第3話 自称、医者 (1)
◇
「……で、コイツが薬物依存の愚か者?」
酷い頭痛の中、男か女かもわからない中性的な声が脳に響く。吐き気、眩暈、頭痛、目を開こうにもグラグラと頭の中で音が揺らめき、俺を苦しめる。
「そうだ。昨日、ラックボタンをそのまま食った愚か者、五十嵐誉。夜中に吐いた後、そのまま倒れるように寝た。朝、俺が見た時にまだ廊下の上で苦しんでたようだから、アンタを呼んだんだ」
聞き馴染みのある声、令田影向の声だ。令田の説明が嫌でも耳に入るおかげで、俺が今どういう状況なのかを掴む。幸いにも記憶はある。
俺は身体を起こそうとした。しかし、胸の辺りを優しい手つきでぐっと抑えられる。
「安静に。どうなっても知らないからね」
「医者としてそれはどうなんだ」
中性的な声の主は医者らしい。俺はどうにか吐き気に耐え、そっと目を開く。
紺色の髪はボーイッシュにカットされて、鼻の辺りまで伸びた前髪からピンク色の目が俺を覗き見ていた。顔立ちは綺麗だが、男か女かの区別はつかない。
そして、何故か頬のあたりにガーゼが貼り付けられてあり、大きな怪我をしているのだろうと予測を立てる。よく見れば、耳や首、指、肌の見えるところのあちこちに絆創膏やガーゼが貼ってあった。
「あたま痛ぇ」
気が付けば俺は自室のベッドの上に寝かされていた。衣類は清潔なものに変えられている。これも、令田がやってくれたのだろうか。だとしたら物凄く申し訳の無い気持ちが込み上げてくる。俺の記憶が正しければ、俺の服は吐瀉物で汚れていたはずだから。
寝ている俺の隣に令田が座っている。令田は呆れた目で俺を眺めていた。
「気付いたんだ。調子は悪そうだね、可哀想に」
医者の声に抑揚は無く、目の前の人が一体何を感じているのか全く聞き取れなかった。
「あなたは?」
瞼が重く、俺が話す度に頭痛がずんと圧し掛かるように酷くなる。声にも不調が乗り、まさに病人らしい振る舞いになってしまう。
「
「そっすか……」
「誉君。本来ラックボタンは粒のまま食べていいようなものじゃない、あれは砕いて少ない量を摂取するもの。君は
「オーバードーズ、っすか……」
「知識が無いからこうなる。この街は優しくないからな、誰も教えてくれない」
じゃあどうすればいいんだよ、と口に出しそうになるが同時に吐き気が上がってきたため拒まれた。
「サディトレイに住む者としてアドバイスするならば、この街の『信頼』ほど価値のあるものは無いと思ってる。金よりも、だ。わかるか?」
「は、はぁ」
「誉君はこの街の住民の『信頼』がない。だからこんな目に遭った。『信頼』さえあれば人は皆優しくなる。この街の住民は……他の街より変わったところがあるからな」
俺を見下す、ピンク色の瞳に惹かれる。惚れたとか、そういうものじゃない。同時にぞっとした、冷たい恐怖が背を這う。
この人には一体何が見えているのか、俺に対して何を思っているのかが一切わからない。
強烈なピンクの眼光に怯む。今にも息が詰まりそうだ。例えるなら、蛇。蛇が俺の首を回り、舌なめずりをする。いつ喰うのが一番美味いか、じっくりと見極められている。
そこに一切の感情を汲み取ることができずに、唾を飲む。
この目には意思がある。それだけならわかる。強烈な、何かを求める欲望の目。その何かがわからないからこそ、不気味に感じるのだ。
「……ルカ先生、もう信頼どうこうの時代は終わってると」
「そうか、影向君は人間不信だったな。君自身はそうかもしれないが、世間はまだ信頼を捨ててない。私が、金の無い薬物依存者を助けた理由は何だと思う?」
「俺に信頼があるから、か。恩を売ろうって魂胆か?」
「正解だが、もーっと素直になってくれ。ほら、誉君なんて状況を掴めずにぽかーんってアホ面晒してるんだ。信頼してる相手じゃないと、こんな顔できないよ」
相瀬先生は俺の方を指さして、裏がありそうな笑みを浮かべる。どちらかというと嘲笑に近く、馬鹿にしているのはすぐにわかった。
かと言って反論もできない。賢くも無ければ、運動ができる訳でもなく、力があるわけでもない。物を盗む、人を殺すといった度胸は無く、唯一犯した犯罪は違法薬物関係だけ。
悪になりきれない、善にもなれない。半端物である自覚はある。
「まぁ、ラックボタンなんて代物を手に入れて食べるくらいには犯罪者なんだろう。サディトレイでいう、半グレ、みたいな立ち位置になるわけだ。せいぜい身の振り方には気を付けるんだよ。ギャングに目を付けられたら沈められるか、埋められるかだから」
「……教えるよ、流石に」
「うん。影向君は賢いね。賢い子は血の次に大好きだ。治療費は安くしておくよ」
「助かる。ほら、誉、礼を言え」
「あ、ああ。ありがとうございました……」
本当は頭も下げたかったが、起き上がるのを阻止されてしまっている。そのため下げる頭が無かったのだ。
「もし試したい薬物があるんだったら、まずは私の薬局においで。安全な使い方を教えてあげるから」
「良いんですか!」
「もちろん、お金はいらないよ。その代わりのものが欲しくてね……」
相瀬先生は俺に目を合わせるのをやめて、窓の向こうの景色を見ていた。
「何ですか? 俺、そんな賢くないんであんま難しいことはできないっすけど」
「なあに、君は何もしなくていい。ただ私は、血が好きでね。採血をさせてほしい、ってだけさ」
「血ぃ……?」
相瀬先生は変な人だ。
薄々感じていた、この人の異常なところ。
「誉君は、薬物を愛しているか?」
ぎろりと俺の方を向く。ピンク色の目が見開かれ、俺の目を捉えて離さない。目を逸らすことも許されず、心臓を握りしめて脅されているかのような恐怖が、全身を硬直させる。息を吸うことも忘れるとはまさにこのこと。
「なんだ、愛していないのか?」
半笑いを交えながら口ではそう言っているが、目だけは笑っていなかった。
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