十日後、花火のように散り
黎月夜凪
プロローグ
僕はかつて天才と呼ばれていた。
何をしても完璧に熟す僕は、きっと文武両道だといえるだろう。
それだけでなく、周りと比べて顔立ちもそこそこに整っている。
特別整った顔立ちではない。しかし、恵まれた才能というアドバンテージによって、僕は目立ってしまう。いや、目立ち過ぎてしまっていた。
だから周囲の人間は僕に、期待や尊敬、羨望や嫉妬の目を向ける。
そんな僕は誰とも対等になれなかった。
ただ、一人を除いて……。
僕はただ、『敷かれたレールの上を歩くだけの人生』だった。
家族も教師も、関わる大人は僕に大きな期待の目を向けた。僕はただ
僕の全ては才能でできているわけではない。
僕は母の影響で幼い頃からピアノを弾いていた。僕の演奏を聴くと、誰もが口を揃えて言った。僕の奏でる音は『天才』だと。
しかし僕は、小説を書くことを選んだ。
きっかけは覚えていない。
ただ、『誰かに伝えたいことがある』。そう感じたことだけは覚えていた。
勿論、母には猛反対された。だが、いつまでも他人に作られた道を進むなんて、僕は嫌だった。
自分の心からの声で伝えた言葉は、母の心を動かした。
「貴方の好きにやりなさい」
その言葉を聞き、僕は自室の机に向かう。
一瞬見えた母の顔には少し、諦めたような表情が浮かんでいた……。
高校を卒業し、僕は一人暮らしを始めた。
二十二歳になって、僕は初めてコンテストに応募した。五年もかけて書いた作品だ。僕は意気揚々と結果を待った。
しかし結果は落選だった。だが、作品自体は審査員にも好評価だったらしい。ある一人の審査員を除いて……。
僕はその審査員に近くの喫茶店に招かれた。作品について話があるらしい。
僕は携帯とメモ帳、そして高校生のころから使っている少し高級なシャーペンを持ち喫茶店に向かった。
喫茶店には指定された時間の三十分前に到着した。それから十分ほど経ったころ、審査員と思われる初老の男性が店内に入ってきた。
彼が店に入ってきたとき、既に店内にいた客は僕を含め二、三人程度だ。
彼は僕に目を向けると穏やかに笑い、ゆっくりと僕の方に向かってくる。そして向かいの席に座る。
「随分とお早い到着ですね」
「いえ、私がお待たせするわけにはいきませんので。本日は私のために貴重なお時間をいただきありがとうございます」
そう言って僕は少し頭を下げる。
「そんなに畏まらなくていいですよ」
そう言った彼の表情は穏やかなままだった。
「コーヒーでよろしいですか?」
「は、はい」
彼が二人分のコーヒーを注文し、マスターが丁寧な姿勢でそれを淹れている。僕たちはそれを静かに待っていた。
コーヒーを淹れる心地のよい音が聞こえる。
静かに差し出されたコーヒーを彼は一口飲み、そして静かに口を開く。
「……さて、本題に入りましょうか」
彼がコーヒーカップを置いたその瞬間、僕たちの間に緊張が走る。
「貴方の作品は素晴らしかった。美しく綺麗な表現で、まるで自分がこの作品の登場人物になったような気さえする」
そう言った瞬間、彼の表情は先程の穏やかさとは一変し、厳しい表情になる。
「だが、君の作品はその程度のものだ」
彼はそう言うと、またコーヒーを一口飲む。
僕は彼の言葉の意図を理解できず、思わず聞き返す。
「その程度とは?」
彼は僕の目を見る。
「君の作品には『心が無い』。それが君の作品の唯一で、最大の欠点だ」
そう言うと彼はカップに残っていたコーヒーを飲み干し店を去った。
そこに残されたのは僕と、まだ口をつけていないコーヒー。それと僕の前に人がいたことを示すコーヒーカップと二人分のコーヒー代。
僕は残されたコーヒーを一口飲む。
飲み慣れないコーヒーの味は苦かった。
その後、僕は家に帰り彼の言葉の意味を考えていた。『心が無い』という言葉は僕の胸に深く突き刺さった。
「……何だよ、心が無いって。僕だって本気で……!」
弱音を吐いたって何も変わらない。そんなことは分かっている。それでも、弱音を吐きたいときくらい誰にでもあるだろう。
深夜、日付が変わる少し前だった。
唐突に携帯の着信音が鳴る。こんな時間に誰が掛けてきたのだろうか。
僕は携帯を手に取り画面を見る。高校生の頃から付き合っている彼女からの電話だった。
こんな時間に掛けてくるなんて何の用だろうか。そんなことを考えながら僕は電話に出た。
「もしもし」
「湊、こんな時間にごめんね。あのさ、話があるんだけど……」
彼女は言い辛そうに口を噤む。
「大丈夫、ゆっくりでいい」
「ありがとう」
それから十秒ほどの沈黙の後だった。
「私たち、別れよう」
「……は?」
その言葉を聞いた瞬間、今この世界で僕だけの時間が止まったような感覚に陥った。
嘘だ。そう思いたかった。
嘘だ。心の中でそう叫んだ。
そんなことを、彼女が知るはずもない。
「私と一緒にいたら、君はきっとダメになってしまう。それに付き合い始めてから六年経つけど、湊は一度も私の名前を呼んでくれたことなんてないよね」
「そんなこと……」
否定しようとした口を咄嗟に塞ぐ。
事実じゃないか。僕は一度も彼女の名前を呼んだことはない。
初めて、僕に真っ直ぐな目を向けてくれた人の名前を。
僕のことを初めて、友達だと言ってくれた子の名前を。
大切な彼女を、僕は……
『対等に見ていなかったのか』。
今更気づいたって、時間が戻ることはない。
「……じゃあ、元気でね」
待ってくれ!
そう言いたかった。
そう……言えなかった。
僕は暫く、暗くなった携帯の画面を呆然と眺めていた。
気がつくと深夜一時になっていた。
目が覚めたら全部、夢だったらいいのに。
僕はそんな叶いもしない望みを抱き眠る。
午前九時、誰もいない静けさの中で目が覚める。携帯の画面を見る。彼女からのメッセージはない。
着信履歴の一番上にある彼女の名前。
それを見て僕は、淡い夢から覚めた。
彼女とは高校二年のときに出会った。
クラス替えの季節。皆は新しいクラスに胸を膨らませているだろう。一方僕は、何かが変わるなんて、少しの希望も抱くことなく新しいクラスに向かう。
新年度になったからといって何も変わらないと、僕はそう思っていた。
この学校の席順は出席番号ではない。だから教室の前に張り出された表で確認する必要があった。僕は窓際の後ろの席だった。
段々と人が増えてくる。甲高い喜びの声。ため息混じりの不満の声。そして時々僕に向ける
『あいつは自分とは違う』という目。
居心地がいいと言えば嘘になる。ただ、今更何かが変わるわけでもない。
僕は呆然と、窓の外を眺める。空は僕の気持ちなんて気にも留めないといわんばかりに澄んでいた。
僕が空を見ていたとき、隣の席に誰かが座る音がした。
この人もきっと、彼らと同じように不快な目を向けてくるのだろう。僕はそう思っていた。
「あのー、✕✕くん?」
僕の名前を呼ぶ声がした。
「……その呼び方はあまり好きじゃない」
誰かが僕を苗字で呼ぶときは、全て『天才の僕』に向けての言葉だった。だから僕はその呼び方が嫌いだ。
「じゃあ、
僕は思わず振り向く。その声は、僕自身に向けられたものだったから。
そこには柔らかな雰囲気で、きっと誰が見ても美しいと思うような整った顔立ちの女子がいた。そして、僕を見る目は他の誰とも違い、真っ直ぐに僕を見ていた。僕はその透き通るような瞳に目を奪われた。
呆然と彼女を見つめる僕。彼女は不思議そうに首を傾げ、僕の方に手を伸ばそうとする。それを見て漸く我に返る。
「ああ、それでいい」
素っ気なく返したその言葉に、彼女は嬉しそうに笑う。
「なんだぁ、湊くんって普通の人じゃん」
「それは、えっと……どういう意味?」
彼女はまた、不思議そうに首を傾げた。
「どういうって、そのままの意味だよ。私は普通の女の子で、君は普通の男の子。私と湊くんは同じ普通の高校生。だから私たちだって、友達になれるんだなーって思ってさ」
いつも僕に向けられていた言葉とは違う。彼女となら対等になれる、友達になれると、僕はそう思った。
「あ、自己紹介が遅れたね。私の名前は──」
……あれ、何だっけ?
僕は彼女の名前を思い出せなくなっていた。
いや、それは詭弁だ。僕は彼女の名前を知ろうとすらしていなかったのかもしれない。
携帯の着信履歴を見ると知ることができる。
だが、その行為には何の意味もない。もう彼女とは付き合ってもいないのだから。
僕らは何の関係もない、ただの他人なんだ。
そう思った瞬間、一気に体から力が抜けたような気がした。
「今の僕に生きてる意味なんて、あるのかな」
そう、ポツリと呟く。
僕は一日で全てを失った。
自分で選んだ小説家の道も。
唯一僕の隣にいてくれた大切な人も。
そして、生きる意味すらも……。
僕は床に手をつき、重くなった体を持ち上げるようにして立ち上がる。そして何も入っていない鞄を手に取り、数万円と僅かな小銭の入った財布だけを入れる。携帯の電源は切り、小説を書いていた机の上に置いた。
僕はそうして、家を出た。
十日後、花火のように散り 黎月夜凪 @ReyYanagi
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