花芽
西しまこ
母娘
夏の初めに咲く、白とピンクの小さい花が咲かなかった。いつも、匂い立つように花を咲かせるハコネウツギは、今年は大きめの緑の葉を数枚揺らせるだけだった。
志緒子はさみしい気持ちで花の無い貧相なハコネウツギを眺めた。背の高い草のように、高いところで葉だけをゆらりと揺らしている。
そう言えば、今年は紫陽花もあまり花が咲かなかった。梅雨の時期に咲き誇って大きくなる紫陽花が志緒子は好きだった。でも、今年は例年の半分くらいの咲き方だった。
花芽が切られてしまったのだ。お母さんは昔から、そういうところがあった。
志緒子はそう思い、ふうっと溜め息をついた。去年の秋に突然訪れた母が「庭が荒れているわね」と言って、きれいさっぱり庭木を刈り取ったのだ。母の満足した顔が思い出された。あのときも、あまりに庭がさみしくなってしまって、不安な気持ちになった。
「ありがとう、お母さん」だけど、志緒子はそう言った。
「ちゃんと手入れしなくちゃだめよ」志緒子の母は嬉しそうにそう応え、木の枝の束をいくつもつくり、葉や草などを入れた袋もいくつもつくった。駐車場に大量に置かれた緑の残骸を、母は充実感に満ちた顔で眺めていた。
切り取られた花芽はゴミとして捨てられたのだ。未来といっしょに。
小学校低学年のとき、志緒子はバレエが習いたかった。無邪気に母に言うと、「志緒子は背が小さいでしょう。バレエをやると背が伸びないから駄目よ」と言われ、どんなにやりたいと言っても、決して許してくれなかった。ピアノを習いたかった。連れて行かれたのはオルガン教室だった。オルガンの先生があまりに怖くて、一回休んだら「志緒子は本当に根気がない。どうしようもない子だ」と言われ、すぐに辞めさせられた。そろばん教室には行きたくなかったけれど、「頭がよくなるから」と行かされた。志緒子は、そろばんが嫌いだった。
志緒子の背はバレエを習わなくても高くならなかったし、そろばんを習っても賢くはならなかった。「この子は本当に根気がなくて。ダメな子なのよ」母はいつも志緒子を評して、そう言った。じゃきんじゃきん。鋏の音が耳に響いた。
「ママ!」
小さな手が志緒子に伸びて、「美緒」と名を呼んで、幼子を抱き上げた。「抱き癖がつくわよ」と母に言われていた。でも志緒子は「ママ!」と手を伸ばされるたびに、美緒を抱いた。その温かさとぬくもりと無垢な愛情が志緒子の躰に行き渡り、志緒子はまた、新しい花芽をつけるのだった。
「ママ、あのね、みおね、ダンスならいたいの! ももかちゃんもやってるっていうから」
「ダンス! じゃあ、どこで習っているか、ももかちゃんママに聞いてみようね」
「うん! たのしみ! ももかちゃんがいっしょにやりたいっていってくれたんだよ」
そう言って笑う美緒の顔を見て、志緒子の中の蕾が膨らんだ。ダンスをすると、衣装を縫わなくちゃいけないと聞いたことがある。美緒のためにかわいい衣装を縫ってあげたい。志緒子は、ダンスを習う前から、美緒の喜ぶ顔を想像して笑顔になった。どんなふうに踊るんだろう? 楽しみだ。
植物は、冬の間に花を咲かせる準備をするという。それを毎年繰り返す。寒い冬を乗り越えて咲く花の、なんて誇らしげで美しいことか。
了
花芽 西しまこ @nishi-shima
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