第2話 これが、サディトレイ。 (2)

「え……? 俺が死んだら、俺の服を剥いで売る? お前マジで言ってんの? 追いはぎってこと? 普通に犯罪じゃね?」


 犯罪とは無縁そうな令田から物騒な言葉が出てきたことに驚きを隠せず、令田の言った言葉をそのまま復唱してしまう。令田の藍色の目が鋭く、冷たく、俺を突き刺す。


「あー、誉のアホ面おもれぇな」


 見たことのない紙煙草の箱をポケットから取り出し、そこから一本すっと抜き取る。カチッカチッと安物のライターで火をつける。そして、そのまま店の中で吸い始めた。


「いいか、誉。サディトレイはな、誰も死体の処理なんてしてくれねぇんだ」

「……じゃあ、今頃街は死体だらけだな」


 自分でも言っていて違和感がある。空港からここまで歩いてきたが、死体一つ見つけていない。見たものと、口で言っていることの差が激しいと、自分でも嫌気が刺す。


「でもな、俺っていう善良な白市民が死体を見つけるたびに葬儀屋に連絡すんだ。警察なんて介さない。死体だけじゃまともに取り合ってくれねぇからな」


「その死体は、いつも全裸だったりしねぇ……よな?」


「全裸じゃねぇ、みんな下着姿だよ。流石に下着までは、な。……俺は紳士だから」


 令田の笑みが怖くなり、俺は店内を見回した。


 濃い赤茶色のフローリングに、薄く黄色に汚れた白い壁。商品として展示されている衣類は男物から女物までどんな種類も取り揃えている。服のジャンルもシンプルなものから、かわいいもの、かっこいいもの、何でもありのように思えた。

 商品の数は、百着は超えている。もしくはそれ以上だろう。


「ウチ、クリーニングもやってんだよね。それ用の機材が裏にあんだよ」


 ふと、近くにあった薄橙色のニットを手に取る。左胸の辺りに大きな車のワッペンが縫い付けられている。シンプルなデザインのニットに対し、ワッペンがどうしても浮いているように見えた。


 俺はそっと、服の内側からワッペンの辺りを見ることにした。そこにはやはり、小さな円形の穴が開いていた。よく見れば、円周部分が少し焦げて黒くなっている。


「お前も立派な黒じゃねぇか……。影向くんよぉ」


 流れ弾が当たったのか、誰かに狙われたのか。この服の持ち主はきっと射殺されたのだ。そしてその死体を令田が回収し、服を剥ぎ、葬儀屋に連絡をして証拠を隠滅したのだろう。


「ここに住むからには、仕事を手伝ってもらわないといけないな。……フフッ。どうだ? 死体になるか、従業員になるか、どっちがいい? 五十嵐誉くん」


 正直に言うと、俺は完全にサディトレイを舐めていた。


 優秀で模範的な学生だった高校時代の友人が、こんな陰湿な犯罪者になってしまうような街だと思ってもみなかった。優秀な奴は優秀なままで、白い奴は白いままで、令田はずっと大人しく暮らしているものだとずっと思っていた。


 あの時のままだったら、令田はきっと違法薬物って言葉を出しただけでビビると思ったのに。ちょっと強い言葉を使えば転がり込めると思ったのに。そんな軽い考えがブチ壊された。俺の心に穴を開けたと言ってもいい。


 サディトレイの何が、令田影向を変えたんだ。


 この街は、俺が思っている以上に複雑なのかもしれない。薬物、ギャング、金、絡み合うものが増えれば増えるほど、闇が深くなる。


 知りたくなった。この街を。


 令田影向を変えたサディトレイを知らなきゃ、俺は納得できない。


「従業員、かぁ。金はちゃんともらえるんだろうな?」


「ああ。ちゃんと給料は払うし、衣食住は保証するさ。俺たち、友達だろう? お前の好きな違法薬物だって、いくらやっても構わない。警察にばれないようにしてくれたら、何しても構わないさ」


 態度の変わりように肝が冷える。


 一体いつから、何があってこんな深淵のような男になったのかはわからない。でも、友人として令田の言葉は信じられる。衣食住は保証すると言ってくれているのだから、そこは信用してもいいだろう。


「助かるよ! いやぁ、やっぱ令田は頼れるなぁ」

「じゃあ二階に空き部屋があるから、そこから案内するよ。ほら、こっち」


 そうして俺は令田に家のあちこちを案内された。生活に必要な部屋から、クリーニングをする部屋まで、家の隅々を。


 途中までは幸せな気分で頭がいっぱいだった。どんなことでも素直に受け止められて、何を言われても全部面白く聞こえた。頭の中のパーティが現実に侵食してきて、今日から過ごす家が随分とカラフルだった記憶がある。


 今ならわかる。どう考えても部屋が令田の趣味に合わないだとか、その幻覚がさっき食べたラックボタンのせいであるとか。


 頭痛に苦しむ俺を見かねて「明日から業務内容を教えていくからゆっくり休め」と言われてしまった。令田が俺に優しくするなんて珍しいと思ったが、それ以上に何かを考える余裕が無かった。



 吐いた。



 ここがどの部屋であるかもわからないまま、強烈な眩暈に襲われる。

 足元の感覚が確かじゃなくなり、一切の抵抗なく吐瀉物の上に倒れ込んだ。

 絶妙に生温かい湿度のあるものを腹で感じる。身体と顔を地面に打ち付けたお陰で、さらに頭痛が酷くなる。


 今日の俺は随分と最悪なハズレくじを引いてしまったようだ。

 先行きの見えない未来がそのまま体現したかのように、俺の視界が黒く染まる。


 サディトレイは、やばい。


 考えることもままならない。痛みに耐え、目を開くこともできない。

 何もかもが桁違いのこの街に刺激を求めたことを、心の底から後悔した。


 ◇

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