第6話 おやつタイム

 敢刃と北川が帰った後、仕事が落ち着いた合間の食事休憩の席で、花岡はお手製のサンドイッチをかじりながら目を閉じる。

「――やはり、北川さんの来院はお断りすべきでしょうか」

 この病院には、具合の悪いペットを連れた、不安でいっぱいの家族が来るのだ。不安や焦りから周囲に迷惑をかけてしまう人は決して珍しくないが、北川は段違いである。

「僕はね、みんなが悪口言われるの、悲しいの……」

 志賀はアルミホイルに包まれたどでかい握り飯をがつがつ頬張りながら、まだ鼻をすすっている。

「女性だからといって腫れ物扱いされるのも困りますが、さすがにあそこまで言われると傷付きますね」

 佐々木の今日の昼食(時刻は二十三時を回っているが)は気に入りのコンビニ弁当と、先日の一人旅で見つけたナッツバウムクーヘンである。――いつもであればデザートを皆で分け合い、花岡こだわりの茶と一緒に食べるのが楽しみなのだが、今日はあまり気が乗らない。――食べるけど。

「他の患者さんを怖がらせたり、そのご家族を泣かせたりしてしまったこともありますし……」

 サンドイッチを一つ食べた花岡は、残りを一度テーブルに置き、後ろの棚から水差しを取って、テーブルの中央に居座いすわっているサボテンに水やりを始める。

「それが特に問題ですね」

 佐々木たちなら何をされてもいい、というわけではないが、無関係の患者やその家族が傷付けられることについては、この場を管理している自分たちが許しておけるはずもない。

「奥様の方も、難しそうですしね……」

 花岡は、サボテンの水受け皿にまった水をシンクに捨ててくると、またサンドイッチを齧り始める。

 北川の妻とは以前に偶々たまたま電話で話せたことがあったのだが、彼女も、夫の他人に対する態度には手を焼いているらしかった。

 妻に北川と敢刃に付き添ってもらうか、妻と敢刃だけで来てもらえないか、ということも相談したが、日常的に敢刃の世話をし、敢刃のことをよく知っているのは北川であり、妻は筋力に自信がないので、敢刃を散歩させたこともないそうで、さらに、北川は一度決めると曲げないところがあるので難しいだろうということだった。こちらとしても、院内で夫婦喧嘩が起こったら困るし、患者のことをよく知っている家族に来てもらわなければ適切な治療ができないし、力では絶対に勝てないうえに十分な信頼関係も築けていない大型犬を無理に連れて、何か事故があってもいけないと考える。だから今はとにかく、敢刃と北川を今日のように受け入れているしかないのだ。

「僕は、みんなのこと、大好きだからあ……」

 志賀は、今度は大人数用の弁当箱にぎっしり詰まった唐揚げと煮物と卵焼きをおかずに、二つめの巨大握り飯にがっついている。彼は佐々木と同じく実家を離れて生活しているが、家族とはとても仲が良く、しょっちゅう互いの家を行き来しては一緒に料理をしたり、ゲームをしたりするのだという。

「……やはり、考えなければ……」

 少食の花岡は早くも食事を終えると、休憩室に常備しているお茶セットをテーブルに広げ、ティーポットを温めたり、様々な色や香りの茶葉をさじで計ったりし始める。

 佐々木は茶についてあまり詳しくないが、花岡がれる茶やブレンドティーはいつも、とても美味しい。花岡は、茶の健康効果など微々たるものだと言うが――。

「気分だけでも、ね」

 花岡は少し笑って、電気ケトルからティーポットに、静かに湯を注ぐ。

 ――ほっとするように香ばしく、しつこくない甘みのある匂い。それでいて空気の澄むような、すっきりとした香りも感じる。

 花岡が茶の用意をしている間に、佐々木は席を立ち、休憩室の小さなキッチンでバウムクーヘンを切り分けて、ケーキ用の小皿に盛っていく。

 この皿も、花岡がティーセットと合わせて選んだものだ。

 食器は百円ショップから地方の小さな窯元まで、様々な所で購入する佐々木だが、これほど上品なものを選ぶことはないので、清楚な装飾があしらわれた、今にも割れそうな薄い器に触るたびに緊張してしまう。――そんな食器たちを、正治は日々破壊しているわけであるが。

「ぼくの分もよろしくね」

 せっかくの良い香りが激臭にかき消されたが、佐々木は、冷蔵庫に入れる予定だった残りのバウムクーヘンから一切れを取って、追加で出した皿に乗せる。

「まったく、兄さんはちゃっかりしているんですから」

 佐々木がデザートを載せた盆を持ってテーブルに戻ると、花岡は特製ブレンドティーをカップに注ぎ分けつつ、志賀が散らした煮物の汁やら何やらを掃除しつつ、正治の目やにやら何やらを取りつつ、やれやれと溜息を吐いている。

 正治の一日は睡眠となめ子でできているが、彼は『夜間救急動物病院はなおか』のおやつの時間を察知するとひょっこりやってきて、美味しいものをいただいていくのである。

「食べ終わったら歯磨きをするんですよ」

 おやつを待つ間、志賀にギガサイズ弁当を食べさせてもらっていた正治は、弟の忠告に「うんそうだね」と適当に返事をすると、佐々木が持ってきたバウムクーヘンをフォークで大きく削り取り、ぱくぱく食べ始める。

「ぼくはいらないよ」

 茶が嫌いな正治が顔も上げずに言う前から、花岡はマグカップに冷たい牛乳を注いで正治の席に置いていた。

「おいしっ、おいしーっ!」

 志賀は大事そうに、バウムクーヘンをフォークでちまちま削り、ブレンドティーをちびちび啜りながら、丸顔のほっぺたを押さえる。

「良かった。よく合うお茶ができました」

 花岡は上品な仕草でバウムクーヘンを口に運びながら、あまり肉の無い、年齢のわりにしわの見える頬をほころばせる。

「ありがとうございます。佐々木さん」

 こちらこそ――。

「お口に合って良かったです」

 こうして皆に喜んでもらえると、一人旅の土産みやげ選びが一層楽しくなる。

 ――そして佐々木も、粗く砕かれたミックスナッツがごろごろと乗った一切れを、一口。

「ん」

 蜂蜜の風味が効いた、しっかりとした重みのある生地に、様々なナッツの楽しい食感と香り――。優しく爽やかなブレンドティーと一緒に、いくらでも食べられそうである。

 佐々木の目に狂いはなかった。

 満足。

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ペット探偵花岡正治 ――土佐闘犬轢き逃げ事件―― 柿月籠野(カキヅキコモノ) @komo_yukihara

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