海に逢いに行く

野沢 響

海に逢いに行く

 大学生になって初めての夏が来た。


 今日から三日間の夏祭りが開催される。今日が初日ということもあって、多くの人の姿を見かけた。みんな祭りの会場に向かっているんだと思う。

 今だって着物を着て歩く女の子のグループや親子連れなんかが私の前を歩いている。

 私も着物は着ていないけれど、大学で仲良くなった友人二人と祭りに行く約束をしていて、待ち合わせ場所に向かうために歩いていた。

 そのまま歩みを進めていると、左側に海が見えてきた。

 ちょうど夕日が地平線に半分くらい沈んでいる。

 海の青と夕焼け空のだいだいのコントラストがとても綺麗だったので、写真を撮るためにショルダーバッグからスマホを取り出した。

 写真を撮影したら友人たちに見せようと思いながらスマホを構えた時、


「ん?」


 人影を発見した。上げていた腕を下ろしてよく見てみると、若い男の人が一人で砂浜をゆっくりとした足取りで歩いている。

 顔は横顔しか見えない。おまけに顔を伏せているので表情もよく分からない。

 白いTシャツと青のジーンズに白のスニーカーという極々シンプルな格好は洒落っ気こそないけれど、その格好はとても様になっているように見えた。

私が単にお洒落に力を入れている男性に苦手意識があるせいかもしれないけれど。


 目の前の男の人が立ち止まった。伏せていた顔を上げる。橙色に染まった空を見上げるその気怠げな横顔に私は一瞬で目を奪われた。

 そのまま夕陽を浴びる横顔を見つめていた時、手にしていたスマホが鳴った。私は我に返ると急いでスマホの画面を確認する。

 LINEの送り主は友人だった。待ち合わせ場所に着いたことを知らせる内容。もう一人の友人も既に到着しているらしい。

 私は慌てて返信をした後、スマホをバッグの中にしまった。

 祭り囃子ばやしが風に乗ってこちらまで聞こえてくる。

 もう一度彼を見たい気持ちを押さえて、再びまっすぐ待ち合わせ場所に向かうために歩き出した。


 ♦︎


 友人たちと合流して屋台を見て回ったり、催し物を楽しんだりしてあっという間に時間は過ぎていった。

 祭りが初日ということもあり、とにかく人の数がすごくて離ればなれにならないようにお互い手を繋ぎあって人混みの中を移動した。何度も迷子のお知らせのアナウンスが聞こえた。

 

 祭りを楽しむ中で、何度も先ほど見た男の人の横顔が頭の中に浮かんでくる。砂浜をゆっくりと歩く姿も併せて。

 あの人はまだあの海にいるだろうか。まだあの砂浜を歩いているんだろうか。

 

 その時にはもう、私はあの海に行こうと決めていたのかもしれない。

 

 ♦


 私はその日をきっかけに夕暮れ時になると海に足を運ぶようになった。

 家族に家を出ることを伝えて、外に出る。

 夕方になっても暑さは相変わらずで、日差しも容赦がない。

 西日を浴びながら、海へ向かう。


 三日間続いた祭りも今日が最終日。

 会場へ向かう人たちを目にしながら歩いていると、やがて左側に海が見えてきた。

 ここに来るのも今日で三日目。

 でも、祭りの初日以降彼には一度も会えていない。

 

 「今日もいないか」


 独り言ちてから砂浜に足を踏み入れる。

目の前に広がる海はあの日と同じように橙色に染まっている。聞こえるのは波の寄せて返す音だけ。

 その様子を眺めながら、私は深呼吸した。深く息を吸うと潮の濃い香りが鼻腔を突く。深く息を吐き出せば一気にその香りが抜けていく。

 

 身体の向きを変えて砂浜を歩きだす。歩く度に砂に足を取られるけれど、サンダルを履いている時に比べてずっと歩きやすい。

 スニーカーを履いてきて正解だったな。

 そんなことを思うと同時に不安もある。あれっきりもう会うことはないんじゃないか。そんな不安を抱きつつ、そのまま歩いていると、


 「あんたも海眺めに来たの?」

 「!?」


 突然声をかけられて驚いてそちらを振り返る。

 目の前にいたのは、三日前に海で見かけたあの男の人だった。

 服装もあの時に着ていたものと同じ。

 白色のTシャツに青のジーンズ。それに白のスニーカー。


 「は、はい! ここで見る夕焼けが綺麗なので……」

 

 緊張しているせいで声が上ずってしまった。

 男の人はふっと微笑してから、私の隣に並んだ。


 「この前さ、俺のこと見てただろ?」


 (バレてた!) 


 私は自分の顔から一気に血の気が引いていくのを感じながら、頭を下げる。


 「す、すみません……。あの、不快な思いをさせてしまって」


 謝罪を口にするも、怖くて顔を上げられない。男の人はそのまま変わらず続けた。


 「いいよ、別に謝んなくても。怒ってなんかないし」


 落ち着いた低い声なのにどこか柔らかさがある。

 話し方のせいかもしれない。

 

 嫌な思いをさせてしまったのではないかと不安だったけれど、その言葉を聞いて私はほっと胸を撫で下ろした。

 今度は私が質問する。

 

 「よくここに来るんですか?」


 「時々ね。昔から好きなんだよ、海」


 「私も好きです。今みたいに夕焼けが綺麗ですし」


 私は顔を前に向けた。

 先ほどまで半分ほどだった夕日はもう三分の二以上が水平線に沈んでしまっている。空も暗い色に変わってきていて、すっかり夜の空だ。たくさんの星と大きな月が見える。


 「俺も夕日に染まる海は好きだよ。けど、一番好きなのは夜の海」


 「夜、ですか?」


 「そう」


 私がそう口にすると、彼は頷いた。

 夜の海と聞くと、危険なイメージしか浮かばない。

 親からもよく夜の海は危ないから行かないようにと言われていた。


 「暗くなった砂浜を歩くのが好きなんだ。海を眺めながらさ。波の音聞いて、潮の匂い嗅いで」


 私は夜の砂浜を歩く彼の姿を想像してみた。

 すっかり日の沈んだ砂浜をゆっくり歩く姿。バックには月明かりを映した海があって。

 潮の匂いに包まれながら、気怠げな表情を海に向けて……。

 何だかとても絵になりそうだな、なんて考えていたら、


 「それに嫌なことも忘れられる」

 

 「え?」


 「さっき時々海に来るって言ったけど、嫌なことがあった時も来るんだ。天気が悪くない限り」


 そう言って私にまっすぐ顔を向ける。

 微笑はそのままに彼は更に続けた。


 「最近、付き合ってた彼女と別れたんだ。だから、三日前にもここに来た。自分のこと落ち着かせたくて」


 私は彼を初めて見た時のことを思い出す。

 顔を伏せて歩いていたのはそれが理由なんだろうか。


 「夜になるのを待ちながら砂浜歩いてたら、あんたが俺のこと見てたから。声かけようかどうか迷ってたら歩いて行っちゃったんだ」


 「あっ、すみません。実は、その日友達と祭りに行く約束をしてて」


 私がそう言うと彼は目を細めながら、


 「ああ、そういえば祭りやってるね。やたら外に人が出てると思ってたけど。そういえば、着物着てる人も何人か見たな」


 目の前に広がる海を見つめながらそう口にする。その表情は何かを懐かしんでいるように見えた。

 もしかしたら、過去に別れた彼女さんと一緒に祭りに行ったのかもしれない。

 別れなければ、きっと今年も一緒に行くはずだったんだろうな。

 私は隣に並ぶ彼の顔を見た。

 夜に染まったこの海が、彼の悲しい気持ちを溶かしてくれたら良いのに。

 そんなことを考えていると、


 「前見てみて」


 私は言われた通り前を見た。

 目の前の夕日はもう完全に沈んでしまっていて、闇に染まった海は月明かりを映してゆらゆらと漂っている。

 その先に見えるのは無数の星と黄金に輝く立派な月。雲ひとつない快晴だ。そういえば、ニュースの天気予報で快晴になるって言っていたっけ。

 辺りには波の音しか聞こえない。

 奥の方でいくつか明かりが見えているけれど、あれは船の明かりだろうか。

 夜の海は危険なイメージしかなかったけれど、静かでノスタルジックな雰囲気を感じさせるこの光景にすっかり魅せられていた。

 今まで抱いていた悪いイメージは私の中にはもうない。

 彼が隣にいることも大きいかもしれない。


 「夜の海って素敵ですね!」


 「最高だろ?」


 「はいっ!」


 私が頷くと、彼は更に口角を上げた。


 遠くの祭り囃子を聞きながら、二人で夜の海を眺めているのだった。

                             

                                  (了)

 

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