第4話 自称、医者 (2)
「いや……」
不気味な圧に屈して思わず謝罪の言葉が出そうになる。俺は何も悪くない、何もしていないとわかっていても、生存欲が生き残るための方法として謝罪を選ぼうとしている。
でも、ここですべきは謝罪じゃない。相瀬先生は謝罪を求めていない。
相瀬先生が求めているのは、質問の答えだけ。
「薬物は、好きっすよ。人生捧げるくらいには」
「愛しているか?」
心の奥の温度がぐっと下がる。恐怖に慣れてきたのなら、次に出るのは自我。
「自分の価値観押し付けないで貰って、いいっすか」
一言に纏めるなら、飽きた。試されるような言葉遊びも、命を握られる恐怖も、旬を過ぎれば毒にしかならない。ああ、いつから俺は恐怖までもを楽しむようになってしまったんだ?
「なっ、ふふふっ。あはははっ!」
相瀬は声を出して大きく笑った。この時は、ちゃんと目も笑っていたように見えた。
それに対して令田は腕を組み、仕方のない奴だ、とでも言いたげな表情をこちらに向けるばかりで口を挟まなかった。
「好きな事には変わりないっすけど、あんま、執着は無いっすよ」
「強い、強いぞ、この子は。執着と言うか。そうかそうか、面白い。影向君、こんな子を隠していたのか? くふふっ」
「……隠すも何も、昨日再会したもんでな」
この展開は令田も予想していたようで、いつものようなしかめっ面。
そうか、俺は試されたのか。遊ばれたか、サディトレイに相応しいか見極められたのか。何だっていいが不快な事には変わりない。
「サディトレイで軸を持って生きることがどれだけ大変か……。君は圧に屈しない心と流されない気強さを持ってる。うん、どうかそのまま生きてくれ。この街は君のような人を歓迎しているから」
「は、はい?」
「ルカ先生は『ミステリアスに伏線を張っていく性別不明の不気味キャラ』に強烈な憧れを持ってるから、時々変なことを言う。カッコつけたいだけだろう」
半ば呆れ気味の令田が言うのだから、あながち間違っていないのだろう。
「失礼な! 私はちゃんとしたアドバイスをしてるつもりだ」
「サディトレイには変人が多い。ルカ先生なんかは不気味なだけだからまだ無害だ」
「はぁ、そうやって影向君は私を虐めるのか」
ヘビースモーカーの人に、煙草を愛しているかと聞いたとして、愛していると答える人はどれくらいいるのだろう。俺の周りには愛している、というよりもやめるにやめられないから吸っている、という人の方が多かった。
その人たちの感覚と同じように、俺もやめるにやめられない。依存性という点でもやめられないが、リアルをシラフで生きるのが辛い。この理由だけなら、酒も煙草も、ギャンブルも、全部一緒だ。
気が付けば、令田がまた煙草を吸っていた。
「誉君にはイジワルしちゃったね。そうだな、こちらから出せる情報で許してくれないか?」
相瀬先生は笑みを浮かべているようだったが、あの笑みは許しを請うような表情では無い。許されても許されなくてもどっちでも良く、ただ情報のカードゲームをフェアに行いたいだけだろう。
「血がどうのこうの、って言ってたじゃないですか」
「ああ、言ったよ」
「血が好きなんですか」
令田は俺と相瀬先生から目を逸らした。そのまま二本目の煙草を吸い始める。
「そうだよ。私は血を愛している。自分の血も、他者の血も。こだわりはないタイプ」
「ただの血が好きな変人ってことでいいすか」
「ああ。そうさ」
相瀬先生が左手を俺の前に出して、見せつけてきた。中指の爪先にはガーゼが巻かれている。相瀬先生は中指の根元から指全体を圧迫させて、ちょうどガーゼのあるところまで血を運ぶ。次第にじんわりと血がガーゼに滲みだした。
「我ながら変人であると自覚しているよ、流石にね。でもこれが好きなんだ」
「はぁ……」
俺が薬物を好きなように、相瀬先生は血が好き。理解し合えずとも制御できない好きという感情には共感できる。
責めるも、詰めるも、説得もしない。結局のところ、同じ穴の狢だ。
「そういえば誉君はカトヌノラリーの店頭に立つのか?」
「か、かとぬの、何です?」
令田が割り込む。
「うちの古着屋の店名だ」
よくよく考えれば俺は自分が働く店の名前も知らなかったことになる。いや、知らないことはなさそうでもある。ラックボタンで幸せハッピーになっていた期間の記憶が曖昧なのだから、何とも言えずにいた。
「働く予定―、ですよ」
「そうか。ならギャングに気を付けろ。みかじめ料だとか、シマだとか、些細な理由でも突っかかってくるのが奴らだ。ここら辺は……どこのシマだっけな?」
「ここは〈PG Family〉のシマだ。ルカ先生も気を付けた方が良い。最近動きが妙だからな」
「ぴーじーふぁみりー?」
様々なギャングがいる街だとは聞いていた。どうもその姿を想像できないのは日本での常識が強く残っていることが原因だろう。日本にあるヤクザと呼ばれる人たちと俺は関わったことが無い。ましてや、関わることが無かった。
日本とは比べ物にならないほど危険な街なのだから、生活に影響しているのだろう。
「今は青色のギャングだってことさえわかっていたら良いさ。その怖さを私たちから教える必要は無い、そうだろ? 影向君」
「いつか嫌でも知ることになる。一番は関わらないことだが」
「何? 俺守られてるの?」
「守ってやってるんだ薬馬鹿」
どうしても守られている感覚はむずがゆい。物理的じゃなくとも、知識を得る機会を失っていることに不安を覚える。無知は罪で、自分の首を絞めるだけだと、先ほど身をもって知ったのだから。
「私は午後の仕事があるから、これで失礼するよ」
「「ありがとうございました」」
俺たち二人は相瀬先生を見送る。ふと机の隅に置いてあった灰皿を見ると、四本程度の吸い殻が乱雑に捨てられていた。
もしかして、令田も……?
◇
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