは?」

ああ…。胸に暗い影が去来する。なぜ。聖苑。お前はこちらに来なくていいのに。来てほしくないのに。なぜそれを知ろうとするんだ。

だが、それは穢児を使う立場にあるものなら遅かれ早かれ知らなくてはならない概念だった。

「フッ…」

俺がどう隠そうが、聖苑は結局俺を使う側なのだから、こちら側を知ってしまうのか。

それでも聖苑はあくまで清かった。正義の人だった。

「君は、九割なんだろ?君の体が九割怪我を負うまで働かせるっていうことなのか?」

美しい考えに、俺は薄く笑って答えた。

「九割までなら壊しても、次の日使っていい、の意味だ」

聖苑は目尻を尖らせたまま清廉な目を大きく見開き、息を呑む。

「そんな…」

そんな発想はないだろう。それが普通だ。普通なのだ。あっちの世界は。ああ。もう、鬱陶しい。

俺は体を壁に預け、重い頭を上げた。視線の先には、残酷な月が光っている。

「聖苑…。俺は、戦争に行きたい」

聖苑の反応を見るのもなんだかどうでも良かった。

「9割くらい、造作もない。削られたところで。俺は頭を潰されても死なない。どれだけ傷つけられるかなんて、どうでもいいんだ…」

必死に石を投げる、あの少年が脳裏に焼き付いて離れない。

「もう、こんなところにはいたくない。どう傷つけられてもいい。人の世に行きたい…」

次第に罪悪感も恐怖も押しのけて、残虐を楽しむことに決めるしかなくなったあのとき姿を、忘れられずに覚えている。

「お前のいる…人の世に…」

お前ならどうできたんだろう。

どうもできない。

ここは、人の世ではないから。

どれだけいじめられても良い。

せめて、人の世に行きたかった。


結局、戦争に行くのは帯孔になった。俺は薄暗い肥溜めに取り残された。

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穢手 深山周 @SyuMiyama

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