九月に入って二週目が終わろうとしているのに、まだまだ夏らしい気温が漂っている。自転車を漕げば汗をかくし、薄暗くなっていく空は、もう秋の訪れを告げられているように思った。

 私は、駅に着くと自転車を駐輪場に停める。学校の最寄駅まで、私鉄を使って向かう。電車はぼちぼち空席があったので、乗った位置から一番近い、空席に腰を下ろした。

 中央改札前の広場で、花輪くんが来るのを待つ。

「ごめん、待たせたね」

 数分経って、花輪くんは小走りで私の元にやって来た。

「いや、今着いたところ」

 私も、小走りで彼に近づく。彼の息が切れていたから、きっと本当に急いできたのだろう。

「じゃあ行こうか」

 彼は、フラペチーノが飲める駅中の方に歩き出したので、私もついていく。彼も制服を着ていない。ブルー系の半袖シャツと黒いパンツを合わせて、清涼感のあるコーデに変身していた。

「持ち帰りでいい? カフェで話すのはちょっと、って言う話だから」

 私は、透明化してしまうことを、彼自身気付いている方に解釈の天秤が傾いていくのがわかった。

「いいよ、全然」

 歩きながら、彼は小さく笑った。


 私は、期間限定のピーチフラペチーノを、花輪くんは抹茶フラペチーノにチョコレートソースを追加したものを購入した。私の分も花輪くんは支払ってくれた。「申し訳ないから、自分で払うよ」と、順番が回ってくる十秒くらい前まで頑なに断っていたが、彼が「どうしても払いたい。いいでしょ?」とお願いされた。

 順番が来ると、私が話すまでもなく、慣れた手つきで注文をして、現金を支払った。

「慣れた手つきだったね。あのチェーン店カフェには行ってたんだ」

 バスターミナルに向かうエスカレーターを、フラペチーノ片手に降りながら、意外に思ったことを口に出してみる。

「注文の仕方、クラスの奴に教えてもらったから」

 花輪くんは、「すごいだろ」と自慢話を語った後の小学生のような表情をしている。私は、お坊ちゃんにしては中々市民に溶け込めているのだなと、半分は可愛らしい子犬を見るときのような和やかな気持ちになり、もう半分は馬鹿にしたくなる気持ちが芽生えた。

 とりあえず「うん、すごいね」と顔に出過ぎない程度の引き笑いで、彼を褒めた。


 高校とは反対方向にある駅前の公園に辿り着いた。駅前とは行っても、一キロちょっと離れている場所を駅前というのかわからないが、人通りは多いかと言われれば少ない方だった。

 辺りは暗くなってきていて、夕方から夜に変わる瞬間が広がっていた。

 彼は、ベンチに座っても? という仕草をした。私は頷きながら座ると、彼も私の隣に座った。

「話って、何?」

 私は、全てをわかりきった顔で心構えたいた。彼は一呼吸置いて口を開いた。

「俺、生後三ヶ月で高熱出して、なんだかよくわからないんだけど、結構生死彷徨ったことがあってさ」

 私は、予想外の話が始まったことに動揺した。冷静さを保ち、聞いていることを示すために、コクリと相槌を打った。

「結局、生き返ったんだけど、中学一年生が終わるあたりまで、ほぼ病院生活しててさ」

「うん」

沖渡おきわたさん、俺のこと宇宙人だって思ってるでしょ?」

「ああ、文化祭準備の時の話、聞こえちゃった感じ?」

 質問を質問で返した。

「うん、まあ。なんでわかったの?」

 彼は私の答えに驚きつつも、納得したような表情をしている。私は答えることにした。

「花輪くん、たまに消えてるの自覚ある?」

「ああ、なるほど」

 彼の納得しているところを見ると、今の私は、さらに問い詰めて、知りたい欲求に洗脳されつつある。

「もしかしてさ、透明化できる薬とか開発してたりしてない? それ飲んで透明人間なってるのかなって」

 私は、素直に自分の推測を当の本人に打ち明けた。周りは多分気付いていないことを付け加えて、彼の返事を待つ。すると、彼はスッキリした表情になっていた。

「うん、そのまさか。飲むと透明になれる薬を飲んじゃったんだよ」

 彼は、私の予想を肯定した。私は、自分の推測が当たっていたことに驚いた。そして、彼の話の続きを待つことにした。

「作ったのは、花輪グループじゃないんだよ。戦国時代あたりに忍びの奴がいてさ、その子孫が作る薬なんだ」

 彼は、流暢に話をし始める。私は相槌を打ちながら彼の話を聞くことにした。

「花輪グループはね、忍びの子孫から薬をもらってた時期があるんだよ。でも、この薬は副作用があって、飲むと透明になれるけど、三時間くらい経つと体が徐々に消えていって、最終的には死に至るんだよ。だから、俺は飲んでもすぐに効果が切れるように改良して飲んだわけ」

 彼はそこまで言うと、抹茶フラペチーノを飲む。

「何で、その危険薬品みたいなのに手を出したの? っていうか、クラスメイトたち、パって消えるのに気付いてないみたいだってけど」

 私もフラペチーノを一口飲み、「どういうことか説明しろ」と花輪くんの方を向き、視線で訴える。

「結構容態がヤバかったみたいでさ。中学一年になりたての春、余命宣告されたんだよ」

 私は、今はピンピンしてて元気者なのに、と目を大きく見開いて花輪くんを勢いよく見る。目が合った。彼は微笑して話を続けた。

「仕事とプライベートを分ける主義の父親が、忍びの子孫の人に俺の容態についてひっそり話したらしくてね。昔の薬を飲めばどんな病気も治るって言う言い伝えを信じて、忍びの家から透明人間になれる薬を改良して俺に飲ませた」

 私は、自分も口がちょっと開いたまま話を聞いている事に気付き、ギギッと閉じる。数百年の薬に、何かしらの抗体はありそうな気もするが、どんな病気も治るなんていう、夢のような言い伝えは聞いたことはない。

 幼かった私に、父方、母方の祖父母たちが、日本全国で言い伝えられている話を言い聞かせてくれていたのである。

 私はその話たちが大好きであるため、脳裏に焼き付いているものも多々あるのだ。

「本当は絶対いけなことだけど、極秘で数名のエリート人たちに手伝ってもらって、改良した。お陰様で、死に至ることは今でもないし、長い時間透明人間になることはない」

 彼は真っ直ぐに前を向きながら答えた。その目に街灯の明かりが入り込んでいて、神秘的だった。

「でも、何で、みんな透明化しちゃうことに気付いてないの?」

「さあね。恐らくだけど、幽霊が見えないのと似たようなもんじゃないかな?」

 抹茶フラペチーノを一口飲んだ。私もつられて、自分のピーチフラペチーノを飲む。

「そっか、なんで透明化しちゃうのかわかって、良かったよ」

 私は、彼の目を見た。彼は「うん」と言って頷き、話を続ける。

「俺は、この薬の副作用で透明化しちゃうことを、誰にも言うつもりがなかったんだけど」

「え、何で?」

 私は思わず聞いた。彼は少し間を置いてから言った。

「だって、もし俺がこの薬を飲んでるってクラスメイトに知られたら、気味悪がられるでしょ? 俺ってクラスでは結構人気者になってるしさ。だから、ずっと隠してたわけよ。でもさ、沖渡さんだけには何故かバレちゃったんだよね。なんでだろう?」

「わかんない」

 私は、こんな時に照れ顔になっている顔を隠すため、そっぽを向いた。

「俺、消えるちゃうのに、気合い入れすぎちゃってさ。なんか、消えていく時、結構楽しいんだよね。スッて心が快楽に満たされるんだよ」

「は? 何それ?」

 私は、素っ頓狂な声を出すことしかできなかった。花輪くんは、意気揚々と続ける。

「透明化するのに気合い入れすぎたらさ、全身の血流が良くなるみたいでさ、気付いたら体が消えてるんだよね」

 彼は朗らかに言った。私は、つい先ほどから彼の話に付いていけていない。

「え、何?」

 花輪くんは小瓶を手提げバッグから取り出した。

「沖渡さん、家のお手伝い大変でしょ? 顔色悪いよ? これ飲んだら、楽になるよ?」

 花輪くんは、学校で見せたことがない、小悪魔的な表情をした。

「は? ちょっと、何よこれ」

 私は思わず立ち上がり、ベンチに座った彼を見下ろす形になった。彼は、私から顔を背けて小瓶を見つめた。そして言った。

「飲んだら、元気なる。余命宣告されたっていうのに、今じゃどこまでだって走れるようになった、なんだってできる。自由って、こういうことなんだって思うよ。最近、薬に依存しちゃってさあ。これ飲んでも、親怒んないし、むしろ飲み続けるように言われてるし」

 彼は、慣れた手つきで小瓶を開ける。その瞬間、私は一歩後退りをした。

「え、待って。改良したものって殺魚剤とか? わかんないけど薬品使ってる?」

「知らね。作ったの俺じゃないし」

「でも、変な匂いするよ。酸っぱいっていうか、悪臭すぎる」

「じゃあ、戦国時代に作った薬ってことは、今じゃ違法されてる薬品が使われてんのかなあ」

 徐々に、彼がやっていることが怖くなってきた。

「花輪くん、何してんの? それ飲まないで」

「え?」

 彼は私を見上げる。目が輝いている。

「多分さ、それ飲んだらやばいよ。本当に楽しいの?」

 私は彼を見つめながら話す。

「うん、すごい気持ちいんだよ! ほんとだよ!」

 彼は必死に訴えかけるように強く言った。私は驚いて、また一歩後退りしたが、その隙に彼は小瓶に入った透明化する薬を飲み干した。

 立ち上がって「ほらね!」と言った次の瞬間、彼はパッと消えた。

 それから、五分経っても、三十分経っても、花輪くんは透明のままだった。

 その後、花輪くんは行方不明者として扱われていた。

 

 このこと全てを、親戚の中で一番怪談話や都市伝説好きな、父方の祖母に聞くと、少し考え、小さく息を吸って言葉にした。

「花輪くんって子は、ぬっぺぼう肉を食べたんじゃないかしら」

 私は、ぬっぺぼうの話をむかーしに、祖母から聞いたと思うが、上手く思い出せない。祖母に詳しいことを教えてほしいと目を見て話す。

「ぬっぺっぽうの肉にはとてつもない力が秘められていて。その肉で作った薬を飲めばどんな病気でもたちまち治るって言われてるんだよ。仙薬だってこと。江戸時代の大名やら、学者やら薬剤師たちが捕まえようとしたらしいけど、動きが素早くて捕獲は成功しなかったっていう、そういう妖怪さんよ」


 私は、花輪くんはきっとぬっぺらぼうを食べてしまったんだ、と思うことにした。

 自分が守ろうとした人は、透明になる薬を服用して、消えた。

 元気になれる代償に透明人間なってしまうのかもしれない。

 とはいえ、実際のところぬっぺらぼうについて、何も解明されていないのだ。

 思い込みが激しいのは自分のよくないところだ、と自覚するようにした。


 私は花輪くんを、ずっと忘れることはできないだろう。人間になりすましていたのか、昔の人が捕獲に成功して、大事に残していたものに、現代の薬品を混ぜてしまったから、ぬっぺらぼうが「食べるならそのまま食え」とでも言っていたのだろうか。



 五年後、花輪くんの弟が若くして、重職の座に座った。私は、この時初めて花輪くんに一つ歳下の弟がいることを知った。花輪グループ内で、兄弟争いでもあったのだろうか。


 十年後、何かしら法に引っかかる問題を花輪グループ全体でやらかした、というネットニュースが入ってきた。倒産の危機に直面していた。

 私は、ネットニュースが映し出されたスマホを見て、軽蔑した。


 私は、高校と同じ県に創立された女子大を卒業した後、就職先がホワイトとは呼べない子会社食品メーカーでしばらく事務をしていたが、今年の春に思い切って辞め、実家の居酒屋を手伝うことにした。

 両親もお客さんも温かく、私を向かい入れてくれた。

 案外、居心地が良いことに気が付いた。事務作業よりも、人とたわいもない会話をしている方が生き生きしているのだろう。キラキラした感情を取り戻せたような気がした。

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透明なお坊ちゃん 千桐加蓮 @karan21040829

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