魔女バディ

山田

魔女バディ

 プロローグ


 よく晴れたその日、明るい太陽を背にその男は闇雲に暗い路地裏を走っていた。

 

 この路地さえ抜ければ、あいつらに合流できる。ざまぁみろ!

 

 執拗に追いかけてきた相手を撒き、暗闇に差し込んだ光に希望を持ちながら路地裏を飛び出した瞬間、男は横転し、重力任せに身体を地面に叩きつけた。

「こんな簡単なトラップに引っかかるなんて、ちょーっと、飛行術に頼りすぎじゃないの。おじさん」

 バカにしたような子供の声に男は顔を上げると、ピンク色のフリルまみれの黒髪の少女が腕を組み、鼻で笑って男を見下ろしていた。

「ガキがバカにしやがって!」

 右手に持った杖に魔力を込め、構えたが、その杖もすぐさま、後ろから何かに払い落とされた。男は抵抗する間も無く拘束され、そのまま地面に押さえつけられる。

「お、お前、なんで、ここにいる!」

 白髪に慧眼の少女。ついさっき自分が撒いたはずの相手に目を見開き喫驚する。男を押さえつける年端もいかないその少女は

「十七時十二分、異界間不正渡航、及び違法魔法薬売買の容疑で逮捕する」

 凛とした声で宣言をし、男の手首に手錠を嵌めた。

 

 

 1.狸小路寺の魔女

 

 

 

 ねえ、知ってる?狸小路寺の噂。

 

 夜にそのお寺に行くと、魔女が秘薬を作ってるんだって。

 

 それで、その秘薬を作っているところを見てしまうと、魔法で眠らされて、気がついたら全く違う場所にいるんだって。

 

「なにそれ。そんなのただの不審者かデマでしょ」

 初秋のまだ日中は暑いある日、学校帰りにクラスメイトの美希にそんなオカルト話を聞かされた。

 美希は瞳にワクワクがいっぱい溜まって、キラキラしてるけど、私はオカルトなんて興味がないから、話半分で水筒のお茶を飲み干した。

「えー、つまんない。結華ちゃん、魔女みたいな格好してるじゃん。興味ないの?」

「魔女みたいな格好だからってオカルトに興味があるわけじゃないから」

 また、私の見た目で、おかしな括りに入れられた。慣れてるけど、あまり、いい思いはしないんだよね。

 

 魔女みたい。

 

 端から見ればそうなのかもしれない。

 腰まで届くストレートの黒髪に、なにもしていなくても睨んでいると勘違いされる黒い瞳。

 何よりも、私の服の趣味が関係しているんだろうな。

 今は学校帰りなだけあって、tシャツにジーパンというラフな格好だけど、休日や、出かける時は基本的にフリルやリボンたっぷりのロリィタ服を愛用している。

 ぱっちりとした栗色の瞳に人懐っこい顔立ち、邪魔だというただそれだけの理由で栗色の髪をバッサリ切ってショートヘアにし、動きやすさ重視だと、tシャツにズボンしか履かない美希とはまるで正反対だ。

「とにかく!その噂を確かめるために今日の夜、そのお寺に行こう!」

「何言ってるの。私たちはまだ小学生だよ。そんなの親が許してくれないよ」

「大丈夫!今日は狐崎神社でお祭りがあるでしょ。それに行くって言えば良いじゃん」

「確かにそうかもだけど……」

 正直、乗り気ではないけど、好奇心旺盛で色々と危なっかしい彼女が単身で乗り込む可能性を考えると、一緒に行った方が良いのかもしれない。返事をしようとしたその時だった。

「ちょっと、そこの二人、今、狸小路寺に行くって行った?」

 後ろから凛とした声が結華と美希の耳に入ってきた。

 え、すごい美人、まるでお人形みたい…

 振り向くと、そこには、セーラーワンピースにトップが平らで固いツバのついた、所謂『マリン』という種類の帽子を被った十五、六歳ほどの少女が立っていた。

 白髪のメディアムヘアと透き通った青空のような碧眼。そして、まるで人形のように整ったその顔に私と美希は眼を奪われてしまった。

「ねえ、狸小路寺に行くのよね」

 その少女は少々苛立った様子でまた同じことを言った。

「はい、そのつもりです」

 いきなり、声をかけられた。私はハッとして、慌てて、そう返事をする。

「やめなさい。あそこは危険よ。絶対に行ってはダメ。もしも行くようであれば警察に連絡するから」

 警察という言葉に思わず息を呑む。チラリと隣を見ると、美希も怯えた顔をしている。

「何、そんなに睨んだって意味ないわよ」

 睨んだ覚えなんてないんだけど…

 むしろ、彼女のいうことは尤もである。

「け、警察って。ただお寺に行くだけじゃないですか!」

 動揺しながらも美希がそう反論する。

「夜に子供だけでそんな場所に行くなんて問題に決まってるでしょう。きっと警察が駆けつけて、お家の人に連絡されて雷を落とされるわよ」

「何なんですか、あなただって子供に癖に!」

「ちょっと、美希!」

 言い方はきついが、彼女の言っていることは正しい。だけど、美希としては、いきなり現れた他人に注意されて面白くないのだろう。

「私は子供じゃないわ!もう成人済みよ!」

「すみません、私たちはこれで!ご忠告ありがとうございます!」

 最初よりも明らかに不機嫌になった彼女に頭を下げると、子犬のようにキャンキャン吠える美希の手を無理やり引っ張り、その場を後にした。

 近くの公園に到着し、私はやっぱり行くのはやめようと美希の説得を試みる、しかし、

 変なところで意地っ張りな彼女は行くの一点張りだ。

「わかった。一緒に行くよ。でも、万が一不審者だったらすぐに帰るからね」

 こうなると、この子はテコでも動かないんだよね。諦めて、そう言うと、先程までそっぽ向いて不機嫌だった美希は「やったー」と喜びを露わにした。

 何も起こらなければ良いけど

 私の小さな独り言は車の排気ガスの音で消されてしまった。

 

 * * *

 

 家に帰り、美希との約束の時間が近づいてきた頃、自分の部屋で支度を終えると、茶の間のおばあちゃんに顔を出した。

「あらあら、今日も素敵なコーデね。本当に結ちゃんはセンスがあるわね」

 ドラマを見ていたおばあちゃんは私を見ると目を細めてそう褒めてくれた。

 赤色の薔薇が施されたボンネットに赤をベースに白の大きなフリルがついたワンピース。中にはパニエを履いており、ふんわりとしたシルエットになっている。茶色のポシェットを肩にかけ、足元はレースのついた靴下。靴は先日お迎えできた赤色のおでこ靴を合わせる予定だ。黒色の髪はおさげにして、赤ずきんのような可愛らしいクラシカルなコーディネートだ。

 私のおばあちゃんの櫻子は私のファッションを見るたびにセンスが良い、似合っているなど褒めてくれる。

 私もそれが嬉しく、新しい服を買った時や、いつもよりおしゃれをした時はさりげなく、おばあちゃんに見せに行くのが恒例だ。

「ありがとう。おばあちゃん」

「あ、そうそう、ちょっと待ってね。結ちゃんに似合うブローチがあるのよ」

 そう言っておばあちゃんは自室に戻ると、手に小さな木箱を持って、戻ってきた。

「これなんだけどね、私のお母さんの形見なのよ。結ちゃんからしたら古臭いかしらね」

 見せてくれたのは周りに金細工が施された翠色の宝石のように透き通ったブローチ。

「え、これ、すごく立派なものに見えるけど、本当に良いの?」

「良いのよ、使わないのも勿体無いし、結ちゃんは大事にしてくれるでしょう」

「ありがとう。おばあちゃん」

 嬉しくて、その場で、胸元のリボンにつけた。赤に翠が映えて、さらに可愛くなった。

「お祭り、楽しんでらっしゃいね」

「う、うん」

 一瞬、胸がどきりとしながらも、出来る限り平然を装いながら返事をした。

 ——ごめん。おばあちゃん。でも、危ないことには首突っ込まないようにするから。

 心の中でおばあちゃんに謝罪しながら私は美希との待ち合わせ場所へと向かった。

 

 「はー、疲れたぁ」

 私はとっくの前に廃寺となり、ボロボロとなった狸小路寺の前で膝に手を当てて息切れをしていた。

 美希もかなり疲れたようで、その場に座り込み、tシャツでパタパタと仰いでいる。

 町内のとある山の麓に位置する狐崎神社の近くの石階段を登った先にあるのが狸小路寺だ。

 幸いにも、私は出かける直前にそのことを思い出し、スニーカーを履いてきた。

 あの、おでこ履を合わせたら、完璧だったけど、仕方ないよね。

「でも、ここに本当に誰かいるのかなぁ。全然そんな気しないよ」

「だから言ったでしょ。デマだって」

「まだわかんないじゃん。あ、お寺の中に魔女がいるかも!」

「ついさっき、人は居なそうって言ってたじゃん」

「いなそう!居ないとは言ってない。ほら、行こう」

「ちょっと、美希⁉︎」

 美希は、大股で生い茂った草の中をずかずかと進んで行った。私を置き去りにして…何のために私のことを誘ったの、あの子は。

「絶対に服が汚れるじゃん!もうっ!」

 スカートの裾を持ち上げ、悪あがきだとわかっていながらも細心の注意を払いながら、どうにか、草むらを抜け、お寺に到着すると洋服についた露をできる限り払った。

「本当に不気味。ていうか、美希はどこに行ったの」

 スマホのライトをつけ、お寺に踏み込むとギシギシと床の軋む音がした。正直、幽霊や魔女よりも床が抜けるのではないかというほうが恐怖を感じる。

 床を照らすと、おそらく美希のものであろう足跡が廊下の奥まで続いている。

「美希ー、誘っておいて置いて行くのはあんまりじゃないのー」

 そう叫ぶも返事はなく、私の声はただ闇に吸い込まれるだけだ。

 本堂の前の廊下を抜け、突き当たりを曲がると、奥の扉の前で倒れている何かをライトが照らした。

「み、き、?」

 茶色ののショートヘアにティシャツ、短パンの子供が力なく倒れている。その姿は紛れもなくさっきまで一緒にいた彼女だ。何より、その倒れ込んだ彼女の手元には美希のものと思われるスマートフォンが落ちている。

 私は目を見開き、ショックと恐怖でスマホを落としそうになるのをグッと堪えて、彼女の元へ駆け寄った。

「美希!美希、どうしたの⁉︎」

 彼女の肩を強く揺らすも、起きる気配はない。一瞬、死んでしまったのだろうかと嫌な想像もしたが、スゥスゥと一定の呼吸音が聞こえる。

 ——まさか、寝てる?

 こんなところで、突然寝落ち?まさか!そんなことはありえない。

「どうしよう。警察?先に救急車?」

 震える手でスマートフォンを操作しようとすると。

 

 カツン、カツン、ガタ、ガタ

 

 背後から何か物音がした。

 音の鳴る方を向くと、目の前のすりガラスの引き戸には大きな人の形のした影が映っている。経年劣化で歪んだ引き戸を無理やり開けているようだ。

 

 ガタリ

 

 そして、その引き戸はとうとう開けられた。

 

「なんで、お前は寝てないんだ」

 

 目の前に現れたその男は明らかに異様であった。

 何、この人、顔は不自然に歪んで、目が真っ赤。おまけにおかしな匂いもする!

 私はこの時、恐怖のあまり、体どころか、顔すらも動かせなくなってしまった。

「手間かけさせやがって」

 男は忌々しそうにそう言うと、右手に持った棒を私に向けた。

 目の前につきつけられたその棒の先端にから雷のような緑色の光が突如として発生し、バチバチと音をならし不規則に形を変える。得体の知れない光景にパニックになった。

 ハクハクと浅い呼吸を繰り返すだけで、逃げることも立ち向かうこともできず、その光から目を逸らすことができない。

 

 −あぁ、ここで私は死ぬんだ。

 

 そう悟った刹那、白い光が男に激突し、視界から消えた。ドゴンッという壁に叩きつけられた衝撃音だけが耳にはいってきた。恐る恐る音のした方を向くと、男のぶつかった壁からはパラパラと土埃が舞い、男も力なく地面に転がっている。

「動くな」

 凛とした、圧のかかる声が耳に入ってきた。 声の方を向くと、帽子を被り、ブーツを履き、マントを纏った軍服のような服装の少女。透き通った白髪に澄んだ慧眼、現実離れした整った人形のような顔立ち。格好は違えど紛れもなく昼間に出会った彼女だ。

「異界間警察よ。膝をついて手を上げなさい」

 相手を圧倒させる佇まいと凛とした彼女の声がその場を制す。

 杖を構えながらカツカツと音を立てながら近づいてくる彼女に私は呆気に取られていた。

「う、うううううるさい。俺の高尚な研究を理解できない凡人がぁ!」

 声にならない呻き声をあげていた男は奇声と共に壁から跳ね起きると、私の方へと手を伸ばした。

 

 次こそ殺される‼︎

 

 その矢先、バチンッと白い光が視界を支配し、次の瞬間には

「二〇時〇三分、異界間不正渡航、及び違法魔法薬の製造、未登録魔道具の使用。暴行の容疑で逮捕する」

 男に馬乗りになった彼女がそう宣言し、ガチャリと男の手首に手錠を嵌めた。

「だから言ったじゃないの。子供だけでこんなところに来るなって」

 美人って、近くで見ても美人なんだな。

 恐怖と混乱からか、私はそんなことしか考えられなかった。

 

 * * *

 

 それからしばらくすると数人の大人たちがやってきた。彼らは全員、彼女と同じ帽子を被り、マントを羽織り、ブーツを履き、軍服のような格好をしていた。

 彼らは手際よく男を回収した。その間、彼らはチラチラとこちらのことを気にしており、どことなくその場に居ずらい気分になった。少し離れたところで別の軍服の人間と話していた少女は、こちらに戻ってきて

「この子は、何も怪我はないわ。しばらくしたら目が覚めるから。突然のことで驚かせたわね」

 と昼間とは違う優しい声色で声をかけてきた。

「い、一体なんなんですか。異界間警察とか、さっきのビームみたいのとか」

 私が矢継ぎはやにそう尋ねた。

 だって、わけがわからないんだもん。ただの肝試しのはずだったのに、怖い男がいて、非科学的なことが起こって、その男は逮捕されて、

「それについてはきちんと説明するわ。だからそんなに睨まないでちょうだい」

 混乱する私に彼女はそう微笑んだ。

 だから睨んでないんだって。

 

 * * *


 昔々、この世界には二種類の人間がいた。

 魔法が使えるものと、使えないもの。

 魔法が使えるものは使えないものに比べ少数であったけれど、彼らはお互いを認め合いながら共生していた。

 けれども、中世ヨーロッパにて風向きが変わった。

 魔法を使える者たちは悪魔との契約者だとして迫害され、多くの人たちが処刑される。いわゆる魔女狩りが横行し始めた。

 処刑の手から逃げるため、当時の大魔法使いたちが、もう一つの世界を創造した。そして、多くの魔法使いがそこに逃げこんだ。

 最初はヨーロッパの魔法使いだけだったけれど、科学技術が進歩するにつれ、他国の魔法使いも得体の知れない存在として、畏怖の目で見られるようになり、その世界に逃げ込んだ。

 そうして現在、魔法が使えない、非魔法族と魔法が使える、魔法族の世界が完全に分離された。

 

 * * *


 星川ノエルと名乗ったその女の子は淡々とどこかのファンタジー小説のような話を語った。

 私は小学五年生。そんな空想を信じるような年齢ではないけど、

 さっきの戦い(そう呼ぶにはあまりにも一方的であったが)

 ここだといつ床が抜けるかわからないと言い、お寺を出た後に話す場所として、岩と瓦礫をを浮遊させ移動し、手持ちのブランケットとで即席の椅子と、美希の簡易ベットを作る。

 などの非科学的な光景を目の前で見てしまった。

「マジックというにも無理がありますよね」

「あると思うわ」

「ですよねー」

 信じられない話も一旦飲み込む他ない。

「それで、その異界間警察というのはなんですか」

「その名の通りよ。非魔法界での魔法界、魔法族の関わる事件、事故を解決するの」

「私たちは魔法使いの存在について知らなかったってことは隠されてたってことですよね。知っちゃった私はどうなっちゃうんですか」

 まさか、記憶を消されるとか、最悪、殺されちゃう⁉︎

「そうね、本来は記憶を消すわ」

 ああ、やっぱり。ん?本来はってどういうこと?

「でも、それってかなり危険な行為なのよ。特に子供にかけると脳に後遺症が残る可能性があるわ」

 脳に後遺症。一体どんな後遺症が残るかはわからないがその文字の羅列だけでゾッとしてしまう。

「だから、私から提案があるの。あなた、私の協力者にならない?」

 

「協力者…?」

 

 首を傾げる私にノエルは話を続けた。

「私たち、異界間警察には非魔法族とのバディ制度があるの。協力者と呼ばれる非魔法族に非魔法界での活動のサポートをしてもらう。幸運にも私にはまだ協力者がいないわ。協力者になればあなたの記憶を消す必要はない。勿論、貴女の安全も保証するわ。結構魅力的な提案だと思うんだけど。どうかしら」 

 脳に謎の後遺症が残るか、謎の組織の協力者となるか。正直、魅力度はさほど変わらない。というか、どちらも魅力はない。だって、どっちも得体が知れないんだもん。

 でも、強いて言えば、“安全が保証される”という文言には惹かれた。

「なります。協力者。その代わり、安全はちゃんと保証してください」

 ええ、勿論。

 返事と共に差し出されたノエルの手を重ねると、ギュッと握り返された。

 

 * * *

 

「協力者申請。白崎結華。十一歳の小学五年生。ふざけているのか」

 異界間警察本部の本部長室でノエルの上司である龍一郎は苛立ちを隠さず、そう問いただした。

「いえ、ふざけておりません」

 ノエルはその態度に臆せずにはっきりとそう答えた。

「白崎結華は魔法を目撃しました」

「記憶を消す。それが本来の対処法だろう。何故、わざわざ協力者にする」

「彼女は犯人の睡眠魔法に掛かっていなかったのです」

 ピクリと龍一郎の片眉が動く。

「犯人は未登録の自作の魔道具で一定範囲に近づいてきたものを眠らせていたのだな」

「ええ、ですが、彼女はその範囲内に入っても眠らなかったのです。私には防御魔法のかかったこの制服がありましたが、彼女は魔法の存在も知らない非魔法族です」

「忘却魔法も効かない可能性もある」

「ええ、そうです」

 龍一郎は大きくため息をついた。

 特異体質なのか、自覚がないだけの非魔法界に残る魔法族で、無意識に魔法を使ったのか。どちらにしても放置できない存在だ。

「わかった。許可する。始末書も今日中に提出するように」

「かしこまりました」

 ノエルは敬礼すると、失礼しますと一礼し、部屋を出た。

 

 

 

 2.ドラゴンを探せ!バディの初任務

 

「いきなりふらっと気を失ったと思ったら…気がついたらお寺の外にいたの!」

 数人のクラスメイトに囲まれて臨場感たっぷりに話す美希に聴衆は、えー!怖い!などと、これまたバラエティ番組のようなボリュームで反応する。まるでカメラでも回しているようなリアクションだけど、実際のところは放課後に教室の片隅で行われているやりとりだ。土曜、日曜と二日も誰かに話したくてうずうずしていたからか、彼女の雄弁ぶりはいつも以上だ。

「結華ちゃんもいたんだよね。怪しい人影とか、火の玉とか見なかったの?」

 美希の話に興味津々に聞き入っていたクラスメイトの一人がそう帰り支度中の私に問いかける。

「大きな物音がして、慌てて行ったら美希が倒れていたの。大方、美希が転んで気を失ったんでしょ。外まで運ぶの大変だったんだから」

「えー、でも転んだ記憶なんてないよ。本当に、こう、ふらぁって感じだったんだから」

 親切にも“ふらぁっと”をジェスチャーで再現してくれるけど、”協力者”としてそれを事実にするわけにはいかない。

「頭でも打ったんじゃない。病院に行ったら」

「そんなで病院に行ったら、お母さんに怒られるじゃん…」

 美希の母親は怒るとかなり怖いようで、彼女は前に書いてもらったプロフィール帳の怖いものベスト3の二番目に『怒ったお母さん』と書いていた。そのくせ、母親が怒るようなことを先陣きってやるのだからよくわからない。

「じゃあ、結局、魔女も幽霊もいなかったの?」

 また別のクラスメイトがそう問いかける。

「そうに決まってるでしょ。幽霊も魔女もいないよ」

 そう答えると、つまらない。と、まあそうだよね。の反応が半々ほどで返ってくる。美希はそのリアクションに対して、不満そうだけど、これでいい。

「じゃあ、このドラゴンも結局デマなのかなぁ」

「ドラゴン?」

「うん、今日、配られた校内新聞に載ってたじゃん。ほら、こっちは写真付き!」

 そういえば、帰りの会で配られてた。後で読もうと、ランドセルにしまっちゃったんだ。

 その子が見せてくれた校内新聞の一面には『裏山でドラゴン発見⁉︎』という見出しと、

「何これ、これがドラゴン…?」

 何か尻尾のようなものが茂みからはみ出た写真なのだが、実際のところブレが酷く、これをドラゴンと言い張る記者の度胸を称賛したいものだ。

「ねえ、結華!今度はこのドラゴンを探しにいかない?」

「もう変なことに首を突っ込みたくないから。私、今日は用事あるから先に帰るね」

 えー!と不満げに声を上げる美希を背に、私はひらひらと手をふり、教室を後にした。廊下ですれ違う先生に軽く会釈をし、いろんな学年が行き交う騒がしい昇降口をぬけ、通学路をしばらく歩く。人が少なくなったところで、私は大きなため息と共に、その場にしゃがみ込んだ。教室での心労が一気に襲ってきたのだ。

 

 外まで運ぶの大変だったんだから。

  

 幽霊も魔女もいないよ。

 

 本当のところは、外まで運んだのは結華ではないし、幽霊は知らないが魔女はいるというのに。よくもまあ、スラスラとそんな嘘が出たものだと自分で自分を褒めたくなる。それに、

 

『もう、変なことに首を突っ込みたくないから』

 

「これから、その変なことに首を突っ込みまくるかもしれないくせに何言ってるんだろ」独り言を呟きながら、玄関の鍵を開けると、ちょうど、ピコンとスマホが鳴った。送り主は異界間警察のノエルからだ。

 

『今日の任務はドラゴン探しよ』

 

「これが伏線回収ってやつかー」

 少し大きな独り言を話すと、私は、一人で空を仰いだ。

 

 狸小路寺でノエルと会った翌日、私は異界間警察の支部の本拠地だという喫茶店【喫茶柊】で、もう一度彼女に会っていた。

 駅前の大通りから少し外れた路地にあり、外観も正直古臭いけど、内装は意外にお洒落落ち着いた雰囲気だ。

 マスターである秀一さんは70代くらいの見た目の清潔感のあるお爺さんで、往年の映画スターを彷彿とさせる、所謂イケオジだ。初めて会った日、私の甘ロリコーデを褒めてくれた彼に勝手ながらすでに良い人判定を下している。

 この日、ここに訪れた理由は協力者の仕事内容の説明と正式な契約、協力者への魔道具の貸し出しのためだ。

「協力者である貴女に貸し出される魔道具はこの三つよ」

 適当な二人がけの席に着くと、目の前には紺色のジャケット、ピンバッジ、白い手のひらサイズの箒のストラップが並べられた。

 ジャケットと、ピンバッジはまだわかるけど、このストラップは、

「おもちゃ…?」

「失礼ね。歴とした魔道具よ」

「魔法の杖とか渡されると思ってたのに」

「魔力のないあなたが持ってても意味がないでしょう。あれは、魔法を安全に使うための補助アイテムなのよ」

「てことは、杖がなくても、魔法は使えるの」

「ええ、あまり推奨はされてないけどね。って、この話は今はいいのよ」

 脱線した話を無理やり軌道修正し。箒のストラップを片手に、説明を始めた。

「これは飛行用の箒。持ち運びができるよう。小さくしてるのよ。はい、これを手に取って、今から私が言うことを復唱して」

 ずいっと目の前に突きつけられたそれを困惑しながら受け取る。


「汝、その姿を変え、我が翼となれ」


「…」

 え、何、その恥ずかしいセリフ!

 あまりにも厨二臭いセリフに思わず口をつぐんた。

「言いなさいよ!」

「そんな恥ずかしいセリフ、いきなり言えないんだけど!」

「仕方ないでしょう!その道具はこの言葉をトリガーに起動するよう設定されてるんだから」

 ノエルもこの文言は恥ずかしいようでほんのりと顔が赤くなっている。

 正直、言いたくないが、恥ずかしがっていたら何も進まない。おずおずと口を開き、彼女の言葉を復唱する。

「汝、その姿を変え、我が翼となれ」

 すると、突如としてその小さな白い箒のストラップは全長一メートルほどのサイズへと姿を変えた。

 え、何これ、何が起こったの!

 あまりに一瞬のことで、私は目をまんまるにし、口をあんぐりと開けた状態で固まったが、徐々に、魔法という非現実的な現象を自分の手で起こした状態を理解すると、興奮し、身体の熱が一気に上昇した。

「いわゆる、空飛ぶ箒ね。跨って足を地面から離すと、自動的に浮くわ。操縦も進め、曲がれって思うだけで良いの」

「わかった」

 興奮が止まないまま、説明通りに箒をまたぎ、小さくジャンプをした。すると、臀部への衝撃は多少あったものの私の足と地面の距離は縮まることなく、空中に留まっている。

「え、うそ、と、飛んでる⁉︎私、浮いてるの⁉︎」

 ーこれで、進め!って思えばいいのよね!進め、箒!

「ええ、そうよ。でも、室内じゃ危ないから、一旦、降り」

 ノエルが言い切る前に箒は前触れもなく、ブレーキの壊れた自転車が急な坂道を降るようなスピードで直進し始めた。

「ちょ、ど、どうしたら、ぶつかる!助けてーー!」

 まさか、こんなスピードが出るなんて!

 壁に突進しながら絶叫すると、ぶつかる直前に、見えない何かにいきまり首根っこを捕まれた。手から箒も落ち、宙ぶらりんの状態だ。後ろを向くと、冷や汗をかきながら、テーブルに片手をつき、体を前のめりにして、肩を大きく上下に揺らしたノエルがこちらに杖を向けていた。

「人の話は最後まで聞きなさいよ!バカなの⁉︎」

「バカってなにさ!こんなスピード出ると思わなかったの!もっと早く言ってよ!」

 売り言葉に買い言葉。声を荒げる彼女に反射的に言い返した。

「それに関しては、私にも非があるわ!ごめんなさい!」

「こっちこそ、ついつい言い返しちゃった。ごめん」

「いいわ。じゃあ、説明に戻るわよ。箒を拾って。はい、復唱。汝、あるべき姿に戻れ」

 ノエルによってふわりと重力に逆らうように着地させられると、箒を手に取る。

「汝、あるべき姿に戻れ」

 そう唱えると、箒は元サイズに姿を戻した。

「じゃあ、戻ってきて。残りの説明もするわ。終わったら、飛行術、箒での飛び方の練習ね」

「はーい」

 この日は結局、門限ギリギリまで魔道具の取り扱いのレッスンを受け、日曜日も魔術やバディ制度に関する講習を置けることになったのだった。

 協力者って、思ったより、大変…?

 

 * * *

 

「全く、昨日の今日でもう呼び出しを喰らうなんて」

 協力者は必要な事態にのみ要請され、他は週一回の定期報告会と魔道具利用の特訓のみと聞いていたのに、協力者となってたったの三日でもう呼び出されてしまった。

 クローゼットを開け、今日の服を吟味する。職務中は支給された紺色のジャケットとトランシーバ機能のついたピンバッジの着用が義務付けられているため、それに合わせたコーデとなる。

「よし、これにしよう」

 汚れの目立たないAラインの緑のギンガムチェックのワンピースを着て、ジャケットを羽織る。ピンバッジはジャケットの襟口につける。髪の毛は邪魔にならないようにポニーテールにしてリボンでくくる。

「んー。せっかくだし」

 胸元のリボンに先日、祖母からもらったブローチをつけ、鏡の前で一回転してみる。満足のいくコーディネートだ。カバンに校内新聞と杖を入れると、もう一度鏡の前に立ちにっこり笑う。

「今日も可愛い」

 茶の間の机の上の『裕子さんとお茶に行ってます。』という祖母の置き手紙に『友達と遊んできます。六時までには帰ります。』と書き加え、誰もいない室内に行ってきますと声をかけ、家を出た。

 

 喫茶柊に入ると、セーラーワンピースを着た美少女、ノエルが優雅にお茶を飲んでいた。透き通るような白髪に澄んだ慧眼。顔が美しいのは勿論、姿勢の良さも相まって、彼女がいる空間はまるで絵画のようだ。

「貴女のお友達は大丈夫だった?」

「どうにか誤魔化せたよ。あなたが用意してくれた嘘で」

「良かったわ、じゃあ、連絡した通り、今日の任務はドラゴン探しよ」

「私、初任務だよ。初任務でドラゴン探しって」

「何言ってるの。ドラゴンといっても子ドラゴンよ。ちょうどいい難易度だわ。それで、ドラゴンの目撃証言と思われる写真は?」

 儚そうな見た目とは裏腹に話し方や態度はかなり横柄だ。

「これ、ブレブレでわからないけれど」

 カバンから校内新聞を取り出し、ノエルに渡す。

「色とサイズ的には私たちが探しているものと一致するわ。この写真を撮った子に連絡って取れるかしら」

「えーっと、撮影者五年一組佐竹勝…。勝なら、円山公園でよく遊んでるから行ってみたら会えるかも」

「それじゃあ、行くわよ!」

 ノエルは立ち上がり、マリン帽を被り、宣言する。異界間警察の誇りだというその帽子を被ると、彼女の顔は少しだけ凛々しく見えた。

 

「ドラゴン!マジでいたんだって」

「勝ー。五年にもなって何言ってるんだよ」

「そんなもん誰が信じんだよ」

 円山公園に行くと、案の定、勝は友人達とベンチで対戦ゲームをしていた。せっかくの天気なのに何故わざわざ外でゲームをするのか。とは思うけど、今は関係ない。

 ドラゴンについて尋ねると、勝は興奮した様子で話すが、一方で友人達はどこか彼をバカにしたような反応だ。勝は大きな丸眼鏡をかけた小柄な少年で、怒った顔をしても小動物の威嚇程度にしか見えない。

「結華ってこういうの興味ないタイプだよな。いきなりどうしたんだ」

 友人の一人、大輝がそう問いかける。まあ、そうよね、いつも、教室では美希のオカルト話を冷めた感じで聞いてるもん。

「えーっと、その」

 返答に困り目を泳がす。用意していない嘘は得意ではない。

「実は、それ、私が飼ってるオオトカゲかもしれないんです」

「はぁ⁉︎」

 突拍子もないノエルの発言に思わず声を出すと、肘で脇腹をどつかれた。

 この人、もしかしたら丁寧なのは言葉遣いだけでなのかもしれない。

「てか、どちら様で」

「挨拶が遅れてごめんなさい。結華の友達のノエルっていいます」

「え、結華、あ、ごめん。なんでもない」

 おい、今、美希以外に友達いたんだって言いかけただろ。

 不満げに男子たちを睨むと、ヒィッという小さな悲鳴と共に目を逸らされた。

「え、赤かったですけど」

「私、絵を描くのが趣味で、うっかり赤のペンキをぶちまけちゃったんです。それで、綺麗にしようと水槽から出したらそのまま逃げられちゃって」

 もしそれは事実だったらこの人は絶対に生き物を飼ってはいないし、動物愛護団体に一旦怒られたほうが良い。

「結構サイズ大きかったですよ」

「餌をたくさんあげてたので」

「羽っぽいのも見えました」

「残像ですかね」

 勝の言い分をノエルは雑な嘘でバサバサと切っていく。

「とりあえず、この新聞に書いてある通り、丸井山の展望台の茂みで見ました。日曜日の、今くらいの時間帯かな。一瞬の出来事だったから。それ以上は何も」

「わかりました。ありがとうございます。結華、行きましょう」

「わかった。勝。ありがとね!」

 男子達は、ポカーンとした顔で、手を振ってた。そりゃそうだよね、私も何も知らなかったら、そんな反応になるよ。

 

 * * *

 

「ここが目撃証言の場所ね」

 例の展望台に到着すると、付近の茂みをかき分け捜索を開始する。

「探索魔法とかないの」

 思ったよりもアナログな手法に、そうノエルに尋ねた。

「魔法でなんでもできると思ったら大間違いよ。でも、何か、ドラゴンの身体の一部さえ見つかれば使えるわ」

「腕、とか…?」

「そんなに大きい必要ないわ。鱗の一枚とかだけでいいのよ」

「それがあればいいの?」

「ええ、身体の一部を使って持ち主の今から二十四時間以内の足跡がわかるわ。足跡が直近であればあるほど濃く見えるから、対象の動いた時間帯もわかるわよ」

「ストーカーが悪用しそうな魔法だね」

「ええ、実際に社会問題になってるわ」

「魔法界も世知辛いね」

 空想の世界とはかけ離れた生々しい魔法界の事情に夢を壊されつつ、私はノエルと手作業でドラゴンもしくはその身体の一部の捜索を続けた。

 しばらく捜索を続けた頃、きらりと光る赤い何かのかけらを見つけた。

「ねえ、この大きな赤いの、鱗っぽくない?」

「これ、ドラゴンの鱗だわ!」

 よくやったわ!とノエルは興奮しながら結華を褒める。そして、彼女は真っ白な杖を取り出すと、鱗を指した。すると、今にも消えそうな白いラインが地面に浮かび上がり、それは茂みの中から、山の奥の方へ消えていった。ちなみに彼女は今、探索魔法を使っているのだが、フィクションの世界のようにキラキラしたエフェクトもつかなければ、呪文も唱えない。ノエル曰く、

「走ってる時にキラキラとしたエフェクトはつかないでしょう。それと一緒。呪文は使う人も多いけど、私ほど優秀な人間には必要ないわ」

 ということらしい。

「茂みから、一直線に山の方に向かってる。勝に会って、逃げたのかな」

「ドラゴンはそんなに警戒心は強くないわ。人間に会った程度だったらここまで慌てて逃げ出さないのだけど」

 確かに、狸小路寺で会った男みたいな人ならまだしも、勝と会って、逃げようとは思わないな。

「攻撃したり、捕まえようとする人間には?誰かに追いかけられてたんじゃない」

「そういえば、勝くん、一瞬の出来事だったって言ってたわね」

 ノエルは顎に手を当てて眉間に皺をとせた。

「非魔法族だったら良いのだけれど、もしかしたら、ただのドラゴン探しじゃないかもしれないわ」

「どういうこと?」

「魔法族の密猟者が関わってる可能性もあるわ」  

 密猟者。テレビのドキュメンタリー番組でしか聞かない単語だ。

「ねえ、魔法族が非魔法界に来るのって原則禁止なんでしょう。何で密猟者が来るわけ」

「ドラゴンは個体数が少なくて保護生物に登録されているくらい貴重なのよ。だから、闇市では高値で売れるわ。捕まるリスクをかける価値があるの」

「何でそんな生き物がこっち来ちゃってるの⁉︎もっとちゃんと管理しなよ!」

「そんなの管轄外だから知らないわよ!」

 そんな、無責任な。と思うが、彼女らも何か面倒くさい事情があるのだろう。

「とにかく、後を追いましょう。この山の中は防犯カメラもないし、箒を使いましょう」 

「汝、その姿を変え、我が翼となれ」

 

 森に入ると、呪文を唱え、おもちゃのような小さな箒のストラップを人が乗れるサイズの箒へと変える。この厨二くさいセリフはいまだに気恥ずかしさがあり、ノエルが無言で箒に変える姿を見ると、羨ましく思ってしまう。

「何よ、私のこと睨んだって仕様は変わらないわよ。怪我しないようにジャケットも忘れないで」

 睨んでない。と言おうと思ったが、この誤解はいつものことだし、わざわざ反論するのは面倒くさい。

「はいはい、うっかり誤作動しないようにわざとらしい呪文を設定してるんでしょう」

「あら、ちゃんと覚えてるのね」

 覚えるまで叩き込むわよ!と、小テストまで用意したのはどこの誰でしたっけ。なんて、心の中で軽い悪態をつきつつ、実際は黙って羽織っていたジャケットのチャックを上までキッチリ上げる。チャックを上まで上げ切ることで内側で魔法陣が完成し、着用者に防御魔法がかかるという仕組みらしい。

 正直、箒もこれくらいシンプルであって欲しいところだ。

「じゃあ、行きましょう」

 ノエルの呼びかけを合図に箒に跨り浮遊すると、木々の合間を縫って、ドラゴンの足跡を追った。昨日、一昨日の練習の成果で、集中すれば、自転車みたいに自由に操縦できるようになった。ノエルはスパルタだったし、秀一さんはニコニコ見守ってるだけで、地獄みたいだったな…

 しばらく追っていると、線が徐々に濃くなていく。

「そろそろ近くにいるわ。一応、ここからは歩きましょう」

 地面に着地すると、箒を元の姿に戻し、茂みに隠れながら徒歩で足跡を追う。

「いたわ。杖を持っているし、格好からしても、魔法族の、おそらく密猟者ね」

 茂みに隠れながらノエルが言う。

 五十メートルほど離れた先には檻に入った赤い子ドラゴンを片手に携帯で何かを話している男がいる。

「どうするの」

 小声でノエルに問いかける。

「捕まえるに決まってるでしょう。危ないから貴女はここで待機してて」

 ノエルの言葉に、こくりと頷く。

 それを確認すると、ノエルはセーラー服からマントのついた軍服のような服に姿を変える。実はこの服装こそが、異界間警察の制服だが、目立つため日頃は変化魔法で変えているとのことだ。

「異界間警察よ!杖を置いて、手を挙げて膝を突きなさい!」

 ノエルは勢いよく立ち上がり、杖を構えながら凛とした声で叫ぶ。

「け、警察?俺は何も悪いことはしてませんよ。このドラゴンはたまたま見つけて保護しただけです」

「あら、そうなの。では、その子は受け取るわ。私に渡しなさい」

 慌てる男とは対照的にノエルは平然とした様子で男へと近づいていく。

「さあ、ドラゴンを渡しなさい」

「か、火焔球!」

 ノエルの圧に耐えられなくなった男はノエルに向かって杖から燃え盛る球を撃つが、ノエルは無言でそれを跳ね除ける。

「尻尾を出すのが早すぎるんじゃない。良いこと教えてあげる。非魔法界にはドラゴンは存在しないし、服飾の文化も魔法界とは異なるのよ」

 ノエルは教師のように、相手の犯したミスを教えながら距離を縮める。

「最後の警告よ。杖を置き、手を挙げ、膝を突きなさい」

 淡々と、背筋も凍るような冷たい声で言う。「火炎球!火炎球!」

 男は悪あがきのように何度もノエルを攻撃するが、それらは全て無言で跳ね除けられてしまった。

「警告はした!」

 それからの展開は早かった。ノエルは男とは非にならない速さと威力の攻撃魔法を男の鳩尾に的中させる。声を出さずにふらりと倒れ込む男に一気に距離を詰めると、男の手から檻に入ったドラゴンを回収する。その流れのまま、男に馬乗りになると、

「十七時〇三分、異界間不正渡航、及び業務執行妨害の容疑で逮捕する」

 そう宣言し、男に手錠を嵌めた。

「これ、私はいる必要あった…?」

 と、思わず突っ込む。それくらい、あっという間の逮捕劇であった。

「結華ー、こっち来て、ドラゴンを預かってくれないー?」

 ノエルはさっきとは打って変わって間延びした声で私を呼ぶ。

「行って大丈夫なのー」

「ええ、これは気絶してるし、ドラゴンが邪魔なのよー」

 犯罪者とはいえ、人間相手にこれとはいかがなものか。まあ、そんなことを言ったところで何も意味はないから、いいんだけど。

 私は立ち上がり、スカートについた草を手で払いのける。

「結華!後ろ‼︎」

 ノエルの声に反射的に後ろを振り向くと、

「動くな。嬢ちゃん」

 とん、とおでこに杖を突きつけられた。

「あの嬢ちゃんと話してたってことは、非魔法族の協力者って奴か」

 ニタニタと無造作に髭を生やした男が言う。

「おい、お前!今すぐ、そのドラゴンを俺によこせ!さもないとこいつの頭が無くなるぞ!」

 男がノエルに向かって声を荒げる。

「わかったわ。渡すから、その子を解放して」

 ふざけるな!せっかく苦労して捕まえたドラゴンを易々と渡すなんて!

「汝、その姿を変え」

 怒りのまま、右手に持った、小さな箒にぐっと力が入る。

「おい、嬢ちゃん。俺らはお前らが魔法を使えないことなんて知ってるんだぞ」

 男がバカにしたように鼻で笑う。その男を持ち前の目つきの悪さで思いっきり睨む。

「我が翼となれ!」

 呪文を唱え終わると同時に右手に持ったストラップは本箒へと姿を変える。手のひらサイズからいきなり一メートルほどの長さに伸びるのだ。目にも止まらない速さと勢いで。

「がはっ」

 箒の先は見事に男の股間に的中し、男がそこを押さえながら、その場に膝をついて倒れた。

 よかった、上手く的中した。

 その姿を見て、私は緊張の糸が解け、ノエルは

「あなた、最っ高‼︎」

 今までで最高の笑顔を見せた。

 

 * * *

  

 その後、ノエルは私にドラゴンを渡すとあっという間に髭の男に手錠を掛けた。そして、しばらくして、他の異界間警察たちがやって来ると、二人の男とドラゴンを回収して行った。ノエルと私も一件落着と、箒に乗って下山することになった。

「にしても、あの魔法で股間、股間を突くなんて、貴女が初めてなんじゃない」

 耐えようにも耐え切れず、ノエルがしゃべりながら吹き出した。

「だって、あなたがドラゴンを渡すって言うから!」

「何言ってるの。渡すわけないでしょう。渡すふりをして、隙を見て倒そうと思ってたのよ」

「知らないよ、そんなの!」

「よそ見してたら危ないわよー」

「え、うわぁっ」

 目の前に現れた木を寸前で躱す。こっちは飛行初心者だ。ながら運転なんてまだできない。

「ていうか、貴女、防御魔法かかってるんだから軽い衝撃はあれど、頭が消し飛ぶことはないわよ」

「あの時は必死だったの!」

 ケラケラと笑うノエルに私は顔を真っ赤にしながら言い返す。

 初めて会った日はあんなに大人びて見えてたのに、本当にこの人は大人なの⁉︎

「私、貴女と組んで良かったかも」

 そう顔を綻ばせるノエルの横顔に、私の心臓は、ドキッと、おかしな動きをした

「それはどうも」 

 さっきとは違う理由で顔を赤くし、そっけなく、そう返事をした。

 

 

 

 3.戦力外通告⁉︎警察官バディの思い

 

「すっごーい、見て見て結華、お店が沢山!」

 美希は私の手を引きながら目の前に広がるマルシェを指差す。

「わかってるから、見えてるから。もう、あんまりはしゃぎすぎないで」

「そんなこと言って、結華だって楽しみだったでしょ」

 このこのーと言いながら美希はツンツンと私の頬をつつく。

 実際、年に数回開かれるエトラ広場でのマルシェは私も楽しみにしていた。

 ーこのマルシェ、意外と掘り出しものがあるのよね!

 私の趣味はロリィタファッション。

 今日のコーデも葡萄畑をモチーフにしたジャンパースカートと姫袖のブラウス、胸元には祖母にもらったアンティークブローチを付けている。花の飾りがついたカンカン帽を被り、髪の毛はおひつじヘアでスッキリかつ可愛く、足元は白のタイツと編み上げブーツ。

 十月後半に差し掛かり、ようやく、暑さを気にせずに、コーデを組めるようになった。

 だけどこの趣味はお金がかかる上に、私の行動範囲内にはロリィタ系列のお店がほとんどない。そのため、いろんな作家さんのハンドメイド作品やアンティーク品が並ぶ、このマルシェは私にとっては宝の山だ。

「すごいね!どこから見ようか。あ、あのスムージー、美味しそう!」

「本当。いろんな味があるんだね」

 キッチンカーのお姉さんに、こんにちはー。と美希が笑顔で挨拶をし、私も隣でぺこりと軽く会釈をする。

 キッチンカー前の立て看板には、林檎、オレンジ、バナナ、マンゴーなど、様々な味が書かれている。

「見て見て!今日限定のスペシャルドリンクもあるってマルシェしてる間しか飲めないんだって!」

「そうなんですよ。せっかくなので良かったら」

 あーあ。そうやってすぐに口車に乗せられて。でも、こういうのを楽しむのもイベントの醍醐味の一つだよね。

「せっかくだから、何か頼もうか」

「うん!」

 二人して、メニューと睨めっこしていると、後ろから、

「お、ここのスムージー、美味しそうじゃん。飲もうぜ!」

「誠先輩、職務中ですよ」

「いいじゃん、ちょっと休憩で。お姉さんが買ってあげるよ」

 と、後ろから、賑やかな話し声が聞こえてきた。

 待って、なんか聞いたことある声…

 そう思い、後ろを振り返ると、

「結華…⁉︎」

「ノエル…!」

 私のバディであり、異界間警察として活躍する魔法使いのノエルがいた。

 相も変わらず、人間離れした美貌で、シンプルなセーラーワンピースを着こなしている。

「お、ノエルさん、知り合いか。もしかして、例の…?」

「あー!白髪の美人!大輝が言ってた!」

 ノエルの隣にいた男性の話を遮り、美希が叫ぶ。

「美希、声が大きい。ていうか、大輝が言ってたってどういうこと」

「ああ、大輝が前に公園で、結華がすっごい美人の白髪のお姉さんと一緒にいたって」

 大輝。ノエルとドラゴンについて聞き込みに行った時にいた男子のうちの一人だ。

「わー、本当に美人。お人形さんみたい!」

「ふふ、ありがとう」

「私、美希っていいます!結華の親友です!」

「結華がいつもお世話になってます。私はノエルといいます。結華の友人です」

「私がお世話してる方ですけど⁉︎」

 あまりに聞き捨てならないセリフに思わず突っ込んでしまった。お願いだから、そこだけは勘違いしないでほしい。

「ちょっと、お嬢様方。盛り上がるのは良いけど、お店に迷惑だよ。おしゃべりならあっちの休憩スペースでしよう」

 あ、そうだった。ここはお店の前だ…

 ノエルと共にいた女性に注意され、私と美希は、しゅんと落ち込む。ノエルも気まずそうな顔だ。

「ここのスムージーが飲みたいんだよね。出会えた記念にこの男がスムージーを奢ってくれるって」

「舞さん⁉︎聞いておりませんが⁉︎」

「先日、酔い潰れたあんたの介抱してあげたのだーれだ」

「是非とも奢らせてください」

 たった数秒の会話でこの二人の関係性か垣間見えた気がした。

 

  * * *

 

 約束通り、それぞれスムージーを買ってもらうと、近くの休憩スペースで五人が座れる席を確保した。

「それじゃあ、お互い自己紹介しようか。私は辻村舞。よろしくね」

 そう名乗ったのは、先日この男性を介抱してあげたという女性の方だ。金髪のポニーテールに、キリッとした眉と垂れ目のエメラルドの瞳。どこかとのミックスなのだろうか、堀が深く、鼻が高い。身長は175センチほどで、スレンダーなモデル体型。若草色のセットアップを着こなしている。長い脚はテーブルの下で窮屈そうだ。

「じゃあ、時計回りに、ほら、誠」

「はいよ、七瀬誠です!よろしく!」

 にししっという擬音が似合いそうな爽やかな笑顔だ。短髪の赤髪と茶色の瞳。身長は170センチ程度。服装は白のトップスとパーカーに細身のパンツにスニーカー。好青年という言葉がよく似合う男性だ。

「さっきもしたけど、星川ノエルです」

「白崎結華です」

「はい!西園寺美希です!質問!ノエルちゃんと誠さん、舞さんって、歳離れてるように見えるけど、どういう関係ですか」

 いきなり、突っ込んだ質問するな、この子は。

 確かに、両者とも二十代後半ほどの見た目で、ノエルと親子というには歳が近すぎるし、兄弟というにも似てなさすぎる。ノエルの正体を知っている私からしたら、多少想像はつくのだけど。

「俺とノエルが従兄妹で、舞は俺の友達なんだよ。今日はたまたま行き先が同じだったから、一緒に来たんだ」

 なるほどーと美希が相槌を打つ。

「そうそう、結華ちゃん、その服、とても似合ってるね」

「あ、ありがとうございます」

 突然、舞に自分のコーデを褒められ、唇をほころばせる。

「この季節はロリィタも着やすい季節だものね」

「ロリィタ、お詳しいんですか」

 舞の口から出たロリィタの事情に思わず、体を前のめりにする。

「ちょっとね、元カノがロリィタファッションをよく着てたのよ」

 舞は遠い目をしながら明後日の方向を向いた。とんだ地雷を踏んでしまったのかもしれない。

「元って、お前、別れたのか」

「そうよ!浮気されてね!」

「うわー、まじか。最悪だな。ちなみに、俺は先日プロポーズされました」

「ここぞとばかりに幸せマウントとってこないでくれる?」

 ズコーっと勢いよく音を立てて、スムージを飲む舞さんの体からは怨念がぐるぐると滲み出ている。反対に誠さんは幸せですオーラ全開だ。ノエルに目配せすると、気まずそうに目を逸らされた。

「えー、舞さん、こんなに素敵な女性ですもん!すぐに良い人、見つかりますよ!」

 空気を読んでか、読まずか、美希がニコニコと声を弾ませる。

「美希ちゃーん、ありがとう。気遣いがとっても上手。この男とは大違い」

「へーへー、すみませんね」

 誠さんが不貞腐れたようにストローを噛む。

「うちの兄貴、絶賛恋人募集中なんですけどどうですか?」

「ありがとー。でも、私、男は対象外なんだー」

 そのまま、五人で恋愛談義や学校のこところころと話題を変えながら雑談に花を咲かせた。

 大人なのに、こんな子供の私たちと対等に話をしてくれるんだ。

 日頃、家族以外で関わりのある大人といえば、学校の教師くらいで、他人の大人と雑談するというのはとても新鮮な体験であった。

「ちょっと、私、お手洗いに」

 美希が椅子を引き、立ち上がる。

「わかった、場所はわかる?」

「はい!」

 ちょっと行ってきます。と、席を外した。すると、ほんの少しだけ、空気が変わった。だって、ここに残ったのは知っている人たちなのだけだから。

「で、実際のご関係は」

 手元のスムージーから手を離し、そう尋ねる。

「じゃあ、改めて、俺が異界間警察で、ノエルさんの先輩」

 さっきとは違い、少しかしこまった印象で誠さんが話し始める。

「それで、私が協力者で、誠のバディ」

 舞さんも同様だ。

「まさか、あの結華さんにこんなバッタリ会えるとはね」

「あの、ってどういう意味ですか」

 何か悪目立ちしたっけ…。喫茶柊で箒を飛ばしたこと?犯人の股間を箒でついたこと⁉︎

「そりゃ、二人は有名だからね。前代未聞の史上最年少バディって」

 よかった。どっちでもなかった…。

「最年少協力者じゃなくて、バディって呼ばれてるってことは、ノエルも隊内で最年少なの?」

 ノエルの見た目は正直、中高生くらいにしか見えないけど。本人は成人してるって言ってるし、一八とか一九とかなのかな。そういえば私、ノエルの年齢、知らないや。

「ねえ、ノエルって…」

「ちょっと、その話は広げなくていいですから」

 もううんざり。と言わんばかりの表情で、ノエルは無理やり話題を切り上げる。

「それで結華はなんでここにいるのよ」 

「なんでって、普通にプライベートだよ。ノエルこそ、今日は帽子かぶってないし、プライベート?」

「いいえ、今日は覆面調査よ」

「調査って、何の?」

「違法魔法薬物、略して違法魔薬と違法魔道具売買のよ」

 想像以上に重大な案件だ。年齢の話なんてしてる場合じゃなかった。

「今ね、魔法界では違法魔薬と違法魔道具製造の取り締まりが強化されてるのよ。それで、売買人や製造元が非魔法界に活動場所を移してるの。非魔法界の警察官に薬物検査されても反応も出ないし、魔道具の存在も知られてないしね」

「すっごい、迷惑な話…」

 ノエルの話に苦虫を潰したような顔になる。

「でも、なんで、このマルシェに?」

 違法薬物の売買といえば、この広場みたいに陽が当たる場所ではなく、路地裏や、倉庫などのイメージだ。

「人混みに紛れて取引をする奴らがいるのよ」

 木を隠すなら森の中。というわけだ。

「今回の案件は大きな反社会的集団が関わってる」

 誠さんが真剣な、険しい顔で言う。

 さっきまでの爽やかな笑顔とのギャップも相まって、自然と私の背中は、ピンと弦が張ったように伸びる。

 それでも、自分だって、日は浅いが協力者で、ノエルのバディだ。

 自分を鼓舞して、覚悟を決めた矢先、

「だから、今回は関わっちゃダメだからね」

 舞さんにそう告げられた。

「え、何でですか。私も協力者です。力になれるなれるならなりたいです」

 まさか、戦力外通告を受けるなんて思ってもいなかった。

「この件は俺も舞に賛成だ」

「だから、なんで…」

「あなたが子供だから」

 すっと、一線をひかれたようだった。

「ノエル、私はあなたのバディだよ。私はあなたに協力したい」

 今までも何回もノエルと仕事をした。

 ノエル、あなたなら、わかってくれるよね。

 祈るような気持ちでノエルを見つめた。しかし、

「今回は、私たちだけで大丈夫」

 ノエルの口から出た言葉は私が欲していたものから一番遠いものだった。

「バディでよかったって、言ってくれたのに」

 最初はなし崩しになった協力者。それでも、初めての任務で言われた言葉、ノエルの夕日に照らされた笑った横顔。気恥ずかしさと同時に胸が高鳴り、嬉しさで胸がいっぱいになった。

 私だけだったのかな。

 悔しさで目の色が濡れ、手のひらに爪が食い込んだ。

 

 * * *

 

「ちょっと悪いことしちゃったかな」

 結華達と別れた後、誠が頭を掻きながら言う。

「あの、情報収集くらいなら頼んでもいいのではないでしょうか。結華は子供だからこそ、犯人の隙もつけると思うのですが」

「あんな小さい子を巻き込むわけにはいかないでしょ」

 舞はノエルの提案をバッサリと切り捨てる。

「そもそも、私はあなただって、関わってほしくないよ」

「舞さん、何度も言いますが」

「わかってる。だから、私はあなたを一警察官として扱ってる。ねえ、一人の警察官として、情だけで、巻き込む必要のない子供を巻き込むのはどう思う?」

「…今回は、私達だけで調査しましょう」

 舞は優しい手つきで、ノエルの頭を子供をあやすように撫でた。

 ノエルからは舞の表情は見えなかったし、舞もノエルの表情は見えなかった。唯一、その手だけが、彼女達の気持ちをつなぐものであった。

 

 * * *

 

 あれから、ノエルとの関係はギクシャクしたままだ。この前の報告会だって、最低限の会話だけで、すぐに別れてしまった。

「はー」

「結華がため息なんて珍しいね」

帰り道、盛大にため息をつく私を美希が心配そうな顔で見る。

「うん、ちょっとね」

「何か悩みでもあるの?」

「私って、役立たずなのかな」

「え…?」

ポツリとうっかりこぼしてしまった言葉に美希が困惑の表情を浮かべた。

「ご、ごめん。なんでもない。じゃあ、また明日ね!」

「う、うん。またね」

危ない、危ない。私としたことが、うっかり美希の前で口を滑らせるところだった。

気が緩んでるのかな。最近、仕事ないし。

って、ダメダメ!このままじゃ、どんどん気分が沈んじゃう!

 少しでも気分を上げようと、帰宅して、ハーフアップに、フリルカチューシャ、大きなフリルとリボンがついたピンク色の甘ロリィタワンピースという、お気に入りのコーデに着替えた。この格好で、気分転換に散歩でもしよう!

「よし、今日も可愛い!」

にっこり笑って、散らかった部屋を片付け始めた矢先、

ビリっと嫌な音がした。

「最、悪…」

恐る恐る、音のした方ほうに目をやると、支給されたジャケットを思いっきり机の角に引っ掛けたしまっていた。

「はーーー、もう!」

本日二度目の盛大なため息は一人っきりの自室でぽっかりと浮かんでいた。


あれから、ジャケットは自分で縫って、「切り替え!」と両頬を叩いて、外に出たが、やっぱり気分は晴れない。今は、晴れた青空ですら憎く感じてしまう。

「おや、結華ちゃんじゃないか」

 聞き覚えのある優しげな声に、顔を上げると、そこには買い物袋を抱えた秀一さんが立っていた。

 ただ、買い物袋を持って立ってるだけなのに、映画のワンシーンみたい。ベストとワイシャツの格好のせいかな。それにしても、かっこいいなあ。

「どうしたんだい、元気がなさそうだね。もしかして、ノエルちゃんとのことかい」

 う、秀一さんにバレてる。でも、そうだよね、私たち、あんなにわかりやすく気まずそうにしてたもん。

 どう答えたらいいかわからない私を前に、秀一さんにこりと微笑んで片膝をついた。

「よかったら、喫茶柊でお茶でもいかがかな。いい苺を仕入れたんだ。美味しい苺のパンケーキを振る舞うよ」

「生クリームをかけてもいいですか」

「もちろん。好きなだけ」


 * * * 

 

「そうか、そうだね。」

 秀一さんは、いつものカウンターの中で、顎に手を当てながら、相槌を打つ。私はカウンター席で生クリームたっぷりの苺のパンケーキをいつもより大きな一口で、口の中に押し込む。

「僕は、舞さんと誠さんの気持ちがわかるな」

 なんだ、あなたも結局そっち側か。口を動かせない代わりに、秀一を睨むと、彼は困ったように眉を八の字にした。

「もちろん、結華ちゃんの気持ちもわかるよ。信頼していた相手に自分がいらないと言われたら、それはショックだよ。でもね、舞さんたちは大人として、子供の君を守りたいんだよ」

「確かに、私は子供だけど、その前に協力者です」

 パンケーキを紅茶で流し込み、次の分を切りながら言う。

「協力者である前に、十一歳の子供なんだよ」

「何が違うんですか」

「そのままの意味だよ。君が協力者として頼って欲しい気持ちが強いように、舞さんたちも、大人として、十一歳の子供の君を守りたい気持ちが強いんだよ」

 そう言っても、実際のことなんてわからない。口ではそう言っているだけで、子供だから足手纏いだと思ってるかもしれないし。そうじゃないとしても、子供扱いされるのは癪だ。

「ノエルも、そうなの?」

「どうだろうね、本人に聞くのが一番早いんじゃないかな」

「そんなに簡単に言わないでよ」

 最後の一口を紅茶で流し込むと、ごちそうさま。と、手を合わせる。

「話もしないで、わかってもらおうなんて傲慢だ。自分を信頼してほしい、頼って欲しいなら、なおさら、対話をする必要がある。信頼はね、相手の気持ちを受け止めて、自分の意思を伝えて、話し合って、そうやって積み重ねていくものだよ」

 優しい、けれど、少し圧のある声で彼は語った。

 図星を突かれ、恥ずかしく、秀一の顔を見ることができない。

「わかってくれたかな」

 優しい口調で尋ねられる。

「…はい」

 私は絞り出したような声で返事をした。

「じゃあ、ノエルちゃんと話しておいで」

 カランコロン

 普通の鐘とは似てるけれど、ほんの少し不思議なドアベルの音色が聞こえ、大きな光が店内に差し込む。

「秀一さん、何か入り用ですか」

 次に聞こえてきたのは、聞き馴染みのある、少女の声だ。

「ノエル」

 思わず、彼女の名前を呼ぶ。

「結華」

 すると、目を丸くして驚いた後、ノエルも気まずそうに名前を呼んだ。

「ノエルちゃん、こちらの手違いでリスケになったんだ。てことで、君は今、フリーだよ」

 秀一さんが肩をすくめ、わざとらしく言い訳をする。

「ノエル」

 意を決して、もう一度彼女の名前を呼ぶ。

「一緒に、展望台に行かない?」

 絞り出したその声は震えていた。

「いいわ。丁度、リスケになったみたいだし、秀一さんのせいで」

 ノエルはふんっと鼻を鳴らし、秀一を一瞥する。一方で、秀一さんはどこ吹く風だ。

「行きましょう」

 ごちそうさまでした。と、秀一さんに頭を下げ、きびしを返すノエルを小走りで追いかけた。

 

  * * *

 

「今日は天気がいいね」

「ええ、でも寒いわ」

「冬が近いからね」

 

「駅前に新しくできたカフェ、知ってる?」

「いいえ、知らないわ」

「オムライスが美味しんだよ」

 

「あら、猫」

「本当だ。野良かな」

「触っちゃダメよ」

「わかってる」

 

「結構疲れるね。ここまで歩くと」

「そう?あなたが軟弱なんじゃなくて」

 ノエルが、柵に手をつけ、一息つく。風がひゅうと音をたて、彼女の髪の毛を揺らす。

「それで、何の用なの」

 彼女はこちらを振り返り、腕を組み、片足に重心を置いて仁王立ちする。

「ねえ、なんで、今回は私は参加しちゃダメなの」

 勇気を振り絞り、言葉を紡ぐ。声は震え、握っている拳に力が入る。そんな私をノエルは眉ひとつ動かさず見つめる。

「必要ないからよ。今回の件は誠さん、舞さん、私だけで大丈夫」

「本当にそれだけ?私が子供だから、巻き込まないようにとか、思ってない?」

 ノエルは気まずそうに私から目を逸らす。

「だとしたら、私はそれ、すごく嫌だ。半ば強制的に協力者にさせて、何個も一緒に仕事をしてきたのに、今更、そんなこと言うの?

 私は、あなたと対等のつもりだし、あなたにも、そう思って欲しい」

「結華…」

 顔を上げたノエルは私の名前をつぶやく。そして、彼女も意を決して、話し始めた。

「あなたのこと見誤ってたわ。勝手に、あなたは非魔法族だから、子供だからって、どこかで自分が守らなきゃいけないと思ってたわ。ごめんなさい」

 ノエルが深々と頭を下げ、私はギョッとしてしまった。まずは自分の思いを伝えられれば良いと思ってたからだ。

「いいの、謝らないで!私はあなたと対等になれればそれでいいの。私もあなたを頼るから、あなたも私を頼って欲しい」

 そう、私の思いはそれだけだ。

「ええ、わかったわ」

 ノエルは安堵した表情で、胸を下ろした。

 誰かとこんなにかしこまった話をするのは初めてで、なんだか気恥ずかしい。この後、どう会話を繋げよう。そう思案していたが、ノエルはそんな私を気にも留めず、目の前に、写真を突き出した。

「それじゃあ、これに見覚えはあるかしら」

 頬がこけた、痩せ型の中年男性の写真と、赤いワンボックスの車の写真だ。

 本当に切り替え早いな。この人。

「んー、見たことないな」

「この男は、違法魔薬売買をしてるある組織の人間なのよ。前に一度逃してしまって。この車は組織が使用している車。よくある車種で、偽造ナンバーを繰り返し使っているから、特定が困難なのよ」

 となると、この痩せこけた姿も薬の影響なのかな。ああ、薬物って本当に怖い。

 心当たりを探そうと、顔を上げると、視界の端に舗装された山道を降る一台の赤い車が入ってきた。まさか、と目を凝らすと、運転席にいたのは頬の痩せこけた中年の男。

「あの赤い車!」

 そう叫ぶと、ノエルは瞬時に懐から親指サイズの何かを取り出し、杖で勢いよく、車の下に飛ばした。

「よし、うまく付いたわ」

 ノエルはスマホを確認して、安堵の息を吐く。

「何をつけたの?」

「GPSよ」

「写真の男が車を運転してた」

「だから叫んだんでしょう。追うわよ」

 ノエルがセーラ服を軍服、ストラップを箒に変える。しかし、

「ごめん、今日は持ってきてない」

 職務中の携帯の義務はあれど、それ以外の時間ではそのような義務はない。今日は一式を家に置いてきたままだ。

「もうっ、後ろに乗って、早く!」

 ノエルが催促をし、慌てて、彼女の後ろにつく。

「これ、あなたがナビして!」

 ノエルは私の首にスマホのストラップをかけた。

 頼りにされてる!

 こんな状況で不謹慎だけど、嬉しくて、顔がにやけそうになる。

「しっかり捕まってなさい」

 言われた通り、ぎゅうっとノエルの腰にしがみつくと、一気に浮上し、すぐに、街はミニチュアサイズになった。

「待って、こんな往来で空を飛んで、大丈夫なの」

 上空を飛んでるから、カメラはないけど、下を歩いている人に見つかるかも知れない。

「認識阻害魔法をかけてるわ。存在を認識させずらくするの」

 つまり、他の人たちからは私たちは見えずらくなってるってことだね。

「わかった。じゃあ、このまままっすぐ!」

「わかったわ」

 一気にスピードを上げ、対象の赤い車が目視できる距離まで追いついた。

「信号無視とか全然しないんだね」

 律儀に信号待ちしている車に、そうぼやいた。犯罪者って一個罪を犯したら、そのまま何個も罪を重ねるイメージだったんだけど。

「職質とかされたら面倒だから、非魔法界の法律は基本的に守っているのよ」

 ノエルは対象を視界に捉えたまま、ピンバッジ型のトランシーバーのスイッチをオンにする。

「こちら、星川。対象の車を発見。現在、飛行にて上空から追っています。どうぞ」

『こちら、七瀬。GPSの共有をお願いします。どうぞ』

「結華、お願い」

「わかった」

 スマホを操作し、誠さんのスマホとGPSを共有する。終わったよ。と声をかけると、ノエルはまた誠さんと通信を繋ぐ。

「こちら、星川。GPSの共有をしました。どうぞ」

『こちら、七瀬。了解した。こちらの方でも陸路で追う。どうぞ』

「こちら、星川。了解しました」

 ノエルは通信を一旦切り、そのまま、発車した対象を一定の間隔を空けながら追う。

 高速道路に乗り、最初の街から、どんどん離れた場所へと移動していく。

 車が高速道路を降り一般道を走ってしばらく経つと、風に流された潮風の匂いが鼻についた。

 男が車を停めたのは、沿岸にある倉庫街だ。

 私たちも数メートル離れたコンテナの影に着地する。ノエルが男を確保しようと、身を乗り出すが、またすぐに、コンテナの影に身を隠した。

 車から降りた男は、アタッシュケースを助手席から取り出し、体育館ほど大きさのの倉庫に向かった。その様子を不審に思ったノエルは現状をトランシーバーで報告しながら、二人で上空から一定の間隔を空けたまま、跡をつけた。

 倉庫の中を天窓から覗き込むと、十人ほどの男たちと合流し、何か話しているようだ。

「追ってる他の組織と取引してるわ。今、行けたら、一網打尽にできるのに」

「ノエル一人じゃ厳しい?」

「正直。応援まで時間を稼げればいいのだけど」

 ノエルは冷静に現状を報告し、応援要請をするが、唇を噛みもどかしそうな表情だ。

 何か、時間を稼ぐ方法…。

「そうだ!」

 あるじゃん!時間を稼ぐ方法!

 思いついた方法をノエルに端的に説明する。

「本気で言ってるの。それ」

 しかし、彼女はあまりいい顔をしなかった。

「そんな危険な方法…!」

「私の安全、保証してくれるんでしょう」

 彼女の言葉を遮り、不敵な笑みを浮かべると、

「いいわよ。そのアイディア。乗ったわ」

 彼女も扇情的な笑みを返した。

 

 * * *

 

「今時、こんな王道な取引現場あります?」

 何人もの体格の良い男たちを前に、頬のこけたその男は薄ら笑いを浮かべる。男は呑気な非魔法族達の祭りで、犯罪を犯すというのは優越感があり、かなり気に入りの現場ではあった。それが、こんなつまらない場所へと変えられたのだ。文句の一つや二つも垂れたくなる。

「うるせえな。あのマルシェもサツに目ぇつけられ始めてたんだ」

 相手の男は偉そうに、それを引き渡せと顎で指図をしてくる。こちらを見下したその態度は癪に障るが、男は平和主義者だ。無用な荒立てはできる限り避けたい。

 ーご丁寧に何人もの部下を引き連れて、まるで、自分一人じゃ何もできませんって言ってるもんじゃねえか。

 一人相手にこの人数。人件費、いくら掛かるのかね。

 そんな俗なことを考えながらも、取引を始めた矢先、

「たまー。たまー。どこにいるのー」

 場違いな間延びした少女の声が耳に入ってきた。訝しげに声の方を向くと、全身ピンクで、フリルやらリボンがついた甘ったるい格好の子供がキョロキョロと、倉庫を彷徨いていた。

「すみません。ここら辺で黒猫を見かけませんでしたか」

 呑気にも、その子供は小走りでこちらに向かってくると、小首を傾げながら尋ねてきた。

「猫?知らねえよ。俺たちは今、仕事中なんだよ。さっさとどっかに失せな」

「でも、ここら辺にいるはずなんです!さっき、たまに似た猫を見たんです」

 しっしと手で追い払うも、その子供は空気が読めないようで、困った顔で話を続ける。

「嬢ちゃん、いいから、外に出ようか」

 体格のいい強面の男が、彼女を追い出そうと近づくが、「で、でも」と、困った顔をするだけで動こうとしない。普通の子供なら逃げ出しそうだが、やたらとと肝が据わっているのか、ただの考えなしなのか。

 痺れを切らしたその男が、肩を掴もうとした矢先、

「あー、いたいた。ここなちゃん。探したよ」

 金髪の女が呑気な笑みを浮かべながら、手を振っていた。

 

 * * *

 

「もう、お姉ちゃん。あんたのこと探し回ったんだから。すみません、この子の相手をしてくれてたんですか」

 舞さんは後ろからそっと私の両肩に手を据えると、ニコニコと男達と話し始めた。

 ここなって誰のこと?と思ったが、どうやら、私のことで、私は舞さんの妹らしい。

「なんだ、あんたは保護者か」

「姉のゆうこと申します」

「んなん、どうでもいいわ。仕事中だから、そのガキ連れてどっか行きやがれ」

「そうだったんですね。すみません。お邪魔しましたー。ほら、ここな行くよ」

「はーい。お姉ちゃん」

 差し出された手を素直に握り返し、彼らに背を向けた。

「おい、嬢ちゃん」

 その矢先、声をかけられ、体が無意識に強張る。ちらりと舞さんを見上げると、表情が微かに硬直していた。

「なんですか」

 声が震えないよう注意しながら、そう振り返ると、

「猫なら、見かけたけど、ここよりももう少し内地の方だぞ」

 と、あまりにも拍子抜けな内容に、

「わかりました。ありがとうございます!」

 と、満面の笑みで返すと、そのまま、倉庫を後にした。

 倉庫を出ると見覚えのある車両に、軍服姿の大人達が倉庫を包囲していた。

 「私たちの役目は終わり。ここからは彼らの領分よ」

 さらりとした風合いが頬を撫で、思わず振り向くと、マントをたなびかせた白髪の少女と赤髪の男の凛々しい後ろ姿があった。

 

「「異界間警察だ!手を挙げて、膝を突きなさい!」」

 

 幾度となく聞いた名乗り文句が倉庫内に響いた。


 * * *

 

「無事?怪我は?なんで来ちゃったの!もう!」

 犯人も連行され、あらかた事が済むと、舞さんは中腰になって、私に目線を合わせながら捲し立てた。彼女はひどく狼狽した表情で、どうせ口だけ。などと思っていた自分が恥ずかしくてたまらなくなった。

 舞さんは、本気で、私のことを心配してくれてたんだ。でも、

「舞さん。心配してくれてありがとうございます。とても嬉しいです。でも、私だって、協力者です!子供扱いしないで、一人の協力者として見てください!」

「そう…」

 舞さんは眉を顰め、困った表情のまま愛想笑いをすると、

「それじゃあ、友人として、同僚として、心配させてくれる?怪我はない?無事?」

 そう、仕切り直し、じっと、私の顔を見つめた。

「…はい!」

「よかった。ノエルちゃんも怪我は?」

「大丈夫です」

 舞さんはよくやった。お手柄。と私たちの肩を抱いた。

 それはそれとして、今回の作戦はハイリスクハイリターンが過ぎると、お説教はされた。防御魔法はかけました。というノエルの言い分もピシャリと一刀両断された。

  

  * * *

 

「いやぁ、昼から飲むビールは美味しいね!」

 いつも通り、喫茶柊に来ると、居酒屋でしか聞かないようなセリフが聞こえてきた。

「こんにちは、秀一さん。いつから、ここは喫茶店からバーになったのかしら」

 ジョッキのビールを半分ほどかっくらい、噛み締めた表情の舞さんを横目に、ノエルはアメリカーノ、私はカフェラテを注文する。

「魔法界のビールだから、持ち出しできないんだよ」

 同席していた誠さんが、秀一さんの代わりに返答する。

「誠さんは何を飲んでるんですか」

「俺はオレンジのカクテルだよ。これもお酒だね」

「お酒ってそんなにいいものなんですか」

 確かに、お母さんも、たまに晩酌してる時はあるけど。

「君らも大人になればわかるさ!」

 そう言い、舞さんは残りのビールを煽る。

 舞さんの職務中とのギャップがすごい。これが本来の舞さん?それとも、アルコールのせい?

 あれ?今、君らって言った?

 君ら、

 君ら…?

「あれ、ノエルって成人してるよね」

「ええ、してるわよ。魔法界ではね」

「え、ノエル、何歳なの」

 ノエルはそっぽを向くと、しばらくの沈黙の後に答えた。

「…十六」

「十六⁉︎子供じゃん‼︎」

「子供じゃないわ!魔法界での成人年齢は

 十五なのよ!」

 通りで、度々、子供っぽいわけだ!

 ノエルは声を荒げ、その様子に大人たちは肩を震わせる。

「いやぁ、だから、舞も最初の頃はありえない!って怒ってたよな」

「こっちでは、十六は未成年。親の加護下にいるべき年齢なの。いい、結華ちゃん」

 舞さんが鼻と目の先にぴんと人差し指を立てる。

「先輩協力者としてのアドバイス。リピートアフターミー。魔法界の常識は非魔法界の非常識」

「魔法界の常識は非魔法界に非常識」

「よくできました」

 舞は満面の笑みで私のヘッドドレスの上をポンポンと叩く。髪型を崩さないようにの配慮だ。

 酔っ払ったとて、彼女の紳士的な行動は健在らしい。




 4.彼女と彼女の思い

 

 

 

 「あんたなんか産まなきゃよかった!出てって!」

 ママは、そういうと、あたしのかみのけをひきずって、アパートのそとにほうりだした。

 げんかんのまえでまってると、おこられるから、こうえんでじかんをつぶしてから、もういちどかえる。そのひも、もういいかなってじかんに、おうちにかえった。

 おうちのなかはからっぽだった。

 ずーっとまってたけど、おかあさんはかえってこなかった。

「ねえ、キミ、おうちの人は?」

 おなかがすいて、こうえんでみずをのんでいたらおねえさんにこえをかけられた。

 

 おねえさん。

 

 おねえさんのおかげで、あたしはしあわせだったよ。

 

 ありがとう。おねえさん。

 

 だいすきだよ。

 

 さようなら。

 

 * * *


 コートが必須になりつつある十二月の初旬。少し前だったら、日差しが差し込んでいる時間帯に、私は自室の姿見の前でくるりと一回転する。

水色のAラインのエプロンドレスに白色の編み上げタイツ、頭には大きな桃色のリボンをつけ、くるりんぱをしたハーフアップ。胸元には祖母からもらった翠色のブローチ。

「うん、今日も可愛い」

いつも通り、鏡に映った自分を褒めると、ピンバッチのついた紺色のジャケットをはおり、ショルダーバッグに箒のストラップを入れる。

「いってきまーす」

白色をベースに水色の桃色で模様のついたリボーンスニカーで玄関を出た。

向かう先は喫茶柊。非魔法界での魔法使いや魔法界の関わる事故、事件を解決する異界間警察の支部だ。


かっ、かっ、かっ、とチョークが黒板とぶつかる音が喫茶柊の店内に響く。

 教室のものよりも二回りほど小さい黒板に、誠さんは、今回の事案に関する最低限の情報を書き、両親の写真とそれをもとに複数のAIによって生成された子供の現在の姿の予想画像を貼る。手元にある資料にはさらに、今回の案件に関すること細かい情報が載っており、気分の良くない内容に、私は眉を顰めるが、ノエルと舞さんは澄ました顔で書類を見ている。

「愛美さん。年齢は十歳。性別は女性。父親と母親はどちらも魔法族。両者は十年前に非魔法界に不正渡航。その直後に妊娠が発覚し、出産したが、育児放棄の末、愛美さんが二歳の時に、父親が家を出ていき、母親も、その四年後に愛美さんを置いて、行方をくらませた。先日、母親を取り調べたところ、愛美さんの存在が明らかになった。父親は、前に取り締まった、違法薬物の売買グループの構成員の一人。母親も最初の頃は手伝っていたみたいだが、男が蒸発した後は、魔法族との関わりを断ち、グレーな仕事をずっとしていた。そのせいで、母親の捜索に大幅な遅れが出た」

「両親の情報はそこまで重要じゃないですよね。肝心の愛美ちゃんに関する情報はまさか、これだけですか」

 ノエルの言う通り、愛美ちゃんに関する情報はほとんどない。年齢、性別、名前のみで、写真の一枚すらない。なんなら、生死も不明なのだ。

「私の方でも調べたけど、全く。署内でも一応色々聞いてみたんだけどね」

「しょない?」

「署内。警察署内のことだよ」

「え!舞さん、警察なんですか⁉︎」

「協力者って、非魔法界の警察関係者が多いのよ。魔法族が非魔法界での犯罪に絡むこともあるし、捜査もしやすくなるから」

 確かに理にかなっている。ノエルの説明は腑に落ちるものだ。

 非魔法界の警察も異界間警察も両方から調べて、全く情報がないってことは、

「それって、もう生きてないんじゃ…」

 そんなことはないと願いたくも、両親に捨てられ、戸籍もないとなれば望み薄だ。

「だとしても、今度は死んでいる証拠がないといけないのよ。魔法界のことを知らない魔法族が非魔法界で放置されていることは大きな問題になるから」

「それは、どうして?」

「考えてみなさいよ。手から謎の光を出して、周囲のものを浮かせ、炎も水も自在に操れる子供がいたらどうなると思う?」

「ネットで晒し上げられて、研究所に連れてかれそう」

「そうなったら、後始末も大変なのよね」

「関係者の記憶を消して、SNSの沈静もしなきゃいけないからな」

「そこまでやらないといけないんだ、異界間警察も大変ですね…」

「まあ、兎にも角にも、こっちでも調べてみるわ」

「私も、学校でそれとなく聞いてみます」

 とりあえず、校内、学外共に顔の広い美希に聞いてみるか。

 

 * * *

 

「愛美って名前の知り合い?んーいないな」

 翌朝、朝の会の終了後に、美希に尋ねてみたが、返事はおおかた予想通りなものではあった。

「うちの学校?」

「それがわからないんだよね。知り合い曰く、うちの学区内で会ったから、うちの学校なんじゃないかって」

 実際は、もう少し離れた場所が愛美ちゃんの最後の足取りだが、そのことを言うと、説明が面倒なので、多少の嘘は混ぜることにした。

 近くの席の勝にも美希は尋ねるが、案の定、知らないとのことだ。

「みんなは知ってる?」

 そのまま、周辺のクラスメイトにも尋ねるが、みな首を振るだけだ。

「他校の子かもしれないなら、大輝に聞いてみたら」

「大輝?なんで?」

 勝の提案に首を傾げる。

「あいつ、学区内の端っこのとこに住んでるから、俺らより他校の奴らと交流があるんだよ」

「そっか、わかった。でも、今日は大輝は休みだよね」

「風邪だっけか」

「じゃあ、結華もプリントを届けに行って、ついでに聞いてみようよ!道わかんないから、勝、よろしく!」

「え、俺?い、いいけど」

 美希の突然の思いつきに、困惑しながらも、勝は了承してくれた。

 ドラゴンに引き続き、またもや迷惑をかけてしまって、ごめん…!

 感謝の謝罪の念を込めて、心の中で手を合わせた。

 

「ここだよ」

 学校から四十分ほど歩き、ようやく、大輝の家に着いた。二階建ての古いアパートの外階段を登り、『斉藤』と書いてある表札のインターホンを鳴らす。大輝の苗字って斉藤だったんだ。と思ったのはここだけの秘密だ。

「いないのかな」

 せっかく、四十分もかけて来たのに、無駄な足取りだったか。

 二人にバレないように肩を落としていると、こんにちは。と女性の声が聞こえた。

「あれ、もしかして、大輝のお友達?」

 振り返ると、どことなく大輝に雰囲気の似た女の人が立っていた。

 あれ、この人、どこかで見たことがあるような…。

「はい。そうです!あの、もしかして、お姉さん、マルシェでスムージー、売ってました?」

「そうだよ、よく覚えてたね」

「人の顔は覚えるの得意なんです!」

 えっへんと胸を張る美希。相変わらずの抜群の記憶力と、迷いなく伝えるコミュニケーションの高さだ。

「お姉さんは、大輝のお姉さんですか」

「そうだよ」

「そうなんですね!通りでお若いわけです。これ、大輝のプリントです」

「あら、ありがとう」

 お姉さんは大輝の代わりにプリントを受け取ると、お礼にと、クッキーをそれぞれに渡してくれた。

「ありがとうございます!」

「いいの。わざわざありがとう。それじゃあ、」

「ちょっと待ってください」

 部屋に戻ろうとするお姉さんを引き止め、本来の目的であった愛美ちゃんについて尋ねる。

「愛美…?知らないな、何歳くらいの子?」

「十歳くらいの子なんですけど、知り合いが探していて」

「なんで?」

「助けてもらったみたいなんです。きちんとお礼をしたいみたいで」

「見た目とかってわかる?」

「そこまでは…。その知り合い、目が見えないので」

「でも、年齢は知ってるの?」

「声でなんとなくわかるみたいで」

「そうなんだ。それはすごいね。でも、私はその子、知らないな。力になれなくてごめんね」

「いえ、むしろ、いきなりこんなことを聞いてすみません」

 予想通りではあるが、やはり良い結果は得られなかった。

「全然大丈夫だよ。今日はわざわざありがとうね」

 ニコニコと手を振るお姉さんに会釈をし、大輝の家を後にした。

  

 * * *

 

「収穫はゼロ。誰も知らないって」

「こっちもよ。代わりにツチノコの保護をしたわ」

「ツチノコってUMAの?」

「実際は魔法生物。非魔法界に迷い込んでたみたい」

「ねえ、もう少し管理をちゃんとしなよ」

「管轄外」

「言うと思った」

 あれから二日経った放課後、喫茶柊で何も収穫のない私とノエルは二人でため息をついていた。結局、大輝はまだ風邪を拗らせているようで、聞くことはできなかった。

 カランコロンと不思議な音と、ドンっと乱暴に扉を開ける音がした。いつもの陽気な様子と違い、切羽詰まった様子の誠さんが「お疲れ様です」と挨拶もそこそこに、資料を飛ばす。

「収穫があった。昨日の午後。県立病院に記憶喪失の患者が来院。現在入院している。名前は斉藤絢さん」

 その資料に載っていた人物は思いもよらない、予想外の人物だった。

「昨日の午後に、会社を無断欠勤した斉藤絢さんを心配して、同僚の人が家を訪ねたところ、絢さんは自宅にいたが、記憶が無いと言う。病院で検査したところ、外傷もなく、原因不明。病院に勤める協力者から魔法族の関与があるのではと、連絡が来た。結果、ビンゴだ。記憶は魔法によって、封じられていた」

「私、この人、知ってます!」

 資料に載っている写真の人物は私がたった二日前にあったばかりの人物だった。

「斎藤綾さんの弟、斉藤大輝さんは結華ちゃんのクラスメイトだね」

「はい。一昨日、風邪で休んだ大輝にプリントを届けに行った時、三時半頃は絢さんは普通にしてましたよ」

「と、なると、犯行は水曜日の三時半以降か。同僚が駆けつけた際、家には誰もいなかったみたいだ。今日は大輝さんは学校には来てる?」

「それが、一昨日から今日も風邪で休んでるんです。今日はプリントは他の子が届けたので、会ってないし。でも、愛美ちゃんの件と関係ありますか」

「まだわからない。しかし、魔法族が関係する事件が起きたことは事実だ。それに被害者の弟も行方知らずときた」

「行方知らず…?」

「ああ、同僚の人が家に行った時は絢さんしかおらず、学校にも来てないんだろう」

 想像もしてなかった事態に、刃物で背を撫でられるような戦慄が走った。そして、信じたくない、最悪な場合も思い浮かんでしまった。

「まさか、誘拐…?」

「可能性はある」

 その返答に、居ても立ってもいられず、カバンを片手に席を飛び出した。

「私、大輝の家に行ってきます!」

「ああ、舞さんと俺は周辺の防犯カメラを調べる」

 

 * * * 

 

 インターホンを鳴らしても、応答はなく、隣の部屋の人に尋ねても、知らないとのことだ。

「鍵もかかってるし、どうしよう」

「ちょっと貸して」

 ノエルは扉と壁の隙間に杖先を添える。

 バゴンという小さな爆発音と共に、拳サイズの穴ができた。

「器物損壊。不法侵入」

「そんなこと言ってる場合?」

「大輝、入るよー?」

 大人サイズの女性もののパンプスと子供用のサンダルと長靴が狭い玄関の端っこに窮屈に並べられている。初めて入る大輝の家は明らかにファミリー向けではなく、単身用、もしくはギリギリ二人暮らしができるほどの部屋だった。

「ねえ、この服、女の子用の服だよね」

 部屋干しされている衣服はレディース、男子向けのキッズサイズ、そして、なぜか女の子向けの服まであった。資料には絢さんと大輝の二人姉弟だった。

「この写真…」

 ノエルが指差した、テレビの横の写真縦には、絢さんと、黒髪、褐色肌の少女が写っていた。そういえば、資料に載っていた母親も褐色肌で黒髪だった。でも、まだ決まったわけじゃない。たまたま特徴が一致してるだけで、

「あれ、見て」

 ノエルの指した先にあったものは、そんな望みを打ち消すものだった。

「舞さんと誠さんに連絡。魔術解析班がそろそろ到着するみたい。詳しいことは絢さんから直接聞きましょう」

 

 * * *

 

「解術不可能…?」

 喫茶柊で、魔術解析班の報告を聞いたノエルはイラつきを隠さずどういうことだと問いただす。

「いや、厳密にはできるんだが、時間がかかる。ぐちゃぐちゃなんだよ。この魔法陣」

「どういうことですか」

「基礎もなってない、ほとんど力技みたいな魔法陣だ。本来、解術する際は、術を逆算して解いていくんだが、絡まった毛糸みたいなこの術は解いていくのが非常に困難なんだ」

「最短でどれくらいですか」

「四日だ」

「二日で」

「無理を言うな!」

 解術班の班員が頭を抱え、声を荒げる。

「子供が行方不明になってるんですよ」

「こっちだって人手不足なんだよ」

「わかりました。先輩にお願いします」

 ノエルが携帯を持ち、席を立とうとした瞬間、

「待て、あの男を呼ぶ気か!」

 信じられないような目でノエルを見ながら、彼女の携帯を机に押さえつけた。

「ええ、その方が早いんですもの」

「わかった、やる。やるから、あれだけは呼ぶな」

 待ってましたと言わんばかりに、ノエルはにっこりと微笑んだ。

「ありがとうございます。では、明日までによろしくお願い致します」

 悪魔だ…

 顔を紫色にした彼がボソリと呟いた独り言に私は首がもげる勢いで全力で同意し、同時に彼の境遇にひどく同情した。

「ねえ、あの男って?」

 彼がフラフラと喫茶店を後にした後、ノエルに尋ねた。呼ぶフリだけでも、あの騒ぎようだ。一体何者なんだか。

「私の母校の先輩。魔法界を作った大魔法使いに匹敵するほどの才能の持ち主。天才なんだけど、代わりに、かなり無神経なのよ。私も何回、ぶっ飛ばしてやろうかと思ったことやら」

「無神経だからみんな嫌がってるの?」

「あとは母校のセキュリティを三段階上げる原因にもなってるわ」

「…なるほど」

「いつか、結華も会う日が来るんじゃないかしら」

「この話を聞いて、喜ぶとでも?」

 

 * * *

 

「解術、完了しました」

 目の下に隈を浮かべ、げっそりとした解術班の班員が喫茶柊でエナジードリンク片手に机に突っ伏しながら伝えてくれた。

 大人になったら、絶対ホワイト企業に就職しよう。私は、そう胸に誓いながら、ノエルとすぐさま、絢さんの元に急行した。

 

「それが、弟のことは覚えてないんです」

 ベッドの上の絢さんは申し訳なさそうに、すみませんと謝るがそんなはずはなかった。

「そんなはずはありません。魔法の解術は完了しています」

「魔法?何を言ってるんですか」

 絢さんは惚けた表情をするが、ノエルは気にせずに話を続ける。

「しらばっくれないでください。愛美ちゃんは魔法族ですよね」

 愛美ちゃんの名前を出すと、絢さんは目を丸くした。

「あなたと結華ちゃんも魔法族なの?」

「異界間警察といいます。非魔法界での魔法族の関わりのある事件、事故の調査をしています。斎藤絢さん。記憶の封印魔法を掛けられた心当たりがあれば、ご説明をお願いします。それから現在、行方不明になっている大輝くんと愛美ちゃんの捜索もしています。彼らについて、知っていることがあれば、教えてください」

 ノエルの話を最後まで聞き終えた絢さんは、静かな笑みを浮かべた。

「大輝はいないよ」

「え…?」

 いない?そうだよ。だから探してるんだよ?彼女の言っていることが理解できず、呆然とする。

「大輝は死んだの。四年前に」

「それって、どういう、」

 

「愛美さんが二歳の時に、父親が家を出ていき、母親も、その四年後に愛美さんを置いて、行方をくらませた」

 

 四年前。ちょうど、愛美ちゃんの両親が愛美ちゃんを捨てた年だ。

「まさか…」

「魔法ってすごいね。本当に、大輝がそのまま成長したみたいなんだよ」

 虚ろな笑みを浮かべる絢さんの顔はあまりに不気味で、ゾッと、得体の知れない何かに背中を這いずられたような感覚になる。

「愛美ちゃんはどこに行ったの」

「知らない」

「言いなさい!」

 顔に憤激の色が漲り、殺気を漂わせたノエルが詰め寄るが、絢さんは表情一つ変えずに淡々と答える。

「本当に知らない。お母さんが見つかったって。会いに行くんだって」

「愛美ちゃんの母親は数週間前に逮捕され、魔法界の留置所です」

 その言葉を聞くや否や、瞳孔が開き、顔は青ざめ、声が震え始めた。

「嘘、確かに言ってた。お母さんにようやく会えるって」

「まさか、その言葉を信じたの」

「ちゃんと止めたよ!母親に会いに行く必要なんてないって!でも、あの子は私の制止を振り切って」

 先程まで淡々と感情を無くしたように、話していたのに一気に動揺し、狼狽える絢さんに、おかしな安堵感を抱き、少しずつ硬直した体の熱が溶けていく。

「絢さん。なんでもいいんです。何か手掛かりになるものはありませんか」

「…象のぬいぐるみ」

 絢さんは数秒の沈黙の後、ボソリと呟いた。

「ママに貰ったんだってずっと大事に持ってた。あの日も、大事に抱えてたから、きっと、今も肌身離さず持ってると思う」

「監視カメラから象のぬいぐるみを持っている人間をピックアップして追うわよ。変身魔法を使っている可能性があるから、姿は問わないわ」

「お願い!愛美のことを探し出して!」

 病室を後にする私たちに、絢さんが、お願い、お願いします。と繰り返し懇願した。

「当たり前でしょう。私たちは異界間警察なんだから」

 ノエルは振り返ることなく、病室を後にした。

 

 * * *

 

「姿は問わないって…もう、これだから、魔法族は!」

 連絡を受けた舞は、喫茶柊のカウンターで、自前のパソコンで防犯カメラをハックし、象のぬいぐるみのピックアップを始める。

「ここは元ハッカーの腕の見せ所だな」

 一方で誠は舞の肩越しに次々と場面の変わるパソコンのモニターを見ながら、人によっては呑気だと捉えられるような声で、ただ感嘆の声を上げている。

「やめてよ!人の黒歴史を!」

「黒歴史って、おかげで俺のバディになったんだろ」

「せいでね!もー。あの時ヘマしなければ、公安になることも、協力者になることもなかったのに!」

 あー!もう!という叫び声とパソコンのタイピング音をBGMに秀一は静かに綺麗に拭いたグラスを照明にかざし、その出来に一人、満足げに微笑んだ。

 

 * * *

 

「お姉さん、ちょっと、お話いいですか」

 路地裏を歩く象のぬいぐるみを抱えた青年と女に銀髪の軍服の少女が話しかけた。現代社会において、このような格好をしている人間なんて、コスプレイヤーくらいだ。一見すると不審者のような少女に青年は警戒心を抱く。一方で、女はその格好に心当たりがあり、眉間に青筋を立てた。

「こんにちは、異界間警察です」

 その言葉で確信し、女は銀髪の少女に攻撃魔法を打ちながら、青年を置き去りにして、箒で矢のような速さで飛び出した。

 銀髪の少女もほとんど反射と言ってもいい速度で、すぐさまにその女を追いかける。

「待ってよ、ママは!ママに合わせてくれるって言ったじゃん!」

 ふざけるな。あたしはなんのために、あいつの言うことを聞いていたんだ!

 怒りに震えた青年は叫びながら、手に纏わせた真っ赤な魔力を女の方向に打つ。しかし、その瞬間、いきなり飛び出してきた少女にぶつかり、その魔力は散り散りになって消えた。衝撃で土埃が舞い、視界を遮る。

「危ないでしょ。何してるの。ていうか、なんで平気なの」

 視界が晴れ、現れたのは、よく見知った少女。

腰まである黒髪に睨むような目つき。レースのついたヘッドレスに、円のように広がった夜空のようなスカート、紺色のジャケットと胸元にはひだのついた飾りと翠色のブローチがきらりと光る。所謂、ロリィタファッションの少女。これらの特徴に当てはまる人物を彼はよく知っていた。

「異界間警察支給の防御魔法ジャケットのおかげかな」

その言葉に、薄々勘付いていたことが確信にかわる。

「やっぱり、魔法族と関わりがあったんだね。結華」

もう、こんな変装、意味がないね。

そう言い、彼は黒髪の褐色肌の彼女へと姿を戻した。


* * *


「うん。こっちこそ。まさか、大輝、ううん、愛美が魔法族だなんて思わなかったよ」

「そこをどいて」

「あの人もすぐに捕まるよ」

「ママに会わせてくれるって約束さえ果たしてもらえれば、そんなのどうでもいい。それとも、あんたたちが会わせてくれるの」

「なんで、そんなにお母さんに会いたいの」

「ママに会いたいって思うのがそんなにおかしい?」

 愛美が射殺すような視線を私に向ける。

「だって、あなたのお母さんはあなたのことを捨てたんでしょう。本当に育ててくれて、愛してくれた絢さんにあんなことをしてまでなんで会いたかったの!」

「お姉ちゃんは、私のことなんて愛してなかった」

「何言ってるの」

 彼女から発しられた言葉は信じられないもので、思わず目を見開いた。

「私は大輝くんの代わり、お姉ちゃんが愛してたのは本当に血の繋がってる弟だけ」

「じゃあ、なんで、部屋には女の子の服があったの」

 私には関係のないことなのに、絢さんの愛情を理解しない彼女にどうしようもない怒りが湧いた。

「なんで、本当の姿で撮った写真が飾ってあったの、なんで、あなたの本当の名前で送った手紙を大事に飾っていたの!あなたのことを、愛美のことを愛してたか」

「うるさい!」

 声を荒げた私を遮り、彼女は怒鳴った。

「うるさいうるさいうるさいうるさい!」

 彼女は頭を掻きむしり、同じ言葉をヒステリックに叫び続けた。異常な彼女の行動に得体もしれない恐怖感を抱き、ヒュッと空気が逆流するように喉が鳴る。

「そんなこと、どうでもいいの!」

 小さな水滴が一つ、二つと彼女の瞳からこぼれ落ち、大事に抱えている象のぬいぐるみが、濃く変色する。

「私は、ママに愛されたかったの!」

 ダムが決壊したように、彼女の瞳から大粒の涙が澱みなく流れた。

 うわああああん。

 うわあああああああ。 

 彼女の幼児のよううな鳴き声が路地裏に響いた。彼女の鳴き声は私の胸にひどく、重くのしかかった。

 

 * * *


 私の両親はいわゆる毒親だったんです。

 テストで90点以上取れなかったら、出来損ないだって、私のことをぶって、ゲームもお菓子も禁止。親が決めた中学校、高校を受験して、そこでも一番じゃなかったら、またひどく怒るんです。児童相談所?警察?ええ、行きましたよ。でも、あの人たちは教育熱心な親御さんね。きちんと親の言うことを聞かないのが悪いって、取り合ってくれなかったんです。

 私が大学生になって、しばらくした頃、母親が妊娠したって言ったんです。お前は出来損ないだけど、次はちゃんとする。って、バカみたいですよね。大輝は私と同じあの両親の遺伝子を受け継いでるんだから、どうせ、同じ結果になるに決まってるのに。大輝が心配で、家を出てからも何回か実家に帰ってたんです。そしたら案の定、まあ、私の時と同じ感じで。しかも、男の子だったから、期待は私以上で、暴力も加減しなくって、このままじゃ死んじゃうってどうしようって思ってた時に、両親が交通事故に遭ったんです。ああ、神様のお召しぼしだって、思いました。

 それから、弟と細々と二人で暮らしてたんですけど、ある日、大輝と喧嘩しちゃったんです。それで、仕事と大輝の育児でいっぱいいっぱいだった私は、大輝を突き飛ばしてしまったんです。打ちどころが悪かったのか、大輝が起き上がることはありませんでした。混乱して、最初に思ったのが、お母さんとお父さんに怒られる。だったんです。だから、慌てて冷凍庫に隠しました。

 それから少しして、愛美と会って、ボロボロの様子から、きっと私と大輝と同じだって思って、家に招き入れたんです。警察?そんなところに連れて行ったら、あの子は元の家に戻されるじゃないですか。家に連れて帰ってから、愛美は写真の大輝を見て、誰?って聞くから、弟だって答えました。そしたら、あの子、大輝そっくりに変身して。それから、愛美に訳を聞いて、思いついたんです。愛美を大輝として育てようって。そうすれば、あの子はちゃんと学校に通って、友達を作って、普通の人生を送れるから。この子のことは、愛美のことは絶対に幸せにするって、誓ったんです。え、大輝ですか?てっきり、家宅捜索は終わってると思ったけど、まだだったんですね。

 

 

 

 大輝くんに変身した時、お姉ちゃんは泣いたんです。大輝。ごめんね。って。それから、お姉ちゃんは私に大輝くんとして学校に通おうって言ったんです。その時思いました。お姉ちゃんは私じゃなくて、大輝くんを見てるんだって。でも、お姉ちゃんは私を助けてくれたから、恩を返そうと思って、大輝くんとして生活しました。確かに、家の中や遠出するときは、愛美って呼んで、私の好きな服を着せてくれました。でも、それって、私に申し訳なく思ってたからです。私のことを愛してた訳じゃないと思います。

 あのおばさんは、たまたま会った人です。私のことを魔法族だって見抜いて、お母さんのことを話したら、会わせてあげるって。なのに、お姉ちゃんは、私の邪魔をしたんです。だから…。ねえ、私はママに会いたいんです。どうやったら、会わせてくれますか。いい子にしてたら、またママと暮らせますか。

 

 * * *


 しばらく経ち、事の顛末をノエルから聞いた。絢さんは死体遺棄の容疑で非魔法界の刑務所に入所。愛美は魔法界の少年院に入り、カウンセリングを受けているとのこと。絢さんは愛美に手紙を書いているが、届けられることはなく、愛美もしきりに母親に会いたがっているが、母親が拒否しているという。

 学校では、大輝は事故で亡くなったと、担任の先生がクラスに伝えた。お葬式も身内だけで済ましたと。教室はしばらくの間、どこか暗く、一つ、ぽっかりと穴の空いたようなもの寂しい空気だった。

 唯一、本当のことを知っている私は、ただ悲しむだけをできずに、まるで、白で埋まったオセロの盤面で自分だけが黒色のような、将棋で一人、先に成ってしまったような、同じなのに、どこか違う、どうしようもない孤独を感じている。あまり落ち着かない、複雑な心情だ。

「お疲れ様、結華。約束の時間より随分早いわよ」

「お疲れ、ノエル。今日は終業式だったから、早めに来ちゃった」

「そういうこと。そうそう、検査結果。来たわよ」

 そう言い、ノエルは、私がおばあちゃんからもらった翠色のブローチをコトリと目の前に置く。研究所で、このブローチについて検査をしてもらっていたのだが、この話は事件の次の日まで遡る。

 

 秀一さんに呼ばれ、喫茶柊でカウンセリングのようなものを受けた。小学生にはショッキングな内容な上、身近な人が関係する事件だったからだろう。カウンセリングが終わり、いつものように、ジャケットを椅子に掛け一息ついていると、

「結華、このジャケット、どうしたの」

 ノエルが緊迫した様子でそう言った。

「ちょっと、引っ掛けちゃって。でも、ほら、綺麗に直ってるでしょう」

 まずいことしちゃったかと思い、慌てて、言い訳をしたが、ノエルに思いっきり、

「バカ‼︎」

 と一喝された。

「あのね!このジャケットはこの魔法陣で防御魔法が発動されるって言ったでしょう!説明すると長くなるから省くけど、破損したところをただ縫っただけじゃ意味がないのよ!」

 えっと、それってつまり…

「つまり、あなたは防御魔法の働かない、ただのジャケットを着てたのよ!」

 嘘でしょ!

「私、このジャケット破ったの、一、二ヶ月前だよ!」

 ノエルはその言葉を聞くと、手で頭を押さえながらふらふらと椅子にもたれかかった。「信じられない…」

「ごめんなさい」

 ん?でも、待てよ。

「私、愛美の攻撃魔法を弾き返したけど、あれはどういうこと」

「こっちが知りたいわよ…」

 ノエルは疲れ切った顔で頭を抱えた。

「わけわかんないわ。睡眠魔法じゃなく、攻撃魔法まで、生身で弾くの。一体どういうことよ」

 何かぶつぶつと独り言を言っていたが、かの羽の音のように小さな声で何を言ってるかまでは聞き取れなかった。

「結華ちゃん。いつもつけているそのブローチは誰にもらったんだい」

 秀一さんはきらりと光る、ブローチに目を向けた。

「これですか。これはおばあちゃんにもらったんです。おばあちゃんのお母さん。私のひいおばあちゃんの形見らしくって」

 でも、これに何の関係が?

「もしかして、それ、魔法石なんじゃないかな」

 魔法石?これが?というか、魔法石って何?

「魔法石っていうのは、魔力を持った石のことだよ。自然界にもあるし、人工的に作ることもできる。ただ魔力を持っているだけのものがほとんどなのだが、中には浮遊したり、燃えたり、勝手に特定の魔法を発動し続けるものもあるんだ」

「もし、そうだとしたら、これは防御魔法の魔法石ってことですか?」

「可能性は大いにあるね」

「結華‼︎」

 ガバッとノエルが勢いよく、顔をあげる。その勢いに、びくりと体が跳ねた。

「その魔法石、ちょっと借りれないかしら。調査したいの」

「え、えっと、まあ、いいけど」

「ありがとう!」

 ノエルの圧に押され、つい、首を縦に振ってしまった。まあ、ノエルのことは信用してるし…。

 傷つけることだけはしないでね。と伝えると、当たり前でしょう。と、返された。

 

 と、これが、少し前の話。その検査結果が出たと、今日、ノエルから呼び出しがあった。

「それで、検査結果なんだけど」

「うん、どうだったの」

「結論。魔法石だったわ」

 まじか…。

「しかもね、ただの魔法石じゃないのよ」

「えっと、どういうこと?」

「検査の結果、これは天然ではなく、人工的に作られた魔法石であることが判明したわ。このサイズの防御魔法の魔法石を作るなんて国内でもトップクラス魔法使いの仕業ね」

「えっと、よくわからねいけど、すごい魔法石ってこと?」

「そういうこと。このレベルの魔法石は国内でも両手で数えられる程度しかないわ」

え、それって、とんでもなくすごい代物じゃん…。私、そんなものを普段使いしてたんだ。

「まあ、とりあえず、これはあなたに返すわ」

「え、いいの?」

「ええ、別に、害があるものでもないし。それで、一つ、頼みがあるのよ」

 

 * * *

  

「ねえ、おばあちゃん。このブローチってどうやって手に入れたの?」

家に帰って、いつも通り、リビングでくつろぐおばあちゃんにそう尋ねる。

『この、魔法石の入手経路を教えて欲しいの』

それがノエルの頼み事だった。正直、かなり昔のものだし、どこまでわかるかわからないけど、これも協力者としての仕事の一環だからね。

「それは、おばあちゃんのお母さん。結華のひいおばあちゃんから貰ったのよ」

「えっと、そのひいおばあちゃんは誰かに貰ったの?それとも、自分で作ったとか?買ったのかな」

「ああ、そういうこと。それはね。貰ってんですって、陰陽師に」

「陰陽師?」

えっと、魔法使いじゃなくて…?

「そう、お母さんにはね、仲の良い幼馴染の男の子がいて、なんでも、陰陽師の家系だったんですって。本当は禁じられてるけど、こっそりと、炎や水を生み出したり、ものを浮かせるところを見せてもらったんですって」

 信じられないわよね。きっと、マジックを術だって言って見せてたのよ。そう祖母はクスクス笑うが、どれも見覚えがある。きっと本物の魔法だろう。ひいおばあちゃんの時代は魔法使いじゃなくて、陰陽師って名称だったのかな。 

「それで、お母さんが村を出て、寮制の女学校に行くことが決まったときにね。その男の子がお前の護身用にうんと力を込めた。これを持ってけって、渡したのが、そのブローチなのよ」

「その男の子は私のひいおじいちゃんだったりするの」

「いいえ、そんなロマンチックなものじゃないわ」

「でも、素敵な話だね」

きっと、その男の子はひいおばあちゃんのことが本当に大事だったんだろうな。

「ええ、そうね。まさか、その縁がまだ続いてるなんて聞いたら、お母さん、びっくりするでしょうね」

「そうだね。このブローチは、こうやって、ひ孫の私にまで受け継がれてるんだもん」

「ええ、それもあるけど、結華ちゃん、美希ちゃんと仲良しじゃない」

「うん、そうだけど、それがどうしたの」

なんで、ここで、美希の名前が出るの?

「その幼馴染の男の子は美希ちゃんのひいおじいちゃんよ」

 え?

「えーーーーーーー‼︎」

 この日の私の叫び声は天まで届く勢いだった。


たった一晩で紡がれた縁から突然始まった魔法使いの協力者生活。これからも、どんどん突拍子のない方向へ進んでいきそう…。

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魔女バディ 山田 @mimotaro2516

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